種村季弘 『パラケルススの世界』 (新装版)

「天上に出自を持ちながらサファイアのなかに閉じ込められているアルカナというイメージは、いうまでもなく、きわめてグノーシス的ネオプラトニズム的である。グノーシス思想にあっては、天上の光の母は地上の万物のなかに千々に分断されながら閉じ込められている。このズタズタに引き裂かれた光の断片を各物質中から解放して、元の天上の故郷に帰してやることが、子である地上の人間の使命なのである。」
(種村季弘 『パラケルススの世界』 より)


種村季弘 『パラケルススの世界』

青土社 
1986年10月15日第1刷印刷
1986年10月31日第1刷発行
398p 索引・文献xiv 
口絵(折込)1葉 地図(折込)1葉
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価2,400円
装幀: 加納光於



初出は「現代思想」1974年2月号~1976年2月号。単行本初版は1977年1月青土社刊。1979年11月に同社より「種村季弘のラビリントス」の一冊として、「密者の旅(あとがきにかえて)」を付して再刊。本書はその新装版です。

加納光於による口絵「パラケルスス頌あるいは足よ疼く飛沫を辿れ」。本文中図版(モノクロ)7点。


種村季弘 パラケルススの世界 01


帯文:

「放浪と
奇行の
錬金術師
宇宙を生命をもつ一つの有機体として捉え、デカルトやカントの思想的源泉となり、またゲーテやシェイクスピアの精神的土壌ともなって人文主義への道を拓いた近代医学の父パラケルススの栄光と悲惨の生涯。」



帯背:

「大錬金術師の旅」


目次:

第一章 悪魔の橋
第二章 錬金術師の町
第三章 フェラーラ遊学
第四章 大遍歴時代
第五章 聖杯探求の騎士
第六章 魔術師伝説
第七章 騎士と死と悪魔
第八章 神の助手
第九章 吃りのもぐり司祭
第十章 バーゼル大学事件
第十一章 バーゼルその後
第十二章 梅毒と癒瘡木と金銭
第十三章 孤独な予言者
第十四章 医術の四つの柱
第十五章 ペストと想像力
第十六章 天上への帰郷
第十八章 老いたる闘士
第十九章 晩年の肖像
第二十章 死者の遍在

パラケルスス年譜
密者の旅(あとがきにかえて)

初出誌一覧
〈文献について〉
人名索引



種村季弘 パラケルススの世界 02



◆本書より◆


「パラケルスス自身が後年の著作で回顧しているアインジーデルンは、暗く、貧しい、閉ざされた山村である。」
「「私の風変りな流儀をどう理解したらいいかという問題にお答えするためには、どうか次の点にご留意いただきたい。私は生れつき細(こま)やかな糸で紡がれているような人となりではない。(中略)私はアインジーデルンの生れで、国から言えばスイス人なのである――、私の国の人間はまたいちじくや蜜酒や白パンで育てられるのではなく、チーズと牛乳と燕麦パンで育ったのだ。これで繊細な人間ができるわけはない。それにまた、子供の頃に受けたものが、一生の間その人につきまとうのである。(中略)樅の実のなかで人となったわれわれは、頑固で物わかりが悪いのだ。」」(パラケルスス『大外科学』より)
「彼は「樅の実」のなかで人となった。それは、閉ざされた、森の山地農民の世界である。」
「山地生活者の一般論として語られてはいるが、パラケルスス個人が実際に赤貧を体験したのである。」
「ウィルヘルムは明らかに生活に無頓着であった。W・E・ポイケルトにしたがえば、「良き生活は父の手から滑り落ちた。なぜなら彼は生活とは異なるものを追求していたからだった。彼は日々のパンを稼ぐことができなかった。なぜなら彼は探究の世界に生きていたからだった」。」
「アインジーデルンの大地がもたらす日々の糧は、それでも母の生前は母方の農園を通じてわずかながら一家の口に入ったであろう。パラケルスス満九歳のときと推定される母の死とともに、この微かなパイプさえも途切れる。残されたシュウァーベン貴族出身の父子にとって、アインジーデルンはもはや高地の不毛な岩石の地肌のみがむき出しに露わな、酷薄な異郷にすぎない。樅の実のなかのように親密に閉ざされたスイスの山間地は、裏返された風景のように、ふいに父子にとってよそよそしい見馴れぬ空間と化してしまったのだ。」
「乏しさのなかに生き、満足を知らないパラケルススのアインジーデルン原体験は、彼の後半生を通じて主導音のようにつねに影響している。彼は満足を知らないばかりか満足を嫌う。生活との快適な接触を怖れるもののように、一所に定住することを避けて次々に放浪の空に身をゆだねるのだ。土地との親密な関係を故意に避けようとする彼の不審な態度は、母への言及を嫌う謎めいた動向と奇妙に一致している、生きている間は、生きている間だけは快美な母胎の満足の側においてではなく、乏しさを原理とする父の側にあって活動しなくてはならない、とでも云うかのようなのである。女性的なものと満足とは、パラケルススにとってあたかも右利きの人間にとっての左手である。この生の途絶えるときの彼方、彼岸において専一使われるために、此岸ではスペアとしてモラリスト的に使用を禁止されているのである。」
「一方、母についての唯一の――だが抽象的な――言及は、「子供はいかなる恒星をも遊星をも必要としない。母親が子供の遊星であり恒星である」。たとえば「パラケルススの著作における子宮の概念について」論じたジビーレ・レンツは、天空や器(レトルト)のような脱肉体的な子宮のなかで育まれるアントロポスやホムンクルスの宇宙論的錬金術的観念を、つとにこの言葉から汲み取った。マリア・アインジーデルン修道院には、その名にふさわしく一体の清らかなマドンナ像が祀られていた。そしてこのマドンナ像と母の追憶による聖母観念が彼の錬金術活動の基底を支えている消息を見事に分析していたのは、フランスの医師ルネ・アランディである。肉のない母、霊知に還元された処女なる母はグノーシス派のソフィア像と重なって、技芸(Kunst)による、肉ならぬものの世界における失われた母との再会へと彼を馳り立てたであろう。」
「伝記作者たちが描いている母の愛と牧歌的自然にやさしく包まれたアインジーデルンの光景は、それ自体として間違いではない。純一無垢な自然は、だが早くも物心つく年頃にパラケルススが成長したとき、病気や貨幣経済に汚染され、天変地異に侵害され、母の死とともに敵意ある環境に変貌してしまっていた。清らかな自然の神秘的一体感のうちなる至福に満たされた「樅の実」は、こうして外部から――まるで帝王切開手術のように――こじ開けられ、侵入されたのだった。失われた無垢をふたたび取り戻すためには、さまざまな汚染源をつきとめ、その鉛色の毒を白色還元するのでなくてはならない。無垢への回帰的な渇望が激しいだけ、それだけ克服すべき黒い細部がしだいに鮮明に眼につくであろう。こうしてパラケルススは、病気、貨幣、天変地異、孤独との妥協の余地のない闘いに次々に馳り立てられ、アインジーデルンの小天地の復元が世界そのものの再生を前提としているとでもいうように、オリエントをも含む大陸の全土に足跡を印する。全世界の不完全性を調伏して、はじめて母なるアインジーデルンの模型的小宇宙に回帰することができるであろうし、またそうなくてはならない。アインジーデルンはそのとき世界のすべてを封じ込める「樅の実」、極大を封じた極小、あらゆる悪と汚染に向って開かれながらひそやかに閉ざされた緑なす幼な子の国として立ち帰ってくるであろう。」

          *          *          *

「わがパラケルススはどうやら強度の吃(ども)りだったらしいのである。(中略)素面(しらふ)でお偉方や生真面目な学者を前に演説する段になると途端に赤面恐怖症に陥ってしまい、シドロモドロに舌は縺れて、果ては論述そのものが支離滅裂になってしまうという体たらくだったらしいのだ。」
「彼は内気のあまりかえって大法螺を口走る悪癖はあったにしても、公開の席で理路整然と聴衆を誘導し陶酔させる能弁家タイプではなかったのだ。パラケルススはしたがって、大衆を政治行動に馳り立てるような能力にははじめから無縁であった。」

「バーゼルからの逃亡は単身でおこなわれたのではなく、助手のヨハネス・オポリヌスが随行していた。(中略)オポリヌスは、通算二年間パラケルススの身辺に侍った。(中略)以後、師を裏切って(中略)バーゼル大学ギリシャ語教授となり、傍ら出版業者として名をなした。それからの言動がよろしくない。(中略)とりわけ晩年(一五五五年十一月二十六日)、(中略)有名な『悪霊の幻惑について』の著者ヨーハン・ワイエルに宛てた私信のなかで、師の日常をことこまかに伝えた条りの偏見に満ちた(中略)パラケルスス像は後にワイエルの上述書に転載されたので、後代の歪んだパラケルスス伝説がことごとくこれを原典とする不幸な事態を醸し出す結果を招いた。(中略)それにしても、オポリヌスの曲筆から描き出されたパラケルススの人物像はまことに面白い。戯画的であるだけに、ある種の人格的特徴が鮮やかに浮び上っているのである。」
「まず酒である。当時からアル中と相場がきまっていたこの放浪医師は、意外なことに二十五歳までは一滴もアルコール分を口にしなかったらしい。」
「寝るときにも服を脱がなかった。(中略)だから服装は年中ゴミだらけである。身なりに構わないかといえばそうではなくて毎月のように服を新調する。ところがそれを「道で出遭った最初の人間に」すこぶる気前よくくれてしまうのだ。」
「真夜中に泥酔して帰ってベッドに倒れ込むときにもかならず剣を肌身から離さずに寝た。そして寝入ったかと思うまもなく、ときおり真夜中にガバと跳ね起きては腰なる長剣をやおら抜き放ち、床や壁に向って狂人のように滅多矢鱈に切りつけるのだった。」
「パラケルススは女性とはいかなる関係も持たなかった。オポリヌスの信ずるところでは、「彼はそもそも女を知らなかったであろう」というのである。」
「宗教については「不信心」の言葉通り、お祈りをしたり説教を聞いたりしたためしがなかった。聖職勤行をも新教側の福音教義をもてんから問題にせず、「ルターにも教皇にも、またヒポクラテスにもガレノスにも頭を下げはしない」と豪語し、これまでに聖書解釈をした人間の誰一人として核心を射た者はなく、すべていたずらに表面の外殻を撫でていたにすぎない、とうそぶいた。」

          *          *          *

「自然や天体は、(中略)病気を発生させもするが、人間を類的規模において見るなら、長い時間の尺度でこの病気を自然治癒もしてきた。あるいはむしろ湯屋療法や薬草採取などの経験的な無意識の働きによる治療法で自然に治してきた。パラケルススが遍歴時代に民間の女呪医や理髪師、湯屋主、魔女などの経験の泉から汲んできたものも、この自然の無意識の再生作用である。しかし、こうした民間療法は、それがいかに効能豊かであるにもせよ、現在あるがままの姿では正統医学から貶ぜしめられ、臭いものに蓋式に封じられて隠されている医術にすぎない。汲めども尽きせぬ自然の無意識の旺盛な自力更生の力を明るみに引き出して、硬化し干からびた正統医学を覆滅するためには、この母なる隠された再生の泉に父なるイデアの光を投じなければならない。すなわち地方的民衆的自然的な存在を普遍性の光に照らして人目を忍ぶ暗がりから解放してやるのでなくてはならない。」
「隠されているもの、すなわちパラケルススが民衆と共有しているあの王国は、透視され読み取られるだけではなく、外化され表現されなくてはならないのだ。外界から内面に向う道を行く旅人は、その究極の核心に到達した瞬間折り返してふたたび外界に向い、隠されていた火を携えてこれを隠していた存在を焼き払わなくてはならない。」

「死後のパラケルススはいくつもの復活伝説の主人公となった。その大部分は、肖像画でお馴染みの剣の柄頭に仕込んだアゾットなる散薬の神通力で、死から蘇るという筋書きのものである。間近かの死を予感した奇蹟医は助手を呼んでアゾットを手渡し、自分の身体をできるだけこまかく切り刻んで件の散薬にまぶし、これを容器に密封して九箇月目に開くように命ずる。助手は命じられた通りに実行するが、好奇心に馳られて七箇月目に容器の蓋を開けて中を覗いて見る。すると壜の底には小さな胎児のようなものがうごめいていたが、早まって外気に触れたためにその場であえなく絶命してしまうのである。」




こちらもご参照下さい:

ヨラン・ヤコビ 編 『パラケルスス 自然の光』 (大橋博司 訳)
クルト・ゴルトアンマー 『パラケルスス――自然と啓示』 (柴田健策・榎木真吉 訳)























































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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