FC2ブログ

阿部謹也 『「世間」とは何か』 (講談社現代新書)

「わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「隠者」に負うてきたことだろう。隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。」
(阿部謹也 『「世間」とは何か』 より)


阿部謹也 
『「世間」とは何か』
 
講談社現代新書 1262

講談社 
1995年7月20日 第1刷発行
2007年2月13日 第25刷発行
259p 
新書判 並装 カバー 
定価740円(税別)
カバー・表紙デザイン: 中島英樹
章扉デザイン: 赤崎正一



ドイツ中世史の阿部謹也が、万葉集から金子光晴に至る日本の文学作品に読む、「差別」意識の温床としての「世間」に対する「隠者」たちの闘いの諸相。


阿部謹也 世間とは何か


目次:

はじめに

序章 「世間」とは何か

第一章 「世間」はどのように捉えられてきたのか
 1 歌に詠まれた「世間」
 2 仏教は「世間」をどう捉えたか

第二章 隠者兼好の「世間」
 1 「顕」と「冥」がつくりなす世の中
 2 神判と起請文
 3 近代人兼好

第三章 真宗教団における「世間」――親鸞とその弟子達
 1 親鸞の「世間」を見る眼
 2 初期真宗教団の革新性

第四章 「色」と「金」の世の中――西鶴への視座
 1 西鶴の時代
 2 恋に生きる女達
 3 「金」と世の中
 4 「色」と「金」で世をみる
 5 「艶隠者」西鶴

第五章 なぜ漱石は読み継がれてきたのか――明治以降の「世間」と「個人」
 1 「社会」の誕生
 2 「世間」の内と外――藤村の「破戒」
 3 「世間」の対象化――「猫」と「坊っちゃん」
 4 「世間」と付き合うということ――「それから」と「門」

第六章 荷風と光晴のヨーロッパ
 1 荷風の個人主義
 2 光晴の歌った「寂しさ」

主要引用・参考文献

おわりに




◆本書より◆


「隠者兼好の「世間」」より:

「最も注目されるのは、兼好がこれまでの歌人や文人と違って、世間のしきたりを無視する姿勢を評価している点である。そのような例として第六十段があげられるだろう。
 いもがしら(さといもの球茎)ばかり食べ、貧しい暮らしをしていた高僧が銭二百貫と僧坊を師匠から遺産として貰い、それをすべて芋に代えて食べてしまった話である。「世を軽(かろ)く思ひたる曲者(くせもの)」である。この高僧は、すべてのことに勝手気ままに暮らし、朝廷の宴席でも作法を守らず、眠いといきに眠り、食べたいときに食べていた。このように「尋常(よのつね)ならぬさま」であったが、「人に厭(いと)はれず、よろづ許されけり。徳の至れりけるにや」とある。いわば世間の掟を守らなかった男の行動を評価しているのである。」

「兼好と漱石を結んでいるものは個人主義だといってよいだろう。わが国で個人主義を貫くことは容易ではないが、二人ともそのために努力したのである。第二百四十三段に、兼好が八歳のとき、父に「人は何(なん)として仏には成り候ふやらん」と質問したことが書かれているが、誰でも子供のときにはこのような質問をするかもしれないとしても、長ずるに及んでこのような質問自体を忘れてしまうものである。兼好は自己を主にして、ある意味で自己本位に生きようとしたのであり、この質問も子供のときのものという形をとっているが、年をとった兼好のものともいえよう。
 兼好の場合は世のはかなさを歌っているわけではない。世がはかないものであることを十分承知の上で、その世の中でどのように生きてゆくかを説いているのである。これまで扱ってきた歌人達とはまったく姿勢が違うのである。ただ兼好が生きていた時代は近代ではなかったから、兼好が自ら納得が行く生き方をしようと思えば隠遁するしかなかった。それは今でもある意味では同じであるが。」



「「色」と「金」の世の中」より:

「西鶴が幕藩体制的支配機構をどのように捉えていたかについては簡単には答えられないが、「好色一代男」という主題からして暗示的である。幕藩体制社会においては家の存続は何よりも優先される目的であった。好色もその面から認められていたのである。したがって(中略)「一代限り」を表題にしたこの話は、そもそも当時の社会体制に正面から対決するものでもあったのである。」

「すでに「徒然草」についてみてきたように、わが国の歴史上の人物の中で世間や世の中を対象化して捉えようとしたり、し得た人は非常に少なかったが、その稀な一人である兼好法師は隠者であった。兼好に次いで世の中や世間を対象化し得た人物が西鶴であったと私は考えているのだが、(中略)西鶴は町人の出であるが、いわゆる「艶隠者(やさいんじゃ)」とされる人物であった。」
「隠者とは、すでに述べたようにそのときどきの世間や俗を離れて暮らそうとする人々のことであった。その世間や俗は時代によって一様ではなく、ときには僧の世界そのものが俗であることもあった。しかし一般的にいって隠者的な暮らしをした者こそが、この国において「世間」や俗を相対化することができたのである。」



「なぜ漱石は読み継がれてきたのか」より:

「society という言葉は、それぞれの個人の尊厳が少なくとも原則として認められているところでしか本来の意味を持たない。わが国で individual という言葉の訳語として個人という言葉が定着したのは、(中略)明治十七年(一八八四)頃であり、社会という訳語に約七年遅れていた。それ以前にはわが国には個人という言葉がなかっただけでなく、個人の尊厳という考え方もわずかな例外を除いて存在していなかったから、この訳語の成立は決定的な意味をもっていた。しかし現実にはいまだ西欧的な意味での個人が成立していないところに西欧の法・社会制度が受け容れられ、同時に資本主義体制がつくられ、こうして成立した新しい状態が社会と呼ばれたのである。」
「しかしわが国においては、個人の意識はこの百年間の事態の推移にもかかわらず、十分な形で確立しなかった。個人の尊厳がいまだ十分には認識されていないことはすでに序章において述べたとおりである。(中略)こうした事態の中で一般民衆は従来の人間関係を感性の次元ではもち続け、それが部落差別の存続という形で残り、またそれが世間という言葉を存続させる契機ともなっているのである。」
「島崎藤村の「破戒」(中略)。丑松が自分の人生を振り返る場面で、「あゝ、あゝ、捨てられたくない、非人あつかひにはされたくない、何時迄も世間の人と同じやうにして生きたい」と考える場面がある。ここではっきりと世間の中には非人は入っていないことになる。世間は被差別部落の人達を差別し、自分達はそれらの人達とは区別される人間であるということを暗に示す言葉となっているのである。
 このとき以来「世間」という言葉は百年の間数えられないほど使われてきたが、このような意味合いをすっかり払拭してきたといえるのだろうか。そのような努力をせずにこの言葉を使っているとしたら、学究としては怠慢といわねばならないだろう。(中略)私達はこの言葉を日常会話の中で温存し、文章語からは追放して実態を糊塗(こと)してきたのである。」

「漱石の作品が読み継がれてきた一つの理由には、世間や社会に背を向けようとしたその視点があったといえよう。このような視点に立って初めて日本の社会と個人の主要な一面が見えてくるからである。」
「このように見てくると(中略)、わが国の文学の世界はいかに多くを一種の「隠者」に負うてきたことだろう。隠者とは日本の歴史の中では例外的にしか存在しえなかった「個人」にほかならない。日本で「個」のあり方を模索し自覚した人はいつまでも、結果として隠者的な暮らしを選ばざるをえなかったのである。」



「荷風と光晴のヨーロッパ」より:

「荷風はアメリカを経てフランスで暮らし、日本に帰ってきたとき、父親から今後どうするつもりかと問われ、「世の中に何(なん)にもする事はない。狂人か、不具者と思つて、世間らしい望みを嘱(ぞく)して呉(く)れぬやうに」(「監獄署の裏」)と答えている。」

「西欧における個人主義は、原理としては個々人は互いに理解しえないものだという点をふまえながらも、この個人がどのようにして社会をつくるのかという展望を持ち、社会との絆を拒否する人にもそれなりの場が用意されていた。しかし、日本で荷風を取り巻いていたのは、社会ではなく「世間」であったから、荷風には西欧流の個人を生きる道はなかったのである。」

「日本の世間や世の中からできるだけ身を離し、世間的な付き合いを避け、非情に生きることを選んだ荷風だからこそ、このように当時の社会と政治を突き放して見ることができたのであった。しかし荷風自身は自分をそれほど信用していなかった。」





こちらもご参照下さい:

キャサリン・サンソム 『東京に暮す』 大久保美春 訳 (岩波文庫)


「日本人は国民の幸福のためには個人の権利を放棄しなくてはならないと考えます。それで個人の自由を大切にする私たち西洋人が、日本人と同じように国民の幸福を望んでいることが理解できないのです。
 現在の変化しつつある世の中では、よいものを一部の人が占有するのでなく、みんなが共有するためには自由に制限を加える必要があるというのはもっともな意見で、私たちイギリス人も賛成です。それでも私たちにとっては命ともいえる個人の自由を放棄することは拒みます。」



よろしければこちらもご参照下さい:

フィリップ・K・ディック 『スキャナー・ダークリー』 浅倉久志 訳 (ハヤカワ文庫)















































関連記事
スポンサーサイト



プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本