堀切直人 『浅草 江戸明治篇』

「明治末年といえば、浅草公園の六区周辺では、活動写真の大流行など、モダニズムの最尖端を見ることができた。にもかかわらず、浅草は東京のなかで最後まで江戸文化が頑固に残っていた地域でもあった。六区のモダニズムにしても、それは江戸の見世物文化の伝統に組みこまれて享受されていたのである。」
(堀切直人 『浅草 江戸明治篇』 より)


堀切直人 
『浅草 
江戸明治篇』


右文書院 
2005年3月15日 印刷
2005年3月25日 発行
443p 
四六判 並装 カバー 
定価2,200円+税
装幀: 嶌田昭成
カバー絵: 谷中安規画『王様の背中』表紙見返し



堀切氏の浅草四部作は、対象となった時代順でいうと、本書にはじまり、『浅草 大正篇』ときて、栞文庫(栞文庫は出版社名です)から出た『浅草』(戦前・戦中)、そして『浅草 戦後篇』という順番になります。


堀切直人 浅草 江戸明治篇


帯文:

「前作『浅草』(栞文庫)に続く「浅草四部作」の第二弾。「浅草寺縁起」に始まり、緑雨、一葉、荷風に至る、古代・江戸・明治の浅草界隈を描く歴史パノラマ、風俗絵巻の書。」


帯裏:

「〔登場する主な人物〕
鳥居龍蔵
幡随院長兵衛
花川戸助六
河竹黙阿弥
新門辰五郎
成島柳北
内田魯庵
淡島椿岳・寒月
森鴎外
斎藤緑雨
樋口一葉
長谷川如是閑
永井荷風
ほか」



目次:

「浅草寺縁起」をめぐって
江戸時代の浅草
 江戸時代以前の浅草
 徳川幕府は浅草の前史の抹殺を図った
 江戸初期の浅草寺
 日本橋・京橋VS.浅草・下谷
 町奴と旗本奴
 市川団十郎と「助六」劇
 吉原と柳橋・山谷堀
 奥山の見世物
 文化文政の浅草と「東海道四谷怪談」
 「天保の改革」と猿若町
 「浅草の作者」河竹黙阿弥
 敗け組のヒーロー・新門辰五郎
向島・今戸・柳橋
浅草公園の誕生
新富座VS.宮戸座
寄席・私立小学校・市区改正
奥山界隈の奇人団
 内田魯庵
 淡島椿岳
 淡島寒月
 高浜虚子の「杏の落ちる音」
明治下町文学小史
 明治前半期の東京文壇
 斎藤緑雨の「江戸敗北」
 樋口一葉の「たけくらべ」
 長谷川如是閑の職人文化論
 永井荷風の下町徘徊

あとがき




◆本書より◆


「浅草は江戸に、その一部として属するのではない。浅草と江戸とは、互いにまったく別箇の町として形成され、発展してきた。」
「少なくとも徳川時代以前には、浅草と江戸とは、両方の住民の間で別々の町として認識されていた。鎌倉時代から安土桃山時代までは、周知のように、武家が天下を取り、天下を治めた時代である。だが、その武家時代にあっても浅草寺の境内は、侍が馬を乗り入れるのを厳しく禁じ、武家権力の介入を拒否する、治外法権の場でありつづけることができた。そして、徳川家康が江戸を治めるようになってからも、しばらくこのアジール(避難所)的性格は守られていたのである。」

「加門七海は(中略)大胆な仮説を呈示する。全国を行脚する熊野修験者は、推古天皇時代に始まる七世紀に武蔵の水辺の地・浅草へと至り、この地を第二の熊野と定めた。彼らは浅草を故郷である熊野のミニチュア版に見立てて、隅田川沿いに和歌浦周辺のいくつかの地名を移植し、そしてその河口地域に、熊野から運んできた補陀落浄土の幻像を投影した。」
「ここで、加藤秀俊が『見世物からテレビへ』で指摘している熊野信仰の大衆性ということにちょっと光をあててみたい。同書で加藤氏は、熊野信仰が「徹底的な神仏混合」と「効験の列挙」によって多くの信者を獲得していったことを述べ、そして、こう言っている。「とにかく、男でも女でも、どんな宗派の人間でも、そして何を祈願する人でも、熊野は大歓迎なのである。つまり、宗派的にならないのである。来て下さればそれで結構なのである。(中略)」。熊野信仰のこうした大衆性は、浅草寺の観音信仰の大衆性と通い合うところがあるのではないか。」

「幕府の屋台骨が折れかけていた幕末における浅草のヒーロー、新門辰五郎は、敗け組の佐幕派に左袒して大きな働きをした。お上嫌いの浅草人は幕末維新期には、新来のお上である薩長人を毛嫌いし、かつての仇敵であり、今は滅亡に瀕した徳川幕府の肩をもったと思われるのである。」

「明治初年の奥山では、おおらかな大道芸のほかに、目を覆わしむるような、幕末の頽廃的で残酷な見世物も引き続き開陳されていた。」
「幕末から明治初期に向島に住んでいた漢学者の依田学海(よだがっかい)は「学海日録」という日記の明治三年四月三日の項で、この奥山の酸鼻な見世物の印象を、そっけないほど即物的な筆致で、こう記している。
 「母を奉じて浅草に詣ず。観音開扉なりという。観物多き中に、木偶の戦死せしを作りたるものあり、創(きず)をおうもの二人、首をきられたるもの一人、婦人の自殺せしもの一人、首を竹を貫きたるもの、婦人を縛して木枝に倒(さかさ)に吊せしもの一人、情死のもの二人あり。又、獅子を籠してみするものあり」」

「明治末年といえば、浅草公園の六区周辺では、活動写真の大流行など、モダニズムの最尖端を見ることができた。にもかかわらず、浅草は東京のなかで最後まで江戸文化が頑固に残っていた地域でもあった。六区のモダニズムにしても、それは江戸の見世物文化の伝統に組みこまれて享受されていたのである。」

「彼(引用者注: 内田魯庵)は「文明国には必ず智識ある高等遊民あり」と言って、薩長政府下の立身出世型の社会からはみ出し、その社会が唾棄して顧みない江戸伝来の民間の知を掘り出し、蒐集し、記録する者として、「高等遊民」の存在を擁護し、その活動を報告した。また、「学問の創見は往々研究を目的とするものよりは趣味を生命とする側の不思意の好奇的探尋に生ずる場合がある」と言って、遊びのセンスを伴う、アマチュアの学問のスタイルを称揚した。」




































































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