種村季弘 『アナクロニズム』 (河出文庫)

「魔術と迷信はかくてもう一つの知の体系にほかならないもののごとくである。」
(種村季弘 「モーゼの魔術」 より)

「世界がどうあろうと、私は私の原始性を主張する」
(ゼーレン・キェルケゴール)


種村季弘 
『アナクロニズム』

河出文庫 126B

河出書房新社 
昭和60年2月25日初版印刷
昭和60年3月4日初版発行
270p 
文庫判 並装 カバー 
定価450円
デザイン: 粟津潔
カバーデザイン: 渋川育由
カバーのイラスト: 「VICTORIAN INVENTIONS」より



本書「あとがき」より:

「青土社の新雑誌「ユリイカ」が誕生したとき、何か気軽な巻頭コラムをという注文で書きはじめたのが、思えばこの連作エッセイの原形であった。」
「旧版のユリイカ叢書版『アナクロニズム』のあとがきに、そのときの編集者との対話が記されている。
 「アクチュアリティだの、情況だの、息がつまるようでイヤだなあ。いっそアナクロニズムで昼行灯みたいにぼんやりしていたい。うっすらと死臭の漂いはじめているようなのが好きなんですよ」
 (中略)
 「それで行きましょう」、と清水さんの目つきが悪くなった。
 「それって何です?」
 「アナクロニズム」」
「こうして「ユリイカ」誌上に「アナクロニズム」と題して連載した(昭44・7―45・6)骨子に「蘆原将軍考」と「続・地球空洞説」とを新たに書き下し、これに「奇人奇行綺譚」(「婦人公論」昭44・6)を加えて一書に編んだのが本書旧版(昭48・5)である。その後著作集「種村季弘のラビリントス」第八巻(青土社)に採録する際に「奇術師入門」、「第三の眼」、「女の決闘」を加え、「あとがき」として「再説・蘆原将軍考」を新たに書き下したが、今回の文庫版ではこれを独立した一章に改めた。」



本文中図版(モノクロ)多数。


種村季弘 アナクロニズム


帯文:

「オカルト・UFO・魔術…
狂愚・逸脱・奇人などをテーマに、奇想天外なエピソードを収集し、東西文明の陰画をさぐる」



カバー裏文:

「地球空洞説、人間栽培論、霊媒実験、少年十字軍などに現われた人間の狂愚や極端な逸脱、迷信、奇想、妄想などは、そのいかがわしさ、変奇さゆえに、文化的におとしめられ、周辺に追いやられてきた。しかし、これら文化的ガラクタは、無価値なゆえに特有の魅力と活力を有し、新たな文化を作り出す力をも秘めていた…東西文明の底辺に隠された奇想の系譜を発掘し、その魅力を物語るエッセイ集。」


目次:

蘆原将軍考――序にかえて
地球空洞説
続・地球空洞説
人間栽培論
小児十字軍
モーゼの魔術
壜の中の手記
ロボット考
空飛ぶ円盤
血液嗜好症(ヘマトフィリア)
文学的変装術
少女流謫
蛇と舞踏者
聖指話法
奇行奇人綺譚
奇術師入門
第三の眼
女の決闘
再説・蘆原将軍考

あとがき




◆本書より◆


「地球空洞説」より:

「十九世紀初頭のフランス人レビーは地球空洞説を提唱した。レビーの考えでは、地球は中味の空っぽな巨大な中空球体で、その内部空間には、二つの輝く惑星、プルートーとプロセルピーナが、円環軌道を描きながら回転しており、そして地上北緯八二度の地点には地球内部の暗黒室に通じている無限に深い峡谷がうがたれていて、われわれ地表の生息者も、その気ならここを通って暗黒世界に降りて行くことができるのだという。
 レビーとほぼ同じ頃、すなわち一八一八年、アメリカの陸軍大尉ジョン・クリーヴス・シムスもやはり地球空洞説を唱えた。(中略)シムスの推定では、地球内部は無数の同心円状の球体が重なっていて、それらの間は空洞となっているが、わずかにところどころ土塊でつながっている部分もある。この迷宮のように入り組んだ内部空間に植民すれば、したがってたやすく領土拡張もできるわけである。」
「アメリカの学者C・R・T・コーレッシュ博士(中略)によると、従来の天文学はことごとく出鱈目である。太陽系とか銀河系とか、中心の天体をめぐって回転する惑星とか、あるいは無限の宇宙とか、こうした概念はすべて間違いであり、外道なのだ。そういうものがまったく存在しないというのではないが、存在の仕方がまるで違う。すなわち、太陽系も、銀河宇宙も、月も、惑星も、はては地球それ自体も、ちょうど胡桃の殻にくるみ込まれるように一つの球体のなかにそっくり閉じ込められてしまうのである。しかもこの球体の大きさはそれほど大したものではなく、直径がちょうど地球のそれときっかり同じ一二、七五〇キロメートルの円球だというのだ。そして、太陽や惑星の運行のような宇宙の森羅万象一切が、この円球内部の空洞のなかで起っているのである。
 つまりコーレッシュの考えでは、驚くなかれ、地球の表面は凹状なので、ちょうど地球儀を裏返しに内側に引きずり込んだように、球体の内壁に沿って海や大陸がへばりついているわけである。」
「コーレッシュの閉鎖的な、徹頭徹尾外界から孤立した空洞地球は、どこか『さかしま』のデ・ゼッサントの逆球体宇宙を思わせはしないだろうか。事実、この誇大妄想と偏執狂が奇妙に交錯した宇宙模型をデ・ゼッサントの部屋の寸法にまで縮寸することが許されるならば、外道にまで逸脱したこれらの母胎還帰の宇宙的夢想は、郵便屋シュヴァルやわが二笑亭の、あの夢想の壁によって蟻の這い出るすきまもなく包囲された完璧な自家用の牢獄の形にまで凝結されてしまうはずである。究極のナルシシズムは、地球や宇宙をさえ、アメ細工のようにおのれの周囲にくねくねと彎曲させてしまうものであるらしい。」



「小児十字軍」より:

「大地から離れた肉体の消息についての仮説は二つある。一つは堕天使、あるいは堕地獄のそれであり、もう一つは天使と鳥類の昇天飛翔のそれである。農耕は肉体を大地に結びつけるが、このとき肉体とは牢獄であり、私たちは囚人である。それゆえに農閑期の祝祭日、大地から一時的に離れた肉体は、そこに現前した底なしの不安な空間を聖なる遊戯空間たらしめるために喚起的な身振りを発明しないわけにはいかない。そしてそういうものを私たちはかりに舞踏と呼ぶ。ひとは大地を離れた瞬間に是非なく舞踏家になるか、それとも地獄に堕ちるのだ。捨聖(すてひじり)を慕って土地を離散した中世の時衆(じしゅう)たちもたちまち群をなして踊った。
 とりわけ子供たちの肉体は、常日頃から、大地に道具として関係してはいない。彼らは鳥に近く、大地の引力から自由である。農事労働(にかぎらず、一般に労働)の主体である成人男子が、歴代もっとも遅く集団舞踏に感染することも、反対に子供たちがもっとも早く先頭を切るのも、この引力の感応度のなせるわざに違いないのだ。妖精、マリオネット、野獣のような引力の干渉を知らない存在たちとならんで、少年の身のこなしは、つねに舞踏的である。」



「ロボット考」より:

「ケンプレンの工学的才能は、かくてただの一度も実用に結びついたことがなかった。(中略)将棋差し人形の愛すべきトリックをふくめて、ケンプレンは、終始一貫、絶対に実用と生産技術には結びつかない、遊戯を目的とした機械しか制作しなかったのである。彼の人形が、ことごとく子供っぽい遊戯衝動に支えられた楽しい玩具であることは言うまでもないが、同時に生産社会の視点から見れば、この奇怪な人形作者は一個の不毛で打ちひしがれた現実喪失者にほかならず、その人形は(中略)どこか無気味で非現実的なにおいのする珍品奇具の類いにすぎなかったであろう。発明家としては彼はまさに外道の忌むべき大道香具師であった。」


「少女流謫」より:

「だが、この思春期から成熟への円滑な移行がかりに中絶された場合には、どういうことが起るであろうか。(中略)少女流謫儀礼のコンテクストに即して言えば、抑圧を受けることを拒んだ少女は、永遠に死の世界に流謫されたまま、文字通り社会の陽の目を見ないことになろう。太陽の光から隔絶されて、彼女は月光に見衛られた母たちの闇の国に永遠に眠りつづけるであろう。」
「アリスが不思議の国で戯れ合っていた、愛すべき怪物たちは、白雪姫の侏儒たちと同じ意味での「仲間」である。「多くの子供たちは、以前彼らが母の胎内で小さな胎児として育てられたと聞かされると、母の胎内にいたときから自分は兄弟や姉妹と一緒に中に入っていて、ある者は先に、ある者は後に生れてきたのだ、と想像しがちである」(グラント・ダッフ)。父権支配から隔絶した母胎内の不思議の国で、少女たちはその兄や弟と性別を知らない(生産的な性とは無関係の)、(中略)世代の交替や生の持続とはなんら相渉ることのない、楽しい火遊びに耽って飽きることを知らないもののようだ。」
「父権の受諾によってふたたび流謫から社会へ帰還するか、それとも兄弟たちとの甘美な火遊びに執着して月光の国にとどまり、反社会的な睡眠の呪縛を解かぬままに永遠に思春期を凍結させるか。
 アリスのお姉さんは、少女に分別がつけばいいと希望してはいるが、そうなったとは報告していない。」



「蛇と舞踏者」より:

「集団狂気舞踏は聖ファイトの踊り以前にも以後にも起っているが、なかでも面白いのは、十六世紀末、宗教改革と宗教迫害の時代の只中に起った集団舞踏である。この舞踏病に顕著な特徴は、踊り手がすべて子供であるということであった。(中略)しかも奇妙なことに、舞踏状態になると、子供たちは自分が猫になったと思い込むのであった。突如として彼らはおそろしく敏捷になったかと思うと、樹木の上にするするとよじ登ったり、ニャアニャアと猫の鳴き声を上げたりするのであった。」

「オランダの舞踏史家ヨースト・A・M・メールローによれば、私たちはすでに母胎の内部においてリズムと舞踏を知っていたのである。
 「胎児は外界からの接触にたいしても、物音にたいしてもきわめて敏感である。胎児は胎内の音の世界に生きていて、自分の心臓の鼓動と母親のそれとを聞いている。かくて誕生以前の子供は圧倒的な切分された音響世界のなかに生きているのである。子供は母胎のなかですでにその人生行路全体を決定するリズムを得る。彼は物質的欠乏を知らぬ大洋的無関心のニルヴァーナ的世界に生きているのである」
 メールローが舞踏衝動の最深部に見ているものは、一言にして言えば、母胎還帰衝動とかヨナ・コンプレックスとかいう衝迫である。子供は母胎を離れてからも、自分の心臓の鼓動と母親のそれとが共鳴しつつ羊水の大洋に無重力的に浮遊していた原状態を忘れていない。そしてたえずこの原睡眠状態にたちもどろうとするであろう。かくて舞踏は、いわば身体運動による追憶、私たちがかつて生きていた唯一の大洋的睡眠状態の行動による模倣ともいうべきものなのである。」



「聖指話法」より:

「私たちの身振りは無為の、言語は沈黙の、それぞれ排泄物にほかならない」


「奇行奇人綺譚」より:

「私が最後に言いたいのは、古今を問わず、また洋の東西を問わず、時代の画一主義(コンフォーミズム)の毒にたいする抗毒素としての奇行の効用、あえて言えば、その無用の用ともいうべきものの意義についてである。風俗、行動、服装、芸術活動――どんな分野であれ、少数派として指弾され、奇人とそしられようがままよ、ささやかなものでもいい、「世界がどうあろうと、私は私の原始性を主張する」といい切れるような一点を内生活のどこかに貯えていないとすれば、かならずや糸の切れた凧のように、(中略)巨大な画一主義的現代文明のどんらんな森の迷路のなかにまぎれ込んだまま、おそらく二度とあのなつかしい子供部屋に帰ってくることはできないかもしれないのではあるまいか。」







































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本