『定本 西脇順三郎全集 VII 文学論 1』

「であるから、極端なものを説く人でも、それは中庸を求めるからでもある。極端な人必ずしも極端でなく、寧ろ中庸を求めるがためにこそ、極端な立場が必要となる場合がある。」
(西脇順三郎 『ヨーロッパ文学』 より)


『定本 西脇順三郎全集 VII 文学論 1』
ヨーロッパ文学

筑摩書房 1994年6月20日初版第1刷発行
v 743p 口絵i
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,800円(本体8,544円)

月報:
1972年2月初掲/1994年6月再録 8p
西脇氏とヨーロッパ(渋沢孝輔)/石榴に関するシノニム(田中冬二)/西脇順三郎先生(岡崎清一郎)/図版2点(1937年頃/絵画作品)



本書「後記」より:

「本巻に収めた『ヨーロッパ文学』は、初版本(昭和八年五月十五日発行、限定版)を底本とした。」
「なお本書は普及版が昭和八年十月に第一書房より刊行された。」
「初版限定本には挿図十六葉(中略)と巻末に索引を収録してあるが、本巻では割愛した。」
「旧漢字表記はすべて新漢字表記に改めた。ただし仮名は旧表記に従った。」


本書収録論文は昭和四年から昭和八年にかけて発表されたもの。


西脇順三郎全集7-1


目次:

ヨーロッパ文学
 序
 I
 二十世紀文学の一面
 文学的無神論
 二十世紀文学批評の準備
 合理主義
 文学と芸術
 芸術主義の理論
 自然主義の発達と衰微
 現実に対する態度
 古典主義とロマン主義とのモラル
 古典主義の原則について
 現代文学の REACTION
 外国文学
 文学の新しいといふ意味
 文学論の喜劇性
 文学評論に於るドグマ
 音響と思考
 OBSCURO
 不明瞭な表現方法
 概念と表現
 DE SERMONE
 感情化
 思考の使用価値
 文学に於るスタイル
 文学批評
 文学批評史序説
 近世初期文学評論史
 中世紀文学成立組織に関する根本問題
 II
 二十世紀英国文学評論
 二十世紀小説家の態度
 第二十世紀文学思想の一源泉
 ロオランスの世界
 ヂェイムズ・ヂォイス
 《ユリスィズ》の位置
 ヂォイスの自然主義に対する態度
 詩について
 文学評論と意味の研究
 Shakespearian Dramatic Characters の批判について
 ティ・エス・エリオット
 最近の自然詩
 叢林の背面
 英吉利ロマン主義文学
 David Hume の文学論
 天使と語る
 文学とモラル

後記 (鍵谷幸信・新倉俊一)



西脇順三郎全集7-3

口絵 (1970年 金井塚一男撮影)。



◆本書より◆


「序」より:

「どういう微風の吹きまはしか、僕は文学に現れたインド・ヨーロッパ人種の思考の世界にうろつくやうになつた。初めは彼等の言語史をやるつもりであつたが(今でもやつてゐるが)、それが文学といふ思考の世界に蓮の実を喰ふ者になつた。
近代の心理学が生理的に「心理的 conflict」といふことをいつてゐるものと平行に、近代人には intellectual conflict がある。その結果今日では intellectual Bohemians が多く出て来た。僕なども、その一片のボヘイーミアンである。そしてまた、その意味の sceptic である。大体の傾向は十八世紀以来のロマン主義的思考の世界(文学にも哲学にもモラルにも感受性にも)に反対してる方面に intellect が動いてゐる。極端にロマン主義的な考へ方にも、極端に物質的合理主義的考へ方にも反対して、その間にひとつのハルモニアを発見しようとして歩きつづけてゐる。僕の biographia literaria はヨーロッパ文学といふ地方を歩いてゐる旅行記にすぎない。
正直をいふと、僕のヨーロッパ文学に関する批評には satire と irony とが隠花植物のやうに繁茂してゐる。この書中に集めた essays はヨーロッパ文学それ自身の歴史を紹介するためでなく、またそれを鑑賞するためでもない、ただ以上述べたやうな反ロマン主義的傾向の考へ方と sceptic な考へ方とによつて、批判してみようとした単なる旅行記にすぎない。sceptic な考へ方を弁護すれば、それは一つのギリシア的な中庸の道を歩くための一つの方法であると思ふ。」
「中庸を得た人間性(humanity)といふことは何処で定めるかといふ問題は、時代と個人によつて異るが、僕の考へではルネサンスの中庸説(Montaigne や Shakespeare)などが一番適切なものであると思ふ。パスカルのキリスト教的倫理観としての人間論にもルネサンスの考へが入つてゐるにすぎない。天使でもなければ、動物でもない。
しかし極端に走ることも、それ自身に価値があると思ふ。その意味は極端なものを修正し、或は之を消滅せしめるには、それと正反対な方向の極端なものを必要とするからである。中庸説を守る目的のために、極端なものを修正する必要がある。それがためにはそれと正反対な極端なものが、時には必要となる。これが所謂反動といふべきものであらう。」
「であるから、極端なものを説く人でも、それは中庸を求めるからでもある。極端な人必ずしも極端でなく、寧ろ中庸を求めるがためにこそ、極端な立場が必要となる場合がある。」



「文学論の喜劇性」より:

「僕のことを告白すると一般に抽象的な symbol を好む傾向がある。文学は思考で出来てゐるから抽象的でよい。小説などに出てゐる世界を実際自分が肉体的に経験するよりはその小説の世界を好む。
「黄色い実が眠つてゐる河べりを歩く。」といふ思考の方が僕が事実さういふ河べりを散歩する経験としての行為よりも好きだ。それは思考は僕には透明で抽象的であるからだと思ふ。
思考それ自体を好む証拠として僕は詩などの一行が前後の関係から切離されてゐるときに非常に面白いと思ふ。丁度床屋の椅子が室内で置かれてゐるよりも、大掃除の時に外へ歩道の上に出されて電信柱などの脇にあるときは、その椅子が普通の意味から独立してゐるから面白く考へられる。思考の何等かの意味が複雑な前後の関係を必要とせずに置かれてゐるときは思考の独立があるからである。思考がそれ自身を意味する以外に他に意味がないときは特に自分にはその思考の美を感ずることが出来る。」



「叢林の背面」より:

「文学の作品の優劣を定めんとする文学批評は結局は地方的ヂアナリズムに終る。文学の価値論は成立するけれどもその成立は価値があるものであるかないかと考へることは真の文学批判の価値論である。自分は要するに文学作品の価値論に対しては何等の信念をへ持つてゐないやうである。しかし次に最後のヒラメキの如く、自分は一つの状態に入る。それは最後の文学価値論である。即ち文学とか芸術とかは価値と称するものをもつてゐないものであると信じようとする。換言すれば価値と称する如き考へ方にて文学の作品を考へることはつまらないことで影のやうなものであると考へる一つの価値論に到達するのである。」


「文学とモラル」より:

「文学はモラルを重んじないといふ説もあるが、モラルを重んじないことも一つのモラルとなる。
美のための文学はモラルを重んじないといふが、しかし美を重んずることも一つのモラルにすぎない。
肉体的自然主義はモラルを考へないといふが、しかしありのままにみることがよいこととすることも一つのモラルである。要するにあらゆる文学上の価値論は結局はモラルである。」



西脇順三郎全集7-2



























































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Author:ひとでなしの猫
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難破した人々の為に。

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