『吉田健一著作集 XVI 餘生の文學/作者の肖像』

「近代に生きた我々は幾らでも、何種類でもある色々なものの選択に苦められはしても、ものがなくて困る状態といふものを想像することも出来なかつた。(中略)そこから生じた倦怠と無為が近代精神を、又近代文学を育てた。それは病的であることが正常であり、健康である状態で、これが如何に多彩な精神活動に人間を導いたかを知るのがこれからの文学史家、美術史家の課題である。」
(吉田健一 「時評」 より)

「併し健康である為にも先づ息をする必要があり、緊張した意識に映る頽廃以外に息をする場所がない状態では頽廃が健康であるといふ逆説も成立する。近代といふのはさういふ時代だつたので、梶井はその時代に生きた健康な近代人だつた。」
(吉田健一 「堀辰雄」 より)

「歴史を引つくり返して見るとその時代の政治組織がどうだつたといふ種類のことを離れて、他人様はどうだらうと俺はここにかうしてゐるといふ風な人間が顔を出し、それがあれば我々はその時代に就てその頃は選挙が完全な形で行はれてゐたといふことを知つたりするよりも遙かに安心する。」
(吉田健一 「諷刺と笑ひ」 より)


『吉田健一著作集 XVI 
餘生の文學/作者の肖像』


監修: 石川淳・河上徹太郎・中村光夫
編輯委員: 篠田一士・清水徹・丸谷才一

集英社 昭和54年12月10日第1刷印刷/昭和55年1月4日発行
341p 四六判 丸背布装上製本 貼函 定価2,000円
装幀: 栃折久美子
本文正字・正かな

月報 8p
思い出(川村二郎)/亡くなられて後に(竹西寛子)



『餘生の文學』初版は昭和44年10月新潮社刊。「収録内容および排列順は、著者によって編集された最後の形態である『ポエティカ』第二巻収録のものに従った。また本文については単行本初版を底本とし、原稿の保存されているいくつかの章に関してはそれと照合した。」(本巻「解題」より)。単行本に収録されていた「近代と頽廢」は本著作集では『近代詩に就て』に収録されている。
『作者の肖像』初版は昭和45年2月読売新聞社(読売選書)刊。内容は『ポエティカ』第二巻に従い、正字正かなに改めた。『ポエティカ』版では「中村光夫」が追加され、「ヘンリー・ミラア」(集英社版『世界文学全集』第六巻『ヘンリー・ミラー集』「解説」)が削除されている(「ヘンリー・ミラア」は本著作集未収録)。


吉田健一著作集16


目次:

餘生の文學
 批評と文藝時評 (「東京新聞」 昭和38年3月14~16日)
 文章論 (「美の誘惑」 Kawade Paperbacks 73 昭和38年11月)
 諷刺と笑ひ (「世界」 昭和39年1月号)
 書評に就て (「學鐙」 昭和39年8月号)
 日本文學と世界文學 (初出誌未詳 昭和40年7月)
     *
 時評
  1 (原題「心掛け」/「文學界」 昭和39年10月号)
  2 (原題「純文学と大衆文学」/発表誌未詳 昭和39年11月10日)
  3 (原題「「みやび」の伝統」/「展望」 昭和39年11月号)
  4 (初出未詳)
  5 (原題「芸術論」/「文學界」 昭和40年3月号)
  6 (原題「騒音」/「文學界」 昭和40年12月号)
  7 (原題「私語」/「国語 国字」(国語問題協議会 会報) 第34号)
  8 (原題「挽歌」/「文學界」 昭和42年3月号)
  9 (原題「読書」/「文學界」 昭和43年3月号)     *
 文學は道樂か (「展望」 昭和41年2月号)
 言葉 (原題「文学の効用」/「文學界」 昭和41年8月号)
 批評 (「展望」 昭和41年10月号)
 餘生の文學 (「季刊藝術」 第6号 昭和43年7月)

作者の肖像
 谷崎潤一郎 (原題「解説」/筑摩現代文学大系 第19巻 『谷崎潤一郎集』 二)
 久保田万太郎 (「中央公論」 昭和38年7月号)
 尾崎士郎と火野葦平 (原題「解説」/中央公論社 日本の文学 第51巻 『尾崎士郎・火野葦平』 昭和43年6月)
 川端康成 I (原題「解説」/河出書房新社 日本文学全集 第18巻 『川端康成』 昭和41年1月)
 川端康成 II (原題「解説」/河出書房新社 日本文学全集 第二集 第14巻 『川端康成』 昭和43年9月)
 梶井基次郎 (原題「解説」/筑摩現代文学大系 第35巻 『梶井基次郎・堀辰雄・中島敦』 昭和39年6月)
 河上徹太郎 (原題「解説」/勁草書房 『河上徹太郎全集』 第2巻 昭和44年6月)
 堀辰雄 (原題「解説」/筑摩現代文学大系 第35巻 『梶井基次郎・堀辰雄・中島敦』 昭和39年6月)
 中島敦 (同)
 水上勉 (原題「解説」/河出書房新社 日本文学全集 第二集 第23巻 『水上勉』 昭和44年9月)
 三島由紀夫 (原題「解説」/河出書房新社 カラー版・日本文学全集 第38巻 『三島由紀夫』 昭和43年2月)
 中村光夫 (原題「解説」/筑摩書房 『中村光夫全集』 第13巻 昭和48年1月)
 大岡昇平 (書き下ろし)

解題 (清水徹)




◆本書より◆


「文章論」より:

「飜譯の文書も先づそれが一箇の獨立した文章になつてゐなければならない。これが原作からも獨立した文章であるのは言ふまでもないことで、もしそれがさういふ一箇の文章でないならばそれを讀むものに何も傳はりはしないのであるから、原文から傳はるものもそこにはない。飜譯とその原文はさういふ關係に置かれてゐるのである。よく忠實な譯といふことを聞かされるが、國語によつて言へることと言へないことがあり、そこを無理をして體をなさない文章を書く時、これは原文に照して見れば何故そのやうな妙なことになつたかが解るといふことで、それならば初めから譯すことはなかつたのである。又事實、譯せない文章といふのはどこの國の國語でも書かれてゐる。例へば日本の秀歌の多くは譯せなくて、これは日本の詩人が全く嚴密に言葉を使つてゐる爲にそれを日本語でも他の言葉には直せないからであり、かういふ例はヨオロツパの詩にも幾らでも出て來る。嚴密に言へば、一流の作品はどこの國のものでも、又それが詩でも、散文であつても譯せないのではないだらうか。
つまり、飜譯も文章であつて、文章といふものに就て言へることは凡て飜譯にも當て嵌る。從つて又、飜譯などといふのは殆ど機械的に出來ると考へてゐるらしいものがゐるにも拘らず、一箇の獨立した文章をなしてゐるものがその原作に當る外國の作品と何かの意味で聯絡を保つてゐるといふ形でしか飜譯は成立しない、といふのは、飜譯の用をなさない。又それは非常に困難なことのやうに思へるが、文章といふものが一般にどんな風にして書かれるかといふことを考へるならば飜譯も全く不可能なことではないのである。或る材料が頭にあつて、それを言葉で表現するのが目的で我々は文章を書く。この場合、その材料がそれまで誰も手掛けなかつたものである必要など少しもないので、寧ろどんな文章でも、その材料をなしてゐるものはその前に何度も文章で扱はれてゐると見た方が事實に近い。それならば外國の文章を讀んでその一句づつを材料に用ゐてこれを自分の國の言葉で表現することを試みることも、又それに成功することも決してあり得ないことではない。
正確な飜譯といふのはさういふものであつて、それはこれ以外に原文に書いてあることを少しでも別な國語で生かす方法はないからであり、從つて又、逐語的に正確な飜譯などといふものが假にあつたとしても、それは全く偶然の一致に過ぎない。飜譯も文章であることをここでもう一度繰り返して言ふ必要がある。それ故に優れた飜譯ならば原文のことを考へる餘地がない筈であつて、それが原文であり、又さういふ文章なのである。さうすると、ここで初めに戻つて、文章の美、飜譯の美の問題はどうなるのだらうか。文章はそれをなしてゐる言葉が生きてゐる時に我々を動かす。所で、生きてゐるといふことが美しいか、醜いかは人々の判斷による。併し生命の躍動は確かに美しい感じがする、とだけは少くとも言へるやうである。」



「諷刺と笑ひ」より:

「例へばスウィフトと言ふと、これは諷刺家であることになつてゐて、その「ガリヴァア旅行記」の毒を薄めて子供用に燒き直したのではないその原文は諷刺文學と呼ぶ他ないものであつて、子供用の燒き直しでは巨人とか小人とか、空を自由に飛び廻る島とかいふことが主に讀者の注意を惹くのとは反對に原文ではさういふものが幾ら出て來てもそれが意匠、或は口實に過ぎない作者の人間といふものに對するどうにもならない氣持の方が目立つて、これが讀み終るまで讀者を離さない。それが僅かに和げられるのはガリヴァアが馬の國に來て、作者が馬に託して別な種類の人間觀に就て語る所であるが、曾てそのことを書いたら、そんなことがあるものかと抗議されたことがあつた。恐らく、その人は馬が嫌ひで、作者が馬を人間樣の上に置いたことが忘れられなかつたのに違ひない。」
「我々人間にとつて決定的に大切なのは人間であることであつて、諷刺の目的もそこになければならず、「ガリヴァア旅行記」でも馬の國に就ての部分が兎に角この作品の中心に置かれてゐるといふ印象を受ける。スウィフトも彼の友達のポオプに宛てた手紙で言つてゐる通り、本質的に人間を嫌つたのではなくて、寧ろ人間が人間であることを望み(それがどういふことであるかを彼は馬の國の馬達に就て彼には珍しく温かな語調で書いてゐる)、單に彼の周圍にゐる人間が示すその醜惡な面に愛想を盡かしただけなのに違ひない。併し彼が愛想を盡かすといふことはそれに堪へてこれを乘り越えることでも、他所に眼を轉じることでもなくて前よりも一層、自分が愛想を盡かしたことに注意を集中することだつた。それが彼が背負はされた宿命だつた。
さういふ宿命に縛られてゐなければ諷刺も別な形を取り得ることが考へられる。」

「人間が自由である時それは制度が人間に自由であることを許すからではなくて、自由だから自由なのである。」

「歴史を引つくり返して見るとその時代の政治組織がどうだつたといふ種類のことを離れて、他人樣はどうだらうと俺はここにかうしてゐるといふ風な人間が顔を出し、それがあれば我々はその時代に就てその頃は選擧が完全な形で行はれてゐたといふことを知つたりするよりも遙かに安心する。」



「時評」より:

「英國の文學で近代といふ言葉を正確に近代といふ時代を指して最初に使つたのはワイルドであつて、フランスではヴァレリイが第一次世界大戰が終つた後にヨオロツパ文明の性格を分析し、その精神の危機を説いたのがそのまま周到な近代論、又近代精神といふものの解明になつてゐる。(中略)ヨオロツパ文明の止ることを知らない、言はば、級數的な精神がその進行の途上で生じた豐富と無秩序によつて遂に停滯するに至つたのを彼が見て取つた時代といふのが十九世紀の後半から第一次世界大戰に亙るものであり、この豐富と無秩序、つまり、近代そのものに終止符を打つたのが今度の大戰であることはこの一時代の文學や美術を少しでも身近に感じたことがあるものならば直ぐに理解出來る筈のことである。(中略)近代を生きて來た我々には一つの歴史的な時代が去つたのを振り返つて見ることが許されてゐる。それはどんな時代だつただらうか。
近代に生きた我々は幾らでも、何種類でもある色々なものの選擇に苦められはしても、ものがなくて困る状態といふものを想像することも出來なかつた。どんな煙草を吸ふかではなくて煙草といふものをどうすれば手に入れられるかといふことを考へなければならないといふのは近代にはなかつたことである。そこから生じた倦怠と無爲が近代精神を、又近代文學を育てた。それは病的であることが正常であり、健康である状態で、これが如何に多彩な精神活動に人間を導いたかを知るのがこれからの文學史家、美術史家の課題である。」
「そして明治以後に日本に外國から持つて來られたことになつてゐる自然主義その他の文學で近代文學だけは實際に日本に根を降し、日本の文學に繋ることを許されたものであることにも注意していい。それは日本の、或は支那の文學自體の近代性に我々を目覺させもしてくれたので、これもヴァレリイが指摘してゐることであるが、我々は近代の状態がヨオロツパの近代に限られたものでないことをそれで知つた。新古今集をただの昔の歌集と思つてゐるものが一體何をマティスの繪に見てゐるのだらうか。(中略)謡曲の近代性を指摘したものは外國人ばかりである。併しかういふことが日本で眞面目に取り上げられるのは遠い將來のことと考へなければならない。我々は少くとも(中略)近代といふのが實際は何を意味するかをはつきりさせて置きたいものである。」



「餘生の文學」より:

「それでもう一つ思ひ出すのはワツトオの繪である。(中略)昔ルウヴルで見たものに、何人かの繻子と絹で着飾つた男女がどこかの庭に集つてゐるのがあつた。その繪具はまだ鮮かでも廻りの木などの背景は古びて眞黑になつてゐて闇夜に、或は宇宙の暗闇の中にこの一群のものだけが浮び上り、そこに浮んでゐる感じだった。それは象徴的でさへあつて、束の間の出來事を繪にしたのであるからその出來事が消え去るのは當然であり、暗闇がそのことを表し、男女のきらびやかな服がその束の間のことが確かにあつたことを證言してゐるやうだつた。もし誰かが非常に短時間に、例へば天稟によつて老熟した靑年が人生を眺め渡すならばこれと同じ印象を受けると思はれて、過ぎ去るといふことでそこにあることは一層そこにあり、そのあること凡ては過ぎ去るといふことで無駄な負擔をなくして、それが感じさせるものは悲みよりも一種の諦めである。あの繪には餘生と若さがあつた。
餘生でなくてもいいからせめて成熟した人間を問題にしたらと思ふことが時々ある。例へば文學の仕事で金を儲けるといふのが既に未熟な考へ方で、(中略)文學は儲けるといふことと縁がない。何か他人が欲しいものに自分に利益がある値段を付けて賣るのが儲けるといふことである。併し文學の仕事にどれだけのさうした値打ちがあるのか。そこで行はれてゐる價値の觀念は全く別な系統のものに屬するから値段の付けやうがなくて、それ故に曾てかういふ仕事をするものは自分の力で暮せなければ他人の好意に賴り、例へば富があるものに抱へられ、今日では誰にも抱へられてゐないから自由であるなどと考へるのは本末顛倒である。」
「本の一冊の値段を幾らに付けてそれが何冊賣れようと賣れまいと、又それでその本を書いたものの所に入つた金が幾らにならうと、それがその仕事を金に換算したものでないことは書いたもの自身が知つてゐる。昔から一方には自分の暮しといふものがあり、それによつて自分のものになつた自由な時間に本は書かれて來たので、今日のやうにその仕事が同時に自分の暮しを立てる方法にもなつたのはこの二つの間に共通の論理といふものがないのであるから、それは病苦その他とともに仕事をするのに打ち克たなければならない惡條件ではあつても仕事をする上で有利なことでは少しもない。」
「我々が愛讀する幾多の本がそれを書いたものにどれだけの金を、或はもつと一般的に言つて何か物質的なものを惠んだか思ひ出して見るのも參考になる。陶淵明の時代に印税などといふものがあつただらうか。それから千年近くたつて菅茶山は自分の詩集で金が入つたのが不思議なやうなことを手紙に書いてゐる。バルザツクは小説を書いて借金を一應は返したが、それを書く一方で賣る苦勞をしてユウゴオには眞黑に見える顔になつて死んだ。確かにユウゴオは最後までその詩が飛ぶやうに賣れたが、これはだから運よくその詩が時流に投じたのでロオマの第一級の詩人が皇帝に抱へられたのと變らず、時流もロオマ皇帝も自分ではない點では同じである。
ここで又いつもの癖でマラルメを持ち出す所だつた。マラルメは妙に頭の片隅に殘る詩人である。差し詰め今日の日本では中學校の先生をしながら金にならない、併し誰でも一度讀めば忘れられなくなる詩を書いて一生を終つたマラルメは隱遁者の文學といふ風なことになるのだらう。そしてこれに對して他にどういふ文學があるのか考へて見てもどうも思ひ當らない。」
「中學校の先生をしてゐても、楊貴妃の前に立つても、さういふことからどれだけ遠ざかれるかに文學の仕事の成否が掛つてゐるのであるよりも、遠ざかれなければ文學の仕事は出來ない。さうすると又象牙の塔といふことが言はれるかも知れないが、それならば文學の仕事は象牙の塔であり、(中略)それならば山奥でもいい譯で、隱遁者といふのはよく山奥に入つて住む。併し考へて見ればそこまで行く必要もないので、宮殿の一室でも、或はパリの建物の四階にある貸し間でも仕事に無駄なものから遠ざかることが出來て、その點人間は自由であるならば餘生に入るのに年齢の制限もない。
兎に角、何かはつきりした目的があつてそれが他のことに優先してゐる間は文學の仕事は出來なくて、その文學といふものを何かの形で樂むにもその餘裕が得られない。このもの欲しげな所がないといふのが文學の一つの定義にもなつて、これが無愛想に終る代りに親しく語り掛けるといふもう一つの性格がそこから生じる。それが何千年前のものであつてもさうで、マラルメやランボオが書いたものにしてもさうであり、これは一人の人間がそこで息をしてゐるのが感じられるからだらうか。この特徴は決定的であつて、その爲にこそ人間は餘生に入つて餘生を送り、若さや未熟が賣りものになつてゐるものではそれに幾ら文學の名が被せてあつてもその親しさ、そこに一人の人間がゐるといふことがこつちまで傳はつて來ない。又その筈で、息急き切つて坂道を駈け上つて行くものがあつたりすれば我々がそこに見るものは人間よりも勞働であり、勞働が美しいなどと考へるものはまだ自分でそれをやつたことがないのである。」
「これは既に技術の問題ではなくて心構へであり、餘生に入つたもの、文學の仕事をするものの心は亂されても亂れた心の働きをしない。もし孔子が七十になつて矩を踰えなくなつたと言つたといふのが本當ならば彼は七十になつて餘生に入つたのであり、その矩を踰えたものは文學ではない。ふと本棚を見廻すと、そこに人の餘生が我々を取り巻いてゐる。それで文學は若いものには向かないといふことになる筈であるが、生憎、若いのに餘生を垣間見てそれを望むものが出て來るから文學は絶えないのである。」



「久保田万太郎」より:

「この頃は文體がある文章などといふのは滅多にないことになつてゐるが、文體がなければ文章ではなくて、從つてそこに文學はない。」


「川端康成 I」より:

「はつきり言へば、抒情などといふのは下らないことである。」


「川端康成 II」より:

「氏は曾て淺草の裏町の生活に取材したものをよく書いて、その邊のレヴュウなどで働く踊り子達を扱つたものが多い中に例へば「虹」といふのがある。(中略)今日の小説といふものに付き合されてゐると「虹」などは殆ど詩を讀んでゐる感じがして來る。
そこへ銀子と木村といふ美少女と美少年が登場する。これもどう言つたらいいのか、(中略)この二人は事實美しい。(中略)この二人はその手つ取り早く言つて頽廢的な美貌とともにその頽廢的な心を持つて作者の精神に芽生えたので、それは又ここで描かれてゐる淺草の町が二人を要求したといふことであり、頽廢といふ言葉を用ゐるならばこの淺草の町が頽廢であつてそのうらぶれた姿には何か毅然たるものがあつて我々の心を離さない。
かういふ小説を讀んでゐると心安まるとか心温るとかいふ言葉が今日では如何に見當違ひな具合に使はれてゐるかを改めて思はざるを得なくなる。(中略)ここには生活があることを我々は感じる。前に頽廢と言つたのは近代での生き方が示した一つの姿であつて、それならば「虹」には近代がある。
それが書かれたのがその時代だつた。今日では不安といふのが一つの常套句になつてゐて今日が不安の時代なのだと思はれてゐるが、近代の不安はさうしたパリの女が今どんな服を着てゐるかといふ種類のこととは違つてゐて、時代が一つの袋小路になつてゐることが生活感情にまで染み込んでゐたから人々は生活に安定ではなくてただ生活を求めた。我々が現に生きてゐるといふこと以上に確實なことはないからであり、この時代のやうに生活といふものが親しく感じられたことはない。それは「虹」でも克明に表されてゐて、冬になると町に霞が掛るとか、梅雨の合間に日が差すのは有難いとかいふのは情緒ではなくて生活である。(中略)又例へば「虹」を讀むのに近代はもう過ぎ去つた時代だからといふのも愚劣で、文學は時代を越えてその時代のことを我々に語つてくれる。
併し川端氏の小説の中に「淺草の九官鳥」といふのがある。その題が示す通り、これも「虹」と同じ系列に屬するものであるが、その主人公の綾吉は川端氏の小説に登場する人物のうちでも光つてゐる。近代に就て「虹」に教へて貰へるならば「淺草の九官鳥」を讀むのにやくざといふものに就ての豫備知識も必要でなくて、綾吉はやくざであり、やくざも今は絶えてなくなつた人種である。その起原がどういふものであるかは解らなくて、それがやくざの名稱を與へられるまでの歴史は長いに違ひないが、近代の日本、それも淺草でこれはその時代を代表するものの一つだつたことは明かで、「虹」の木村を延長すればそれが綾吉になる。我々は江戸つ子といふものに就て散々聞かされてゐる。そしてここで近代といふ時代の本質まで深入りして江戸つ子のうちの近代人を指摘するのはそれ程難しいことではないが、その近代人がやくざの形も取り、その一人に綾吉がゐる。これは廻りくどい説明かも知れない。併し綾吉の脆さと誇りに就て川端氏の小説を離れて語るのは何れにしても手間が掛ることで、突拍子もないことながら、ここで「雪國」の葉子の聲が悲しいやうに美しかつたことを思ひ出すのも何かの參考になる筈である。綾吉が女達と話すのを讀んでゐると、その裏からこの聲が聞えて來る。勿論それが男達とでも變りはない。」



「堀辰雄」より:

「梶井が如何に井戸端に吐く血痰や町のごみごみした裏通りや師走の銀座の埃と寒さを好んで彼の作品の材料に使つても、又事實、さういふ環境の中で暮してゐたのであつても、それに彼が書く作品で異樣な光澤を持たせることが出來たのは彼が親んだ近代の頽廢といふものがそのまま彼にとつては正常に、近代といふ時代には唯一の正常に息をすることを許す場所であつて、そこで彼が逞しく息をするのが言葉の生命になつて作品に盛り込まれたからである。もし頽廢といふのがただそれだけのものであるならばその定義からしてそれは問題にならない。併し健康である爲にも先づ息をする必要があり、緊張した意識に映る頽廢以外に息をする場所がない状態では頽廢が健康であるといふ逆説も成立する。近代といふのはさういふ時代だつたので、梶井はその時代に生きた健康な近代人だつた。さう考へていいものが掘には缺けてゐる。」


こちらもご参照下さい:
堀切直人 『浅草』

















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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