『吉田健一著作集 VIII 日本の現代文學/頭の洗濯』

「海は陸の倍を越す面積に亙つて、そこにゐるものをそこで生活させてゐる。何がゐるのか、そのほんの一部しか我々には知られてゐない。どんな眺めが他のどんな眺めに場所によつて變るのか、我々は想像するばかりである。」
(吉田健一 「海」 より)


『吉田健一著作集 VIII 
日本の現代文學/頭の洗濯』


監修: 石川淳・河上徹太郎・中村光夫
編輯委員: 篠田一士・清水徹・丸谷才一

集英社 昭和54年4月205日第1刷印刷/同年5月4日発行
318p 四六判 丸背布装上製本 貼函 定価2,000円
装幀: 栃折久美子
本文正字・正かな



『日本の現代文學』初版は昭和35年3月雪華社より刊行され、のち垂水書房版著作集第十四巻(昭和36年12月刊)および『ポエティカ』第二巻(小澤書店、昭和49年11月刊)にそれぞれ収録内容を変更して収められた。本書では収録内容は『ポエティカ』に従い、本文は垂水書房版著作集を底本としている。
『頭の洗濯』は昭和34年9月から11月まで「熊本日々新聞」に連載、初版は昭和35年6月文藝春秋新社刊。底本は原書房版『吉田健一全集』第五巻(昭和43年11月刊)。


吉田健一著作集8


目次:

日本の現代文學
 森鴎外 (原題「鴎外の史傳」/「批評」 第57号 昭和21年8月)
 夏目漱石 (原題「漱石の方法論」/『近代文學鑑賞講座5 夏目漱石』 角川書店 昭和33年8月)
 志賀直哉 (原題「志賀直哉氏が小説の神樣である理由について」/「文藝臨時増刊 志賀直哉讀本」 昭和30年12月)
 石川淳 (原題「石川淳論」/『新選現代日本文學全集2 石川淳集』 筑摩書房 昭和34年5月)
 梶井基次郎 (原題「梶井基次郎と近代の倦怠」/『近代文學鑑賞講座18 中島敦・梶井基次郎』 角川書店 昭和34年12月)
 小林秀雄 (原題「解説」/『小林秀雄文庫』 中央公論社 全五巻 昭和29年2月~昭和30年2月)
 河上徹太郎 (原題「解説」/『昭和文學全集13 小林秀雄・河上徹太郎集』 角川書店 昭和28年5月)
 眞船豐 (原題「眞船豐論」/『現代日本文學全集50 眞船豐・三好十郎・久保榮・木下順二集』 筑摩書房 昭和31年9月)
 堀辰雄 (原題「堀辰雄の現代的意味」/『近代文學鑑賞講座十四 堀辰雄』 角川書店 昭和33年10月)
 永井龍男 (原題「解説」/永井龍男短篇集『菜の花』 池田書店 昭和26年12月)
 中原中也 (原題「中原中也論」/「文藝」 昭和23年2月号)
 大岡昇平 (原題「解説」/『新選現代日本文學全集22 大岡昇平集』 筑摩書房 昭和35年6月)
 井上靖 (原題「井上靖論」/『現代日本文學全集81 永井龍男・井上友一郎・井上靖・織田作之助集』 筑摩書房 昭和31年12月)

頭の洗濯
 初めに一言
 洗つて染める
 自戒
 旅行
 道連れ
 家に戻る
 人の振り
 緊張
 下心
 言葉
 五感
 出來事
 記憶
 歴史
 生活
 逸話
 逸話、又
 歴史に就て、又
 革命
 現状
 刹那主義
 無題
 過失
 論語讀み
 政治
 抗議
 專門
 もの好き
 馴れ
 爪を隱す
 空白
 力學
 休息
 立場
 高説
 おらが國
 昔話
 故郷
 旅行記
 人間
 科學
 專門、又
 遊び
 人込み
 自我
 我に返る
 囘復期
 國際人
 やり切れない話
 生き殘り
 窮屈
 笑ひ草
 漫畫
 愚民
 暗君
 地理
 見學
 文明
 進歩
 戰後
 占ひ
 歸去來
 奢り
 世界
 國際人、又
 豫備知識
 區別
 ドイツ
 日本
 古い
 廣い
 文明、又
 交流
 鎖國
 蠻族
 胡人
 中共
 幻影
 殘光
 史眼
 閑居
 驅け引き
 からくり
 國事
 曲解
 就職
 國力
 腰掛け
 抗毒素
 住宅
 質素
 情緒
 仕來り
 世間
 女
 海
 音樂
 お囃子
 月夜
 結句

解題 (清水徹)




◆本書より◆


「森鴎外」より:

「鴎外がその史傳の對象に選んだ人々に就て等しく言へることは、彼等が何れも當時の知識人として優秀な業績を殘した人達であり、然もその爲に彼等がその時代の社會に於て目立つて問題にされることがなかつた一方、生計の面ではその社會の適當な保護を受けて困窮することなく、かくの如く精神的にも、又物質的にも惠まれてゐる結果として生じた餘裕の上に彼等の生活を築いてゐたといふことである。このことを敷衍して考へるならば、歴史がない國民は幸福であると言はれてゐるが、歴史があつて、その歴史には更に特筆すべき事件が見られない程、高度に發達した文化を有する國民が最も幸福なのではないだらうか。」


「石川淳」より:

「散文といふのは、もとは詩に對して用ゐられた形式上の分類である。詩は一定の韻律に從つて書かれるのが普通で、その約束を守る必要がないものが散文であることは、今日でも變りはない。併しいつか或る緊迫した状態に我々が置かれることになつたことも確かであつて、その爲に散文は別な意味を持つに至つた。それは言はば、我々の考への對象になる領分の擴張であり、精神の他の働きに對して考へることの割合が増したことで、それに應じてこの働きの手段である言葉の使ひ方もそあれだけ正確である必要が生じた。考へることが複雑であれば、それに當て嵌る言葉を探すのは更に困難な仕事になり、韻律のことは構つてゐられなくなる。」


「梶井基次郎」より:

「梶井基次郎がラフォルグを愛讀して、その作品の中でもラフォルグの詩を引用してゐるのは、近代がこのラフォルグと同じく短命だつた日本の作家にも、他所事ではない自分の時代だつたことをもの語つてゐる。彼が贅澤なものが好きだつたことも、(中略)この近代といふ一時代と無縁ではない。」
「近代の特徴が目的がない豐富といふことにあつたのならば、それはそのまま贅澤と言ひ換へることが出來て、目的がはつきりしてゐる時、贅澤は充實に變る。そしてその充實したものが缺けてゐる爲に、贅澤の隙に無爲が食ひ込み、つまり、この贅澤も、それが誘ふ倦怠も近代人の生活感情だつたので、その何れもが精神の負擔になつてゐない近代人といふものは考へられない。それが物質的に惠まれてゐない近代人であつても、贅澤は多方面に亙る好奇心の形を取り、それは教養が重荷であることにもなり、この邊から我々が近代とか、近代人とかと結び付けて考へる凡てのことが互に連絡して引き出される。無爲である人間がどうにも逃れられないのが自分であつて、これが自意識の姿をして行動の分析を強ひれば、倦怠は堪へ難くても、それを堪へ難く感じることがそこからの抜け道を塞ぐ。併しそれでもと踠く意識は尖鋭になり、精神の世界に曾てなかつた花を咲かせることもあり、それが妖怪を呼び出すことにもなる。所が、それで誰が救はれるといふものでもない。絶望の意味を親しく知つたのは近代人だつた筈である。」



「小林秀雄」より:

「氏の「川端康成」に、次のやうな一節がある。
 「僕は、ドストエフスキイの作品を精讀した時、はじめはパラドックスめいて感じ乍ら、遂に否應なく納得させられた一事は、彼の信念の驚くべき單純さであつた。(中略)自分が信じた或る名状し難い、極めて單純な眞理を、一生を通じ、あらゆる事に處して守り了せようとした。その爲に彼がめぐらさねばならなかつた異常な工夫、それが、彼の作の異常な複雑さに他ならない。(中略)」
「ここに描かれてゐるのがドストエフスキイの姿であるとともに、小林氏自身のでもあることを、この解説で何とか明かにしたかつたまでのことである。近代といふ複雑な時代に生きて、本來の人間であることを止めないでこそ、近代の人間ではないだらうか。童心などといふことではなくて、それ以外に人間が生きる方法はないのである。」




「眞船豐」より:

「「裸の町」では、(中略)終りの方になつて、店の敷金を大家に返して貰つたのまで高利貸しに巻き上げられた夫婦が、方々持ち歩いてゐるうちに死んだフーちやんといふ猫を海に捨てに行く所がある。そして妻が名殘りを惜んでまだ猫の死骸を離さずにゐる間に、主人の方が言ふ。
 「ほら、この猫をイタリーから持つて來た聲樂家の戸田さん……あの人は細君に逃げられて、折角新築した吉祥寺の家を化物屋敷にしちやつて、自分は行方不明になつたらう? それから何ヶ月も經つてゐるのに、このソーやの奴が、雨曝しで泥んこになつたその家のソファーに、でれつとして寝そべつて、半分餓死してゐた……そんな目にあつても、こいつは野良猫にならうともしない、決して自分で食つて行かうとしなかつた札付の傲慢な猫だつたんだ。こいつを拾つて來た須永君が驚いてゐたぢやないか、その話をしてね? こいつは、生きる事に徹底的に傲慢なんだ……餓死しても、自分で食はうと努力しないで、人が食はせてくれるのを待つてやがるんだ!」」



「中原中也」より:

「私が中原中也に會つたのは一度だけだつた。出雲橋際の「はせ川」で何人か集つて飲んでゐる時、彼が不意に入つて來て私達の卓子に腰掛けた。當時氏の錯亂振りが頻りに傳へられてゐて、氏と向ひ合つて腰掛けてゐる私は何か氣が氣ではない思ひだつた。氏は誰かを掴まへて言つた。
「君はいい顔をしてゐる。僕は本當はさういふ顔が好きなんだ、steinlich な。――本當は。」
それからドオデを讀んでゐることに就て言つた、
「あれはいい、確かに南方(ミディ)といふものはあるがね。どうだい、どうでえ、と言ふやうなもんだ。」
氏は又河上氏に向つて河上氏が最近書いた評論がつまらないと言つて、
「あれぢや何か一元と、一元と、一元と、一元と、といふやうなもんで、」と文句を付けた。
それは聞いてゐると、頭に浮んで來ることを一貫したその場での話にするのがもう面倒臭いといふやうな話し振りだつた。
詩人は丸ビルの前の廣場に立つて中から出て來る人群を眺め、
 ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
と呟いた。それは最早呟くやうにしか詩が書けなくなつた詩人の、それ故に獨り言もそのまま詩になるといふ風な呟きだつた。」



「論語讀み」より:

「文學は、亂讀することから始る。これは所謂、文學書に限らず、字が書いてあれば讀まずにゐられないことを意味するので、廣告の文句も、電車の中に貼つてある交通規則の條文も、藥壜の注意書も、何でもかでも讀んでゐるうちに言葉の型といふものが段々呑み込めて來て、文學といふのはややこしい小説のことだなどと思つたりしなくなる。或る時、友達と洋酒を酒注ぎに明けてゐて、その明け方が洋酒の壜に書いてあるのを見てその友達は、これは完全な六音歩格だと言つた。さういふ風でなければならないので、洋酒の壜まで讀み、そこに書いてある文句が偶然に六音歩格をなしてゐたら、直ぐそれに氣が付く位でなくては、ギリシヤ語やラテン語を知つてゐてギリシヤやロオマの詩を讀んでも、それは讀んだことにならない。ただ、字が眼から入つて行つて、その日本語の譯が頭に浮ぶだけである。簡單に言つてしまへば、好きこそものの上手なれである。」


「立場」より:

「繪や音樂は我々に語り掛けるもので、これは作品によつてだけでなしに、その相手である我々の性格やその時の氣分に應じて色々なことを言ふ。それで煩さいこともあり、一向にそれが言つてゐることに賛成出來ないこともあつて、つまり、傑作だといふことは少しも我々がそれに動かされるのを承知する理由にはならない。どんな場合にも、自分とは全く縁がない大畫家といふものだつてあるので、展覧會や美術館に行くのは動物園を見物するのに似てゐる。藝術も我々自身の問題であつて、自分で決めなければならない問題が幾らでもある。鍋、釜の選擇と少しも違ひはしないのである。」


「海」より:

「地球の内部を除けば、海が人間の探險に對して殘された最後の謎である。」
「この前、海が荒れ狂つて岩に當つては一面に繁吹を散らしてゐる海岸を汽車で通つてゐる時、恐しいものを見てゐる心地でゐるうちに、その波打ち際から僅かばかり離れてゐる所を泳いでゐるに違ひない小魚や微生物にとつては、この海が安住の場所なのだといふことに始めて氣が付いた。微生物などといふのは、一度波が砕けて散つて引く時に、又海に戻つて來るのを何とも思つてゐないのかも知れない。そして海面の少し下まで行けば、後は水が擴つてゐるばかりで、それは我々が知らない靜かな空間に、地上の考へ方では想像も及ばないほど多量の生物が、地上の我々と同樣に、死ぬまでは無事に暮してゐる別世界なのである。」
「 蜂が蜜を吸ふ所で、私も蜜を吸ふ。
 櫻草の花の中に横たはり、
 梟が鳴く頃になればそこに寝る。……
といふ歌がシェイクスピアの「嵐」といふ芝居に出て來る。とも食ひといつても、地上の生物はとも食ひをしないどころではなくて、それでも我々は地上に兎に角、安住してゐるのならば、海は陸の倍を越す面積に亙つて、そこにゐるものをそこで生活させてゐる。何がゐるのか、そのほんの一部しか我々には知られてゐない。どんな眺めが他のどんな眺めに場所によつて變るのか、我々は想像するばかりである。」



「月夜」より:

「狸を飼つたら可愛いだらうと思ふが、臭いといふ話なので、まだその決心が付かない。併し狸のみならず、動物の世界には實に無駄がなくて、可愛いと思ふ餘裕が生じるのも、他に氣を使はせられるといふことがないからに違ひない。」
「人間が動物に比べて環境が複雑なので、その心理も複雑になるといふことには限度がある。動物がその複雑な環境に馴れて行動するのと同樣に、我々も馴れで精神の働きが複雑になつてゐるのならば、そこの所まではそれは我々にとつて複雑に感じられず、その點で止つてゐる以上、我々は動物と等しく無駄なしに暮せる。又、それが人間らしい人間であることなので、これは馬鹿正直と違ふ。自分に出來ることだけでは足りないのを、氣を廻すので補はうとするのはさもしいことで、又、必ず失敗する。闇夜に道角で斬り掛けられた時、待ち伏せの豫感で素早く身を交すのでなければ、その場で手もなく斬り倒されるのが、その人間にとつては名譽なことである。動物はそのやうにして罠に掛る。」






























































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本