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『定本 西脇順三郎全集 I 詩集 1』 

「旅から旅へもどる
土から土へもどる
この壺をこはせば
永劫のかけらとなる」

(西脇順三郎 「旅人かへらず」 より)

「人間は土の上に生れて、その上で生活して、また土へ戻って行く。どうにもならない人生。ここに一つの土のかめがある。このかめの存在のもとは何か。それは土である。それがかめのどうにもならない、いたましい現実である。」
(西脇順三郎 「現代詩の意義」 より)


『定本 西脇順三郎全集 I 詩集 1』 
Ambarvalia あむばるわりあ 旅人かへらず 近代の寓話 
トリトンの噴水 ANDROMEDA

筑摩書房 1993年12月10日初版第1刷発行
xvii 586p 口絵i
A5判 丸背紙装上製本 貼函
定価8,400円(本体8,155円)

月報: 
1993年12月 8p
百年早くこの世に生まれた詩人(工藤美代子)/定本全集の刊行に際して(新倉俊一)/図版2点(戦中一時疎開していた鎌倉の家/「旅人かへらず」の詩稿より)



本書「後記」より:

「本巻に収めた(中略)各詩集は、すべて初版本を底本とした。」
「『あむばるわりあ』と『ANDROMEDA』の二詩集は、それぞれ『Ambarvalia』と『トリトンの噴水』の改作詩集であり、その内容の随所に著るしい変化、変更、訂正などがあるために、本全集では並録する措置をとった。」
「旧漢字表記はすべて新漢字表記に改めた。ただし仮名は旧表記に従った。」
「なお椎の木社版『Ambarvalia』には挿図として「カリマコス」「Catullus」「La Table」「蛇つかひ」の写真四葉が収録されているが、本巻ではすべて割愛した。」



西脇順三郎全集1-1


目次:

Ambarvalia (昭和8年 椎の木社)
 LE MONDE ANCIEN
   コリコスの歌
  ギリシア的抒情詩
   天気
   カプリの牧人
   雨
   菫
   太陽
   手
   眼
   皿
   栗の葉
   ガラス杯
   カリマコスの頭と Voyage Pittoresque
  拉典哀歌
   Catullus
   Ambarvalia
   ヴィーナス祭の前晩
   哀歌
  LE MONDE MODERNE
   馥郁タル火夫
   紙芝居 Shylockiade
   恋歌
   失楽園
    世界開闢説
    内面的に深き日記
    林檎と蛇
    風のバラ
    薔薇物語
    五月
    旅人
    コップの原始性
    理髪
    セーロン
    歯医者
    ホメロスを読む男
  
あむばるわりあ (昭和22年 東京出版)
 LE MONDE ANCIEN
 毒李
   天気
   カプリの牧人
   雨
   菫
   太陽
   手
   眼
   皿
   栗の葉
   コップ
   カリマコスの頭と VOYAGE PITTORESQUE
 あむばるわりあ
   罌子粟(けしのはな)
   AMBARVALIA (穀物祭)
   ヴィーナスの宵祭
   哀歌
 LE MONDE MODERNE
  透影
   馥郁たる火夫 (生命の破裂)
   幻像と明暗の世界
   あとの日の物語
   恋歌
   春
  廃園の情
   独活(うど)の影
   内面の日記
   林檎と蛇
  旅
   巻雲(まきぐも)
   肩車
 詩情 (あとがき)

旅人かへらず (昭和22年 東京出版)
 はしがき 幻影の人と女
 一 旅人は待てよ
 二 窓に
 三 自然の世の淋しき
 四 かたい庭
 五 やぶがらし
 六 梅の樹脂
 七 りんどうの咲く家の
 八 あのささやき
 九 十二月になつてしまつた
 一〇 十二月の末頃
 一一 ばらといふ字はどうしても
 一二 浮草(うきくさ)に
 一三 梨の花が散る時分
 一四 暮れるともなく暮れる
 一五 行く道のかすかなる
 一六 ひすいの情念
 一七 珊瑚の玉に
 一八 白妙の唐衣(からごろも)きる松が枝に
 一九 桜の夜は明けて
 二〇 藪に花が咲く頃
 二一 昔の日
 二二 あの頃桜狩りに
 二三 三寸程の土のパイプをくはえた
 二四 雨のしづくを含むはぼたん
 二五 「通つて来た田舎路は大分」
 二六 菫は
 二七 古のちぎり
 二八 学問もやれず
 二九 蒼白なるもの
 三〇 春には
 三一 犬のをかしく戯れる
 三二 落ちくぼむ岩
 三三 櫟(くぬぎ)のまがり立つ
 三四 思ひはふるへる
 三五 青いどんぐりの先が
 三六 はしばみの眼
 三七 暮るるともなき日の
 三八 窓に欅の枯葉が溜る頃
 三九 九月の始め
 四〇 窓口にたほれるやうに曲つた幹を
 四一 高等師範の先生と一緒に
 四二 のぼりとから調布の方へ
 四三 或る秋の午後
 四四 小平村を横ぎる街道
 四五 あけてある窓の淋しき
 四六 武蔵野を歩いてゐたあの頃
 四七 百草園の馬之助さんは
 四八 あの頃のこと
 四九 きりぎりすの声
 五〇 どんぐりの実のやさしき
 五一 青銅がほしい
 五二 炎天に花咲く
 五三 岩石の淋しさ
 五四 女郎花の咲く晩
 五五 くもの巣のはる藪をのぞく
 五六 楢の木の青いどんぐりの淋しさ
 五七 さいかちの花咲く小路に迷ふ
 五八 土の幻影
 五九 とびの鳴く
 六〇 女の笑ふ寝顔
 六一 九月の一日
 六二 心は乱れ
 六三 地獄の業をなす男の
 六四 坂道で雉の声をきく
 六五 よせから
 六六 野辺に出てみると
 六七 こほろぎも鳴きやみ
 六八 岩の上に曲つてゐる樹に
 六九 夕顔のうすみどりの
 七〇 都の街を歩いてゐた朝
 七一 河柳の葉に
 七二 昔法師の書いた本に
 七三 河原の砂地に幾千といふ
 七四 秋の日も昔のこと
 七五 誰が忘れて行つたのか
 七六 木のぼりして
 七七 むさし野を行く旅者(たびもの)よ
 七八 こま駅で夏の末
 七九 九月になると
 八〇 秋の日ひとり
 八一 昔の日の悲しき
 八二 鬼百合の咲く
 八三 雲の水に映る頃
 八四 耳に銀貨をはさみ
 八五 よもぎの藪に
 八六 腐つた橋のまがりに
 八七 古木のうつろに
 八八 女郎観音の唐画
 八九 竹が道にしたたる
 九〇 渡し場に
 九一 或る女がゴーガンの絵と
 九二 あの頃の秋の日
 九三 暗いはたごやの二階で
 九四 「失はれた浄土」は盲人の書いた地獄
 九五 ロココの女
 九六 春はまだ浅い
 九七 風は庭をめぐり
 九八 露にしめる
 九九 ゴブラン織の淋しさ
 一〇〇 垣根の
 一〇一 水色の葫蘆のさがる町
 一〇二 草の実の
 一〇三 庭の
 一〇四 八月の末にはもう
 一〇五 虫の鳴く声
 一〇六 さびれ行く穀物の上
 一〇七 なでしこの花の模様のついた
 一〇八 むくの実が坂に降る頃
 一〇九 ゐろりに
 一一〇 八月の末頃
 一一一 橡(つるばみ)に
 一一二 とき色の幻影
 一一三 あかのまんまの咲いてゐる
 一一四 くぬぎの葉二三枚
 一一五 西国の温泉にしようか
 一一六 旅につかれて
 一一七 雨の降る天をみながら
 一一八 偉大な小説には
 一一九 人間の声の中へ
 一二〇 色彩の世界の淋しき
 一二一 何事か想ふ
 一二二 十二月の初め 
 一二三 山の椿は
 一二四 影のない曼陀羅の
 一二五 向ふから
 一二六 或る日のこと
 一二七 恋人の暮色の中に
 一二八 何者かの投げた
 一二九 むらさき水晶
 一三〇 桃の木に彫む
 一三一 衣裳哲学こそ
 一三二 茶碗のまろき
 一三三 錦の織物
 一三四 榎の古木くちる
 一三五 花咲くいばらの垣根
 一三六 名の知れぬ石の幻像に
 一三七 秋のきりん草の中へ
 一三八 野に咲く
 一三九 しやくやくの咲く
 一四〇 秋の夜の悲しき手を
 一四一 野に摘む花に
 一四二 たそがれの色に
 一四三 何者か
 一四四 秋の日のよろめきに
 一四五 村の狂人まるはだかで
 一四六 茄子に穴をあけ
 一四七 庭の隅(すみ)人知れず
 一四八 風になびく金髪の少年
 一四九 夏の日には
 一五〇 斑猫の出る街道を
 一五一 折にふれ人知れず
 一五二 杉菜を摘む
 一五三 うららかな情念のまがり
 一五四 座敷の廊下を行くと
 一五五 何事をか語る
 一五六 ふところにパン粉を入れ
 一五七 旅に出る時は
 一五八 旅から旅へもどる
 一五九 山のくぼみに溜(たま)る木の実に
 一六〇 草の色
 一六一 秋の夜は
 一六二 秋の夜の雨
 一六三 世の中に奇蹟の現れをみるため
 一六四 めざめる夢をみる男の如く
 一六五 心の根の互にからまる
 一六六 若葉の里
 一六七 山から下り
 一六八 永劫の根に触れ

近代の寓話 (昭和28年 創元社)
 (序)
 近代の寓話
 キャサリン
 アン・ヴァロニカ
 冬の日
 秋
 秋の写真
 梅のにがさ
 南画の人間
 ☆ (マチスのデッサンに)
 桃の国
 無常
 冬の日
 梨
 山櫨の実
 人間の記念として
 磁器
 午後の訪問
 甲州街道を
 夏 (失われたりんぼくの実)
 山の酒
 アタランタのカリドン
 かなしみ
 粘土
 ナラ
 一月
 枇杷
 庭に菫が咲くのも
 道路
 五月
 冬の会話
 夏から秋へ
 詩
 地獄の旱魃
 フェト・シャンペエトル
 呼びとめられて
 草の葉 (鍛冶屋のために)
 夏の日
 花や毛虫
 燈台へ行く道
 山の暦 (イン・メモーリアム)
 イフィヂェネアの剥脱
 生命の祭祀
 野の会話
 留守
 プロサラミヨン
 たおやめ
 かざり
 紀行
 修辞学
 自然詩人ドルベンの悲しみ
 体裁のいゝ景色 (人間時代の遺留品)
 ESTHETIQUE FORAINE

トリトンの噴水 (昭和5年 天人社 『シュルレアリスム文学論』 所収)

ANDROMEDA (昭和30年 トリトン社)

後記 (鍵谷幸信・新倉俊一)



西脇順三郎全集1-2

口絵 (1933年)。



◆本書より◆


『Ambarvalia』より:

「太陽」:

「カルモヂインの田舎は大理石の産地で
其処で私は夏をすごしたことがあつた。
ヒバリもゐないし、蛇も出ない。
ただ青いスモゝの藪から太陽が出て
またスモゝの藪へ沈む。
少年は小川でドルフィンを捉へて笑つた。」


「眼」:

「白い波が頭へとびかゝつてくる七月に
南方の奇麗な町をすぎる。
静かな庭が旅人のために眠つてゐる。
薔薇に砂に水
薔薇に霞む心
石に刻まれた髪
石に刻まれた音
石に刻まれた眼は永遠に開く。」


「紙芝居 Shylockiade」より:

「我が言語はドーリアンの語でもないアルタイの言
である、そのまたスタイルは文語体と口語体と
を混じたトリカブトの毒草の如きものである。
学校の作文よ、にげよ」


「世界開闢説」より:

「百合の咲く都市も遠く
たゞ鏡の前で眼をとづ」


「旅人」:

「汝カンシヤクもちの旅人よ
汝の糞は流れて、ヒベルニヤの海
北海、アトランチス、地中海を汚した
汝は汝の村へ帰れ
郷里の崖を祝福せよ
その裸の土は汝の夜明だ
あけびの実は汝の霊魂の如く
夏中ぶらさがつてゐる」



『あむばるわりあ』より:

「詩情 (あとがき)」より:

「人間の生命の目的は他の動物や植物と同じく生殖して繁殖する盲目的な無情な運命を示す。
人間は土の上で生命を得て土の上で死ぬ「もの」である。だが人間には永遠といふ淋しい気持の無限の世界を感じる力がある。
このいたましい淋しい人間の現実に立つて詩の世界をつくらないと、その詩が単なる思想であり、空虚になる。」

「この詩を今読んでみると自分の心境が移りかはつたことがわかる。それで再版に際して、残念ながら、その荒々しい言葉使ひ、その乱暴にも不明にされてゐる点を訂正するのであつた。」



『旅人かへらず』より:

「はしがき」より:

「自分を分解してみると、自分の中には、理知の世界、情念の世界、感覚の世界、肉体の世界がある。これ等は大体理知の世界と自然の世界の二つに分けられる。
次に自分の中に種々の人間がひそんでゐる。先づ近代人と原始人がゐる。」
「ところが自分の中にもう一人の人間がひそむ。これは生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決の出来ない割り切れない人間がゐる。
これを自分は「幻影の人」と呼びまた永劫の旅人とも考へる。
この「幻影の人」は自分の或る瞬間に来てまた去つて行く。この人間は「原始人」以前の人間の奇蹟的に残つてゐる追憶であらう。永劫の世界により近い人間の思ひ出であらう。
永劫といふ言葉を使ふ自分の意味は、従来の如く無とか消滅に反対する憧憬でなく、寧ろ必然的に無とか消滅を認める永遠の思念を意味する。
路ばたに結ぶ草の実に無限な思ひ出の如きものを感じさせるものは、自分の中にひそむこの「幻影の人」のしわざと思はれる。
次に自分の中にある自然界の方面では女と男の人間がゐる。自然界としての人間の存在の目的は人間の種の存続である。随つてめしべは女であり、種を育てる果実も女であるから、この意味で人間の自然界では女が中心であるべきである。男は単にをしべであり、蜂であり、恋風にすぎない。この意味での女は「幻影の人」に男よりも近い関係を示してゐる。
これ等の説は「超人」や「女の機関説」に正反対なものとなる。
この詩集はさうした「幻影の人」、さうした女の立場から集めた生命の記録である。」


「一」:

「旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れない
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊びに来る
浮雲の影に水草ののびる頃」


「四二」より:

「むさし野に秋が来ると
雑木林は恋人の幽霊の音がする」


「九七」:

「風は庭をめぐり
黄色いまがつた梨を
ゆすり
小さい窓からはいつて
燈火を消すことがあつた」


「一四五」:

「村の狂人まるはだかで
女郎花と蟋蟀をほほばる」


「一四七」より:

「男は女の影にすぎない
土は永遠を夢みる」

「心のかげりは
野辺のかげり」


「一六八」:

「永劫の根に触れ
心の鶉の鳴く
野ばらの乱れ咲く野末
砧の音する村
樵路の横ぎる里
白壁のくづるる町を過ぎ
路傍の寺に立寄り
曼陀羅の織物を拝み
枯れ枝の山のくづれを越え
水茎の長く映る渡しをわたり
草の実のさがる藪を通り
幻影の人は去る
永劫の旅人は帰らず」



『近代の寓話』より:

序より:

「詩の世界は通常の見地からみると矛盾(absurd)の世界である。しかしその矛盾は或る転換された世界からみると矛盾でなくなる。」
「私の考えでは一つの作品は与えられた瞬間に於ては唯一の形容をもつているが、それは常に変化して行くべきところを知らないのであつて、決して定まるところが無いのだと思う。私の詩などは現代の画家と同じく永久に訂正しつゞけるのであつて、それは画人も詩人も同じことだ。一つの詩の存在は遂に無になるまで変化しつゞけるのである。」
「ここに出ている詩は勿論一時停止されている形にすぎない。しかしこの停止されているそれ等の形を取るまでに二十ペン以上も皆書きかえられているのであつて、元の形のあとかたもないのである。ピカソやマティスのように若し写真を次から次へと取つて残してみると面白いものだと思う。」


「近代の寓話」より:

「四月の末の寓話は線的なものだ
半島には青銅色の麦とキャラ色の油菜
たおやめの衣のようにさびれていた
考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない」


「キャサリン」より:

「杏子色の夕焼け
露のような女は
山猫のような影になる
春から夏へ夏から秋へ
このコンクリートの路の上で
人間は恐ろしくしやべつていた。
夢みる夢も絶え生命は徒らに
孤独だ」


「アン・ヴァロニカ」:

「男と一緒に――
その男は生物学の教授――
アルプスへかけおちする前
の一週、女は故郷の家にひそかな
離別の気持を味うので来ていた。
昔の通りの庭でその秘密をかくして
恋心に唇をとがらしていた。
鬼百合の花をしやぶつてみた。
「壁のところで子供の時

地蜂
おやじ
の怒りにもかゝわらず
梅の実をぬすんでたべたこともあつたわ。」
この女にその村であつた
村の宿屋でスグリ酒と蟹をたべながら
紅玉のようなランポスの光の中で
髪を細い指でかきあげながら話をした
「肉体も草花もあたしには同じだわ」」


「秋 II」:

「タイフーンの吹いている朝
近所の店へ行つて
あの黄色い外国製の鉛筆を買つた
扇のように軽い鉛筆だ
あのやわらかい木
けずつた木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
門をとじて思うのだ
明朝はもう秋だ」


「秋の写真」より:

「十一月の初めに
歩く朝の孤独のために
この一生のたくらみを
記するだけのことだ。」


「無常」より:

「バルコニーの手すりによりかかる
この悲しい歴史
水仙の咲くこの目黒の山
笹やぶの生えた赤土のくずれ。
この真白い斜塔から眺めるのだ
枯れ果てた庭園の芝生のプールの中に
蓮華のような夕陽が濡れている。」


◆参考◆ 石川啄木『一握の砂』より:

「盛岡(もりをか)の中学校の
露台(バルコン)の
欄干(てすり)に最一度(もいちど)我を倚(よ)らしめ」

「山櫨の実」より:

「なぜ私はダンテを読みながら
深沢に住む人々の生垣を
徘徊しなければならないのか
追放された魂のように。」

「梨色になるイバラの実も
山櫨の実もあれ程 Romantique なものはない。
これほど夢のような現実はない。
これほど人間から遠いものはない。
人間でないものを愛する人間の
秋の髪をかすかに吹きあげる風は
音もなく流れて去つてしまう。」


「午後の訪問」より:

「絶望の人は路ばたにころがる石の
あどけなさに、生垣のどうだんの木に
極みない情(なさけ)をおぼえる。」


「一月」:

「坊主の季節が来た
水仙の香りを発見したのは
どこの坊主か。
美しいものは裸の女神よりも
裸の樹の曲り方だ。
黒い土に結ぶ水晶と根の季節だ。
黄色い竹薮から手を出して
つる草の実の宝石を取る男がいる。
こわれた竪琴のような樫の木が
一本みどりの髪をたらしている。
淋しい春を奏でる蜂も女もいない
まだ人間は野ばらの中に
しやがんで考えているのだ。」


「五月」より:

「ふじ色の夕暮
遠くに雨が降つて来た
永遠と女神しかいない世界に
こわれた便器が砂から手を出している」


「夏から秋へ」より:

「人間の自己の中をいくらさがしても
永遠はない
人間の終るところに永劫が始まる
ただこおろぎの音に生命の実存がある
われこおろぎがきこえる故にわれあり」


「フェト・シャンペエトル」より:

「くぬぎの木によりかゝつて考える時
初めて生存の根は深いのだ。
見えない世界にみみかたむけて
クワイの沈む水にも
みそさざいらしいものにも話が出来るのだ。」


「草の葉」より:

「『お前のふところにある「あまり人間的な人間的」といつた男はまちがつている。永遠の中にしばらく戻れ。まだ哲学のない時へ。人間の旅はそれ自身の中に始まり終るものだ。人間の目的は存在の目的は生命のみ、生命をつゞけることだ。女は人間の存在それ自身だ。男はただそれを助けるのみに存在の可能性があるのみだ。男は女の生命の儀式を助けるのみだ』」


「トリトンの噴水」より:

「詩には絶対的に価値があるものでない。価値なる観念はあまりにつまらないあまりに先天的な意識にすぎない。絶対的に価値のなき詩を作るの隋こそペトラルカの頭より無限に大なる花輪をかけてやるべきものである。あらゆる意識を破り早くこの価値なき睡眠状態に落ち入れよ。睡眠は最大な芸術である。」

「生命も死も亦明瞭なる世界にすぎない。ポエジイの仕事は此の生命と死との明瞭なる世界の中で意識の創世紀以前の渾沌たる意識の不明瞭なる世界の夢を後天的に作る方法である。」











































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

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尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル、尾形亀之助、森田童子。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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