「ユリイカ」 臨時増刊 総特集: 宮澤賢治


「ユリイカ」 臨時増刊  
総特集: 宮澤賢治

第9巻第10号 1977年9月臨時増刊

青土社 
1977年9月10日発行
286p 
22×14.2cm 並装 
定価780円
編集人: 小野好恵
表紙: 飯野和好



ページ数は別丁グラビア「宮澤賢治の風景」8pを含みます。本文中図版(モノクロ)多数。


宮沢賢治 ユリイカ 01


目次:


入沢康夫 「かつて座亜謙什と名乗つた人への九連の散文詩(第六のエスキス)」

エッセイ
草野心平 「賢治をめぐっての回想」
中島健蔵 「ある素朴な賢治観」
宮本常一 「宮澤賢治の亜流」
谷川俊太郎 「四つのイメージ」
井上ひさし 「日本語使いの達人としての賢治」
黒井千次 「ブドリとネネム」
村上陽一郎 「漱石と賢治」

共同討議
入沢康夫・天沢退二郎・林光 「賢治童話の世界」

評論
高橋康也 「不条理な祝祭劇」
内村剛介 「ホワイト・ホールのなかの時間」
高橋英夫 「修羅のことば」
有田忠郎 「〈異界〉をめぐるノート」
河島英昭 「修羅との別れ」
安藤元雄 「イギリス海岸にて」
福島章 「宮澤賢治の宇宙」
草下英明 「賢治について枝葉末節のこと」

エッセイ
別役実 「私の銀河鉄道」
水木しげる 「動物や虫たちの話」
豊田有恒 「SFの日本回帰の指標・宮澤賢治」
野呂邦暢 「イワテケン」
宗左近 「賢治の別れ」
会田綱雄 〔雨ニモマケズ〕

評論
北川透 「『農民芸術概論』」
菅谷規矩雄 「「星めぐりの歌」など」
松本健一 「修羅の消えるとき」
川本三郎 「ジョバンニの「孤独」」
清水哲男 「「決シテ瞋ラズ」」
鈴木志郎康 「宮澤賢治「疾中」詩篇に立ち止る」
中村文昭 「宮澤賢治の謎と神秘」

研究
斎藤文一 「気圏の成立」
中山真彦 「『グスコー(ン)ブドリの伝記』を読む」
私市保彦 「賢治童話の光と影」
丹慶英五郎 「『銀河鉄道の夜』雑感」
栗谷川虹 「未来形の挽歌」
佐藤通雅 「祈り」

資料
天沢退二郎 「宮澤賢治略年譜」

未発表資料
谷川徹三/中島健蔵他賢治友の会研究座談会

グラビア
宮澤賢治の風景



宮沢賢治 ユリイカ 02



◆本書より◆


有田忠郎「〈異界〉をめぐるノート」より:

「子供の頃、私がとりわけ愛着をもっていた一種の玩具があった。玩具といってよいかどうか、またちゃんとした呼び名があったか否かも知らないのだが、直径五―六センチほどの硝子球の内部に水を八分目ほど入れ、中にセルロイドでこしらえた粗末な龍宮城の模型などを固定し、赤い魚を一尾か二尾、細い針金の先につけてこれも固定しておく。水中には金箔や銀箔に似たごく薄い金属片を幾つか沈めてある。透してみれば、海底世界が極小規模で再現し、全体は一種の凸レンズの役を果たすため、向う側にあてた指が拡大されて、指紋まではっきり見える。硝子球は台に取りつけてあるので、転がることはないが、手に持ってひっくり返してみると、天井に残してある僅から空気が泡になって底へのぼり、金属片が光りながらゆらゆら落下する仕組になっていた。
 子供の頃と書いたが、思い出してみれば、この他愛ない机上の飾りに対する愛着は大学生時代までつづいていたようである。下宿の近くに水族館ができ、私は鬱屈するとよくそこに足を運んで、水槽の中を永遠に往復している大きな魚や、底の砂に体を横たえてこの世の終りまで眠っている平たい魚を、飽きず眺めていた。それでも、昔どこかの観光地で買った小さな水球水族館(?)は、相変らず机の上に置いてあったように思う。
  いったい、あのみすぼらしい玩具がなぜあれほど私の心を惹いたのだろうか? 何よりも、それが海底世界の小規模な再現である水族館の、そのまた再現であること。つまりミニアチュールのミニアチュールであること。しかも、球型をした水が空気中に浮かんでいるという背理(私の夢想の中で硝子はたやすく水に同化することができた)の形でそれが実現されていること。この二つの理由から、私はそこに一種の〈異界〉を見ていたのである。この異界は、眺めることはできるが、内部に入ることはけっしてできない。入ろうとすれば異界の壁に遮られ、壁を通過しようと思えば異界を壊すしかない。そしてその時、異界はどこかに消滅してしまう。水族館が、海とその生物を縮小した形で所有しようとする意志の表われであるならば、玩具はいわば所有の所有であるが、この所有は実際には隔離された形でしかこちらの手に入らないわけである。」



水木しげる「動物や虫たちの話」より:

「ぼくの家のまわりには雀がいるので、家内はいつもパンの残りを箱に入れて棚において雀に食べさせているが、強いのが独占しようとしたり、仲よく食べたり、話したりしてる。
 「鬼ごっこ」ではないだろうが、それらしきこともしている。みていると人間とさして変りはないようだ。
 七、八年前の話だが、かの、つげ義春氏がそば屋の二階に間借りしている頃、つげ氏は寝イスを買って一日中横になっているのが唯一のたのしみだったようだが、あまり静かで無人だと思ったのか、或はつげ氏の心が雀とかよったのか、雀が毎日遊びにくるようになり、始めは窓のあたりにきていたらしいが、しまいには寝イスのまわりを廻ったりして、安全をたしかめたのか散歩していたのか知らないが、一週間ばかり毎日遊びにきたらしい。
 間もなく、ヒザの上で遊んだりしていたらしいが、信頼できる人間だと思ったのだろう、しまいには、ワラなんかをくわえてきて、つげ義春先生の腹のあたりに巣を作ろうとしたので、つげ氏もあわてて立ちあがったらしいが、いずれにしても雀が遊びにくるというのは大変めずらしい話である。」
「雀だって言葉が分らなくても、人間ばなれのした人とは友達になれるわけだ。」


















































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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