アルベール=マリ・シュミット 『象徴主義』 清水茂・窪田般彌 共訳 (文庫クセジュ)

「この世のいっさいは書物となるために存在する」
(ステファヌ・マラルメ)


アルベール=マリ・シュミット 
『象徴主義
― マラルメからシュールレアリスムまで』 
清水茂・窪田般彌 共訳

文庫クセジュ 453

白水社 
1969年5月25日 印刷 
1969年6月5日 発行
142p 
新書判 並装 ビニールカバー 
定価280円



本書「訳者まえがき」より:

「本書は《Que sais-je?》叢書のうちの第八二巻、アルベール=マリ・シュミット教授の『象徴主義』(原題「サンボリスムの文学」)《Albert-Marie Schmidt : La Littérature Symboliste》の第八版(一九六六年刊行)の訳書である。その初版は一九四二年に刊行された。」
「本書は十九世紀末葉のフランス詩の世界に生じた《サンボリスム》の文学運動を展望し、その全体的な特質を簡潔にとらえている。この動きはたんにヨーロッパ文学の世界でのひとつの大事件であったばかりではなく、おそらく人間精神の歴史そのもののなかで深い意味をもつものであった。」



シュミット 象徴主義


目次:

訳者まえがき

序章

第一章 先駆者たち
 Ⅰ ステファヌ・マラルメ
 Ⅱ ジャン=アルテュール・ランボー
 Ⅲ ポール・ヴェルレーヌ
 Ⅳ オーギュスト・ヴィリエ=ド=リラダン

第二章 頽廃の精神
 Ⅰ J・K・ユイスマンスの『さかしま』
 Ⅱ ジュール・ラフォルグ

第三章 サンボリスムの教義と忠実なサンボリストたち
 Ⅰ 諸理論
 Ⅱ 自由詩
 Ⅲ サンボリスムの教義の困難
 Ⅳ 忠実な《サンボリスト》たち

第四章 忠実でないサンボリストたち
 Ⅰ ジャン・モレアスとルネ・ギル
 Ⅱ アンリ・ド・レニエ
 Ⅲ エミール・ヴェルハーラン
 Ⅳ アンドレ・ジイド

第五章 サンボリスムの演劇
 Ⅰ 前提にある困難
 Ⅱ モーリス・メーテルリンク
 Ⅲ ポール・クローデル

結論 サンボリスムの諸価値の決算
 Ⅰサンボリスム文学にたいする関心の存続
 Ⅱ フランシス・ジャム
 Ⅲ シャルル・ペギー
 Ⅳ ギョーム・アポリネール
 Ⅴ ポール・ヴァレリー、ジャン・コクトー、ダダイスムとシュールレアリスム
 Ⅵ 概括的な結論

参考文献
 一、仏文によるもの
 二、邦文によるもの




◆本書より◆


「序章」より:

「実際、サンボリスムの作家たちは容易に見定められるいくつかの特徴によって似かよっている。彼らは内的経験への好みをもっている。彼らは韻律上の、または文体上のさまざまな探求に専念しようとする。彼らは彼らの作品の目的を、それらの作品そのもののかなたに置いている。最後に、彼らはアンリ・ド・レニエがP・ヴァレリーへの称賛のソネットで次のように名づけているものを、奥義の手ほどきを受けたばかりの人間の熱情をもって、たたえている、――

 インクとペンとの祭祀(さいし)

 結局、《古典主義者》たちがとりわけ実直な人びとと見なされることをねがい、《ロマン派の人びと》が英雄的な役割を引き受けることを欲しているとすれば、《サンボリスト》たちは完璧な文学者という一種の倫理の規範を尊重することに誇りをもち、それをたえず正確にしようとしているのである。《サンボリスム》は何よりもまず文学である。」

「ここには、《サンボリスム》の文学史というよりは一連の要点の集約が見いだされるだろう。《サンボリスム》を準備し、また栄光あらしめた偉大な文学者たちを丹念に研究しながら、彼らのそれぞれがいかなる探求を好んでなしとげようとしたか、いかなる特殊な言語をつくりあげたか、また自分の仕事にいかなる尊厳を付与したかを明らかにすることに努力した。」



「第一章 先駆者たち」より:

「ヴィリエ=ド=リラダンは苦悩にむしばまれる。十九世紀末の詩人たちがあまりにも無防備であり、あまりにも弱いので、社会の側からの中傷にあらがうことができないだろうし、社会が彼らに対して寛容な姿をとっているのは、ただ彼らをより末ながく、より確実に殺してしまうためなのだということを彼はよく感じている。彼のペシミスムはあまり徹底的なので、ルコント・ド・リールやカザリスのような人びとのペシミスムは、それと比べてみるとただの無味乾燥な演説のようにみえる。次のような主張の帰結は一種の非の打ちどころのない論理といった性質をそなえている。つまり、すぐれた人間は正統な神秘主義がすべて推奨している自己放棄の禁欲に同意するだろうということである。自己の掟(おきて)をつくり出す使命がなければ、彼は修道士になるがいい。自己の魂の進歩に適応する独特な修業を思いつくことができれば、彼は魔術師になるがいい。そうすれば彼は彼のことを知らない世界にばかにされたり、駆り立てられたりすることなく、世界を所有するだろう。」
「彼は自分の夢という宝を使いはたしてしまったのだろうか、人から軽蔑されるような生活の、うとましい仕事を彼はつづけるのであろうか? 自殺、明確な意識のなかで遂行される自由な自殺は、この場合、たぶん地獄堕(お)ちを伴ってはいるが、模範的な品位によって真価をみせるひとつの解決なのではあるまいか?
 ヴィリエ=ド=リラダンはすぐれた仕事をのこした。(中略)ヴィリエの風刺画は悲劇的である。それは粗野であることをも滑稽(こっけい)であることをも避ける。それは絶望のかげによってぼかされている、――自らの高貴さを不名誉な妥協におとしめるよりは、死にまでもむかう自己放棄のほうを受諾するこの人の絶望の。」



「第三章 サンボリスムの教義と忠実なサンボリストたち」より:

「結局、いかなる流派も《サンボリスム》以上に文学的ではなかった。この派にとっては、彼らが天分と技とによって作り出す詩の全体、つまり文学は他のいかなる現実よりも現実的なものなのである。先駆者たちと《頽廃詩人》たちによってすべての知的なむこう見ずな行為に慣れた彼らは、凡庸な思想の持主にとってはもっとも耐えがたいかずかずの逆説をおだやかに述べる。それらの逆説は、また、申し分なく論理的なものである。すなわち、もし世界のいっさいがより高い現実に到達しようと試みているとすれば、世界のいっさいは文学者の技によって自己超越をおこない、詩になろうとするはずだというのである。それほど大げさではないとしても、《ロマン主義者》たちの自尊心をはるかに凌駕(りょうが)する自尊心をもって、熱情的な文学者である《サンボリスト》たちは、彼らの主要な合言葉のなかに次のようなステファヌ・マラルメの提言を数えている、――「この世のいっさいは書物となるために存在する」。」



































































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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

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