佐藤泰平 『宮沢賢治の音楽』

「おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた」

(宮沢賢治 「告別」 より)


佐藤泰平 
『宮沢賢治の音楽』


筑摩書房 
1995年3月25日 初版第1刷発行
282p 目次ほか4p
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,200円(本体3,107円)
カバー写真協力: 宮沢賢治記念館



著者は音楽教育家、1936年生。
宮沢賢治が残した「歌曲」を、実弟・宮沢清六の協力のもとに調査・検証する第一章、童話「セロ弾きのゴーシュ」に賢治の「音楽的な生活経験」をよむ作品論である第二章、賢治が聞き、所持していたレコードを調査する第三章の三部構成になっています。
本文中図版・楽譜多数。


佐藤泰平 宮沢賢治の音楽 01


帯文:

「賢治文学の豊かな音楽性と、その魅力をさぐる」


帯背:

「賢治、もう一つの魅力」


帯裏:

「賢治が作詞・作曲した歌――「星めぐりの歌」「月夜のでんしんばしら」「牧歌」「大菩薩峠の歌」「北空のちぢれ羊から」「イギリス海岸の歌」「剣舞の歌」「太陽マヂックの歌」、賢治の替歌・編曲した歌、宮沢賢治とレコード。
――目次より――」



佐藤泰平 宮沢賢治の音楽 02


目次:

第一章 宮沢賢治の歌曲
 はじめに
 一、賢治が作詞・作曲した歌
  星めぐりの歌
  月夜のでんしんばしら
  牧歌
  大菩薩峠の歌
  北空のちぢれ羊から
  イギリス海岸の歌
  剣舞の歌
  太陽マヂックの歌
 二、賢治の替歌及び編曲した歌
  スイミングワ゛ルツ――「一時半なのにどうしたのだらう」「糧食はなし四月の寒さ」
  めぐみのあふるゝ――「飢餓陣営のたそがれの中」
  教導団歌――「いさをかゞやくバナナン軍」
  チッペラリーの歌――「私は五聯隊の古参の軍曹」
  In the good old summer time――「つめくさの花の咲く晩に」
  Flow Gently, Sweet Afton――「けさの六時ころワルトラワーラの」
  いづれのときかは――「つめくさ灯(ひ)ともす夜のひろば」
  交響曲第九番「新世界より」第二楽章 ドヴォルジャーク作曲――「種山ヶ原」
  交響曲第六番「田園」第二楽章 ベートーヴェン作曲――「弓のごとく」
  酋長の行進(イッポリトフ=イヴァノフ作曲 管弦楽組曲「コーカサスの風景」より)――「風ぬるみ鳥なけど」
  兵士の合唱(F・グノー作曲 歌劇「ファウスト」より)――「角礫行進歌」
  人魚の歌(C・ウェーバー作曲 歌劇「オベロン」より)――「火の鳥の歌」
  リードオルガン曲 島崎赤太郎編『オルガン教則本・壱』より第二十四番――「耕母黄昏」
  紫淡くたそがるゝ――「黎明行進歌」
  応援歌
  青い槍の葉
 三、賢治の詩に川村悟郎が作曲した歌
  精神歌

第二章 「セロ弾きのゴーシュ」私見
 はじめに
 一、「セロ弾きのゴーシュ」の構成
 二、金星音楽団と楽長
 三、ゴーシュ
 四、動物たちとゴーシュ
 五、アンコール
 六、おわりに――賢治のオルガンとセロのレッスン

第三章 宮沢賢治とレコード
 一、宮沢賢治とレコード
 二、R・シュトラウスの「死と浄化」
 三、ブラームスの「交響曲第三番」第三楽章
 四、ストラヴィンスキーの「火の鳥」――恩師・玉置邁と賢治

あとがき



佐藤泰平 宮沢賢治の音楽 03



◆本書より◆


「その人の“聴く”体験の中で、きっちりと音楽形式的に整った音楽ではなく、それ以前の音、つまり、連続、中断、沈黙なども含めた音の断片を、耳がどのように拾い集め、どのように反応していくか、その経験が抜け落ちない方がよい。人間は母親の胎内にいるときから音を捉えているし、生まれた後は、実に種々雑多な音を聞きながら育っていくのである。」

「人のふしを借りるにせよ、自分のふしにせよ、自分の文句で歌うというのは実は、大変勇気がいることだ。どんなに人に笑われ、どれほど人にけちをつけられてもかまわないと決断をしなければならないのだから。」

「誰が歌ったものが正しい歌なのか、誰が採譜した楽譜が信頼出来るのかを判断するのは難しい。もし、口唱者や採譜者によって異なる楽譜が作られた場合には、それらをまとめて一つの楽譜にしてしまうのではなく、それぞれの理由を付して、その原形の楽譜を残しておくのがいいと思う。数種の楽譜のどれを使うかは、歌う人が決めればいいとさえ思うのである。」

「自分の文句で自分のふしで歌いなさい、他者の目や評価を気にせず遠慮なく歌いなさい、また、出まかせのうたを歌うホロタイタネリのように、日常生活の中にすっかり溶けこんだうたを歌いなさい、と賢治はいう。」

「宮沢賢治はその一生を通じて音楽と重要なかかわりを持ち続けた人と云うことができる。そのことは彼の家族や友人、教え子たちの数々の追想の記録の中に織り込まれているので知ることができるが、彼の作品そのものに、多領域にわたる彼の音楽経験が直接、間接にあらわれている多くの事実が、もっとも確実な証しと云える。追想の記録によると、賢治の音楽経験は実に豊富であった。たとえば、レコードの収集や鑑賞、それに加えてレコード・コンサートを自ら主催し、解説までする。既成の曲に作詞をしたり、自作の詩に作曲したりする。自作の詩を朗読するときには、それに合わせて友人に即興でピアノを弾かせたりもする。そればかりか詩の朗誦伴奏用にオルガンやセロのレッスンを受ける。自分で楽器を買い集め農民による小オーケストラを企画する。また、即興的な身体表現が得意なようで、山歩きをしているときなどに、奇妙な叫び声をあげては跳びはねたり踊ったりすることもあるなど、これら全部を本当に賢治一人が体験したのだろうかと疑いたくなるほど彼の音楽的活動は広い領域に及んでいる。
 賢治はこれらの幅広い音楽経験の中で学び得たすべてを、彼のたくさんの作品に注ぎ込んだ。特に「セロ弾きのゴーシュ」は、音楽自体が物語りの構成の重要な要素になっている点で貴重な作品と云えよう。」




◆感想◆


そういうわけで、たいへん興味深い本ですが、「セロ弾きのゴーシュ」論に関しては、著者は教育者だけあって、ゴーシュの「努力」や「音楽的成長」を見ようとする立場からの解釈になっているので、いささかものたりないです。というのは、たとえば「注文の多い料理店」が、七つの関門を通って他界へ至るという、イシュタル(イナンナ)の冥界下りの神話と相似する構造を持つ「イニシエーション」童話であるように、「ゴーシュ」の体験にもまたシャーマニズムのイニシエーション儀礼の性格を見て取れるはずだからです(※)。

※もっとも、本文への注で、著者は、「自分の楽器の最大の弱点である〈孔〉からねずみを入れる行為は、厳粛な通過儀式といってよい。(中略)そして、子ねずみの病気の回復はゴーシュを再生させた」と、シャーマニズムのにおいを嗅ぎつけているような表現をしています。
賢治が事実として、そうした神話の存在を意識していたかどうかは問題ではないです。詩人というのは自ら神話を作り出す存在であり、神話というのは集合的無意識によって産出されるものだからです。

そこで、イニシエーションとしての、ゴーシュの動物たちとの関わりを、エリアーデの用語(※)を援用しつつ呈示すると次のようになります。

①猫
動物霊によるシャーマンへの召命。
②かっこう
イニシエーションの師匠としての動物の鳴き声や行動を模倣することによる動物の言語の習得。
「天空飛翔」のモチーフ。
③たぬき
シャーマンの太鼓。精霊界との接触の樹立。
④ねずみ
呪医としての能力の獲得。
「冥界下降」のモチーフ。

※エリアーデ『シャーマニズム』(堀一郎訳)より:
「呪術的音楽は、(中略)シャーマンのエクスタシーの旅の遂行とその成功を確実にする多くの方策のうちの一つであるといって大過ないだろう。」
「アジア全体がそうだが、チュクチではシャーマンの召命はふつう、「イニシエーション的巫病」、あるいは超自然的なもの(ひじょうな危機の際に出現して未来のシャーマンを救う狼や海象など)の出現によってもたらされた精神的危機から発する。いずれにせよ、そのようなきざし(病気とか超自然的なものの出現)によってもたらされた危機は、基本的にはシャーマンの経験そのものに帰着するものである。すなわち、チュクチ人は、「イニシエーション途上」は重い病気であると見、「霊感」(換言すれば、イニシエーション完了)は病気が癒えることであると見る。ボゴラスの会ったシャーマンはみな、自分は特に先達を得たわけではないと言っているが、だからといって彼らが超人間的な教師につかなかったということにはならない。「シャーマン的動物」との出会いそれ自体、シャーマンになるべき初心者が受けるある種の教育が示されている。」

ところで、著者は、「楽長」の叱言は「くどくて八つ当たり気味」であり「ゴーシュの心の内側に入りこむには至らなかった」「ゴーシュの心の奥底にある琴線が鳴り出すには何かが起こらなければならなかった」と書いていますが、実際のところ、ゴーシュが動物たちから学んだことは全て、あらかじめ「楽長」がゴーシュに与えていた叱言の内容と同じものです。つまり、「感情が出ない」という楽長の指摘は猫とのやり取りによって克服され、「糸が合わない」(音程がちがう)という楽長の指摘はかっこうによって、「セロがおくれた」「外の楽器と合はない」(リズムがちがう)という指摘はたぬきによって繰り返されています。しかしながら、楽長が(そして当初のゴーシュが)音楽を演奏することによって得ようとしていたものは「専門家」としての「面目」とか、社会的名誉とかであって、要するに「自分」をいかに「他者」より社会的に秀でた者にするか、に関心があったのに対して、動物たちが求めたものは音楽による越境であり、脱我(エクスタシー)であり、自他一如の境地であり、音楽によるヒーリング機能でありました。そういった意味では、この童話のテーマはゴーシュの人間社会からの「逃走」と「動物への生成変化」(le devenir-animal)であるといってよいです。

ゴーシュはその後どうなったか、たぶんチャールズ・ミンガスになったのではないでしょうか。




こちらもご参照下さい:

Charles Mingus 『Beneath the Underdog』
































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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