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阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男 ― 伝説とその世界』

「中世都市には「社会復帰(リハビリテーション)」という概念はなかった。貧民、癩者、乞食、盲人、淫売婦なども含めた多様な人間存在がおりなす生活空間が社会そのものなのであった。」
(阿部謹也 『ハーメルンの笛吹き男』 より)


阿部謹也 
『ハーメルンの笛吹き男
― 伝説とその世界』


平凡社 
1974年10月28日 初版第1刷
1982年10月15日 初版第14刷
223p あとがき2p 参考文献4p 
口絵10p
20×15.5cm 角背紙装上製本 
カバー ビニールカバー 
定価1,800円



本書「あとがき」より:

「民衆史を中心にした社会史はどうしたら可能なのか。これが本書が私に課した大きな課題である。この課題は何よりもまず、これまでの歴史研究、即ち生活現実を理知的に解明せんとして、長い間知識人が行なってきた知的営為そのものに対する批判的反省として、出発しなければならないだろう。」


カラー口絵2点、モノクロ口絵15点。


阿部謹也 ハーメルンの笛吹き男 01


帯文:

「それは童話の世界の出来事ではなかったのか?
グリムの童話を通じて広く世界に知られている伝説はどうして生まれたのか――笛吹き男はなぜ鼠捕り男なのか――失踪した子供たちはどこへ行ったのか……悲哀の影を宿す伝説の謎を手懸りに、その背後に展がる中世庶民の生の在り方をたずねた書下ろし歴史エッセイ。」



帯裏:

「書名の伝説はグリムやブラウニングを通じて、広く日本にも知られているが、それらの素材となった原伝説は様々な歴史的経緯に彩られている。本書は歴史学の立場から、植民者をめぐる伝説成立の要因を辿るとともに、中世庶民生活の種々相に分け入ってゆく。……生活の苦しさや祭の興奮、子供や寡婦、ユダヤ人や放浪芸人……。さらに伝説の変貌過程で、笛吹き男の登場した理由、政治的宣伝に利用された事情や研究史にまつわるエピソードなどを交えて、伝説を支えてきた世界を明らかにしようとした意欲的な書下ろしエッセイである。
本文中挿図47点・別刷10頁(うち原色版2頁)収載」



目次:

第一部 笛吹き男伝説の成立
 はじめに
 第一章 笛吹き男伝説の原型
  グリムのドイツ伝説集
  鼠捕り男のモティーフの出現
  最古の史料を求めて
  失踪した日・人数・場所の確認
 第二章 一二八四年六月二六日の出来事
  さまざまな解釈をこえて
  『チューネブルク手書本』の信憑性
  ハーメルン市の成立事情
  ハーメルン市の散策
  ゼデミューンデの戦とある解釈
  「都市の空気は自由にする」か
  ハーメルンの住民たち
 第三章 植民者の希望と現実
  東ドイツ植民者の心情
  失踪を目撃したリューデ氏の母
  植民請負人と集団結婚の背景
  子供たちは何処へ行ったのか
  ヴァン理論の欠陥と魅力
  ドバーティンの植民遭難説
 第四章 経済繁栄の蔭で
  中世都市の下層民
  賤民=名誉をもたない者たち
  寡婦と子供の受難
  子供の十字軍・舞踏行進・練り歩き(プロセッション)
  四旬節とヨハネ祭
  ヴォエラー説にみる笛吹き男
 第五章 遍歴芸人たちの社会的地位
  放浪者の中の遍歴楽師
  差別する側の怯え
  「名誉を回復した」楽師たち
  漂泊の楽師たち

第二部 笛吹き男伝説の変貌
 第一章 笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ
  飢饉と疫病=不幸な記憶
  『ツァイトロースの日記』
  権威づけられる伝説
  笛吹き男から鼠捕り男へ
  類似した鼠捕り男伝説
  鼠虫害駆除対策
  両伝説結合の条件と背景
  伝説に振廻されたハーメルン市
 第二章 近代的伝説研究の序章
  伝説の普及と「研究」
  ライプニッツと啓蒙思潮
  ローマン主義の解釈とその功罪
 第三章 現代に生きる伝説の貌
  シンボルとしての笛吹き男
  伝説の中を生きる老学者
  シュパヌートとヴァンの出会い

あとがき
参考文献



阿部謹也 ハーメルンの笛吹き男 02



◆本書より◆


「どんな人間でも乞食になったり、盲目、跛になったりする可能性はある。だから中世都市の住民は現代のようにこれらの悲惨な運命をになった人々をまったくの他者として隔離したりせず、自分たちの目にふれるところで見守っていたのである。中世都市には「社会復帰(リハビリテーション)」という概念はなかった。貧民、癩者、乞食、盲人、淫売婦なども含めた多様な人間存在がおりなす生活空間が社会そのものなのであった。」

「これまで述べてきた庶民の祭のあり方をみれば、子供の十字軍やエルフルトの子供たちの舞踏行進が、庶民の鬱屈した日常生活からの瞬時の解放としての祭の延長線上にあったことが容易に推察出来るだろう。日頃の苦しみが深いだけに、大人は祭の興奮のなかにわれを忘れてのめりこんでゆき、子供のことなどは忘れてしまう。子供も祭の喧噪のなかで大人以上の興奮につき動かされ、とどめる者がないまま危険な行動に駆りたてられてゆく。」

「世俗の支配・共同体秩序からも、教会の懐からも閉め出されてしまった人々がどんな悲惨な生涯を送らなければならなかったか、わが国の村八分の例をみるまでもなく、容易に想像しうるところである。」
「当時の放浪者のなかには、(中略)詐欺師的な者も多く、(中略)人文主義者の側から当時の社会の腐敗のあらわれとして痛烈に非難されている。しかしすでにみたところからも容易に推測しうるように、これらの下層民の詐欺行為などは、むしろ差別の結果なのであって原因ではない。こうした放浪者の中に各地を遍歴する楽師の姿もあった。
 中世の都市や農村の祭の時に、どこからともなく現われては人々とともに唱い、ひとときの慰めを与えては、どこへともなく去っていった遍歴楽師。彼らは一体どのような存在なのか。この問に一義的に答えることは難しい。彼らはひとつのまとまった身分を形成してはいなかった。王侯の前で演奏していた者があるかと思えば、村々の農民の祭にささやかな演奏で人々を楽しませてもいた。(中略)そもそも彼らの音楽はほとんどみな即興曲であり、(中略)常に聴衆のなかで、聴衆との直接的な触れ合いのなかで彼らの音楽が生み出されていたのである。」

「日々の生活の苦労から瞬時の解放を求める祭の興奮のなかでは、遍歴楽師の身分の低さは問題にもならなかっただろう。むしろ祭の進行や興奮に大きな役割を果す存在として、人々の、とりわけ子供たちの注目を集めさえしただろう。〈一三〇人の子供たちの失踪〉という歴史的事件そのものには、遍歴楽師はほとんどかかわりをもたなかった、と私には思える。彼らが関係していたとすれば祭のなかにおいてであり、それは事件の直接的原因ではなかった。だから中世史料においては歴史的な存在としての〈笛吹き男〉はほとんどその具体的な姿をみせていないのである。それにもかかわらずこの事件がのちに〈ハーメルンの笛吹き男〉の伝説として知られるにいたったのは、遍歴楽師の社会的地位が近代にいたるまで疎外されたものであったという事実と、彼らを差別の目で眺め、悪行の象徴とみたてた人々や「学者」たちがいたからなのである。」

「飢えはいつの時代にも人間をギリギリの状況にまで追い込んでしまう。一三世紀を通じて中部ヨーロッパで人肉食が行なわれたことは確かである。」
「こうして飢えた人々は常に食物を求めて移動する。農民ですら家と耕地を捨てて、あてのない放浪の旅に出る。飢饉の時にはこうして極めて多数の貧民が、全ヨーロッパを食物を求めてうろつきまわっていたのである。われわれは中世政治史や文化史のロマネスクやゴシックの建築に象徴される華麗な叙述の背後に、痩せさらばえ、虚ろな顔をして死にかけた乳児を抱いて、足をひきずるように歩いていた無言の群衆を常にみすえていなければならないのである。」
「飢饉、不作、疫病による人口の絶対的減少だけでなく、このような難民の流浪によっても一定地域の人口は急速に減少した。中世においてはこうした事態はすでにみたように繰り返し生じていたから、ハーメルンにおいても人々が同様な事態に遭遇し、(中略)人口の減少を経験するたびに、彼らのこうした体験の原点ともいうべき一二八四年の〈一三〇人の子供の失踪〉があらためて回想され、語りつがれていったと考えられる。」

「〈鼠捕り男伝説〉に共通していることは、鼠その他の害虫の被害に対して一般の人々は何のなすすべもなく、ただ被害を一方的に受けるばかりであったことと、鼠などを退治し、一般の人々を救ったのは、例外なく見知らぬ男、あるいは都市や農村の共同体内には住まない、非日常的な生活を営む人間であったことである。」
「多くの伝説に共通している〈鼠捕り男〉への報酬の不払い、忘恩というモチーフは〈鼠捕り男〉が前に述べた遍歴楽師と同様に土地に定住しえず、遍歴して歩いていたために共同体的秩序からはみ出した被差別民であったことと、彼らに対する一般の人々の日常の態度・処遇が対等な権利を有する者に対するそれではなかったことを示している。」

「〈笛吹き男と一三〇人の子供の失踪〉の伝説はハーメルンという一都市の伝説でしかなかったが、市参事会の裏切りに対する鼠捕り男の復讐というモチーフが加わったことによって、この伝説は普遍的な意味をもつことになった。
 どのような土地にも、自然的・人為的災害が絶えることはなく、どこにおいても庶民の苦しみに対して当局は無為無策であり、無名の英雄によって庶民の苦しみの根源が除去されても、当局はそのような英雄を正しく処遇せず、往々にしてむしろ断罪し、その結果生ずる災難もすべて結局は庶民が担わねばならない。しかも大人の世界で営まれるこうした醜悪な所業の責任をとらされるのは、しばしばいとけない子供たちである。このような「現実」を人々が日々味わわされている限り、この伝説は全世界の人々に訴えかけてゆく力をもっていた。」

「たしかに〈鼠捕り男伝説〉と結合した、〈ハーメルンの一三〇人の子供の失踪伝説〉は歴史的真実の核はもっていても虚像であった。しかしその虚像を史実でないとして否定した啓蒙思想家の多くは、民衆にとって長い年月の辛苦のなかから滴りおちるようにして生み出されて来た虚像の方が、無味乾燥な「史実」よりも重い意味をもっているということを理解しえなかったのである。」

「人間が他の人間を差別の目でみることをやめない限り、〈笛吹き男〉はいつの世にも登場するだろう。」



阿部謹也 ハーメルンの笛吹き男 03

























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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