『吉田健一著作集 V 酒宴/作法無作法』

「一口に言へば、文化といふのは苦勞しないと言ふことに盡きる。」
(吉田健一 「文化といふもの」 より)


『吉田健一著作集 V 
酒宴/作法無作法』


監修: 石川淳・河上徹太郎・中村光夫
編輯委員: 篠田一士・清水徹・丸谷才一

集英社 昭和53年9月25日第1刷印刷/同年10月4日発行
315p 四六判 丸背布装上製本 貼函 定価2,000円
装幀: 栃折久美子
本文正字・正かな

月報 8p
『批評』に触れて(伊藤信吉)/「文学界」出張校正室(式場俊三)



清水徹による「解題」より:

「この第五巻では、第四巻に収録の随筆集『甘酸つぱい味』につづく単行本が収録対象となる。ただし、そのすぐあと、昭和三十二年十月初版刊行の(中略)『近代文學論』(垂水書房)は、のちに(中略)解体増補されて『英國の近代文學』および『近代詩について』の二冊の単行本のかたちを取るにいたった。」
「したがって、初版刊行の日付で『近代文學論』につづく『酒宴』および『作法無作法』のふたつを、それぞれ垂水書房版『吉田健一著作集』における刊行形態を底本として(中略)収録した。」


短篇小説集『酒宴』の初版は昭和32年11月東京創元社刊。
随筆集『作法無作法』の初版は昭和33年2月宝文館刊。垂水書房版とは収録内容の異同がある。


吉田健一著作集5


目次:

酒宴
 逃げる話 (「群像」 昭和32年10月号)
 マクナマス氏行状記 (「オール読物」 昭和32年11月号)
 夏は暑い (初出未詳)
 アドニスとナスビ (初出未詳)
 マツチ賣りの少女 (「文学界」 昭和32年3月号)
 沼 (「群像」 昭和32年3月号)
 百鬼の會 (「文学界」 昭和30年8月号/『酒に呑まれた頭』初収)
 酒宴 (「文芸」 昭和30年2月号)
 ロツホ・ネスの怪物 (「あるびよん」 昭和30年5月号/『酒に呑まれた頭』初収)
 國籍がない大使の話 (「新潮」 昭和28年12月号/『酒に呑まれた頭』初収)
 春の野原 (原題「小説のゆくえ」/「新潮」 昭和29年1月号/『でたらめろん』初収)

作法無作法
 酒
 飲み方
 食べ方
 付き合ひ
 知つてゐる人に會つた時
 知らない人に會つた時
 訪問
 挨拶
 本
 汽車の乘り方
 怪談の聞き方
 猥談の聞き方 (以上 「オール読物」 昭和32年1月~12月号に連載)
 しなとポオズと演技 (「演劇」 昭和26年7月号)
 わが人生處法 (原題「このエピキュリアンを見よ」/「文学界」 昭和29年5月号)
 酒を道連れに旅をした話 (原題「關西旅行の斷片」/「旅」 昭和26年4月号)
 旅の道連れは金に限るといふ話 (「文芸春秋冬の増刊 炉辺読本」 昭和26年12月号)
 酒は旅の代用にならないといふ話 (「旅」 昭和27年9月号)
 旅と食べもの (「あまカラ」 昭和28年7月号) (以上六篇は『でたらめろん』初収)
 羽越瓶子行 (「旅」 昭和30年9月号/『酒に呑まれた頭』初収)
 一夜漬けの新年 (「図書新聞」 昭和29年1月1日号/『でたらめろん』初収)
 お芽出たい幻想 (「オール読物」 昭和30年2月号
 屠蘇が飲めるまで (初出未詳)
 忙中の閑 (初出未詳/『文学あちらこちら』初収)
 のんきな話 (初出未詳/『文学あちらこちら』初収)
 日本文學の海外紹介の問題 (「ユース・コンパニオン」 昭和32年11月号/『随筆英語上達法』初収)
 文化といふもの (初出未詳/『酒に呑まれた頭』初収)
 「陽氣なドン・カミロ」 (初出未詳/『文学あちらこちら』初収)
 批評は衰へつつあるか (初出未詳/『文学あちらこちら』初収)
 藝術の實状 (初出未詳/『文学あちらこちら』初収)

解題 (清水徹)




◆本書より◆


「酒宴」より:

「本當を言ふと、酒飲みといふのはいつまでも酒が飲んでゐたいものなので、終電の時間だから止めるとか、原稿を書かなければならないから止めるなどといふのは決して本心ではない。理想は、朝から飲み始めて翌朝まで飲み續けることなのだ、といふのが常識で、自分の生活の營みを含めた世界の動きはその間どうなるかと心配するものがあるならば、世界の動きだの生活の營みはその間止つてゐればいいのである。庭の石が朝日を浴びてゐるのを眺めて飲み、それが眞晝の太陽に變つて少し縁側から中に入つて暑さを避け、やがて日がかげつて庭が夕方の色の中に沈み、月が出て、再び縁側に戻つて月に照らされた庭に向つて飲み、さうかうしてゐるうちに、盃を上げた拍子に空が白み掛つてゐるのに氣付き、又庭の石が朝日を浴びる時が來て、「夜になつたり、朝になつたり、忙しいもんだね、」と相手に言ふのが、酒を飲むといふことであるのを酒飲みは皆忘れ兼ねてゐる。」

「普通に考へれば錯覺でなければならないことが眼の前で起るといふのは、如何にも奇妙な氣持がするものである。併し理性にとつての最後の據點は感覺であつて、理性と感覺が一致しない場合は我々が我々の感覺に從ふことは、夢を見てゐる時の我々の心理状態からも解る。」



「ロツホ・ネスの怪物」より:

「キングスミル氏はちよつと變つた人で、ロンドンではよく動物園の蛇を見に行くと言つてゐた。爬蟲類の家と呼ばれてゐる建物とは別に、蛇の家といふのがあつて、ここにありとあらゆる種類の蛇が飼つてある。猛毒を持つてゐる五、六寸のものから、どこから始つてどこで終つてゐるのか解らない、何丈もある錦蛇までゐて、さういふ何百種類といふ蛇がガラス張りの箱の中を這ひ廻つたり、紫外線を浴びて晝寝をしたりしてゐるのを、キングスミル氏は飽きずに眺めて時間を過すのだといふのである。それで、さういふ趣味があるのでロツホ・ネスの怪物のことも、勿論知つてゐた。」

「鯨とか、鋸鯨とか、學術的な名前がまだ付いてゐない大きな動物は凡て存在しないと考へる根據がどこにあるかともキングスミル氏は言つた。そしてこれこそ、筆者自身が所謂、怪物といふものに就て前から持つてゐた意見なのである。」



※「生き殘り」(『頭の洗濯』所収)より:

「動物學では新種、殊に或る大きさ以上の動物の新種はなるべく認めないのが建前なのださうで、これはキュヴィエといふ動物の分類學の元祖が十九世紀の初めに、これ以後は動物の新種はもう餘り發見されないだらうと言つた爲だといふことである。(中略)兎に角、キュヴィエの遺訓も忠實に守られてゐるやうで、それで例へば、あのシイラカンスといふ魚が發見された時も一騒ぎがあつた。」


「本」より:

「昔、學者の家などでは、本を疊の上に置いたりしたら叱られたものだつた。併し本の内容は兎も角、本そのものは紙、布、印刷インク、糊その他で出來てゐる物質である。本の扱ひ方も、先づそこから出發しなければならない。
從つて本を寝轉んで讀むのは、それだけ體力を讀むことに集中して樂むなり、教へられるなりすることになるのだから構はないが、本を日向にはふり出して置くのは本に對して氣の毒である。これは本の表紙や、ひどい時には本文の紙までが日光に當つてそつくり返り、もとの形に戻らない場合も生じるからである。それから飴、チョコレエト、鼻血等が付いた手でペエジをめくるのも駄目、これは説明するまでもないことだが、鼻血その他でペエジとペエジがくつ付き、それを引き剥して片方のペエジの一部が反對側のペエジに貼り付いたままになつてゐるのは、見るも無慚な感じがする。尤も、小林秀雄氏はその昔、髪の毛をむしりながら本を讀み、ペエジに髪の毛とふけが落ちてゐるのを、そこの所を精讀した印にしたさうで、それはそれなりに本に對して敬意を表したものと解釋していい。讀まないでゐるのが、本に對する最大の侮辱とも考へられる。
それで思ひ出したが、或る英國人の亭主が應接間の飾り棚に竝んだ英國現代文學全集風の本の列を指差し、これだけの文化的な資産があるのに、我々は何もしないではないかと言つたのに女房が抗議して、ちやんと棚から降してはたきを掛けてゐますと答へる場面を、誰かの小説で讀んだことがある。(中略)良田を何とかしても、かんとかなりとかいふ支那の諺があるが、いい本を讀まないながらも大事にすることは、何れは誰かが讀む爲に殘して置くことになるといふ意味で、決して惡いことではない。諺にあるやうな、子孫に殘す積りでゐても、子孫に渡らないかも知れないなどといふ考へは、随分けちなものである。誰かが讀めば、それでいいのではないか。」



「わが人生處法」より:

「いつだつたか、批評家の座談會か何かがあつた時に、筆者のやうにものを知らなくて、見てゐてはらはらする人間がどうしてやつて行けるのだらうといふ話が出た。誰がさう言つたのか、誰がさう言つたにしてもこれは本當で、筆者の經驗によれば、ものを知らなくて一番困るのは人に迷惑を掛けることである。併しその爲にももう少しものを知らなくてはならないと思ふのは、必ずしも當つてゐない。そのうちに、ものを知らないのは前と同じで、かうすれば人が迷惑するといふことだけは解るやうになり、それが解れば、時にはわざと人が迷惑することをして知らん顔をしてゐることも出來る。つまり、人が迷惑するしないは別問題なので、その爲にだけものを知らうとするのなら、知つただけ無駄であることも知つて置いた方がいい。」
「偉くならうと思ふのなら勿論のこと、ただの一人前の人間にならうとするのにも、このことで人生の初めに一つの決心を強ひられることになる。鴎外は、常識なきを恐れず、學識なきを憂へると言つた。(中略)大事なのはここに見られる心構へである。」
「例へば、ギリシヤ語の構造に精通することは、ものを知ること(引用者注: 常識を身につけること)とは關係がない。だから安心して精通すればよささうなものであるが、實はそれからが大變なので、さうなると、常識程、役に立たないだけでなくて、あるだけ邪魔になるものはない。
その時は、ものを知るなどといふことは氣にかけないで、存分に苦勞することである。そのうちに年月がたつて行き、これでは一生ものを知る稽古が出來ないのではないかなどと心配する必要はない。ものは知らなくても、ギリシヤ語の大家になればいいではないか。(中略)そして二年ですむことでも、一生掛ることでも、それをあやふやにすませてはならない。すませても構はないが、それならそれで出來損ひの人間になることを覺悟すべきである。
勿論、ものを知ることで立たうと思ふのなら、なるべく早くその勉強を始めた方がいい。併しどうも自分の經驗では、ものを知る知らないはさういふ二つの人間の型なので、努力の問題ではないといふことが解つてから、大分荷が輕くなつた。」



「忙中の閑」より:

「人間は仕事が出來る間が花だ、と言ふが、寧ろ、したい仕事を、皆してしまつて、天氣なら天氣で日向ぼつこをし、雨が降つてゐれば小料理屋の隅で雨の音に耳を澄ますとか、家に閉ぢ籠つて讀書に耽るとかする境涯こそ、人生の花と呼んでいい時期なのではないだらうか。」



◆本巻月報より◆


式場俊三「「文学界」出張校正室」より:

「あるとき食堂で、(中略)健一さんが前夜「はせ川」という飲屋で、はじめて酔っぱらった中原中也さんにあって、とてもこわかったという話をした。それについてはこっちの方が先輩なので、「中也さんが酔っぱらったら、目をそらしちゃだめなんだ、だまって顔をみていると、むこうの方でそっぽをむく」というと健一さんが「そんなの、つらいな」といいかけてギョッとした顔になった。おかま帽をかぶった中也さんが、ほんとに入ってきたのである。「なんにする」ときくと、ウインドウをのぞいてきめてきたらしく、言下に「栗のフクマセ」とおかしなものを注文した。砂糖水のなかにむき身の栗が泳いでいるのを、黙って楊子でつきさしながら食べていた中也さんが、着物のふところから封筒に入った原稿をだすと「これ」といってテーブルの下の私の膝の上において、そのまま出ていった。
ふつう「文学界」の原稿依頼は、同人会議できめられて、それをもとに私が走りまわっていたわけだが、同人が発表したい時はいつでも書けるわけで、同人以外でも中也さん、中村光夫さん、大岡昇平さんなどがフリー・パスだったはずである。それなのになんでこそこそしているんだろうと思って原稿をひろげてみると「大岡昇平に与ふ」という詩稿で、いまは内容も忘れてしまったが、憎しみと悲しみの重なりあったギラギラしたもので、後に発表された同題の詩とは大分違っていたように思う。昇平さんも中也さんも当時の私には大事な人だったので、始末に困って秀雄さん(引用者注: 小林秀雄)に相談すると「俺があずかる」といってもっていってしまった。その後秀雄さんと中也さんの間にどういう話合いがついたのか私は知らない、とにかくその詩稿は闇に消えてしまった。」



※吉田健一「中原中也」(『日本の現代文學』所収)より:

「私が中原中也に會つたのは一度だけだつた。出雲橋際の「はせ川」で何人か集つて飲んでゐる時、彼が不意に入つて來て私達の卓子に腰掛けた。當時氏の錯亂振りが頻りに傳へられてゐて、氏と向ひ合つて腰掛けてゐる私は何か氣が氣ではない思ひだつた。氏は誰かを掴まへて言つた。
「君はいい顔をしてゐる。僕は本當はさういふ顔が好きなんだ、steinlich な。――本當は。」
それからドオデを讀んでゐることに就て言つた、
「あれはいい、確かに南方(ミディ)といふものはあるがね。どうだい、どうでえ、と言ふやうなもんだ。」
氏は又河上氏に向つて河上氏が最近書いた評論がつまらないと言つて、
「あれぢや何か一元と、一元と、一元と、一元と、といふやうなもんで、」と文句を付けた。
それは聞いてゐると、頭に浮んで來ることを一貫したその場での話にするのがもう面倒臭いといふやうな話し振りだつた。
詩人は丸ビルの前の廣場に立つて中から出て來る人群を眺め、
 ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
と呟いた。それは最早呟くやうにしか詩が書けなくなつた詩人の、それ故に獨り言もそのまま詩になるといふ風な呟きだつた。」












































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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