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『定本 西脇順三郎全集 II 詩集 2』 

「なにしろ近頃はほうせん花の文明が滅亡に近づいていることを二人は歎いた」
(西脇順三郎 「二人は歩いた」 より)


『定本 西脇順三郎全集 II 詩集 2』
第三の神話 失われた時 豊饒の女神 
えてるにたす 宝石の眠り 禮記 壤歌

筑摩書房 1994年1月20日初版第1刷発行
viii 629p 口絵i
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,400円(本体8,155円)

月報: 
1971年3月初掲/1994年1月再録 8p
西脇順三郎への回流(飯島耕一)/先生の帽子(田村隆一)/西脇さんとの邂逅(加藤楸邨)/光り輝く哀愁(佐藤朔)/図版3点(昭和7年ごろの著者/昭和9年ごろの著者/カット)



本書「後記」より:

「本巻に収めた(中略)各詩集は、すべて初版本を底本とした。」
「政治公論社版『失われた時』には、著者によるデッサン四葉が収められているが、本巻ではすべて割愛した。」
「思潮社版『豊饒の女神』には、巻末に鍵谷幸信による解説及び年譜があるが、本巻では省略した。」
「旧漢字表記はすべて新漢字表記に改めた。ただし仮名は旧表記に従った。」



西脇順三郎全集2-1


目次:

第三の神話 (昭和31年 東京創元社)
 I
  猪
  十月
  正月三田
  デッサン
  雪の日
  六月の朝
  旅の一日
  二人は歩いた
  元旦
  春の日
  自伝
  しゆんらん
  あかざ
  茶色の旅行
  夏の日
  内海
  はるののげし
  プレリュード
  呪文
  人間の没落について
  より巧みなる者へ
 II
  弓
  神話
  阿修羅王のために
  蘭
  スカーフ
  ジューピテル
  第三の神話

失われた時 (昭和35年 政治公論社・無限編集部)
 I
 II
 III
 IV

豊饒の女神 (昭和37年 思潮社)
 どこかで
 大和路
 女の野原
 季節の言葉
 二月
 豊饒の女神
 薔薇
 この庭へ
 鶯
 黄金の毛抜き
 あざみの衣
 桃
 九月
 最終講義

えてるにたす (昭和37年 昭森社)
 菜園の妖術
 音
 えてるにたす

宝石の眠り (昭和38年 筑摩書房 『西脇順三郎全詩集』所収/昭和54年 花曜社)
 コップの黄昏
 イタリア
 イタリア紀行
 ローマの休日
 写真
 くるみの木
 椀
 きこり
 茄子
 坂
 まさかり
 記憶のために
 すもも
 エピック
 崖の午後
 バーの瞑想
 雲のふるさと
 宝石の眠り

禮記 (昭和42年 筑摩書房)
 数学
 タランボウ
 羅馬
 炎天
 たそがれのまなこ
 水仙
 坂の夕暮
 元
 秋
 カミングズ
 田楽
 田園の憂欝
 禮記
 オリュンポスの秋
 野原の夢
 きじ
 雉
 故園の情
 ななくさ
 天国の夏
 愛人の夏
 鉛筆
 梵
 哀
 手紙
 神々の黄昏
 ティモーテオスの肖像
 フォークナーの署名
 《秋の歌》
 生物の夏

壤歌 (昭和44年 筑摩書房)
 I
 II
 III
 IV
 V

後記 (鍵谷幸信・新倉俊一)



西脇順三郎全集2-2

口絵 (1968年 遊佐隆昭撮影)。



◆本書より◆


『第三の神話』より:

「十月」より:

「二十年ほど前は
まだコンクリートの堤防
を作らない人間がいた。」


「正月三田」より:

「眼だけ残つている。
考えることも感じたりすることも
危険な海の限界線である。」


「デッサン」より:

「人間に関する神話は植物性の中へ進化
して来た。
神農のドロ人形のようにおちついて
いる世界をあこがれる人間がいる。」

「人間の考えはまたアポコペといつて語尾
の省略でもある。
猿から福寿草へ発展する間に人間が
しやべつているだけだ。」

「生物はなぜ繁殖しなければならないのか。」

「始める必要も終る必要もない
世界を作ろうとしてもがいている。」

「来るともなしに来た女などは
無常を感じさせるほど美しい
淋しみのないところに淋しみを
感じる時はすべての始めである。」

「犬の眼は正確だから
すべて灰色にみえるのだ。」


「雪の日」より:

「考えることを避けたいのは
より深く考えたいからだ。
人間はなぜ繁殖しなければならないのか。」


「六月の朝」より:

「手をかざして野ばらの実のようなペンキを塗つた
ガスタンクの向うにコーバルト色の
鯨をみたのか
        アナバースの中のように
海 海 海
群馬のアテネ人は叫んだ」


「二人は歩いた」より:

「九月の初め二人は歩いた
流動的哲学はもう二人の中を流れ去つた
もう何も考えるものが失くなつた
ただ生物的特に植物的追憶がすこし残るだけだ」

「なにしろ近頃はほうせん花の文明が滅亡に近づいていることを二人は歎いた」


「元旦」より:

「きつゝきが欅の木をたゝく音がする。
手紙を書いている女は筆をくわえて
心は野辺にさまよう――
生垣からは
カナムグラやヘクソカズラは去つて
ただカラタチの実が薫つている。
あの青黒い刺をみると復活の
人間の生贄をおもわせる。
もうアカザの藪も消えて
大地の背骨がみえる
オリオン座の簪がみえる。
冬は追憶の女神の月だ」


「春の日」より:

「土へもどる季節がまた来た
神々の黄昏(たそがれ)の時をよろこぶ。
人間はあまり高慢であつた。」


「自伝」:

「「ラオコオーン」のような自伝が
描けないただ
とんぼ

かたばみ鬼百合
ほうせんか
しおん
と殆ど区別が出来なく溶けこんで
発生したことは僕という牧人の
田舎暦だ。
リーダーは銅版画ばかり覚えている
ヤマメを入れたガラスのどんぶり
笛をふいている老人。
もう
うす暗い菫をくれる
詩の女神は考えられない。
藤島先生の家で絵を学んだ
テレビンの世界に残るのは
マジェンタ色の菊と
黄色い裸の巴里の女が
うしろ向きに立つている
先生の大切な油だ。
それから三田へ来た
フローベルとペイタが
僕の頭のくらやみに
しずかにしやべりつゞけた。
赤煉瓦の建物のバルコニーで
夕暮の空をながめて
アイルランドの百姓の幽霊
ばかり思いつゞけた。
今はしかし
唐の詩人のように城外へ出て
この辺を歩いて
生垣になるサンザシの実や
ホウコグサなどを摘んだり
はてしない存在
を淋しく思うだけだ。」


「しゆんらん」より:

「「君達と一緒に行くもうひとりの人は
誰か」
「これか、これは女の影だ。」」


「プレリュード」より:

「人間は魚だ
人間は魚だ
こどもが生れる
こどもが生れる
ニムフィー ニムフィー
雪が降る日には籠をもつて
オギョウを採りに行くのだ」


「ジューピテル」より:

「突然に行くとどんな人間も留守だ」

「第三の神話」より:

「「お前さんは曲つている。すゞかけの木よ」」

「深い深い夢はわれわれをみる
われわれは夢をみない」

「再び神々の世界にはもどれない
人間は人間として歩くほかない」

「永遠の先に舌の先が触れた時
死に初めて生きながらふれるのだ
それは生命の初めであつて終りだ
言葉の塔の人々はみな話した
「男の言葉を女の言葉に
近づけることを考えなければならない」
葡萄のような夕暮になつた
もう訪ねるような人はいないだろう
もう自分自身の中にもどらなければ
ならなくなつた
自分自身の言葉を飾らなければ
ならなくなつた
「見せて
この古い庭にとび出ている
この梅の木
わたくしのドレスに染めてみたいわ
この薔薇の胎児
この一つ眼のキュクロペスの河童
この木の木このやるせない木
没落の天使のひそむこの芋虫
このコリドンの庭に
やがてもどりたいものだわ」
とその晩遊びに来た女が
手相をみながら言つた」



『失われた時』より:

「ただ過去は神経のような根をはつた
暗い庭で混沌としてうす紫になつている
暗い神々のたそがれである
あまりに植物的な植物的である
あまりに葉緑素的な
あいまいな盆地の沼地のくらやみだ」

「このにんじん色の世界
を見たこの不幸な午後
「ああ生れた日を呪う」という
言葉は塔の窓から流れ出た
それはジエムズ・ジョイスのように
あごひげのある青年が窓のところに
あごをかけて悲しんだ
下の五月の庭をさまよう
女神を見たからであつた
バイロンのように燃える藪ではない
蜜蜂やひよどりの来る暗やみである
火葬場へ行く道に
スイカヅラの花が咲く頃
ローランサンのやせた女
が来てことよせるところだ
小鳥の「響く影」
永遠は傾く
不幸な午後であつた
この夏は何もしなかつた
今は紺色のカーテンの下で
考えているだけだ」

「やせてもうもどる永遠はない
夏の日の思い出にもどるほかない
思い出は「手紙の幽霊」だ」

「永遠は淋しい
庭の思い出である」

「もうすべては存在すると同時に存在しない
それは永遠であると同時に永遠でない
それは有も無もないところだ
有と無は方向の違いにすぎない
有と無を破壊する大空の女神が
恋愛三昧をするところだ
そこは方向が消滅するところだ
ここで旅人がためいきをつくところだ」

「いまごろはあのどぶの石垣に
いぬがらしやたびらこが咲いて
いるだろう
青白い女の天使が時々
のぞいてみるだけだ」

「永遠に流れる山々と野原は
再び帰ることはない しかし
永遠に接ぎ木をして永遠に
生きることは
この青い無花果が
しやべろうとしたことであつた
人間よ再び路傍にもどれよ
説教してはいけない
すべて眼に写るものは正しい
すべての存在は
無花果の中にひそんでいる」

「渋いどんぐりの実のふくらみに
ジューピテルのよろこびがひそんだ
永遠の受精のくらがりがある」

「記憶は絃琴にすぎないか
言葉をもつ不幸な生物よ」

「限りないこだまに
ゆらぐ魚」

「動かないものは現在だけだ
現在がなければ過去も未来もない
過去と未来は方向の差だ」

「しかし種子から種子へもどる
この灰色の楕円の循環
すべてが失われた時
存在はそれ自身の中へもどる
永遠の初めで終りである」

「「ああくるしい幻影の夏だ
ああ終りたいが永遠に終りはない
永遠に夢をみなければならない
ここにハムレットの悲劇があるのだ」
あなたの手紙に長い間返事を
しなかつたことを恥しく思うしかも
このみすぼらしい手紙を書くことも
うちの庭でとれた薄荷を少し
この封筒の中へ入れておきます」

「蝶の翼に描かれる紋章に
限りない絶望の変遷がある
またキツツキの音がする
秋がかすかにたもとにふれる
カワセミの巣がみえるようになつた」

「ノアの洪水のあとの人魚の
悲しい歌は歌つてはならない
それは人間を再び放浪の海へ流すからだ
一枚の枯葉が水の記憶にぬれるように
永遠の追憶に人間をぬらすからだ
このことは人間の言葉でいうべきでない
水は水へ神秘は神秘へ流すのだ」

「人間の不幸は言葉をもつているからだ
人間の存在は言葉のないところにある」

「人舟を望遠鏡でみる九歳の少年は
母胎を憧れる神々しい子宮の祈祷だ」

「岩の上にあがつてみよう
失われた夢をさがそう」

「夏の海は宝石のたそがれのように
くすぶつてネムの花を見ている
たそがれの人間はささやくだけだ
しかし人間は完全になくなることはない
ただ形をかえるだけだ
現在をなくすことは
人間の言葉をなくすことだ
どこかで人間がまたつくられている」

「かくされたものは美しい」

「溺れようとする男のように
生と死のさかいをさまよう
永劫の海原にただよう
グローリアグローリア
潮の氾濫の永遠の中に
ただよう月の光の中に
シギの鳴く音も
葦の中に吹く風も
みな自分の呼吸の音となる」

「このねむりは水のつきるところまで
ただようねむりは限りなくただよう
精霊の水の眠りのオフィーリアの水苔の
砂丘のはまなでしこのはまゆうの女の
ねむりは浅瀬にさまようシバエビの
ねむりは野薔薇にふれてほほえみを
もらしまたねむりは深く沈む
いるかが鳴く
ねむりは永遠にさまようサフサフ
永遠にふれてまたさまよう
くいながよぶ

しきかなくわ
すすきのほにほれる
のはらのとけてすねをひつかいたつけ
クルヘのモテルになつたつけ
すきなやつくしをつんたわ
しほひかりにも……
あす あす ちやふちやふ
あす

セササランセサランセサラン

永遠はただよう」



『豊饒の女神』より:

「どこかで」:

「どこかでキツツキの音がする
灰色の淋しい光が斜めにさす
コンクリートのせまい街を行く
アンジェリコの天使のような粋な
野薔薇のように青ざめた若い女が
すれちがつた――ゆくりなく
ベーラムがかすかにただよう
この果てしないうら悲しさ
「おどりのけいこに行つて来たのよ」」


「薔薇」より:

「夏になるとこの人は
また夢をみる
どうせなにもわからなくなるのだ
雪が降るまで
さんしようの葉がおちるまで
夢がさめた夢をみるだけだ」


「あざみの衣」より:

「この本の中へは
夏はもどらない
この貧者の食卓には
秋の女のためいきばかりが
きこえてくる
昔の夏にジュースをのんだ空きびん
にガマズミの実とさとうを入れて
きりぎりすの霊をまつる
この本の中の考えは
テーブルをくもらす
雲の通過であろう」



『えてるにたす』より:

「菜園の妖術」より:

「比較はすべて夢だ
ひとりの人間の歴史は人類の歴史だ」

「ミソとネギの中を深くのぞくと
自分の中にある原始人が見える」

「ああ永遠の女の中に
どんぐりのおちる音がきこえる」

「前世現世来世は
永遠の中の経過にすぎない
すべては永遠の中にいるだけだ」

「永遠の中にいるから
永遠が見えない」

「――こんな眺望は野原になるわ」


「えてるにたす」より:

「旅人の手帖にある
ドロシー・オズボーンの肖像は
夏を終らせるに充分だ
ゴマ色の背景に
朽ちた枯葉が宝石をかくしている」

「やぶがらしは
ダーウィンが見失つた
人間と猿とのつながりだ」

「進化も退化もしない
変化するだけだ」

「人間という時間から
離れたい」

「考えれば考えるほど
永遠から遠くなる」

「脳髄を破壊して
永遠の中へ溶けこむ他ない」

「町で聞く人間の会話
雑草の影が写る石
魚のおもみ」

「つまらない存在に
無限の淋しさが
反映している」

「ああすべては歴史だ
歴史はくり返される
永遠には歴史がない」

「旅人のあとを
犬がふらふら
歩いている
夕陽は
シヤツをバラ色に
いろどる」

「また雲の研究を
やらなければならない
石をまた愛さなければ
ならなくなつた」

「ああまた石につまづく」



『宝石の眠り』より:

「イタリア紀行」:

「疲れた若い
労働者の夫婦が
窓のところへ椅子を
引き寄せて
トスカーナの野に沈む
太陽を
淋しそうに
見ていた

鉄道線路の近くに
ニレの樹の下に
藪の上を這つて
モメンヅルの花が
白く咲いていた

フィレンツェで
蘆笛をふいている
やせたパンの男根の神を
くず鉄で作つた
人形と
紺色の蔓草を描いた
灰皿と
ウフィツィーのヴィーナスの
スライドと
海水浴へ行くのに
都合のよい
藁で作つた
籠を
買つた

突然
真夏が
フィオゾレの山々へやつて来た
うす水色のドレスを着た
サランドラ夫人は
すり鉢のような
麦藁帽子を
買つた」


「茄子」より:

「人間の生涯は
茄子のふくらみに写つている
すべての変化は
茄子から茄子へ移るだけだ
空間も時間もすべて
茄子の上に白く写るだけだ」

「われわれの神話は
茄子の皮の上を
横切る神々の
笑いだ」


「宝石の眠り」:

「永遠の
果てしない野に
夢みる
睡蓮よ
現在に
めざめるな
宝石の限りない
眠りのように」



『禮記』より:

「炎天」より:

「人間のことは
あの
考えたくない」

「あの――
記憶の億年の堆積の圧力から
やつとホウセンカの実に一杯
黒い種子がつまつてきて
旅人の袖にふれて
破裂する
夏が
破裂する
それから
また
あの――
…………
永遠に
どもり
たい」


「天国の夏」より:

「もう少し人間は滑稽にならなくてはならない
人間はもう少し喜劇的にならなくてはならない
人間はもう少し動物や土人の笑いに
もどらなければならない」


「梵」より:

「脳南下症は
永遠へ旅立つ美しい旅人だ」


「神々の黄昏」より:

「鳥はみな低所恐怖症にかかつている」


『壤歌』より:

「記憶の喪失は一つの
新しい記憶だ」

「バクチの原理は天命だ
一応勝たしておいて
人間をボクメツすることだ」

「なんと言つても人間だ
ヨクの皮はつつぱりだ」

「太陽がいる間は
無限の時間の中に
時間的な夏が来る」

「実際はポエトリを書いているうちは
本当のポエトでなく悪質のポエトだ
それをやめてからサンランたるポエトだ」

「言葉でかくとすべてのものを破壊する
坊主もお経をよんでいるうちは
知れているわ」

「黒い幕のうら側から
生存競争者のよくばりの声が
きこえてくるぼろぼろに!」

「ある輝しい晩のこと
世田谷のはずれにある
モナカ屋のおばあさんは
笑つてやつと言つた――
「人間なんざまるでばかみたいな
いきもので自分たちが宇宙人だと
いうことをまるで知つていないんだべ
この生ぐさい天体に巣を食つて
社会という新しい神の世界で
人間は自分たちの生存競争にすべての瞬間を
無意識に使つているんだよ
人間が住んでいるところは一つの
天体にすぎないがその天体は
宇宙に回転してのさばつている以上
人間は宇宙人だんべ……
わたしが『べ』言葉をぎこちなく
使うのはわたしらがまだ
太陽を拝んでいる部落の
宗教を表わしたかつたのさ
でも太陽系の宇宙は
どうして出来たのかどういう
自然現象として出来たのか
そういう自然の現象は
どういう存在の現象であるか
その目的があるのか
そういう思考はいくらつづけても
はてしがなくわしらの脳髄では
どうにも歯がたたないわ
いつもモナカをつくりながら
こんな思いをならべて
いくぶんのなぐさめにするだけ」

「天体的に考えると地球が
進歩しないと等しく人間も
進歩はしないが夢は
人間だけがみる高慢の夢だ
進歩といつても単に
回転するだけだそれもやがては
太陽とともに回転しなくなる
でも永遠は永遠にのこる」

「人間は本質的に人間でないものに
あこがれるのだろうか」

「地球のなつかしさというものが
おそろしく衰退している」

「このせせらぎよ末世のうらみを歌え
我が思考のつきるまで
さきを急ぐ旅人よ
くるものはくる
でもいそぐ」

「人間の思考はいつも
どこか遠い海から送られてくる
何か悲しい音調にひたされている
それは天体的宿命の音楽である
この宇宙的聞えない悲しみは
脳髄を蒼白にするのだ
そして水仙のように
生物の悲しみに香る
生物が繁殖しなければならないのは
自然の法則にすぎないあきらめよ」

「天国へのぼるには引力に反対しな
ければならないがおそらく人間が
地獄へ落ちるには引力を利用すれば
地獄へ行くのは簡単だ」

「いずれにしても自然に帰ることを
初めて考えついたのは天体的よ
十八世紀になつてから初めて
桶屋が言つた
「田園は神がつくり都会は人間が作つた」
耕してたべることは神に仕えることだ
と言われてもバニヤンは耕したいが
耕す土地がないとなげいていた」

「こんなのどかな日には
ズダブクロに小石をひろつて
歩く先生が現われるはずだ
ああ来た来た!
地面をみつめながら
こしをかがめて歩いてくる
電信柱にぶつかつて
「やあ失敬」――
石の遺伝の研究者だ
土壌をうつて歌う
悲しみの神秘だ
地上の最大な逸楽だ
なにしろ植物や鉱物や動物の色香は
その中に億万年の哀れさがある」

「すべて古いものの哀れさには
無常のはてしない永遠への
あこがれがひそんでいる
だが摘草の女は
タンポポの根のように笑つた
アイアイ!」

「ああ役人の欲望の世界から
にげ出して田園にもどつた時は
春のめぐりの傾斜の角度だつた」

「こんなことでいいのでしようか
いいわよこれは古代人が
神を祭る方法で儀式なんだわ
脳髄を「いけにへ」にするのさ」

「もう帰るところはない
そう思うのは天体的だ
またもう行くところもない
でもどこかへ行かなければならない
それは放浪にすぎない
すぎないけれども放浪しなければ
ならない無限の永遠へ
むかつて放浪しなければならない
死も一つの放浪である」

「また夏は夏へ回転してもどつた
これも天体的な宿命だから
あきらめなければならない
古代人が祭るということは「いけにへ」を
ささげることだが最高のそれは
人間を血まつりにすることだ」

「聖人は人間に親切でない
聖人の心は天地の心であるからだ」

「いままで考えてきたことは
すべてすてなければならない
脳髄は単にカボチャの内面に
等しいものにしなければならない」

「草いきれをかぐと
生命は永遠に祝福される」

「なにしろ昔のお百姓さんは
人間の憂欝をまき散らして
ムギやナスやカボチャや西瓜を
育てたものだオーーエーー
しかし昔の野原はそれだけ
生物的意識にフンプンとしていた
それだけ天体的宿命を深く
感じていた
機械化したり化学化したりする
ことは生物的意識がそれだけ
減退しついには滅亡するだろう」

「これら乞食をよそおつた相客の
人々はみな生物の生存競争の
世界からはるかにリダツしている」

「いつも野原の夢だ
どんなに考えても
永遠から遠いものだ
考えれば考えるほど
遠くなるばかりだ
果てしのない夢だ
永遠を思うことさえ夢だ」

「セミの鳴く音は夢の音だ
カボチャの色は夢の色にすぎない
カボチャの肉体も夢の肉体にすぎない」

「永遠は夢のはてしないひろがりだ」

「すべての存在の尖端は
夢としてとがつて美しくかがやく
すべての存在は夢に向つてあこがれる
だからすべての思考は夢におわる」

「もちろん聖人の一人は
国を憂えさめざめと泣いた」

「他の聖人たちもみな袖をぬらした
ふるえる手には
残りの酒も空しくこぼれ
哀愁は永遠のかなたより
流れてきてみなぎりあふれ
のぞいてみる底のさびしさ
なんとそこ知れないあわれだろう」




こちらもご参照下さい:
西脇順三郎 『壤歌』
西脇順三郎 『詩集 宝石の眠り』




























































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うまれたときからひとでなし
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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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