『吉田健一著作集 XXII 交遊録/東京の昔』

「その頃の本といふのは読むもので投資の対象に買ひ込むものではなかつた。それで古本屋にいい本が置いてあつてそれを漁つて歩くのが一つの楽みだつた。」
「一体に本にはその匂ひといふものがあつて本が選りすぐられたものであるに従つて本の匂ひがそこに漂ふ。その中から一冊を手に入れるのはその匂ひを持つて帰るやうなものだつた。」

(吉田健一 『東京の昔』 より)


『吉田健一著作集 XXII 
交遊録/東京の昔』


監修: 石川淳・河上徹太郎・中村光夫
編輯委員: 篠田一士・清水徹・丸谷才一

集英社 昭和55年6月20日第1刷印刷/同年7月4日発行
385p 四六判 丸背布装上製本 貼函 定価2,000円
装幀: 栃折久美子
本文正字・正かな

月報 8p
吉田さんの東京(田村隆一)/胃袋の話(早川良一郎)



『交遊録』は「ユリイカ」昭和47年7月号~48年6月号に掲載、初版は昭和49年3月新潮社より刊行。
長篇小説『東京の昔』は「海」昭和48年5月号~11月号に連載、初版は昭和49年3月中央公論社刊。
本巻における底本は単行本初版。


吉田健一著作集22


目次:

交遊録
 牧野伸顯
 G・ロウェス・ディツキンソン
 F・L・ルカス
 河上徹太郎
 中村光夫
 横光利一
 福原麟太郎
 石川淳
 ドナルド・キーン
 小暮保五郎
 若い人達
 吉田茂

東京の昔
 1~7

解題 (清水徹)




◆本書より◆


「福原麟太郎」より:

「我々はグレイ研究やラム傳をそれが學問の仕事であるといふやうなことを念頭に置かずに讀むこと、又讀んで樂むことが出來てその點で福原さんの随筆と呼ばれたりしてゐるものと少しも變らないことを或は強調する必要があるかも知れない。福原さんが片方では一所懸命になつてゐて片方では力を抜いてゐるといふ見方も行はれてゐるからである。併しものを書くのに適當な言葉が思ひ當らなければ工夫を重ね、もしその言葉があればそれを書くので學問の仕事と随筆、或はその他の形をしたものでこのことに少しでも違ひがある譯がない。」


『東京の昔』より:

「これは本郷信樂町に住んでゐた頃の話である。當時は帝大の前を電車が走つてゐたと書いても電車も帝大も戰後まであることはあつたのだからそれだけでは時代を示したことにならない。それならば日本で戰前だとか戰後だとか言ふやうなことになるとは誰も夢にも思つてゐなかつた時代といふことにして置かうか。兎に角帝大と電車が出たのだからこれが文久三年と言つた大昔でないこと位は解る筈である。どうもその頃はその電車が通つてゐる道も砂利道だつたやうな氣がする。それだから春になつて温い風が吹き始めると埃が立ち、その爲に電車通りに竝ぶ古本屋の店先の本がざらざらした。尤もさういふ商賣をその頃してゐた譯ではない。ただ學生時代の癖で古本屋を覗いて見るといふことも偶にはしたといふだけのことで、それでは何をして暮してゐたかといふことになるとこれが實はさう簡單に説明出來ることではないのである。」
「要するにどうにでもかうにでも暮しは立つてその一時の稼ぎで何日でも、或は運がよければ何ヶ月でも懐手をして生きて行けたから定職がないことに自然なつたが初めに書いた通り住所不定ではなかつた。」

「「本を讀むのが仕事だつたらば隨分讀めるんぢやないですかね、」と恐らくはとんちんかんなことをこつちは言つた。
「その本を皆讀んでしまつたつて言つた人間もゐるんですよ、」と學生が言つて訝しさうに向うの壁を見た。「そんなことが出來るんですかね。或る本を讀めばその本に就て又別な本を讀まなければならないでせう。それで更に又別な本を讀むことになる。
(中略)
そして又誰かが讀んで置いた方がいい本を書く。それを皆讀んだといふのはさうすると、」と學生がこつちを見たのできつかけが一つ出來てこつちは、
「さうなんですよ、」と言つた。「それは出來ないことだけれど本といふのは要するに皆同じやうなものでせう、(中略)それだから皆讀まなくても本の世界といふのが又あれかといふことになる。そこをマラルメもラフォルグも言つてゐるのならば、それが j'ai lu tous les livres で encore des livres ならば、――」いつも飲むと滑らかになる舌に外國語が久し振りに聞くものに響いた。併し可哀さうに、その爲に學生にはこつちが教養がある人間に思はれたらしくてその反應が滑稽といふのか唐突といふのか兎に角こつちが豫期してゐなかつたものだつた。その學生がいきなり上衣のどのポケツトからか名刺を出して、
「私はかういうものです、」と言つて渡してくれたのである。」

「その頃はフランス語で書いたものの研究をやる學校が東京と京都の兩帝國大學以外に殆どなかつた。これはそこを卒業してもフランス語の先生に就職出來る所がなかつたといふことで(中略)それだから古木君が學校を出てもフランスの會社の小使いにでもなる他に行く所がなかつたといふことはフランス語で書いたものを讀むのが好きでこれを専攻してゐたことで當時も就職が目的で大學に行つたりするのに陸(ろく)な人間はゐなかつたがもともと大學に行くものが今日の半分もゐなかつたといふことからしてもその頃はさういふ陸(ろく)でなしが今よりも少かつたことは確かである。」

「その凡そ小さな古本屋は日本の本しかなくても神田のもつと大きな店でも掘り出しものと見られるものばかり置いてゐるのが特色だつた。その晩出てゐたのがどういふ本だつたか、その中に芥川龍之介の「羅生門」の初版と一冊になつた珍しい造本の梶井基次郎全集があつたのを覺えてゐる。日夏耿之介の「黑衣聖母」もあつた。古木君がそこも始めてなのは熱心に棚を見てゐる樣子で解つてそのうちに、
「これは、」と言つてその一段から引き出したのが金子光晴の「こがね蟲」だつた。確かに掘り出しものでその箱はなくなつてゐる詩集の海老茶色の表紙に金で活字を押したのを見てゐて思つたのはそれが前にこつちが持つてゐて賣つたのが廻り廻つてこの店の棚に納つてゐたのではないかといふことだつた。併し古木君は如何にも滿足さうでこつちもそれまで二人でどういふことをしてゐたのかが凡て頭から消えて古木君を銀座へ連れ出してよかつたといふ氣になつた。
「隨分探してゐたんですよ、」と本を買つて又歩き出してから古木君が言つた。
「前に持つていらしたんですか、」とこつちは聞いて見た。
「えゝ、それを賣つてそれからもうどこにもなくて、」と古木君が言つたのでこつちもさうであることを話すこともなくなつた。その頃の本といふのは讀むもので投資の對象に買ひ込むものではなかつた。それで古本屋にいい本が置いてあつてそれを漁つて歩くのが一つの樂みだつた。それは古本屋に入ると何か多彩な感じがしたといふことでもあつて本屋の方でも珍しい本を集めて棚に竝べるのを誇りにしてゐたからさうした本が何段にもなつて(中略)本棚を埋めてゐるのはどうかすると壮観でさへあつた。一體に本にはその匂ひといふものがあつて本が選りすぐられたものであるに從つて本の匂ひがそこに漂ふ。その中から一冊を手に入れるのはその匂ひを持つて歸るやうなものだつた。」

「例へばその頃の蘭領東インドで自轉車が賣れるからそれに向いた自轉車を考へるといふのでなくて自轉車といふものそのものに興味があつてもう少し増しなものを工夫するといふのは道理に適つたことでもあつて(中略)それは言はば自然な行き方だつた。例へばエヂソンは日本にマツダランプの工場が出來て繁昌する爲に電球を發明したのではない。まだ本郷の電車通りに砂埃が立つてゐた頃は何かの爲に何かをすることがさう普及してゐなかつた。それで甚兵衛のおでんも味が落ちないでゐたのに違ひない。」

「凡てが世俗の上では妙に實利的に仕組まれてゐて英國の文學といふのは英語と結び付いて英語の實用的な性格から尊重されはしてもフランス文學は單なる文學であつて文學は一般に用がないものだつた。それだから銀座の紀伊國屋を繁昌させたフランスの本の人氣は本ものだつたと言へる。又銀座の町そのものが同じく當時の世俗的な考へから浮き上つたものだつたからやはり本ものだつたので立身出世に國威宣揚はそこでは意味をなさなかつた。」

「一般に金といふのはその必要を滿すだけあれば充分であつてそれ以上は餘計であり、その程度の金は大概はどうにでもなる。併し偶には自分にとつて法外な額がなければ是非したいことが出來ないといふ場合も生じて頭は株とか競馬とかいふ方に行く。」

「確かにその後も地上に時間は正確に過ぎて東京の昔を思ひ出せば直ぐにそこまで戻つて行ける。併しここで外國といふことを幾度も出して來たが、その頃の東京といふものを思ふとこれも外國の感じがしないでもないのが不思議である。我々にとつて外國が外國であるのは一つにはそこでは何から何まで勝手が違ふことをいや應なしに知らされることによつてであると言へる。併し(中略)何かがそこに確かにあるのを感じることも外國の印象の一部をなしてゐてそれがそこの生活樣式であり、そこの人達の間で行はれてゐる世界觀、人生觀その他であつて昔の東京が外國のやうであるのは實に簡單にその時代にはその生活樣式も人生觀もあつたのに對して今はさういふものが認め難くなつてゐることから來てゐる。例へば勘さんが會社の社長になつて車を乘り廻したりするのはいやなことだと言へばその理由の説明をするよりも先に誰もがそれがさうであることを納得した。或は甚兵衞が甚兵衞といふおでん屋であつてそこにゐる間は他所に行くことを考へないでゐられたのはその店ならばその店でそこの生活があつたからで同じ事情から資生堂にゐればそこの高い天井の下で時間がたつのが氣にならなかつた。」

「一體に都市といふのは雨が似合ふもので雨が降つてゐても引き立たない所まで行けばもう救ひやうがない。これは自然が遠近法に生じさせる變化によるものと思はれて風景畫で畫家がそこに書き込むものを選擇するのと同じ具合に雨が視野に制約を加へてこつちがどこに眼を向けてもそこに映るものを選擇するのが容易になることが到る所に雨の日の眺めを出現させる。それで泥の道の電信柱に自轉車が立て掛けてあるといふ效果も得られておしま婆さんの家の二階で窓の脇の机に肘を突いてゐると帝大の木立ちが森に見えてその前の電車通りを走つてゐる電車の音から考へが飛んで不忍池に降りて行く坂に沿つた岩崎家の石の塀も雨に濡れてゐるのだらうと思ふことになる。」



吉田健一「或る時代」(本著作集第四巻『甘酸つぱい味』所収)より:

「その頃、東京には乞食がゐなかつた。(中略)人を養ふだけの餘裕が人間にあり、文士は一年のうちに仕事らしい仕事を殆どしなくてもどうにか暮して行けて、(中略)近代の典型的な状態をこの時代は呈してゐた。」
「そして我々は、この豐かな國力を土臺に健全な退屈を經驗してゐた。フランス文學が廣く讀まれて、文學が始めて我々を知的にも悩ましたり、喜ばせたりする一つのはつきりした存在になつた。パリで出たジイドやプルウストの新刊が、一月とたたないうちに東京の街頭にも現れた。その街頭で思ひ出すのは、銀座の尾張町の角近くに、小さな建物の二階でコオヒイを飲ませる所があつたことである。(中略)コオヒイを出すだけの小さな部屋で、窓際に腰掛けると、向うに服部の時計塔とその下の街が見えた。客はいつも二、三人しかゐなくて、それでも結構やつて行ける時代だつたのである。」



『東京の昔』も、『金澤』とおなじく、都市を主人公とした小説で、語り手は昔の東京で古木君という、プルーストをよんでいてフランスへ行きたがっている学生と知り合います。会話のなかにベケットのプルースト論への言及があるので、それが出たのは1931年だから、その頃の話とおもわれます。吉田健一は幼少時からフランスをはじめ海外生活の体験がありますが、1930年に本格的にイギリスに留学しているので、古木君には若き日の吉田健一のおもかげがあるのかもしれません。そうするとこの小説は、「近代」の東京における、現在の吉田健一と若き日の吉田健一の出会いを描いているわけで、ボルヘスの短篇小説「他者」(『砂の本』所収)が連想されますが(「他者」はボルヘスが若き日の自分自身と出会う話です)、しかしそういうことをいいだすと長くなるので説明は端折ります。『東京の昔』は1974年、『砂の本』は1975年に出ているので同時代文学です。併(あわ)せ読むとよいです。読書の醍醐味は併せ読むことにあるといってもよいです。
そして併せ読むということでいえば、本書と、そのベケットのプルースト論を併せ読むのもよいです。『交遊録』で吉田健一は、「友達がゐるといふことの喜び」や、「生きて行く上で勇気を与えてくれるもの」としての「友達」の価値を称揚しているのですが、そしてそれはいかにもその通りなのですが、ベケットはそのプルースト論で「友情は(中略)なんら精神的な意味をもたない」「友情を退けることは、合理的であるばかりでなく、必要なことなのである」(楜澤雅子訳)と書いています。ベケットは若気の至りでなんらかの思想にかぶれてこのようなことを書いているのではなくて、これは自閉症者としてのベケットの自己認識であり、このようなことを書かずにいられないのも誠実さのあらわれであって、友達がいない私としてはベケットに共感せざるを得ない、というか、ベケットをよむことによって我に返るわけです。
吉田健一は『交遊録』で「男にとつては仕事をするのが成長するのに必要なことである」と書いていますが、ほんとうをいうと、成長する必要などないし、男が男である必要すらないです。晩年の澁澤龍彦が出口裕弘に「人間というのは、胎児のままお腹の中で死んでしまっても、生れて三ヵ月で死んでしまっても、二十歳で死んでも五十歳で死んでも八十歳で死んでも同じなんだ」と語ったというエピソード(※1)は感動的です(種村季弘との対談「澁澤龍彦の幸福な夢」)。
それはそれとして、吉田健一には、「成長」とか「一人前」の「大人」とかに拘泥するところがあって、それは幼少時からの「しつけ」のたまものかとおもわれますが、それゆえ、石川淳の愛読者でありながら石川淳が書いたものに「洒落者」の「洗練」をしか認めることをせず、たとえば『狂風記』にみられるような「野蛮」な「ガキ」の「精神の運動」としての「革命」を切り捨ててしまいます(※2)。
清水徹は吉田健一が「拭いきれぬ悲劇性」の「切り捨て」によって「狭い純粋性」を得たと評しています(『吉田健一の時間』)(※3)。
とはいうものの、それならばいっそのこと吉田健一著作集をルドルフ・シュタイナー著作集と併せ読むという手もあります。吉田健一の思想をひとことであらわすならばアントロポゾフィーということになるからです。
「性急に進歩を求めて神秘学徒としての自覚を忘れ、高貴、善良、もしくは物質的な現実感覚の一片でも、神秘修行の過程で失うようなことがあってはならない。反対に自分の道徳的な力、内的誠実さ、観察能力を修行を通して高めねばならない。たとえば基本的な悟りの行の過程においては、隣人や動物に対する同情心、自然美に対する感受性を絶えず高めていくように努力しなければならない。」
「最高の意味で待つことを学んだ人でなければ、神秘学徒となる資格はなく、神秘学徒を志しても、すぐれた成果に達することは決してないであろう。」
「しかし勇気と自信こそは神秘学の途上で、決して消してはならぬ二つの光である。何度繰り返しても失敗してしまうように思える修行を、さらに進んで忍耐強く続けていかなければ、大きな進歩を遂げることはできない。」
(ルドルフ・シュタイナー 『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』 高橋巌訳 イザラ書房 より)
シュタイナーのいう「神秘学徒」を吉田健一のいう「人間らしい人間」と、「神秘修行」を「成長」とよみかえればよいです。

※1 マルクス・アウレーリウスの『自省録』(神谷美恵子訳、岩波文庫)に、「たとえ君が三千年生きるとしても(中略)記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何物をも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何物をも生きることはない、ということである。したがって、もっとも長い一生ももっとも短い一生と同じことになる。」とあります。
※2 石川淳は自衛隊や破壊活動防止法や核兵器を拒絶していますが、吉田健一は吉田茂の息子なので、そういうものを容認しています。
※3 たとえば吉田健一は、原爆ドームは広島市民に原爆の記憶を甦らせるので取り壊すべきだと書いています。

























































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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