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阿部謹也 『中世賤民の宇宙 ― ヨーロッパ原点への旅』

「ですから賤視ということはどういう事なのか、差別とはどういうことなのかに関心を持つとすれば、それはやはり自分の中に差別する心と言いますか、差別する意識とかそういうものを発見するという作業が同時に必要であって、そういう問題だと思うんです。」
(阿部謹也 「中世ヨーロッパにおける怪異なるもの」 より)


阿部謹也 
『中世賤民の宇宙
― ヨーロッパ原点への旅』


筑摩書房 
1987年10月30日 第1刷発行
318p 目次1p 口絵(カラー)1葉
20.8×15.4cm 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,200円



本書「あとがき」より:

「社会史研究を志してから(中略)この二十余年の間に個別研究はいろいろ行なってきたが、わが国における社会史研究の位置について、あるいはヨーロッパ史研究の意味について省察を加えながら、正面から自分の問題としての社会史研究について考察した論文はそう多くはない。本書におさめた三論文がその主なものである。ヨーロッパをわれわれに直接かかわる面と、ヨーロッパ固有の面との両面からとらえてみようとする意図をもって書かれたものである。第一論文は『社会史研究』創刊号に書かれたもので、私はこの論文をもって社会史研究の新たな一歩を踏み出したと考えている。第二論文はその延長線上にあるものだが、第一論文がわれわれにとってヨーロッパとは何かという問題から出発しながら、ヨーロッパと日本に共通の地盤にまで到達し、そこからヨーロッパに固有なものがどのような形で生まれてくるかを論じたのに対し、第二論文はヨーロッパに固有な公的社会のあり方が生まれてくる最も深いところに探りをいれた論文である。
 第三論文は第一、第二論文をふまえて、ヨーロッパ内部における影の部分に注目し、ヨーロッパ中世の人々の心的構造の核にあるものに接近しようと試みたものである。この問題はわが国の被差別部落の成立史とも深い関連をもっていると考えている。
 第四、五の文章は講演やエッセイであるが、いずれも第三論文の延長線上で中世における怪異なるものと近代オーケストラ成立の歴史的前提について考察したものである。いずれも試論の域を出ないが、第三論文の二つの宇宙とその一元化という主題がヨーロッパ史においてはどのような分野についても極めて重要な構想となりうることを示すために補論として収めたものである。」



本文中図版(モノクロ)51点。


阿部謹也 中世賎民の宇宙 01


帯文:

「ヨーロッパ中世の人びとの
心的構造の核にあるものは何か
大宇宙と小宇宙という二つの宇宙のなかで生きていた中世人が、キリスト教の浸透による時空観念の一元化、死生観の転換によって、畏怖の対象であった職業を賤視の対象としてみるようになってゆく過程を考察。」



阿部謹也 中世賎民の宇宙 02


目次 (初出):

私たちにとってヨーロッパ中世とは何か (「國文學」 1987年6月/原題「いま歴史学から〈中世〉を見る」に加筆)

ヨーロッパ・原点への旅――時間・空間・モノ (「社会史研究」1 1982年10月)
 一 中世社会史研究の方法によせて――出発点としての自己省察
  「生を捉ふるに学問の……」
  近代の物理的時間意識
  空間観念の構造
  モノをめぐる人間と人間の関係
 二 原点としての中世後期(十一―十五世紀)ヨーロッパの意味
  十二世紀革新論
  歯車時計出現の意味
  「抽象的時間」を示す
  空間観念の革命
  モノをめぐる関係の変化
  売買の関係へ
 三 過ぎゆかぬものを見る目――二人の歴史家
  「われわれの現在」――H・ハインペル
  「さまざまな現代の存在」――上原専禄
 四 初期中世ヨーロッパにおける時間意識
  現代人は急ぐ人
  具体的・人間的な時間意識
  経験のなかにあるもの
  キリスト教的時間意識の形成
  時間意識をめぐる相克
 五 初期中世ヨーロッパにおける贈与慣行
  心性の底を流れる潮流
  贈与・互酬の慣行
  宴会と贈物の役割
 六 ヨーロッパにおける「公的」なるものの成立――贈与から売買へ
  人間と人間の関係の絆としての富
  神への贈与
  「公」的なるものの成立
   1 プレカリア
   2 罰則 Poenformel について

死者の社会史――中世ヨーロッパにおける死生観の転換 (「社会史研究」4 1984年4月)
 一 死生観の変化
 二 初期中世における死者と生者
  「生ける死体」の観念
  死者の持分
  記憶のイメージ
  生きつづける死者
 三 キリスト教の浸透と死者
  肉体と霊の分離
  神への贈与
 四 遺言書の成立
  キリスト教と個人財産の形成
  遺言書の研究
  宗教的な文言
  寄進と霊の救済
  救済のための寄進の合理化
  自由分の成立と起源
  一方的な相続行為
 五 現世観の変化

ヨーロッパ中世賤民成立論 (「中世史講座」7 1985年)
 一 賤民研究の問題点
 二 人間狼について
 三 二つの宇宙
 四 小宇宙としての共同体
 五 賤民の成立と解体

中世ヨーロッパにおける怪異なるもの (「千葉史学」 1986年12月)
 賤視の根底にあるもの
 中世の人々の怖れ
 怪異なるもののさまざまな形
 宇宙観の違い
 時間の可逆性
 二つの宇宙
 大宇宙との交流
 畏怖の対象
 被差別民の位置
 メルヘンの誕生
 歴史研究とは

ヨーロッパの音と日本の音 (「is」35号 1987年3月)
 騒音に対する感性
 目に見えない絆としての音
 二つの「宇宙」の音
 モノフォニーとポリフォニー


あとがき



阿部謹也 中世賎民の宇宙 03



◆本書より◆


「ヨーロッパ・原点への旅」より:

「水時計、砂時計、日時計などと違って歯車時計においては均一な、周期的な運動が組みこまれ、自然の知らない新たな拍子が創り出されている。ここで「この別の時間とともに私たちの意味での近代がはじまる」とユンガーがいうとき、彼は近代文明の核心をついているのである。何故なら十四世紀半ばには一時間を六十分、一分を六十秒に分割することが通例となってゆくが、このように抽象的な時間の分割が人間の行動と思考の枠を規定してゆくようになるのが近代社会の特徴だからである。(中略)それ以前の世界においてはあとで詳しくみるように時間とは人間存在の外を流れる抽象的なものではなく、あくまでも人間的事象であり、人間の行動が時を定めたのであって時が人間の行動を規定していたのではなかった。昼の時間も夜の時間も一日毎にずれていったし、脈拍や呼吸数が気分や行動によって変化するように、時間の方が人間の行動に合せて変化していたのである。狩の獲物がつかまえられた時が狩の終りの時となり、農民にとっては日の沈むときが仕事の終りでもあった。かつて修道士は詩篇を何回読んだかによって時の経過を計っていたし、ライン河の船曳きも、作業場の職人も歌を唱って仕事のリズムをとっていた。しかるに機械時計は仕事の内容とは関係のない抽象的時間によって仕事を測る装置として以後今日にいたるまで全人類の間に絶大な重要性をもつ座標軸となったのである。」

「かつて空間は均質的なものではなかった。聖なる空間があってそれは聖所、森、墓地などに示されており、一種の不可侵の空間のアジールをなしていた。しかし、すでに十三世紀頃から都市内部では家のアジールは公権力によって認められなくなってゆく。アジールの消滅ほど空間感覚の変化を如実に示している現象はないだろう。」



「ヨーロッパ中世賤民成立論」より:

「ところで中世における賤視のあり方をみてゆくとき、私たちはそれがはじめは畏怖の感情から生じていることを見過すわけにはいかない。現在の私たちにとって賤業とみなされがちな塵芥処理や道路清掃すら、ただきたないという理由だけで賤視されたのではない。私たちはゴミをきたないものと感じ、その感じの底にあるものに目を向けようとはしていない。私たち人間が自らの肉体を通して生み出したものがゴミなのである。糞尿がきたないという感覚すら新しいものであって、古代・中世の人びとは糞尿をただきたないものとみたのではなく、怖れの念をもってみてもいた。だからときに聖者の尿は薬として用いられもしたのである。森羅万象に対する感覚が中世人のばあい現代人とはかなり異なっており、その違いを認識することが中世における賤視の原因を探るうえで、まず第一に行なわねばならないことなのである。ということは、私たちが現代の人間としてもっている基本的な世界像をいったん捨て去ることを意味している。ではその捨て去るべき世界像とは何か。それは近代科学によって構築されてきた均質的な時間、空間観念によって貫かれている世界像である。中世の人間は現在の私たちと同じ目で森羅万象を、世界を見ていたのではなかったのである。賤視とはまず第一に人やモノを見るときの視線の行方であり、その結果生ずる心の動きであり、そこから生ずる行動である。それを規定しているのが人間の世界像であることはいうまでもない。
 中世の人間は均質的な時空観念のなかで生きていたわけではなかった。彼らは二つの宇宙のなかで生きていたのである。わかり易くいってしまえば、自然界の諸力を人間が辛うじて制御しうると考えられていた範囲内が小宇宙 Mikrokosmos であり、その外側に人間にはとうてい制御しえない諸霊や巨人、小人、死などの支配する大宇宙 Makrokosmos が広がっていた。この両宇宙は排他的なものではなく、同じ要素からなりたっており、ひとつの宇宙をなしてもいた。」

「汚物や糞尿が生命の源泉であるという考え方は、近世にいたるまで一般的にみられたものであって、魔女や呪術師が治療にこれらのモノを用いたことはよく知られている。汚物や糞尿は人間が辛うじて掌握している人体や共同体から外部へ排泄されたモノであり、排泄された瞬間にそれらの汚物は小宇宙としての人体や共同体の外に出てゆき、大宇宙の要素となるのである。それ故に汚物を処理し、扱う道路清掃人などは大宇宙を相手に仕事をする人間として特別な能力を備えた者とみなされ、畏怖のまなざしでみられたのである。」

「大宇宙と小宇宙という分け方は普遍的なものであり、どこの民族にも程度の違いこそあれみられるものである。賤民は本来どこにおいても、この二つの宇宙の狭間に成立するのではないかと思う。ただし二つの宇宙の狭間に生きる人びとが賤視されるようになるのは、感覚の次元で二つの宇宙の存在が前提とされているにも拘らず、観念の次元で(あるいは教義のうえで)二つの宇宙の枠がとり払われ、一元化されてゆくときではないかと思う。国王や司祭は同じ立場にありながら、一元的に世界を解釈してゆく側に立ったために賤視を免れたのである。」



「中世ヨーロッパにおける怪異なるもの」より:

「われわれが賤視の根源を明らかにしたいということはどういうことかと言いますと、その賤視と同じものを自分の中に発見するという作業だと思うんです。だからヨーロッパ社会を理解するということはヨーロッパ社会の中にあるメンタルな構造というものと対応するものを自分の中に発見する作業だと思うんですね。(中略)ですから賤視ということはどういう事なのか、差別とはどういうことなのかに関心を持つとすれば、それはやはり自分の中に差別する心と言いますか、差別する意識とかそういうものを発見するという作業が同時に必要であって、そういう問題だと思うんです。」





















































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
 
うまれたときからひとでなし
なぜならわたしはねこだから
 
◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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