デフォー 『ペスト』 (平井正穂 訳/中公文庫)

デフォー 『ペスト』 
平井正穂 訳

中公文庫 C8

中央公論社 昭和48年12月10日初版/昭和62年10月30日5版
401p 文庫判 並装 カバー 定価480円
表紙・扉: 白井晟一
挿画: レズリー・アトキンソン
カバー原画: フォールコン社版『ペスト』(一九五〇年)のカバー絵(レズリー・アトキンソン画)より。



『ロビンソン・クルーソー』の作者ダニエル・デフォーが、1665年のロンドンでのペスト流行(作者は当時五歳)のようすを描いた小説『ペスト年代記』(A Journal of the Plague Year)(1722年)の邦訳。挿絵8点。

本書「解説」より:

「『ペスト』は、匿名で出版されており、その体裁は、馬具商を営むロンドンの一市民、H・F・なる人物による「観察録、つまり思い出の記録」ということになっている。このH・F・なる名前がデフォーの叔父ヘンリ・フォーの名を利用したものであることは想像できるが、この叔父にメモアールがあったという事実はもちろんない。要するに、デフォーは、このH・F・なる人物を彼自身のペルソナとして設定し、一六六五年のロンドンを可能なかぎりの資料にもとづき、フィクションとして描いたということができる。」


ペスト1


カバー裏文:

「一六六五年、ロンドンが悪疫(ペスト)に襲われた。その事実のもつ圧倒的な迫力に作者自身がぐいぐいと引きこまれつつ書き上げた本篇の凄まじさは、読む者を慄然とせしめる。いつまでも泣き叫ぶ子女の声……。そして地獄絵図を通りすぎて、最後の淡々とした喜びの描写が、深い感動をよぶ。
極限状況下におかれた人間たちを描いて、カミュ『ペスト』よりも現代的に生ま生ましいと評される、鬼気せまる名篇。」



内容:

『ペスト』要図

ペスト

解説 (平井正穂)



ペスト2



◆本書より◆

「市民のなかには、ロンドンに悪疫起こり、ために死者を埋葬しうる生存者一人として残らざるべし、さればとくとくロンドンを立ち去れ、という声を聞いたという者も出てきた。また、なかには、幽霊が空に現われたのを現にこの眼で見た、という者も出てきた。(中略)自分たちは炎をあげて燃えている剣を握った手が、雲の中からにゅっと出て、その切っ先をちょうどロンドンの真上に向けているのを見た、という人間もいた。また、墓地に運ばれてゆく棺桶を乗せた幾台もの柩車を空中に見た、という者もいた。(中略)どうも、市民というものはいったん怖気(おじけ)づいてしまうと、あることないこと、妄想をたくましくして勝手なことを言い出すものなのだ。」
「ちょうど疫病がはやりだす前のことであったから(中略)、たしか三月だったと思うが、街を歩いていてふと人だかりがしているのが眼についた。何事だろうと思って、私もそのなかにまざって見てみると、その連中はどれもこれも天の一角をじっと見つめているというわけだ。一人の老婆がはっきり見たというあるものを見ているのだそうであった。なんでも、それは、白衣を着た天使で、手には炎々と燃えさかる剣を持ち、さかんにそれを打ち振っている、いや、大上段に振りかざしている、というのであった。その老婆はまるで手にとるようにその姿をみなの者に話してきかせた。ほれ動いた、ほれどういう格好をした、といった具合にいちいち説明してきかせた。すっかり人々は魅せられてしまった。「見える、見える、はっきり剣が見える」と一人の男がいった。「ほんとだ、天使の姿も見えるぞ」と他の男がいった。すると天使の顔を見たという者まで飛び出してきて、「天使って、なんと神々(こうごう)しい姿なんだろう!」と叫んだ。そうなると、なにを見た、かにを見たと、とめどなくだれかれの区別なくしゃべり出すのであった。」

「この時代の錯乱した人心の動向を伝えるのに役立つと思われる、一種の気違い沙汰がこのほかにもある。(中略)それは、疫病(ペスト)を防ぐためにお守りや魔薬や魔除けや護符や、その他さまざまのお札(ふだ)の類を身につけておくということであった。(中略)また疫病を避けようと思えば、十字切りや十二宮の図や縁結びにした紙切れさえ持っておれば絶対にかからないともいわれた。そしてそのうえに特定の言葉なり意匠なり、とくに「アブラカダブラ」という言葉を三角形もしくはピラミッド形に描いたものが描かれていると効き目があるとされていた。」

「教区の人たちが他の場所にいくつも穴を掘ったのは、病気がわれわれの区に広がり始めかけたころで、ちょうど死体運搬車(デッド・カート)がよそから死体を運ぶために駆けずりまわりはじめたころであった。(中略)この穴の中に平均五〇ないし六〇個の死骸を投げ込んだが、次にはもっと大きな穴をいくつか掘った。そしてこの中に、運搬車が毎週運んでくる死骸を片っぱしから投げ込んでいった。運搬車が運んでくる死骸の数は八月の中旬から下旬にかけて毎週二〇〇ないし四〇〇であった。その穴をもっと大きく掘り広げようとしたが、死骸を地面から六フィート以上の深さに埋めよとの当局者のきつい命令があるため、そうすることもできなかった。(中略)しかし、九月の上旬となると、疫病(ペスト)はいよいよ暴威をたくましくしてきて、(中略)ついに私が目撃した一大深淵を掘ることになったのである。それはあまりに大きく、とても穴などとはいえなかった。
最初この深淵、つまり大穴を掘る時、人々は、このくらいの大きさがあれば一ヵ月や二ヵ月は充分間に合うと考えていた。また実際、まさか教区民全部をこの中へ入れるつもりじゃあるまいな、などと嫌がらせをいって、(中略)非難する者もあったくらいである。(中略)穴の出来上がったのがたしか九月の四日だったと思うが、一日おいて六日にはもうどんどんこの中に死体を埋め始め、ちょうど二週間後の二十日までには、死体一、一一四個を埋めたのであった。もうそれ以上死体を入れると、地面から六フィートという規定に反することになった。人々は仕方なく土をかけねばならなかった。」
「このような穴に衆人が近づくのを禁ずる厳重な法令が出ていたが、それはもっぱら病気の感染を防ぐのを主眼としていた。しかし時日がたつにつれて、この法令はいっそう必要なものになってきた。なぜなら、病気に冒された人間で、死期が近づき、そのうえ精神錯乱をきたした者たちが、毛布とか膝掛けとかをまとったまま穴のところに駆けつけ、いきなり身を投じて、いわば、われとわが身を葬るからであった。」

「私はまたこういう患者の話も聞いた。その男は三箇所に腫脹があり、その痛さに耐えかねて、シャツ一枚のまま病床から飛び出したというのである。そして靴をはいて衣服をつけようとしたが、付添婦がそれをむりやりに押しとどめて衣服をひったくった。彼は付添婦を投げ飛ばしてその上を飛びこえ、階段を駆けおり、シャツ一枚のまま町を突っ走ってテムズ河のほうに一目散に駆けていった。(中略)その男はテムズ河にかかっていた浮桟橋のところへ走りおりてゆき、シャツを脱ぎ、ざんぶりと河の中へ飛び込んだ。ところで彼は泳ぎが達者だったものだから、河を向こう岸まで泳いでいった。(中略)フォールコン桟橋あたりまで流されてやっと岸に上がることができた。上がってみたが、もちろん夜のこととて人影はなく、そこでまたもや素っ裸のまましばらくのあいだ町じゅうを走りまわった。そうこうしているあいだに、河は満潮となった。彼はまたもや河に飛びこみ、さきの浮桟橋まで泳いで帰り、町の中を走って自宅に帰ってきた。戸をどんどんたたいて、いきなり階段を駆け上がり、寝床の中に飛び込んだ。ところが、この恐るべき荒行(あらぎょう)のため、疫病がいっぺんになおってしまったのである。」



ペスト3



こちらもご参照下さい:

村上陽一郎 『ペスト大流行 ― ヨーロッパ中世の崩壊』 (岩波新書)
ヒルデ・シュメルツァー 『ウィーン ペスト年代記』 (進藤美智 訳)
































































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