fc2ブログ

『エリアーデ著作集 第三巻 聖なる空間と時間 ― 宗教学概論 3』 久米博 訳

「近代人にとって、真に「歴史的」とみえるもの、すなわち、唯一独自で不可逆的なものはすべて、未開人からみると、神話=歴史的前例をもたないゆえに、重要ならざるものとされるのである。」
(ミルチャ・エリアーデ 『宗教学概論』 より)


ミルチャ・エリアーデ
『エリアーデ著作集 
第三巻 
聖なる空間と時間
― 宗教学概論 3』 
久米博 訳



せりか書房 
1985年5月10日 第3刷発行
228p 索引xv 
四六判 丸背紙装上製本 
本体ビニールカバー 函 
定価2,500円
装幀: 山崎晨
監修: 堀一郎



Mircea Eliade : Traité d'Histoire des Religions, 1949/1964
本書には初版刊行年月日の記載がありません(「訳者あとがき」執筆の日付は「一九七四年九月」)。



エリアーデ 聖なる空間と時間



目次:

第九章 農耕と豊饒の儀礼
 125 農耕儀礼
 126 女性、性、農耕
 127 農耕の供物
 128 収穫の「力」
 129 神話的擬人化
 130 人身供犠
 131 アズテック人とコンド族における人身供犠
 132 供犠と再生
 133 収穫終了儀礼
 134 死者と種子
 135 農耕と葬礼の神々
 136 性と農耕的豊饒
 137 オルギーの儀礼的機能
 138 オルギーと再合一
 139 農耕神秘学と救済論

第十章 聖なる空間――寺院、宮殿 「世界の中心」
 140 ヒエロファニーとくりかえし
 141 空間の聖別
 142 聖なる空間の「建造」
 143 「世界の中心」
 144 宇宙的範型と建造儀礼
 145 「中心」のシンボリズム
 146 「楽園へのノスタルジー」

第十一章 聖なる時間と永遠再始の神話
 147 時間の不均質性
 148 ヒエロファニー的時間の連繋と連続
 149 周期性――永遠の現在
 150 神話的時間の回復
 151 周期的でないくりかえし
 152 時間の再生
 153 宇宙創成の年ごとのくりかえし
 154 宇宙創成の偶然的くりかえし
 155 全面的再生

第十二章 神話の形態と機能
 156 宇宙創成神話――範型神話
 157 宇宙創成の卵
 158 神話が啓示するもの
 159 「反対の一致」――神話的範型
 160 両性具有神の神話
 161 両性具有人間の神話
 162 更新、建造、加入儀礼などの神話
 163 神話の構造――ヴァルナとヴリトラ
 164 神話――「模範的歴史」
 165 神話の堕落

第十三章 象徴の構造
 166 象徴としての石
 167 象徴の堕落
 168 幼稚化
 169 象徴とヒエロファニー
 170 象徴の首尾一貫性
 171 象徴の機能
 172 象徴の論理

結論

参考文献
訳者あとがき
索引




◆本書より◆


「農耕と豊饒の儀礼」より:

「しかし農耕に関する人身供犠のもっとも有名な例は、ベンガル州のドラヴィダ種族の一つ、コンド族が十九世紀の半ばまでおこなっていたものである。犠牲は大地の女神タリ・ペンヌ Tari Pennu またはベラ・ペンヌ Bera Pennu にささげられ、メリアー Meriah と呼ばれるその犠牲者は、親から買いとられるか、かれら自身がかつて犠牲者となったことのある良心から生れたか、のいずれかであった。供犠は定期的な祭の際か、異常なる事態の際におこなわれたが、犠牲者は常に志願者であった。しかもメリアーたちは、聖別された人とみなされて、長い年月を幸福に暮す。かれらは他の「犠牲者」と結婚し、持参金として、いくらかの土地を貰うのであった。供犠の十日か十二日前に、犠牲者の髪の毛を切る。供犠の儀式には多くの人びとが参加する。なぜなら、コンド族の信仰においては、犠牲は人類同胞のためにささげられるのであるから。次に、表現を絶したオルギーがはじまる――これこそ、次にみるように、農耕や大自然の豊饒と関連した多くの祭礼にみられる特徴なのである。それから行列をつくって、メリアーを村から供犠の場所までつれていく。その場所は、ふつう、千古斧を入れたことのない森である。そこでメリアーは聖別され、溶かしたバターときょうおうを塗られ、花を飾られ、神と同じさまになる。そのため群衆はこのメリアーのまわりにひしめきあい、かれに触ろうとし、人びとがかれにささげる尊敬は、崇拝というにひとしい。群衆は音楽にあわせて、犠牲者のまわりで踊り、地面にむかって、次のように叫ぶ。「ああ神よ、われらはこの犠牲をささげまつる。なにとぞわれらに、よき収穫、よき天候、よき健康を与えたまえ!」。それから犠牲者にむかってこういう。「われらはあなたを購いとったので、むりやりさらってきたのではない。習わしに従い、われらはあなたを犠牲にささげる。どうかわれらには何の罪もふりかからないように!」。オルギーはその夜は中止され、翌朝再開されると、正午まで続き、正午になると、全員がメリアーのまわりに再び集って、供犠に列する。犠牲者を殺す仕方はいくつかある。犠牲者は阿片を飲まされてから縛られ、骨を砕かれるか、首を絞められるか、ばらばらに切断されるか、大火鉢の上でじわじわと火に焙って殺されるか、などした。重要なことは、参加者全員が、また代表者をこの祭礼に送ったすべての村々が、犠牲の屍体の肉片を受けとったことである。祭司は慎重に肉片を分配し、それは村々に急いで送られて、儀式とともに畑に埋葬される。残りの屍体、特に頭や骨は火葬に付され、その灰は、やはり豊作を願って、土の上にまかれる。イギリス当局が人身供犠を禁止したとき、コンド族はメリアーを、動物(牡山羊や水牛)にかえたのであった。」


「聖なる時間と永遠再始の神話」より:

「未開人の心性からすると、古い時間は俗的時間から成り、その俗的時間において、重要でない出来事が、つまり祖型的な範例をもたない出来事が継起している。「歴史」とはこのような出来事の記憶であり、結局は、無価値なもの、あるいは「罪」とさえ呼ばねばならないもの(それらの出来事が祖型的な規範から外れる限りにおいて)の記憶である。逆に、未開人にとって真の歴史とは、すでにみたように、神話=歴史であり、歴史とは神話時代に、かのはじめの時に、神々、祖先、文化英雄などによって啓示された祖型的な行為のくりかえしだけを記録したものである。未開人の考えからすると、祖型のくりかえしはすべて、俗的時間の外で生起する。その結果、一方では、この種の行動は「罪」とはなり得ず、つまり、規範から外れることはあり得ず、他方では、この行動は周期的に廃棄される時間、つまり「古い時間」とは何の関係もない。魔神や精霊の駆除、罪の告白、浄罪、とりわけ原初のカオスへの象徴的回帰、といったすべては、俗的時間の廃棄を意味する。すなわち、そこにおいて一方では意味をもたない出来事が生起し、他方では規範からのずれが実現する古い時間の廃棄である。
 そこで年に一度は、古い時間、過去、範型をもたぬ出来事の記憶(要するに語の現代的な意味での「歴史」)は廃棄されるのである。古い世界の象徴的廃止に続く、宇宙創成の象徴的なくりかえしは、時間を全体的に再生させる。なぜなら、聖なる時間「永遠的瞬間」を俗的時間に挿入するための祭だけが問題ではないからである。その上にめざしているものは、すでに述べられたように、閉じたサイクルの枠内で流れる俗的時間全体を廃してしまうことである。新しい創造の中で新しい生を再開したいという渇望――歳末と新年の儀礼にはすべて、はっきりと表明されている渇望――の中に、無歴史的な生をはじめたい、つまり聖なる時間の中にのみ生きたい、という逆説的な願望もまた入りこんでいる。これは結局、時間全体の再生を、時間を「永遠」に変えることを、企てることにほかならない。」



「神話の形態と機能」より:

「ソシエテ群島の宇宙創成神話によると、「すべての神々の祖先」にして宇宙の創造者であるタアロア Ta'aroa は、「永遠の昔から真暗闇の中で、殻にとじこもっていた。その殻は果しない空間をころがっている卵のようであった」。宇宙創成の卵というモチーフが共通にみられるのは、古代インド、インドネシア、イラン、ギリシァ、フェニキア、ラトヴィア、エストニア、フィンランド、西アフリカのパングウェ族、中央アメリカ、それに南アメリカの西海岸などである。この神話が伝播していく起点は、おそらくインドかインドネシアに求むべきだろう。とりわけわれわれにとって重要なのは、宇宙創成の卵の神話的、または儀礼的な類似物である。たとえばオセアニアでは、人間は卵から生れたと信じられている。換言すると、そこでは宇宙創成が、人間発生の範型となっているのであり、人間の創造は、宇宙の創造を模倣し、くりかえすのである。」

「ボイオティアの墓で発見されたディオニュソス像は、いずれも、手に卵をもっているが、この卵は生への回帰のしるしである。これによってオルフェウス派が卵を食べるのを禁止するわけが説明される。オルフェウス派の神秘主義は何よりもまず、無限に続く再受肉の循環回路から脱け出すこと、換言すれば、周期的な生への回帰を廃絶することを求めたのであった。」















こちらもご参照下さい:

『エリアーデ著作集 第四巻 イメージとシンボル』 前田耕作 訳
『エリアーデ著作集 第一巻 太陽と天空神 ― 宗教学概論 1』 久米博 訳
『エリアーデ著作集 第二巻 豊饒と再生 ― 宗教学概論2』 久米博 訳


























関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、デレク・ベイリー、森田童子。


歴史における自閉症の役割。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本