草野心平 『宮沢賢治覚書』 (講談社文芸文庫)

草野心平 
『宮沢賢治覚書』
 
現代日本のエッセイ 
講談社文芸文庫 く D2

講談社 
1991年3月10日 第1刷発行
308p 初出一覧1p 付記1p
文庫判 並装 カバー 
定価940円(本体913円)
デザイン: 菊地信義



久しぶりにオーネット・コールマンの「チャパカ組曲」をきいていたら、宮沢賢治の「春と修羅」をおもいだしました。
「チャパカ組曲」では管弦楽がちぎれ雲のように、乱反射のように視界に入り込んできたり、ファラオ・サンダースが黒い外套を着たオルター・エゴのように唐突に出現したりします。
オーネット・コールマンのジャズは野原をゆくジャズです。
そんなわけで、本書に、詩集「春と修羅」から「雲」にまつわる詩行を書き抜いて羅列した評論(「「春と修羅」に於ける雲」)があったのをおもいだしたので、よんでみました。


草野心平 宮沢賢治覚書


カバー裏文:

「大正十三年四月『春と修羅』上梓――賢治二十八歳、
この夏、それを手にした心平二十一歳。
至純な天性が、もう一つの“異数”の天性に“出会い”、
画期的な“言葉の宇宙”に鋭く感応する。
日本近代詩史の勃発的事件――「宮沢賢治」。
賢治評価の第一ページを拓き、その全集を編集した
草野心平の限りなく深い理解と熱意溢れた“讃歌”。」



目次 (初出):

宮沢賢治覚書(二) (「文学界」 昭和10年10月号)
四次元の芸術 (「新潮」 昭和25年3月~5月号 掲載 「詩人の生涯――宮沢賢治覚え書」
「春と修羅」に於ける雲 (草野心平編 『宮沢賢治研究』 昭和14年9月 十字屋書店)
賢治文学の根幹 (草野心平編 『宮沢賢治集』 昭和26年5月 新潮社 「解説」)
賢治詩の性格 (「群像」 昭和23年5月号 掲載 「宮沢賢治の詩の性格」)
「農民芸術概論」の現代的意義 (「民主文化」 昭和22年4月発行 第2巻第4・5号 掲載 「第四次元的希願」)
宿命的言葉 (「読書雑誌」 昭和21年8・9月号 第1巻第2号 掲載 「無声慟哭――宮沢賢治の挽歌について――」)
無声慟哭(その解説) (新潮文庫 『無声慟哭・オホーツク挽歌』 昭和28年9月刊 「解説」)
オホーツク挽歌(その解説) (同)
宮沢賢治・人と作品及び解説 (「日本詩人全集」 20 草野心平編 『宮沢賢治』 「人と作品」「解説」)
二つの極 (草野心平編 『賢治のうた』 社会思想社 「宮沢賢治の詩――その二つの極の考え方」)
一つの韻律 (「農民芸術」 昭和21年12月号 掲載 「『一つの韻律』――賢治祭に列席して」)
宮沢賢治全集由来 (『宮沢賢治全集』 別巻 草野心平編 『宮沢賢治研究』 筑摩書房)

人と作品 (粟津則雄)
年譜 (深沢忠孝)
著書目録――草野心平 (作成: 深沢忠孝)




◆本書より◆


「宮沢賢治覚書(二)」より:

「音楽に関する名詞はこの詩集の処々に発見され、また彼自身の作曲などに俟(ま)たずとも、異常な熱意をもって音楽に対していたことは、日常生活の断片によってもはっきり分ることであるが、詩そのものだけでも、私共はその中に流暢(りゅうちょう)で満々として行から行にあふれてゆく音楽をかんじる。それはどっちかというと旧式と思える程の単調さで恐ろしく息の長い牧歌調である。それらが各々ゆるやかな波状形をなして寄せてきては流れてゆく。従ってその音律の性格は神経質ではなく多分に大陸的の要素をもっている。全体的に言うならばヴァイオリンソロでもなくピアノのそれでもない。時々太鼓やフルートもはいるが、大体はシンフォニー的である。ヴァイオリンソロの詩をあんまり私共は見過ぎてはいないだろうか。
 また私共は「春と修羅」の中に絵画的構成、正確で新鮮な色彩と立体を見る。用器画的遠近法を忘れず、しかも滅多に気付かれないだけの洗練さを以て、任意にそれを使用しているのを見る。
 彼の色彩の主調をなすものは東北以北の晴天、強いて名前をつけるならば透明な glass-blue である。無論各詩篇それぞれ異ったきらびやかな色彩をもってはいるが、また灰色や鼠や暗黒、それら陰惨な色を染りつぶすこともあるが、とどのつまりはガラス青の上の上塗であると思う。あの冷たくすき透って青く熱いガラス青、これは一面宮沢賢治の心象をも象徴するものではないだろうか。」

「ただ斯(こ)ういうことが誰しも気にかかるだろう。農民などとつねに相並んで進んでいた彼が、どうしてそんな六ケ敷い言葉を使ったのだろうか。(中略)彼がペダンティストでなかったことは、彼の日常生活がよくそれを証明している。彼はただ信じていた。分ることはいつかは分るということ、分らないことは実は作者にも分析できない神や悪魔の息吹きであるということを。――そしてその信念のもとに彼は遠慮なしに、そしてその底には謙譲をこもらして、大胆自由にそうした難解族を自由に散兵さしたのである。」



「四次元の芸術」より:

「昭和九年、賢治の死後二年、多分その頃であったと思う。東京のさる同人雑誌の何周年記念かの祝宴の席上で或る詩人が不思議なテーブルスピーチをやった。草野君は近頃いやに宮沢賢治をかついでいるが、例えばその童話はどこが一体いいのかね、というのだった。賢治はその雑誌には一ミリの関係も持っていなかったし従ってその祝宴とも縁がない。(中略)随分変梃(へんてこ)なものだとむっとしたが、黙っているわけにもいかないので起って、
 「神武天皇以来、あんな見事な童話は、曾つてなかったです」
というと方々でどっと笑いが沸いた。」
「その時の言葉はそのままそっくり現在の私の言葉でもある。神武天皇以来……私はそのとおりに確信している。
 近代日本文学の各ジャンルで賢治童話のような革新は稀有のことに属する。それは少し極端に言えば従来の童話が童話であれば賢治の童話は童話でなく、賢治の童話が童話であれば従来幾多の童話は童話でないといえるような、そんな落差のある革新であった。おはなしとかおとぎばなしの中に一つの新鮮な文学がせりあがったのである。」



「「春と修羅」に於ける雲」より:

「「“春と修羅”の特性」(文学界)のなかで、自分は彼の「雲」を、その特性を語る一例として取上げたことがあった。」
「一人の詩人のその全生涯を通じても、これ程多数の雲を書くということは稀れであろう。しかし自分の興味はその「多数」にはない。(中略)数は第三以下の問題に属する。滅多に成し得ない問題として残るのは、これだけ多数の雲々が各々特異な風貌を持っていることなのだ。一つや二つの雲ではなく、こんな多数の雲々が、しかもそれぞれ異った容姿や性格を以て流れているのはただごとではないのである。この国に「詩」が始まって以来、遂いにこの詩集以外には見ることの出来なかった、それこそ日本詩史のなかの新しい雲の歴史的群団なのである。万葉の原始の眼もこれ程までに原始ではなかったし、所謂近代知性の眼も、あの雲々の転変生成をこれほどまでに分解してしかも新鮮度無類の姿を展開してはくれなかった。」
「しかも彼は一見放縦とも見える自由な雲間散歩に於ても、詩人としての自負と責任とから、滅多に再び同じ雲をスケッチしようとはしなかったのである。(中略)彼としても、それら一つ一つの雲に愛着していたことはその一行にも沁み渡っている。深い愛惜の故にこそ一度だけで放擲(ほうてき)しても安心出来たのであろうとも言い得るのである。
 このことは直ちに彼の詩や童話の全般にも当てはまるものである。あそれは更に困難な態度である。雲に対してそのような態度を持っていた彼は風にも雨にも一つ一つの風景にも、それらが延長して総ての個々の詩や童話にも一回勝負で向っていた。彼にとっての大きな恥は従来の詩を模倣することであり、彼自身の詩を、詩のなかの一行を更に繰り返すことであった。「このこと決死のわざなり」の態度が生れるのも必然である。」



「賢治文学の根幹」より:

「ここでまた注意さるべき特徴は人はどんなことを考えるだろうかというところを彼は「人や銀河や修羅や海胆は」としていることである。これは賢治の場合、他意あるキザッポサではない。彼の芸術作品が殆どいつの場合でも宇宙感覚を透して創作されていたので、宇宙感覚を常に呼吸していたので、その作者によってなったそれらの作品は、宇宙感覚を透して見られるだろうという常識からきている。言葉を換えて言えば、そうでないことこそ普通である場に於ける過剰意識からきている。この彼にとって常識でありながら、一般には強烈すぎる自意識から、応々彼の詩の難解さは流れているようである。」


「賢治詩の性格」より:

「一概に宮沢賢治の詩は難解だという定評があるようである。」
「彼の詩は、しかし実際難解だろうか。難解といえば難解かも知れない。けれどもむしろ直截(ちょくせつ)明快である。晦渋(かいじゅう)でもなくジグザグでもない。素朴な、言わば天然的な流露である。ところ嫌わず矢鱈(やたら)に出てくるテクニカルタームも実は単なる言葉にすぎない。彼にとってはそれらは普通の日本語なのである。日常生活がそうした語彙のなかにあったために、それらは極く自然に湧出した。」



「二つの極」より:

「宮沢賢治が死んだのは三十八歳の時である。賢治の芸術やその行動を知るものは誰しもがその早逝を惜しいと思うにちがいない。私もまたそう思う。しかしながら賢治の性格や宗教心にもとづく行動などを彼から取除かなければそれは無理な相談だったし、取除くこと自体がもっと無理な相談だった。三十八歳、一年や二年の早遅の差はあっても三十八歳前後が賢治の死期であったように私には思われる。どうやらそれは彼の宿命でもあったようだ。」
「死は遅くもなく早くもなくと思える時期に彼を奪い去ったのである。あのような精神と肉体の生活の持続のはてには当然やってくるそれは運命だった。現在の結核患者なら療養所にはいってすっかり治療し改めて社会にもどって働くというのが常道のようだ、そして賢治もそのような常道を踏んだならもっと永生きしたかもしれない。けれども彼がそのような常識の道を辿ったかどうかは疑問である。彼の内部のいわゆる修羅は大常識の道を歩もうとして常識の道をふみはずしたかもしれない。」



































































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Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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