『吉田健一著作集 XXIV 本が語つてくれること/言葉といふもの』

『吉田健一著作集 XXIV 
本が語つてくれること/言葉といふもの』


監修: 石川淳・河上徹太郎・中村光夫
編輯委員: 篠田一士・清水徹・丸谷才一

集英社 昭和55年8月20日第1刷印刷/同年9月4日発行
413p 四六判 丸背布装上製本 貼函 定価2,000円
装幀: 栃折久美子
本文正字・正かな

月報 8p
ニューヨークにおける吉田健一氏(佐伯彰一)/ミイハア(角地幸男)



『本が語つてくれること』初版は昭和50年1月新潮社刊。底本は単行本初版。
『言葉といふもの』初版は昭和50年6月筑摩書房刊。単行本初版を底本とし、底本の新字は著者慣用の正字に改めてある。


吉田健一著作集24


目次:

本が語つてくれること
 時評 (昭和四十六年) (原題「一頁時評」/「文藝」 昭和46年1月号~12月号)
  讀書 (一月)
  歴史 (二月)
  古典 (三月)
  文明 (四月)
  散文 (五月)
  詩文 (六月)
  小説 (七月)
  言葉 (八月)
  生命 (九月)
  精神 (十月)
  日本 (十一月)
  時代 (十二月)
 文藝時評 (昭和四十七年) (「朝日新聞」夕刊 昭和46年12月~47年11月)
  一月~十二月
 本を讀む爲に (原題「読むための栞」/「読売新聞」朝刊 昭和48年5月7日、14日、21日、28日)
 本が語つてくれること (「すばる」 第13号 昭和48年9月)

言葉といふもの
 言葉といふもの (「季刊藝術」 第13号 昭和45年4月)
 説話 (初出未詳)
 日本語 (「新潮」 昭和49年1月号)
 素朴に就て (「新潮」 昭和49年4月号)
 讀むことと書くこと (「ちくま」 昭和49年5月号)
 控へ目に (「文芸展望」 第6号 昭和49年7月)
 無駄を省くこと (「文芸展望」 第7号 昭和49年10月)
 言ふことがあることに就て (「文芸展望」 第8号 昭和50年1月)
 何も言ふことがないこと (「文芸展望」 第9号 昭和50年4月)

解題 (清水徹)




◆本書より◆


「時評」より:

「本を讀むといふのは究極には何かの形でいい氣持になる爲にやることで、これは四書五經からアメリカの探偵小説に至るまで一貫して言へることである。」

「あるかないかといふ種類の決め手がない詮索よりももし或ることがあつたらばそれからどうなるかを見極めることが大切なので、それでそこに持續するものが生じる時に小説が人間の世界での出來事、又時にはその世界そのものになる。」

「書いてあることが全く鮮かに眼の前に、或は頭のうちに現れて誰かが書いたことを自分といふ人間が今讀んでゐるといふ具體的な事實がどこかに消える所まで行かなければ文章もまだ申し分なく文章の用をなしてゐるとは言へない。」



「文藝時評」より:

「實は式子内親王の歌も永福門院のも今まで讀んだことがなかつた。」


「本が語つてくれること」より:

「どうも本といふのは最初に讀んだものがその内容を讀む爲の本、つまりはその本といふことになるやうである。尤もそれには何度も繰り返してその本を讀むといふことも入つてゐてそれが本を讀むといふことであり、又それが本といふものである。これはもつと普通の道具と同じことで使ひ込んでこそそれが自分のものになり、それをなくしでもして新たに手に入れたのは全く同じ型のものでもそれが自分のものになるまでに時間が掛る。」


「讀むことと書くこと」より:

「肌が合ふ合はないといふことがどういふ事情からでも自分が親めない本といふのはその自分に對しては言葉の働きをしないから讀むだけ無駄であり、それが古典であるとか傑作であるとかいふことはその爲に強ひて讀む理由にならない。そういふ世界文學全集式の考へ方はこれは若くて鹿爪らしい間しか通用しないもので何が本で何が言葉だか解らないうちに亂讀して置くことで我々は銘々の好みを確める。これは全くその爲であつて自分の好みを知らなくて本との付き合ひは生ぜず、或は本との付き合ひが出來るのと自分の好みが好みの形を取るのは同じ一つのことであつて教養といふやうなことをここで考へる必要はない。(中略)教養よりも本に親むことの方が大事である。」


「控へ目に」より:

「力強い言葉といふのがどういふものであるかを考へて見る必要がある。それは例外なしに靜かな語調のものでこれは努めて控へ目に言葉を使ふのでなくて過不足なく對象を表す言葉を探す結果が過不足ない言ひ方になるのであり、その形で言葉で表されたものはその言葉とともに、或はその言葉になつて我々に語り掛ける。我々が本當に何か言ひたければ言葉そのものの性質に從ふ他ないのである。」


「何も言ふことがないこと」より:

「或る言葉を得た時の自分の状況といふものを點檢するならばそれを得たのが自分であるといふ意識は全くなくてその言葉が得られてその言葉が響くのが自分といふものに取つて代るのを感じるばかりである。又それが確実に言葉を得た證據になる。それまでは言葉を探す自分といふものがあつた。併し既にそれを得たのならば自分に用はなくてその代りにその言葉がそこにある。」


































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本