『定本 西脇順三郎全集 XI 随筆集 1』

「裏門からあがることがすきだ。」
(西脇順三郎 「空白」 より)


『定本 西脇順三郎全集 XI 随筆集 1』 
メモリとヴィジョン あざみの衣 じゅんさいとすずき

筑摩書房 1994年10月20日初版第1刷発行
ix 496p 口絵i
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,200円(本体7,961円)

月報: 
1973年1月初掲/1994年10月再録 8p
光は淋しく漂う(岡田隆彦)/あかのまんまの咲いている(小野十三郎)/失われた時(入沢康夫)/伊訳「京都の一月」(岩崎良三)/写真(著者 昭和45年)1点/著者によるカット1点



本書「後記」より:

「本巻に収めた『メモリとヴィジョン』『あざみの衣』『じゅんさいとすずき』の各随筆集は、すべて初版本を底本とした。」
「「あざみの衣」の巻末には、編者鍵谷幸信の「後記」が附されているが、本巻では省略した。
「じゅんさいとすずき」の巻頭に挿絵一葉(「北海の旅」)、及び巻末に「発表紙誌一覧」が附されているが、本書では割愛した。」
「旧漢字表記はすべて新漢字表記に改めた。」



西脇順三郎の詩の「裏門」はその随筆であろう。玄関にはさまざまな固有名詞や見慣れぬ外国語の番犬がいて世俗の人を遠ざける。オーポポイ。しかしその場合は裏にまわってエッセイから入ればよいです。


西脇順三郎全集11 1


目次;

メモリとヴィジョン (昭和31年 研究社)
 落葉の綴り
 MEMORY AND VISION (1)
 MEMORY AND VISION (2)
 MEMORY AND VISION (3)
 MEMORY AND VISION (4)
 MEMORY AND VISION (5)
 MEMORY AND VISION (6)
 ライム
 木版の田園
 俗人の宗教(上)
 俗人の宗教(下)
 現代イギリス小説遍歴
 GEORGE MOORE
 手紙
 雑草と記憶
 椎茸
 山歩き
 月桂樹の言葉
 女神と田舎者
 秋の日
 JOHN COLLIER
 半島の春
 十八世紀の詩
 近代の神話
 くこの話
 五月の夜
 箱
 WILLIAM MORRIS
 T.F. POWYS(田園風景)
 空白
 日本の風情
 ビール
 日本人の旅行感覚
 英国の田園
 英国の自然
 田園考
 スコットランドの気儘な旅
 人生の友
 福原君の「この世に生きること」
 西国巡礼
 四十年前の三田の山

あざみの衣 (昭和36年 大修館)
 序詩
   I
 自然の風情
 二つの旅行
 私の愛読書
 月、なす、すすき
 言葉の魔法
 某月某日
 私の美術鑑賞
 読書という言葉
 生活と文学
 某月某日
 私の好む文章
 竹友藻風君を惜しむ
 美しかった慶応義塾のキャンパス
 生花以前
 私の机の上
 わが銷夏法
 私の本だな
 折口先生哀悼の言葉
 夏と本
 ショー翁を悼んで
 ふじまめ
 古さの錯覚
 夏から冬へ
 春すぎて
 水上滝太郎氏の思い出
 詩人ヨネ・ノグチ
 角笛を磨く
 『大阪の宿』の裁判所で
 市村座のメタフィズィク(対話)
   II
 土星の苦悩
  1 いらくさ
  2 鉛毒
  3 水晶売り
  4 山栗
   III
 日本の英学
 日本の英国
 イギリス精神
 二つの世界から逃げる
 十九世紀の文学
 二十世紀の文学
 T・S・エリオットと近代人
 バタくさい歴史
 文学と聖トマスの哲学

じゅんさいとすずき (昭和44年 筑摩書房)
 街路の雑草
 カレンダー
 自然の憧れ
 路傍雑考
 春の草
 書物と人生
 自然と芸術
 北海道の旅
 夏のリズム
 大和の道
 人に見せる日記
 茶人礼賛
 偶然
 新春
 掘り出しもの
 夏もまた楽し
 野原を行く
 美しい季節
 私の周辺
 われ、素朴を愛す
 故園の情
 私のローマの休日
 風土の美
 山の露
 イタリアの野を行く
 イタリア紀行
 自然の哀愁
 植物の名
 伊太利紀行
 風鈴
 むさしの
 雑草の美学
 喜怒哀楽
 十五夜
 黒部の秋色
 生け垣
 旅人
 乞食考
 読書とわたし
 宝石について
 年の終り
 春
 白い花
 薔薇
 あとがき

後記 (鍵谷幸信・新倉俊一)



西脇順三郎全集11 2

口絵 1971年。



◆本書より◆


「MEMORY AND VISION (1)」より:

「考えてみると僕はあまり沢山本を読んだ方でなかった。小学校の時は学校恐怖症であったことは、子供にいじめられたためである。昔の田舎の町の子供には(明治中期)実に悪いやつが多かった。」
「要するに字を見ることが嫌いだった。父から「世界おとぎばなし」という絵のついた西洋子供話を十冊ほど貰った記憶があるが、それ等の本は読んでもよくわからなかった。(中略)要するに国語の力が足りなかったのであろう。しかし大洪水の話で水晶の山をのぼっている西洋人の絵だけは覚えている。絵の記憶は非常に多いというのは、僕にはすべて絵画的にものをみるくせが子供の時からあったらしい。」
「要するに英語と絵だけに興味があった。」



「MEMORY AND VISION (2)」より:

「文学的価値のあるものは必ずしも強い印象をもつイメヂとして残らないということがわかる。パラドックス的にいえば、つまらないもの程そうしたイメヂを残すことがあるともいえる。これは夢の場合よく起る現象と同じものだと思う。恋愛をしている人がせめて夢の中で恋人の顔を見たいと思っていても、あにはからんや、魚を釣ったり、ぼたもちをたべる夢などをみる。カーライルの夢をみるよりも、けやきの木の夢をみたがるものだ。巴里見物の日本人がボア街の一等ホテルでみる夢は恐らくがんもどきの夢でありがちなものだ。これは非常に面白い現象である。」


「MEMORY AND VISION (3)」より:

「ただ(中略)文法や発音学や Practical Study of Languages などを読んだ。初めて英語というもののやり方を自修した。文学や語学を勉強することが趣味になってしまって、ひとりで本を読んで一生終りたいと思った。実は学校というものにはいることをひどく嫌ったのであった。なぜ学校というものに人間ははいらなければならないのか非常にふんがいしていた。絵をやろうとすれば上野の美術学校へはいることを強要された。それが絵かきになることをやめた最大の原因であった。
これは本の話ではないが、十八の年の秋、(今考えると実に恥しいことだ)藤島武二先生のてん書をもって黒田清輝大先生(当時絵かきの仲間では「メートル」と仏蘭西語の日本語をつかって呼んでいた)を単独訪問したことがある。応接間には仏蘭西の田舎の景色で林檎の花が満開の風景の百号位の大きいのが真中にかかっていて、マントル・ピースには黄金のふり子がついている時計があった。よくも黒田大先生が鼻たらし小僧にあって下さったものだ。(中略)その面接の要件というのは、僕が絵かきになっても相当なところへ行けるかどうかみて下さるようにと親類のものからの依頼であったらしい。(中略)絵かきになるにはよほどの天分と努力がいるという意味のことをいわれて一時間程この小僧の相手をされたということは、今非常に感謝しなければならない。それから先生は書生さんを呼んで白馬会に入会させるように手続きをとってあげてくれといわれた。
要するに家のものは僕に将来の生活のためになにか定まった profession を与えるために教育をほどこそうとした。これは当然のことであるがその当時はその考え方は正しいものと思わなかった。(中略)若しぶらぶらして学校へはいることをしなければ小僧にでもなんでもやるぞといわれた。小僧に行けば、自分ひとりいる時間がないからどこでも学校へはいってみることを決心した。」



「ライム」より:

「長い間、私はライムを使用しない詩をつくることは、なにか大変不道徳な行為をしているような気がしていた。日本にいる間は盛んに rhyming dictionary を買い集めたものだ。」
「ライムがあるといかにも詩らしいが、しかしいかにも古めかしい感じがする。」
「ライムの存在は定型のリズムの中に生命をもっていたのであるから今日の詩のような自由な心理的なリズムに使うと寧ろおかしいものになる。」
「私などが英詩を書くときは内容からしても、詩の口調からしてもライムは避けた方が安全だということになる。それに前に述べたように、ライムに対して偏見をもっているので、正直のところライムの価値をあまり認めない方だ。
二十世紀の詩のモダニズムの語法も James Joyce の Finnegans Wake のように通常の文法を無視することも非常に好む。またこのことはすでにマラルメが多少心得ていた手法である。」



「木版の田園」より:

「モリスが郷土芸術の趣味を世界にひろめたが、(中略)私は徳川期の木版画の中で名の知れない版画家の書いた職人的な本のさし絵にそういう下手物の趣味をもっている。(中略)エッチングとなるとあまりに本筋のものでこれは郷土趣味にならない。(中略)ブレイクのさし絵もあまりに芸術で面白くない。(中略)それではどういうものが下手ものかというと、(中略)自分が妙に興味をもって眺められるものは十九世紀に出ている名の知れない職人の幻像的なさし絵版画である。英国のものでは例えば「チャーンドス」の古典叢書の中にある「イーソップ物語」のさし絵をみていると、なんとも言い表わせない興味を覚える。」
「ところで Thomas Bewick という英国の十八世紀の木版師について、一小冊子を手にしたから、それを紹介してみよう。ビューイックはノーサムバランドの国に生れた百姓の子であった。(中略)彼は全く自然の寵児であって、自然の一部分のような人間であった。(中略)フランスの博物学者ビュフォンのような教養ある人とまるで違っている。そこに非常な面白味がある。彼は田園の風情や田園のヒュームアを非常に現実的に描き出そうとした。その例として William Yarrell の A History of British Birds の初版の余白のカットなどは田舎によくある戸外のほったて小屋の便所の図があるという話だ。また英国の田舎の子供が好む小鳥の巣をいたずらに取る図に、河っぷちにある古木の oak の樹にのぼっている男の子が、突然くちて折れた枝を抱きながら、まっさかさまに河へ落ちつつあるカットがあり、また田舎の墓地で遊んでいる子供が兵隊ごっこをしている図では、墓石を馬のつもりでまたがって、サーベルをぬいて指揮をしたり、ラッパを吹いていたりする。雪だるまを作っている図もあり、月夜に夜みちをする田舎者が岩が悪魔のようにみえるので、こわがる図もある。また自画像としては旅人が路傍の泉の水を帽子のふちで飲む図や、また、兎をうちに出かけた二人の猟師の一人がビューイック自身である図などは皆田舎生活のレアリズムである。彼は昆虫や小鳥、動物を好んで描いたが、皆実物からの写生であるといわれている。その動物や小鳥は皆写真にみられない表情をもっている。」



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A History of British Birds より。


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同上。

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同上。

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同上。


「俗人の宗教(上)」より:

「八月十八日暑さにも大分つかれて、なにかぼんやり考えていたが、ふとトドロキの植木屋のおじいさんを訪ねてみようと思った。家の近くに幸いその辺の近くまで行くバスがあるので、すぐ田園という世界にはいれる。地獄へ行くことが簡単であるように簡単な旅ですむ。十五分以内に行ける。
これは詩境ではないが、植木屋の老人は本当に留守だった。この植木屋の庭の崖の上にサンザシの藪が三個あるので、実は小さい株があったら買って来ようと思ったのだ。
葉の色と同じみどりの実がなっている。僕は花よりも野生の実を観ることが好きだ。日本の自然愛好者はそういう実に対してはあまり美を感じていないらしい。俳人の句をみてもそういう趣味があまりない。ところが英語には特に名がついている。勿論これは美のためでなく、他に理由があることであろうが、サンザシの実を haw というし、野バラの実を hip というし、blackthorn (りんぼく)の実を sloe という。この最後のものは日本のゆすら梅に近いものらしい。」
「それから、おばあさんに頼んで植木屋の庭へ入れてもらった。密林の風格をもっていた。商売とはいうものの、さすがにいろいろの草木が nursery として植込まれていた。「ゆすら梅がありますか。」するとおばあさんと一緒についてきた孫の小さい娘が「みんなたべちゃった」といった。」
「ここで風情ということは今日の言葉でいえば「詩的」ということであろう。そうすると僕が自然の風情を好むということは詩を好むからなのか。恐らくそれも一部分の原因であるが。しかしそうした気持は自分自身の生活や自分の性質からも来ていると信じられる。一つの人生哲学としての態度であると思う。
若し自分が昔の文学から「俗人の宗教」をつくるなら先ず永遠ということを考える。
All that live must die, passing through nature to eternity. (生あるものは死ななければならない、自然を通って永遠の世界へ行くのだ。)」



「雑草と記憶」より:

「自分の自然に対する愛好心は心理的には、かなりセンティメンタルなものであろうが、それもやむを得ないことだ。淡い記憶としての自然物に対する情念は今だに残っている。(中略)自分の生家は勝海舟家の先祖の出た土地という話のある田舎の小さい町のはずれにあって、その屋敷は三方は塀や垣根になっていて、他の一方は小川になっている。小学校時代まではあまり近所の子供と遊ばないで殆んど毎日自分の家の屋敷の中で暮した子供にとっては一つの大きな世界で一日中その中で遊んでもたいくつはしなかった。それがためにそこにある自然の風物が子供の頭に忘れない記憶となり愛着心として残ったのであろう。」
「夏はクイナ(crake)が鳴いた。私も一度つかまえて、飼おうとしたがすぐ死んで気の毒であった。山鳩やフクロはいつもいた。蛇と蜂、蜻蛉、蟻、蝉、蝶はイーソップ物語の背景になる程沢山いた。蛙はいろいろの種類がいた。その屋敷の一端に泉が出ていたが、それはその昔紺屋とさらし屋(fuller)の土地を買いとって屋敷の一部分にしたためで、それはその遺物であった。」
「この古い屋敷にはケイトウの花と英国に沢山ある daisies が沢山あったことをつけたしたい。またその泉(清水と呼んだ)はその小川に流れるようになっていたので、その通路には水草で花の咲くのもあった。中にコウホネがあった。」
「川の土手は草が茂っていて、蛇がこわいのであまりはいらなかったが、川べりにクルミの木にねむの木が曲って生えていた。春にはスギナ(horse-tail)が沢山出たことを覚えている。」
「雑草で一番印象にあるのはイタドリであったが土地の言葉ではスカンポという。」
「イタドリは日本ではペンペン草(shepherd's-purse)とともに雑中の雑であるが、いつも心をうつもので日本の土をなつかしめるものだ。」
「私などの自然の風情を愛する気持は、全く vision からであって thought からでない。(中略)それは全く現世的なもので、古い一文銭の追憶としての vision で、ただ人生の唯一の夢であるにすぎない。人生の唯一の記憶として地獄に行っても残っているのは恐らくそうした雑草の記憶だけであろう。」



「椎茸」より:

「随筆を愛する人は所謂郷土芸術とか「ゲテモノ」を愛するロマン主義者でなければならない。随筆は世の不幸な人達、絶望の人々を救済する力をもっている。それはどういうわけか。恐らく、そこにはポウエトリがあるからであろう。多くの随筆家は俳人の如く、自然の美を愛し、笑いを解し、人生の素朴性を味い、その中に人生の淋しさを心から感じるからであろう。そこには特定な宗教もなく、特定な思想も人生観もなく、たゞ人生の苦しみを凡人の強みで味おうとする人間の努力があるからであろう。
実は、この雑文を伊豆の湯ケ島に一泊して書いているのだ。上カノ川とネッコ川(土地のメリヤスを売っている女の人からきいた発音)が落合っているところにある宿に泊っているが、その渓流にある庭先で水車が苔むした岩の間でまわっている。依頼された随筆に関する随筆を書こうとしているが「随筆の随筆」はどうしても書けないものだということを発見した。」
「朝早くその辺を歩いてみた。(中略)先程いったネッコ川にそって、世古という村落の方へ歩いてみた。(中略)路ばたには菫と蓮げ草が咲き乱れていた。菫は所謂 dog violets というやつで、三色すみれなどに比較すれば影もない薄明的な存在であるが、二種類あって、一つはギリシャ人のいうように灰色にみえる程薄むらさきで蒼白たる色をした極く花びらの小さいものであるが、それがなんともいえない淋しい気持を与えてくれるので、シェイクスピアの言った有名な violets dim というもので、また Wordsworth なら無限の涙に価する類のものである。もう一つの種類は少し花びらが大きいし、またその色も殆んどマジェンター色である。世古村に近づくにつれ右側は岩石の崖になって、岩石の間から菫の群が出ている。それが何ともいえない風情だ、掌に一杯そうした草を摘んで、小さい花束をつくった。野バラ、野イチゴ、レンゲ草、キンポウゲ、山すもゝ(リンボク)、岩しょうぶなどであった。掌に一杯集めて、これはオフィーリア的考え方だと思い、我れながらセンチメンタルなものだと思った。しかしこの行為は無意識に突然来たもので、私にはこれを制する力がなかったのだ。その時思ったのだが、女の子が花を摘むのも無意識な行為であるということであった。」
「私が古いタイプの随筆を好むいかさま趣味は、恐らくゲテモノ趣味と郷土趣味から来ている。そういう随筆を私は古いビンやソバチョコをみるような骨董趣味から好むのである。
この土地には渓流が落合うので水郷の桃源境である。(中略)この辺を歩いていると、いつ窓からチョンマゲを結った老人に首を出されても驚かない精神的な準備が出来てくる。文人墨客の好みそうな土地だ。歩いていると手の中につかんでいた草の小さい束へ生れたばかりらしい蝶がとまろうとしたので、自分の存在を不思議なものに感じた。」



「くこの話」より:

「人間の近くに生命を営んで路傍や空地に生存している植物の中で特に雑草といわれているものがある。Wordsworth の the meanest flower に対して無限の涙を覚えるという詩は有名であるが、私には「極くつまらない花でも」でなく「極くつまらない花こそ」そういう感じがする。」
「雑草という言葉を表す英語は weeds であるが「雑」という意味が日本語よりもうすい感じがする。(中略)定義をみると weed はwild herb springing where it is not wanted となる。即ち無用のじゃまになる野生の草である。一般の庭では草取り(weeding)をするのが本質で雑草のないのが所謂庭の情念である。しかし雑草だけを植えた庭が欲しいものだが、考えてみるとそれは矛盾した考えである。やはり poor man として路傍や空地にたたずんで、石垣や生垣の間に寂しい思いで、雑草に対して sentiment は感じたいと思う。もう自分の世界を飾ってくれるものは William Morris の壁紙のような薔薇や百合でない。「たびらこ」や「きつねのまご」や「にはほこり」は自分の心を飾ってくれるものである。こうした雑草をみているとアンドロメダの星雲をみているように自分の心を永遠に運んでくれるのだ。」
「よくみる平凡な雑草は実に面白いものであるが、初めはその存在を総括した雑草という名で普通はかたづけられてしまう。私は雑草特に人家に近く生えているものだけでよいが皆知りたいと思う。(中略)それから英国にあるそうした平凡な雑草の名をも日本と比較して知りたいと思う。なにか遠いところにも日本と同じ雑草が生えていると思うと非常に無量に詩的に感じる。」
「しかし自分は決して珍しい雑草を集めるのでなく、全く一つの詩的世界の vision を求めているのにすぎない。」



「日本人の旅行感覚」より」:

「いかに美しい薔薇もバラ作りの作物となると風情がない。むしろ野ばらは風情を出すのだ。恐らく日本中のどこの路傍にもみられる藪のしげみにあるカナムグラや、ヤブガラシやヘクソカズラやコヒルガオなどは全体として哀愁をそそるものだ。蜜柑よりもカラタチの実の方が風情がある。ツル草は淋しみがある。十二月頃山野にふみ迷う時、名の知れぬ雑草に無数の実がついているが皆風情がある。サンザシの実や野バラの実や、ガマズミの実などには風情がある。ムラサキシキブの実はあまりにうすむらさきで、感覚的ではあるがあまりに美麗すぎる。またサネカズラなども美しいがあまりに文学的である。」
「本当に自然の風情を愛するためには、俳句や詩などを書かない方がよい。文学などを書かなくとも、(中略)一片の岩石にも、一片のブナの葉に対しても、自然の風情を感じる。そういう人は本当の詩人であろう。
名利をすて、貧に満足して生活し、人命のはかないことをさとる。永遠の世界からみて、人間などはどうせつまらないものだと悟りをひらく、そのように人類全体に対して、哀愁を感じることが出来るような淋しい心をもつ人が初めて、素朴な自然素朴な人生の旅を解する。けれども今日そういう人になることは非常に困難である。」
「恐らく本当に自然を愛する生活は、詩をかいたりなどせずに自然をじっとみつめてそれで満足することだろう。そういう人は本当に幸福な自然の愛好者であろう。私などは自然の風情を詩かなにかですぐ書きたくなる。実に悪いくせだ。人間の文芸的行為は決して素朴なものでない。」



「福原君の「この世に生きること」」より:

「私のような文体は福原氏(引用者注: 福原麟太郎)は一般の人々と同じように悪文として嫌いだろうが、(中略)なにしろ私は変りものだから筋のとおりにくいむづかしいことを言うことがすきだから仕方がないのだ。(中略)私は言葉の結合が普通行われているようなものが嫌いでいつも新しい結合をさがしながら文を作っているということを告白しなければならない。そういうくせは詩を書くくせがあるのでその影響だと思う。詩は言葉の新しい結合を発見しながら作るのが定石だからだ。」


「四十年前の三田の山」より:

「慶応義塾の三田山上の風景は今から四十余年前はもう少し海が近かった。教室から外国の帆船がよく見えた。あの数百枚という帆をかざして尖った船首を美しくつき上げていた。近景にはノリとる小舟さえ見えたかも知れない眺望はどこか伊太利の小さい港を写したターナーの風景画と江戸百景の広重の版画風景とをつきまぜたようなもので、のどかであった。芝公園の方をみるとあの美しいケヤキや榎の木がみえ、赤い五重の塔がみえた。鳶が真昼の夢を破るもので、ヒョロヒョロと鳴くのであった。」
「三田の山の上の植物界にも昔ものがたりがある。昔は演説館が塾監局とならんであった。そのうしろに有名な古風の共同便所があり、そのわきに貧弱な一本のタリポットの木があった。それも樹木としては思い出となる。僕は植物がすきであるから覚えているが恐らく今日その存在を記憶しているものは一人もいないだろう。」



「月、なす、すすき」より:

「昔から十五夜にかざる草はすすきである。世田谷のおくに深沢という里があったが(中略)、その辺で私は「がまずみ」(江戸時代はこの辺の方言でヨソドメとかヨツドメという)を折ってきたことを覚えている。その辺の百姓さんにきいてみると、その辺の農家では、十五夜のときは、すすきと一緒にヨツドメをかざると言っていた。この「がまずみ」という雑木も日本中どこの藪の中にもはえているものであって、九月の末には深紅色の小さい実をつける。
すすきに関連して私は思うのに、なすも日本の夏から秋への風情をますものであると思う。十五夜の月にはなすびをもかざるべきものであろう。仲秋の月の見方はあるやんごとなき人の説ではなすに穴をあけて、そこから月を見ることであるそうだ。」
「すすきとなすと仲秋といった存在はなにか非常に原始的な力をもっていて、時々こんな原始的な思考へもどることは人間の文明に対して皮肉でよい。私はすすき、なす、月といった人類の原始文化の一つの象徴を愛する。決して俳人的風流のためでない。しかし人から風流のまねをしやがるといわれても結構であって決してうらまないが、私がそういうものを愛するということは単に機械文明、貨幣文明に対する自分のか弱い反抗として自ら満足するからであろう。」



「言葉の魔法」より:

「私は植物学や動物学の科学的な知識に対しては少しも興味がない。ただその俗名を知ることが無限におもしろい。単に名前を知ることでもその自然物に対する人間の愛を示すことにもなる。それはまた言葉の魔術でもある。植物や動物の名前の中に人間と自然との関係が密接に表わされている。」


「折口先生哀悼の言葉」より:

「折口先生(引用者注: 折口信夫)とは三田へお出でになってから、恐らくまもない頃より比較的親しく知り合いになっていた。突然この世を去られた。あの特色あるうつくしい存在がなくなった。淋しく思う。先生の人生観や人生に対する先生の実際の態度を私などは、失礼ながら興味をもって観察していた。また一つの生き方として尊敬していたのであった。私は原始文化の研究に興味をもっていたので、時々先生の御高説を承り、常に教えを乞うたのであった。」
「先生は日本の文学と芸能を、土俗学的に研究されたのである。この点では先生の学問は日本最初の学問であって、それ自身完成されていた。そこにはほとんど神秘的な境地さえ伺われるのである。先生の存在自身珍しいものであり、その学問も到底何人も侵入出来ない深いものであった。(中略)先生の頭の中がどんなになっているのか、どうしてもわからない。」
「一方では、またこんなことも先生の追憶として考えられる。先生は実に自分の好む道を歩かれて来た幸福な人間であった。学問上では実に自信があり正直な人であった。また文を書かれる時も日常話される時でも、自分の好まれる自分の言語を使われた。今日の標準語というものは全然無視されていた。そういう人は世界でも珍しい存在であると思う。時々私の詩をほめてくださった。」
「先生の言葉は誰の言葉とも違って本当に独特なものである。あの論文のスタイルも全く折口先生でなければ作れないものである。先生はいつも私に「あなたが外国語を用いられるようにわたしは日本の古い言葉を使いたいのです」と言われた。」



「角笛を磨く」より:

「ドングリがピカピカ光っている。僕は心の中で、「日はドングリの中に暮れた」ということと「ドングリの中に夕暮がある」と、どちらがいいか考える。もちろんどちらも変だ。われわれは思わず、はるかな野に耳かたむける。あたりには狩人の角笛も絶えてただどこか森かげにかすかに水車の音が響いている。」


「夏のリズム」より:

「コーロギは八月の中頃になると世界中で鳴いてねむられない人達に宇宙の淋しさを告げ始める。(中略)田舎へ行って野原を歩くとソバの畑などでは、実に大きな鳴き声となって殆んど大空にひびくような感じがする。」


「偶然」より:

「昔の人達にはすべて運命であると考えてあきらめる方法を知っている人が沢山いたらしいが、今日は科学的精神が発達したためにそういう立派な人は少なくなった。私の友達にすぐれた人格をもった骨とう屋さんがいたが、骨とう品には一つ一つ宿命をもっている。三百年間保存されるのも偶然ではあろうがその品物がもつ運命であるといっていた。」
「何月何日東横の食堂でソバをたべるのも前世からの宿命と考えなければならない。そう考えるのも宿命かも知れない。また一プラス二は三になるという今日の数学的真理も宿命かも知れない。
しかし宿命ということは今私がここでいっている冗談以上なものであることは確かである。」



「野原を行く」より:

「文明がすすむにつれ、その反動として自然にもどりたい気持ちがますますさかんになる。人間がそういう風にバランスをとることは人間生活を健全にする自然の力であろう。(中略)わたしが素朴な自然を好むのは(中略)おそらくただそういうものがなんとなく非常に美しく思うからである。」
「絵の場合なら、(中略)セザンヌ程度の素朴な描き方が一番美しく感じられる。年をとるにつれ、だんだん素朴なものを好むようになり、だんだんセザンヌが好きになる。これと同じように季節でも十二月の自然のふぜいは素朴で、なんともいえない心のさびしさを与えてくれる。さびしさは一種の美しさである。十二月も二十日すぎになると天気がよい日でも、朝から夕方のようである。そうした時期にむさし野へ出て、本当にまっ暗くなるまで、枯れた藪のわきにひとり立っていたい。この季節に野の上に沈む太陽はすばらしい。野バラの実の色にもまさる色をしている。あたりはうすい黄色の草にいろどられている。ミゾソバやイヌタデやエノコログサなどはもう影もなくなっている。ただ藪には名の知れぬ草の実がぶらさがっている。
わたしが知っているサルトリイバラやヘクソカズラやエビズルの実が赤や黄色や黒い実を土人のくびかざりのようにぶらさげている。」
「色あせた冬枯れの美は素朴な自然の美だと思う。そういうタイプの美がわたしのように年をとってくるとだんだん好きになる。人間自身がつる草の悲しみのように思われる季節にむしろ美しいものが感じられる。」
「ここでは単に素朴な画風として、わたしが素朴な自然の美を好むように、セザンヌを好みたいのである。(中略)彼は油で水彩画をかこうとした珍しい頭のもち主であった。」
「線についていえば、たとえばリンゴの輪郭の線はリンゴの色からはみでて描かれている。また壁の中に窓わくが描かれているとすれば、その壁の色が水彩画によくあるように、その窓わくの中ににじみこんでいる。油であるから、水彩のようににじまないはずである。よほど油をたくさんどろどろに用いなければにじみ出ることはない。わたしの考えでは彼はわざとそうしたにじみ出たようにかくのではないかと思う。そういうことをはじめた男の頭は珍しい存在であった。わざとへたにかいたようにみせかけたり、不器用な無骨な無作法な画風をみせようとしているところなどは、ヨーロッパ絵画史上おもしろい現象であった。
形は今日の人々がいうデフォルマションとかディストーションという、いびつにかいたり、線はとぎれとぎれにへたな裁縫のぬいめのようにつながれたりしてある。こうした画風を模倣してわたしは時々いたずらに絵をかいてみるが、実におもしろい。また絵画とはこのことかとさえ思うのだ。どこからこうした東洋の文人画的な画風を考え出したのか、それはセザンヌが一生売れないし、名画匠になれないし、ただ一生禅僧のように自分勝手に欲するままに描いたからであろう。(中略)一種の未完成は最大な完成であるということを信じなければならない運命に彼は達したのであった。わたしはセザンヌの絵を一本のサルトリイバラの実のように、素朴な自然の美として崇拝する。わたしは十二月という月がセザンヌのように一番美しいと思う。
家に帰ってかがんだら、ドングリがころげおちた。」



「美しい季節」より:

「わたしは十二月と正月の季節を非常に美しく思う。昔の日にもどりたい気になる。人間の本来のさびしさにもどる季節である。人間の本来の穴にもどり冬眠する季節であるが、人間はそれを意識していないだけのことであろう。心理的には非常に回顧的になる季節である。すべてあきらめと失望の季節である。すべての草は北欧人のかみのけのようにうす黄色くなっている。もやの中から、けやきの木がつき出ている。わたしはこの青白い季節にむさし野をひとり歩くことがすきだ。(中略)わたしは自然に対して子供の時から非常に感傷的であった。枯れた野原を行く時など、くり林の中を歩いている自分の姿は悲しげである。犬が遠くからわたしを見ている。くりの葉はたばこ色をして地面を一杯しきつめている。特に低血圧になって身体の調子が弱っている時などは、この季節に野原を行くことがすきだ。本当にバカみたいであるが、この時はくりの葉だとか、くぬぎの葉をひろって家へもってくる。時には石などもひろって来ることがある。まるでこじきのしわざのようだ。それを机の上に並べて置く。ランプの下からこの野原の幻影と話がしたくなる。」


「故園の情」より:

「「ジュンサイ」というものはたべるとすきだが、子供の時、これが私の名前ににている音をもっているからきらいであった。中学生の時であったが、松林のある小山の下に大きな池があってその水面にいっぱい美しく密生していたジュンサイの中へとびこんで泳いでみた。からだにジュンサイの精を感じ、頭からジュンサイのドビュスィーの音楽をあびた。」


「旅人」より:

「「たびびと」という言葉は万葉にも出てくるが、古代文化とか原始文化をなつかしく思う人には一つの幻影をうつしてくれる。今日の旅行者などは香水をつけたり、カメラをもって航空する人たちであって、この言葉の幻影はすこしもうつっていない。昔でも馬にのったり、かごにのったりする旅人もあったろうが、これらの旅人には「たびびと」という幻影が出てこない。やはり小さい荷物を背中に吊って憂うつな顔をして歩いている人たちでなければならない。ひが暮れて農家にとめてもらって、あんどんの明かりの下にねて野原の夢をみたり、朝げには焼いた草もちか粟もちを食う人たちには「たびびと」の幻影がはっきり出てくる。
古代の人間生活では、生まれたところに定着して渡世するか、年中歩きまわって渡世するか大体二つの方法しかなかったと思う。後者にぞくした人たちは行商人、旅芸人、説教者、種売り、いかけ、神様のお札うり、うらない、まじないする人、かたりべ、よみうりなど、いろいろの「たびびと」があった。時には神々は人間の風をして旅人になって人間界に出てくる人、とうぞく、ごまのはい、非人乞食、追放人が歩いていた。
「たびびと」という意味は郷里をはなれて他の土地を渡って歩いたり、他の土地に滞在している人のことであろう。したがって、「たびびと」はやや軽蔑的な意味では外国人という意味と放浪者という意味にもなる。
古代のギリシア人が、葡萄酒の神であり、穀物や野菜の神として崇められたバッカスという神には「わたり者」とか「放浪人」という字(あざな)がついていたのは、この神がトラキアという外国から渡って来た神であったからであった。
古代社会では「たびびと」という意味は今日とはちがって、もっと深い意味があった。」



「乞食考」より:

「古代社会では乞食をして生活する人たちが近代社会よりも多くいたと思う。」
「仏教でもキリスト教でも、仏門にはいるにもキリスト教のいう天国にはいるにも、その宗教の最大な原則として、人間は物慾、煩悩をすてて初めて可能になると説かれている。そして僧侶は乞食として修業することであった。」
「そうした乞食は「ほどこし」によって生活しなければならない。キリスト教では「ほどこす」ということは乞食や貧者にほどこすことであって重大な宗教的信条であった。」
「そうした宗教的な意味での乞食は私などの到底及ばないすばらしい存在であった。古代社会にはなにかしらの芸をやる芸人としての乞食もいた。」



「春」より:

「人間の存在について、私が重大だと意識することは、人間は永遠のなかに存在していることである。人間は永遠のなかへ生まれ、永遠のなかへ死んで行くのだと思う。しかしこれも生物の宿命であって、どうにもしようがない。生物のどんなに短い生命の時間でも、永遠の時間の一部分であり、またどんなに小さいものでも、永遠の空間の一部分であると思う。」
「太陽系の天体のなかで地球だけに人間という生物が存在するとすれば、私はたとえ悪質な人間であっても、私の人間的経験は尊いものだと思う。もちろん私にとってという意味である。
もうあまり考えることもなくなってしまった。私は春になると、昔の多摩川の春をおもう。川の水もすんでいて、底に見える土が藤色になってみえる。川を渡ってタマの国へはいって行くと、小川がいたるところに光っている。日本の顔料でなければ出せないようなみどり色の麦の畑のなかに、これも日本の紅色でなければ表現できないような桃の畑が入りまじっている。それは私にとってはこの上ない美しい風景だ。桃の花と麦はどういうわけか私の心をよろこばしてくれる。麦畑を好むヒバリがどことなくきこえてくる。
それから私はいつも村の細い通りにはいって行く。黒と褐色のまじった小さいイヌがこのやせた旅人を淋しそうに見ている。私はそば屋にはいって醤油くさいウドンをたべてから、レンギョウとボケの咲いている砧(きぬた)の村を過ぎ、太子堂の竹やぶのなかを通って、三軒茶屋に出て、「リリー」というタバコを買って渋谷に帰った。
こんなつまらないことのほうが、人間という生物の地球上の経験として、私にとっては相当重大な思い出となろう。」



『じゅんさいとすずき』「あとがき」より:

私は六十を越えて七十に近づくころから若い時代の傾向と正反対に古代人の世界にさまよい始めた。そうした傾向は誰にもあることだが私はとくにおくれていた。
おそらく人間はみな古代人にもどろうとする。なぜか。それは一つの郷愁であって、それは一つの超然的な哀愁を感じるからだ。私は漢語や古代ギリシア語のような古代語にそうした哀愁をひそかに感じている。言語を通じて古代人に直接ふれることができるからだと思う。
そうした一種の宗教的哀愁は人間という存在に対する哀愁ではなく、その神秘的な哀愁によって人間という運命に完全に服従し、その運命にひたることができる。
薔薇はどんなに人工的に立派な花を咲かせても、ほうっておくとイバラにもどるように人間も古代人にもどってしまうだろう。
余談ではあるが古代の漢人は古代のギリシア人より詩的な諧謔はうまいと思う。「アカザのすいもの」や「アカザの葉っぱ」などは粗食を象徴するのに用い、「アカザの杖」といえば質素なくらしを意味した。「ジュンサイのすいものと鱸のなます」といえば郷愁を意味した。」































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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