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阿部謹也 『逆光のなかの中世』

「鳥などの声を人間が理解しうるという考え方は古代ギリシア・ローマにすでに数多くみられ、フィロストラトスはテュアナのアポロニウスの話を伝えている。アポロニウスが弟子とともに散歩ていたとき、一羽の雀がとんできて他の雀とペチャクチャとお喋りしていたかと思うと皆揃ってとび去った。アポロニウスは弟子たちに雀の言葉を話して聞かせた。キビを驢馬にのせた男の驢馬が倒れ、袋が破れて地面にキビが散乱していると雀が語っていたというのである。弟子たちは現場を調べてそれが事実であることを知って驚いたという。」
(阿部謹也 「鴉」 より)


阿部謹也 
『逆光のなかの中世』



日本エディタースクール出版部 
1986年3月25日 第1刷発行
1986年5月25日 第2刷発行
v 228p
20.6×15.2cm 
丸背紙装上製本 カバー 
定価1,600円
カバー図版: 市場に面した家の窓から市場を見下す風景。フレマールの画家「メローデの祭壇画」(十五世紀)の右パネルより。



本書「あとがき」より:

「本書は(中略)求めに応じて書かれた短い文章を集めたものである。もともと新聞や雑誌のエッセイ欄に書かれたものであり、何ら特別の構想をもって書かれたものではない。」
「しかし、読み通してみると、いたるところで中世が顔を出している。とはいえ中世社会がそのものとして描かれているわけではなく、日常生活を照そうとする光のなかで、あたかも逆光のなかに映し出されているかの如くにみえる。それで全体の書名を「逆光のなかの中世」とすることにした。」



本文中図版(モノクロ)50点。



阿部謹也 逆光の中の中世 01



目次 (初出):

SFと中世 (「すばる」 1984・7)
SFと古代・中世の宇宙論 (「ユリイカ」 1985・3)
ギロチン (「文藝春秋」 1981・12)
逆立ちした世界 (「文藝春秋」 1984・4)
「荒野の狩人」 (「民話の手帖」 1983・夏号)
超越者の位置 (「部落」 1985・6)
風見鳥 (「現代思想」 1983・2―1984・2)
梟 (同)
鴉 (同)
郭公 (同)
鳥の価値 (同)
鵞鳥 (同)
七面鳥 (同)
  *
ドイツの旅から (原題「日記から」/「朝日新聞」 1982・9・13―25)
  *
接吻 (「共同通信」 1983・1―12)
握手 (同)
微笑 (同)
親指 (同)
暴力 (同)
愛称 (同)
恩と義理 (同)
遍歴職人 (同)
鍵 (同)
相乗り (同)
信頼 (同)
心中 (同)
残業 (同)
  *
目に見えない家 (「共同通信」 1984・4―7)
家を殺す (同)
家をかまえる (同)
一人前 (同)
大人と子供 (同)
旅人 (同)
遊び (同)
仲たがい (同)
夫婦 (同)
結婚式 (同)
生者と死者 (同)
社会福祉 (同)
シルバーシート (同)
差別 (同)
二つの宇宙 (同)
  *
禁欲 (「言語生活」 1985・5―8)
隠遁 (同)
「貧」の意味 (同)
「怖れ」の変化 (同)
自由 (「ほんとぴあ」 第49号 1985・10・1)
  *
あとがき
初出一覧




◆本書より◆


「ギロチン」より:

「市門の外に処刑台があり、死体が常時吊されている光景を想像し、アンデルセンが子供の頃に校長に連れられて死刑執行を見学にいった話などをよむと、私たちは中・近世の人びとは残酷で野蛮であったと思うかもしれない。表面的にはたしかにそうみえるが、当時の人びとが死をどのようにとらえていたかという点を考えると、そう簡単に言いきることはできない。
 むしろ現在の私たちの方が死に対してはるかに野蛮な関係のとり方をしているともいえるのではないだろうか。日常生活のなかで死者に触れることは稀であり、私後の肉体の変化、腐敗や膨脹などを目にすることはほとんどない。処刑も密室のなかで行われ、その限りで死はこれまでの歴史にはかつてみられなかった程日常生活から遠ざけられている。死が日常生活から隔てられた結果、日常生活と死との間には決定的な断絶が生じ、そのために深い恐怖が日々の生活の奥底で深淵を開いている。
 中世の人びとにとっても死は怖ろしいものであったが、それ以上に日常的な出来事であった。人びとはいつも死体を目にし、私後の腐敗なども見なれた光景であった。またキリスト教会が私後の復活を説いていたことも死への恐怖を和らげていた。」
「死は眠りであるという考え方はおそらく古くから伝えられているものであろう。皇帝フリードリッヒが東ドイツのチューリンゲンの森の洞穴で数百年も眠りつづけているという伝説や、いばら姫の話などにもそれをみることができるし、この種の話はどこにもみられる。死が避けられないものであるがゆえに、また死や死者が日常生活のなかで大きな位置を占めていたがゆえに、中世の人びとは死を日常生活のなかにとりこまざるをえなかった。その結果いわば死を馴致し、避けられない怖れを和らげることができた。処刑台はそうした中・近世の人びとの死に対する意識の一端の象徴でもあった。」



「「荒野の狩人」」より:

「ドイツに限らず全ヨーロッパに「荒野の狩人」の伝説がある。クリスマスや十二夜のような冬の夜、特に風が吹きすさぶ嵐の夜に、突如として数十頭の犬の鳴声が聞え、白馬にまたがった狩人の一群が出現するのである。」
「一体「荒野の狩人」とはどのような存在なのだろうか。」
「「荒野の狩人」の実体に接近するためにはただたんに伝説を調査するだけではたりないだろう。むしろ当時の村における人びとの生活と彼らの死生観をみなければならないと思う。荒野の狩人はときに仮面をつけて現われるが、このあたりにひとつの鍵がひそんではいないだろうか。
 初期中世の頃にすでに村のなかで平和喪失の宣告をされた者は人間狼 Werwolf とされて森に追放された。この手続きは各種の法令にみられる。しかし法制史学者は追放された人間狼がその後どうなったのかという点については格別の関心を示していない。種族・部族・氏族が人間の共同生活の唯一の場であった時代に、そこから排除された人間が森のなかで生き続けられた筈はないと考えられていたから、人間狼のその後の運命については誰も思いをよせなかったのである。人間狼とは氏族団体の絆から解き放たれ、狼と同様に何人でも彼を自由に殺すことができる存在を意味したから、すでに死者に属する存在なのであった。
 ところが人間狼として森に追放する判決文のなかには「汝の妻を寡婦とし汝の子を孤児とする」という文章がときにみられる。また初期中世の法典においても人間狼には「人間の間に住むこと」が禁じられている。このことの意味は重要である。つまりこれまでの法制史研究においては法共同体としての部族団体からの追放という局面だけでとらえられていたのだが、人間狼はそれだけではなく、生者の世界から死者の世界に追放された存在だったからである。死者の世界のシンボルが森であった。」
「彼らがそうやすやすと森で野垂死したとは考えられない。彼らは森で狼を殺し、その毛皮をまとって暮らし、やがて同じ運命を辿った人びとの群と合流していったと考えられる。人間狼にもそれぞれ自分の村に縁者、親兄弟がいる。通常は村への立入りは禁じられている。しかしながら十二夜は例外的な時期であり、このとき人間狼の群は狼の毛皮をまとい仮面をつけて列を組んで村に入ってゆく。村人は怖れながらも彼らの来るのを待っている。戸口を少しあけ、パンや塩をおいておき、人間狼の群はそれを受取ると再び森に帰ってゆく。」



「「貧」の意味」より:

「現代では貧しいという言葉はもっぱら経済的な意味でしか用いられなくなってしまった。(中略)中世ヨーロッパにおいて最も広い意味で貧しさをとらえると「絶えず弱者・隷属の状態にあり、時代や状況によって異なるが何かが欠けている状態、無力で社会的蔑視をうけ、金、つながり、影響力、権力、知識、技能、高い身分の生れ、肉体的能力、知的能力、個人の自由、人間としての尊厳がないこと」を意味していたといわれる。(中略)しかしながら他方で自ら進んで貧の状態に身をおく者もいた。そのような人は大きな尊敬を集めたのである。中世ヨーロッパ社会で最も位が高かったのは皇帝や教皇であったと考えられがちであるが、そうではなく、無所有を宣言した修道士や、森の奥深くで修行している隠修士が最も尊敬を集めたのであった。その頂点に立っていたのがキリストであることはいうまでもない。コリント人への第二の手紙で「主は富んでおられたのに貧しくなられた。それはあなたがたが彼の貧しさによって富む者になるためである」と書かれている。現実がどうであったにせよ、ヨーロッパ中世社会は理念的には貧しさを頂点におくことによってなり立っていた世界だったのである。近代社会の出現とともに貧しいという言葉には何ら崇高なものはなくなり、宗教的な意味も消え、もっぱら経済的な意味だけが正面に出てくるようになった。」



阿部謹也 逆光の中の中世 02



阿部謹也 逆光の中の中世 03

















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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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