フランセス・イエイツ 『シェイクスピア最後の夢』 (藤田実 訳)

フランセス・イエイツ 
『シェイクスピア最後の夢』 
藤田実 訳


晶文社 1980年12月25日初版/1989年2月10日2刷
256p 図版(モノクロ)8p 
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,370円(本体2,301円)
ブックデザイン: 平野甲賀
カバー絵: 騎士たちの馬上試合(ヴァロアの綴れ織り)
Frances A. Yates : Shakespeare's Last Plays - A New Approach, 1975



原題直訳は「シェイクスピアの後期の劇――新しいとらえかた(アプローチ)」。

著者による「はしがき」より:

「本書の表題は、一九七四年一月にロンドン大学ユニヴァーシティ学寮(コレッジ)で、私が連続四回にわたって行ったノースクリフ卿記念文学講義の表題と同じである。(中略)私は、シェイクスピアが自らの時代の諸問題とその時代の思想の流れにどのようなかかわり方をしていたかについてこれまで考えてきたことを、(中略)ひとつ仔細に点検してみようと思ったのであった。(中略)本書の最初の四章は、講義の際の話し言葉から書物に書く言葉に移しかえる時に、どうしても文体の上で変えなければならなかったところや、小さい部分でいくらか内容を書き改めたところをのぞけば、(中略)講義をほとんどそのまま収録してある。(中略)本書の四つの章の前には、これまで発表した私の研究をいくらか概略した序章を添えてある。本書で私が研究したことは、これまで刊行した私の著作の中に含まれた私の仕事を発展させてできたものである。」
「第五章(中略)は、先の連続講義の一部分ではなく、まったく新規に筆をとったものである。」



シェイクスピア最後の夢1


カバーそで文:

「1603年、エリザベス女王の死とともに、イギリスのルネッサンスが死んだ。〈ルネッサンス精神の嫡子〉シェイクスピアは、その後の困難な晩年を13年間生きる。
スペイン旧教勢力の抬頭によって扼殺されつつある〈陽気なイングランド〉を救えるか――その最晩年の劇「シンベリン」「あらし」「ヘンリー八世」にこめられたシェイクスピアの最後の希望を読み解き、ヨーロッパ精神史の十字路に迫る。」
「フランセス・イエイツ ルネッサンス研究の第一人者として知られるイギリスの女性文学者・歴史家。1899年生まれ。シェイクスピアへの関心を持続しながら、ヨーロッパ各国のルネッサンス精神史研究に従事。1944年以来、ナチスドイツを逃れロンドンに移った「20世紀の知の宝庫」ワールブルク研究所のスタッフに加わる。『記憶術』『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス主義的伝統』をはじめヨーロッパ思想史を書きかえる秀れた著作がある。」



目次:

はしがき

序章
1 ジェームズ一世時代のエリザベス朝復興運動
2 『シンベリン』
3 『ヘンリー八世』
4 〈後期の劇〉における魔術――『あらし』
5 続編――シェイクスピアの〈後期の劇〉とベン・ジョンソン
結び

原注
訳注
訳者あとがき



シェイクスピア最後の夢2



◆本書より◆


「チューダー王朝やスチュアート王朝の人たちが大いに利用した「ブリテン」の伝説の典拠は、もちろんジェフリー・オブ・モンマスの書いた有名な『ブリテン諸王歴代誌』である。これは十二世紀の著作で、トロイ人アエネアスの子孫のブルートがどのようにアルビオンの島にやってきて、そこにアーサー王にいたる代々のブリテン王の系譜の土台を築いたかということを、胸がわくわくするように物語ったものである。十六世紀のはじめにポリドーア・ヴァージルは、ジェフリー・オブ・モンマスがこの『ブリテン諸王歴代誌』を書いたということの確かさ具合にすでに疑問を発しており、それ以後、そのことには他からも批判が向けられていた。しかし、この書物はチューダー王朝の王統伝説の土台をなすものとして、感情の面からなくてはならぬものであった。この伝説を通して、チューダー朝は他のヨーロッパの王朝にひけをとることなく、トロイの血筋をひく家柄をつくることができたので、いろいろな批判は無視されて、この「ブリテンの歴史」はエリザベス朝人の想像力の中に堅固に祀りあげられた状態になっていた。歴史批評の成長とともに、だれしもこのブリテンの伝説の支配力が十七世紀の初頭までに弱まっただろうと予想するだろうが、すでに見たように、この伝説は今度はスチュアート王朝へと応用されて、その力と重要さをなおも維持したのであった。新しいスチュアート王朝は古きチューダー王朝と連続していることを強調することによって、人びとが感情の面で新しい王朝に忠誠心を移しかえることをたやすくしたのであった。」

「エリザベス朝の新教思想と、この思想のあらわれとしての宗教改革を経た、純粋なキリスト教を意味する純潔と貞節の比喩表現は、エリザベス朝の騎士道の理念とわかちがたく溶け合っているのである。アーサー王とその騎士たちの純粋さ、ないしはプロテスタント的騎士道の倫理は、宗教改革を経たキリスト教の神学的純粋さと結合しあって、エリザベス朝時代にあった〈処女王(ヴァージン・クイーン)〉をめぐる比喩表現を形成する。しかもシェイクスピアは、ジェームズ一世の時代に至ってもなお、その王女エリザベスをめぐって、この比喩表現を用いているのである。ブリテンの騎士道の伝統にある古代的純粋さと、国王の手になるチューダー王朝の宗教改革の神学的純粋さとが結合するという二重にかさなった歴史の流れが、歴史にたいするこの詩的な見方に浸透しているのである。その一方のチューダー朝の宗教改革の方の流れは政治的角度から歴史の見方に浸透して、イギリスのローマ・カトリックからの分離を正当化し、またもう一方のブリテンの古代的純粋さの流れは、宗教改革の方の流れを騎士道的伝統や騎士道精神の純粋さと合体させて、神秘主義と神話と魔術へ通じる扉をひらくのである。
この見方の中には、ルネッサンスの古代神学(プリスカ・テオロギア)への信仰、古代の想像上の智者(マグス)たちを起源とする伝統ある純粋性と宗教的価値へのルネッサンス時代の信仰に非常に似たものがある。この古代の智者とは、想像上のエジプトの予言者でありヘルメス的哲学と魔術の師である、ヘルメス・トリスメギストスや、ゾロアスターや、オルフェウスや、その他の想像上の古代的真理の教師たちのことである。ルネッサンスの新プラトン主義者は、神秘的洞察や魔術的直観の次元では、あらゆる宗教的真理を綜合してもよいとする信念の正しさを、これらの智者たちに見たのである。純粋のブリテンの古代神学とチューダー朝の宗教改革が、ルネッサンス新プラトン主義のあらゆる豊かな内容とその核をなす魔術、およびそれが開いてみせた限りなく豊かな比喩表現と融合したものが、スペンサーのエリザベス女王をめぐる叙事詩『妖精の女王』の本質をなすのである。スペンサーのこの詩は、〈処女王〉としてのエリザベス女王を中心にしたもので、詩人の論点を展開するための土台として、ブリテンの歴史とチューダー朝の歴史を結合させている。フィリップ・シドニーもまた、ルネッサンスのさまざまな影響の浸透したアルカディア的空想物語(ロマンス)を書くための土台として、ブリテン的騎士道と結びつく宗教改革を利用している。
私はシェイクスピアの〈後期の劇〉全体を、古代復興として、つまりジェームズ一世の時代に生き残った古いエリザベス朝人による意識的な過去への復帰として見たいと思う。」

「「ヘルメス・トリスメギストス」なる人物が書いたとされるいわゆる「ヘルメス文書」があって、これが、ルネッサンス時代にとほうもなく大きい影響力を発揮したのであったが、この「ヘルメス・トリスメギストス」は実在ではなく、想像上の人物なのであった。このヘルメス・トリスメギストスの書いた著作は、ネオ・プラトニズムに含まれたヘルメス主義的な核をなすものとして、ネオ・プラトニズムとつながりをもつものであった。このことは今日ではよく知られていることである。ヘルメス・トリスメギストスが書いたと思われていた著作の中には、漠としてはいるが敬虔なる感情の〈宇宙宗教〉を教えるものがあるが、また明瞭に魔術に関係したものもあり、とくに『アスクレピウス』がそうである。これは対話形式になっており、ヘルメス・トリスメギストスは、音楽の伴奏を含むさまざまな儀式や作法によってエジプトの古代僧侶が神々の像に生命を吹きこんだとされる宗教的魔術が、どのようなものであったかを述べている。ヘルメス・トリスメギストスを宗教哲学者として讃仰する多くのルネッサンス期の人たちは、魔術を容認しないゆえにに、ヘルメス正典から『アスクレピウス』を締め出したのであった。しかし、ジョルダーノ・ブルーノのような徹底した宗教的ヘルメス主義者は、その教説の土台をなすものとして、『アスクレピウス』に述べられた魔術を採り入れていたのであった。その教説とは、つまり来るべき魔術=宗教による社会の改革の訪れを告げ報らせようとするものであって、この改革では世界は失われた原初の黄金の時代に回帰することになるのであった。ブルーノは、イギリスで出版したイタリア語の対話形式の著作の中で、この魔術的=宗教的使命を述べ伝えているが、そこには『アスクレピウス』の中の、生命を吹きこんで神を創ることを記した一節からの影響が溢れている。ブルーノは『アスクレピウス』からのこの一節を、自然および自然の中にある神的なるものを深奥まで理解したものと解釈したのであった。
シェイクスピアは、『冬ものがたり』の中の、ポーライナがハーマイオニーの彫像を動き出させる場面では、『アスクレピウス』の中の神を創造する有名な一節を暗示しているのである。」

「プロスペローは、アグリッパの教える〈隠秘哲学〉を学んで、それを実践にうつす方法を知ったのである。さらにアグリッパと同様にシェイクスピアは、真の魔術者の高度な知的・道徳的魔術が、低級で醜い妖術や魔法とはいかに根本的に異っているかを、『あらし』の中で明らかにしたのである。プロスペローは魔女サイクロックスやその邪悪な息子キャリバンから対極的に離れた存在である。たしかに、プロスペローは良き魔術者=智者として、世界を改革する使命をおびている。彼は自分の島という世界から魔女の悪しき魔術をとり除く。良き者には報いを与え、悪しき者はこれを罰する。彼は正義の審判者、もしくはすぐれた徳を備え、世の中を改革してゆく君主であって、その魔術=科学の力を善なる目的のために用いる。『ヘンリー八世』における進歩的(リベラル)なプロテスタントの宗教改革の勝利は、『あらし』においては魔術の島の夢の世界において世の中の改革を実行する智者の勝利に、よく似た対応点が見出せる。
プロスペローの魔術は、それゆえに良い魔術であり、社会を改革する魔術である。しかし彼の魔術がそこで働きをみせる知性の構造ないし組織とは、厳密にどのようなものなのであろうか。この点でわれわれは、アグリッパが定義したことを参考にしなければならないが、それは、やや思い切って単純化すると次のようになる。
宇宙は三つの世界に分けられる。すなわち地球上の自然からなる元素的世界と、星々からなる天上的世界と、精霊ないし知性ないし天使からなる超天的世界である。自然的魔術は元素的世界で働く。天界の魔術は星辰の世界で働く、そうしてさらに最高の宗教的魔術があって、これは超天的世界で働く。気高い宗教的智者は、魔術をもって超天界の精霊や知性をよび出して、自分の働きの助けをなさしめることができる。この種類の魔術を敵とする者たちは、これを悪魔的な魔法とよび、また実際に、深い宗教心からこの魔術を信じた者も、天使の代りに悪しき精霊、すなわち悪霊をよび出してしまう危険をつねに認識していた。プロスペローは精霊を魔術によってよび出す力をもっており、彼がよび出すエイリエルという精霊を通してその働きを行ったのであった。『隠秘哲学』というルネッサンス魔術の案内書で説かれている魔術の二つの大きな分野である〈魔術(マギア)〉と〈カバラ〉のうち、プロスペローは、病を癒すセリモンの魔術、すなわち『冬ものがたり』に広く浸透している深い自然的魔術よりも、主としてカバラ的な精霊をよびおこす魔術の方を用いているように思える。
プロスペローのことを考えるに当って、ジョン・ディーの名前をもち出すことはどうしても避けられないことである。ジョン・ディーはシェイクスピアが知りあっていたにちがいない偉大な数学的智者(マグス)で、フィリップ・シドニーの師であり、またエリザベス女王に深く信任されていた人物である。一五七〇年に刊行された英訳のユークリッド『原論』につけた彼の有名な「序文」は、エリザベス朝の科学者や数学者たちの新興の世代の人たちの〈バイブル〉となったのであるが、この「序文」の中で、ディーはアグリッパにならって三つの世界の理論を述べ、アグリッパと同様に、この三つの世界のすべてを貫いて、〈数〉がそれらを結びつける鎖の輪として存在していることを強調している。(中略)低い地上の元素的世界では、彼は数を科学技術と応用科学として研究した。天上的世界では、彼の数の研究は占星術と錬金術に結びついていた。超天的世界では、(中略)数の計算法によって精霊をよび出す秘法を発見したと彼は信じていた。ディーの型の科学は「薔薇十字的」なものと分類しうるのである。この「薔薇十字的」ということばが用いうることはすでに私が示唆しておいたとおりで、このことばを用いて私は、魔術=科学の伝統の歴史の中に、ルネッサンスと十七世紀の間に介在したひとつの段階を指し示しているわけである。
プロスペローというすべてを支配する人物は、まさしくこのような薔薇十字的段階を象徴している。われわれはこの人物を、劇の中では、魔術を用いて精霊をよび出す人だと見る。しかしこのようなディーに似た人物がもつ知識には、科学へと発展してゆく数学、とくにディーが堪能で、エリザベス朝の大航海家たちに教え、航海術の科学へと発展してゆく数学が、含まれていたであろう。」
「私は、シェイクスピアの『あらし』を見る新しい文脈をここに提案する。この劇は単独にひとつ切りはなされて生じた現象ではなく、〈最後の劇〉のグループを構成するひとつの劇なのである。〈最後の劇〉に属する他の劇も、学問としての魔術の雰囲気を呼吸している。すなわち『ペリクリーズ』のセリモンの医学的魔術、『冬ものがたり』の深遠なヘルメス主義的魔術、『ヘンリー八世』の精霊をよびおこす歌がそれである。これらの魔術はそれぞれお互いに結びつきをもっていて、すべてルネッサンス魔術の後期のものに属している。シェイクスピアの『あらし』はヨーロッパ精神史のぬきさしならぬ重要な局面、つまり十七世紀のいわゆる科学革命に相接し、その革命をひしひし予感している時代の局面を、最高度に表現してみせたもののひとつであろう。その主人公のプロスペローは、あまりにも明瞭に科学者としての魔術者であって、その宇宙観の内部で科学者としての働きをなすことができたのである。ただその宇宙観には、厳密な意味での科学が認めていない働きの分野が含まれていただけのことである。
プロスペローの見通しと狙いの中には、道徳の改革の要素も含まれていて、これは非常に重要なことである。それはユートピアの要素であり、薔薇十字思想の時代の科学的なものの見方にある主な特徴であった。そのような時代には、発達しつつある魔術=科学の知識は、改革した社会の中にこそ置くことが必要だと見られていたのである。そのような社会は、広がりゆく知識の流れをうけ入れるために、この新しい道徳への洞察によって広く開かれた社会でなければならなかった。科学者としてのプロスペローはまた、自分の支配する孤島を、悪の影響から解放することに打ちこむ道徳改革者でもあった。
最後にわれわれは、『あらし』を『ヘンリー八世』との関連において見なくてはならない。というのは、『ヘンリー八世』では、シェイクスピアの〈後期の劇〉のもつ道徳や社会を改革しすべてを調和させてゆくという主題が、実在の歴史上の人物を通じて表現されているからである。」

「基本的には、この研究でシェイクスピアのとらえかたとして私が採ったのは歴史主義的方法で、たんに出来事としての歴史という文字通りの意味だけでなく、歴史にかかわりをもち、比喩表現(イメジャリ)の形であらわされたものとしての観念(思想)の歴史の意味においても、歴史というものを利用したのであった。」
「この時期には、王家の若い世代、つまり皇太子ヘンリーとその妹君の王女エリザベスとを中心にして、エリザベス朝の伝統の復活があったことをわれわれは知った。ジェームズ一世時代の中でのこのエリザベス朝復興を、われわれはシェイクスピアの〈最期の劇〉と関連づけようと努めた。そして、シェイクスピアはこの一群の劇で青春時代に自分の魂に生気を吹きこんでくれたものをふり返り、それがまた若い世代の中にまた新たに生れてくるのを発見した、あるいは、発見しようと念願したことを示唆しておいた。」

「〈後期の劇〉に見られる愛の魔術にもとずく幸福な解決が可能に見えたのは、ルネッサンスの魔術的世界の中でだけのことであった。そうして、この魔術的ルネッサンス世界に危機が迫っていたのであった。」

「イギリスにおけるエリザベス朝復興の運動は、ジェームズ一世がスペインに対する利害関係を重んじて最後にこれに水をさし、また三十年戦争でこの運動がドイツで拡大するのに成功せずに抑圧されたことが原因で、失敗に帰してしまった。」

「シェイクスピアの『あらし』が、ジョン・ディーの精神の注入された、また(アンドレーエのように)秘教的伝達のために演劇による寓話を利用した一種の薔薇十字宣言であるとみれば、エリザベス朝復興運動は、『あらし』においてその最高の詩的表現に到達していると敢えて言いうるのではないか。
ヨーロッパのカトリック圏では、ルネッサンスの影響は反宗教改革運動においてきびしく阻止された。ジョルダーノ・ブルーノの死をきっかけに、ルネッサンス哲学を抑圧しようとする強力な動きがすでに出ていたのであった。ルネッサンスでは標準的であった(薔薇十字的音楽哲学を鼓吹する)フランチェスコ・ジョルジの『宇宙の調和』が疑惑を受けるようになった。哲学と文学批評の双方における新アリストテレス主義が、ルネッサンスの新プラトン主義を食い止める役を果していた。このようなルネッサンスの潮流を阻止する動きが、ヨーロッパ中のいたるところで行われていた。フランスでは、バイフの詩歌音楽院がフランス・ルネッサンスの新プラトン主義の傑出した成果であったが、この新プラトン主義が新しい思想の傾向の前に膝を屈しつつあった。
本書が困難だが新しい課題としているのは、シェイクスピアをヘルメス主義の伝統の中にすえてみる試みである。われわれは、秘儀的・魔術的思考がすでに危険にさらされている世界で、おそくなってから不意にそのような思考がほとばしりでてきたところに、他ならぬシェイクスピアが属していたのだというように考えはじめているが、目下の段階ではあまり性急すぎた限定を下すのを避けることが大切である。」





















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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