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アンドレ・ブルトン 『秘法十七番』 宮川淳 訳 (晶文選書)

「わたしは決して忘れることはないだろう、こどものころ墓地につれてゆかれてまだごくはじめのあるとき――たくさんの気分を滅入らされるか、さもなければ愚劣な墓碑にまじって――「神も主人ももたず」という尊大な格言が赤い大文字で刻まれただけの簡素な一枚の花崗岩の板を見出したことがわたしにひき起したほっとした思い、高揚感、そして誇らしさを。」
(アンドレ・ブルトン 『秘法十七番』 より)


アンドレ・ブルトン 
『秘法十七番』 
宮川淳 訳

晶文選書 2

晶文社 
1967年10月30日 初版
1971年1月20日 3刷
125p 
四六判 角背紙装上製本 カバー 
定価480円
ブックデザイン: 平野甲賀



本書「訳者による後註」より:

「神話といい、エゾテリスムといい、それは想像力を発条としての反世界への、自由への欲望なのであって、重要なことはそのような人間精神の根源的な力学としての神話の認識こそであろう。そしてこの認識は必然的に新しい神話への志向と表裏したものでしかありえないが、それが『秘法十七番』の(そして本書以後のブルトンの)主題であり、同時にテクスチャーをなしている。」


André Breton: Arcane 17


ブルトン 秘法十七番 01


帯文:

「シュルレアリスムの頂点をなす ブルトンの後期を飾る代表作 詩と自由と愛をめぐる真の幻想的エッセー」


目次:

秘法十七番

訳者による後註



ブルトン 秘法十七番 02



◆本書より◆


「この愛、わたしがそこに真の万能薬を、いかにそれが宗教的その他の目的のために打ちまかされ、けなされ、嘲笑されようとも、どうしても見ようとするのをなにものも妨げることはないだろう。贖罪という偽りで、耐えがたい一切の観念を別として、実存と本質との融合がもっとも高度に実現されるのは愛によって、そして愛によってのみであり、愛のみが、その外ではつねに不安な、敵対的なものでありつづけるこの二つの概念を、一挙に、充全な調和のうちに、なんの曖昧さもなく和解させることに成功するのだ。わたしが語っているのはもちろん、全権限を掌握した愛、生命の持続するかぎり与えられる愛、その対象をいうまでもなくただひとりの存在の中にしか認めようとしない愛である。」

「自由はあらゆる形態の隷属や束縛に対する反対によってきわめてよく定義される。この定義の唯一の弱点は一般的に自由をひとつの状態として、いいかえれば不動性においてあらわすことであって、ところがこの不動性がそのまたたくまの廃墟をひきずっていることはおよそ人間の体験が立証しているところなのだ。自由への人間の渇望はたえず創り直されうるように保たれていなければならない、自由が状態としてではなく、持続的な前進を伴う生き生きとした力として理解されなければならないのはこのためである。それに、これは自由が、たえず、この上なく巧妙に創り直される束縛や隷属に反対しつづけてゆくことができる唯一のやり方なのだ。」
「自由の観念は自分自身を充全に支配する観念であり、人間を特質づけるものの無条件な展望を反映し、これのみが人間の生成に感知しうる意味を与える。自由は、解放のように病いに対するたたかいではない、それは健康だ。」

「ここでまた見出された星は、明けの明星、窓の他の星たちをかげらせていたあの星だ。」
「光を創り出す者はほかならぬ反抗であり、反抗だけなのだ。そしてこの光はただ三つの道しか自分に認めない、同じ熱中を吹き込み、この熱中を永遠の若さの輪郭そのものとすべく、人間の心の明かされることの少なく、もっとも照らされうる地点に集中しなければならない詩、自由、そして愛。」




こちらもご参照下さい:

アンドレ・ブルトン 『秘法十七』 入沢康夫 訳































































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ひとでなしの猫

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うまれたときからひとでなし
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Koro-pok-Guru
Away with the Fairies

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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