『吉田健一著作集 XXIII 英國に就て/埋れ木/覺書』

『吉田健一著作集 XXIII 
英國に就て/埋れ木/覺書』


監修: 石川淳・河上徹太郎・中村光夫
編輯委員: 篠田一士・清水徹・丸谷才一

集英社 昭和55年7月20日第1刷印刷/同年8月4日発行
454p 四六判 丸背布装上製本 貼函 定価2,000円
装幀: 栃折久美子
本文正字・正かな

月報 8p
少年と青年前期頃の思い出(中田瑞彦)/一つの出会い(池田幹雄)/カット2点



『英國に就て』初版は昭和49年5月筑摩書房刊。ただし既に本著作集に収録されているものを除いた9篇のみを収める。
長篇小説『埋れ木』初版は昭和49年10月集英社刊。「単行本初版を底本とし、原稿と照合の上、単行本の新字・新仮名を著者慣用の正字・旧仮名に改め、本文を定めた。」(本巻「解題」より)
『覺書』初版は昭和49年11月青土社刊。「単行本初版を底本とするが、単行本の新字は著者慣用の正字に改めた。」(本巻「解題」より)


吉田健一著作集23


目次:

英國に就て
 象徴 (初出未詳)
 英國昨今 (初出未詳)
 英國紀行 (「読売新聞」 昭和44年9月12日、15日、18日、19日、22日号)
 英國文化の流れ (『世界の文化』(イギリス篇) 昭和41年4月 河出書房新社)
 英國の形 (初出未詳)
 ヴィクトリア風 (初出未詳)
 英國の繪 (原題「ターナーと英國の自然」/世界の名画 第2巻 「ターナーとロマン派風景画」 昭和47年3月 中央公論社)
     *
 英國の飲み屋 (初出未詳)
 ロンドン (原題「新しさと旧さの融け合う街」/トラベル・ブックス2 『ロンドンの休日』 昭和46年9月 世界文化社)

埋れ木 (「すばる」 第16号)
 1~6

覺書 (「ユリイカ」 昭和48年7月号~49年6月号)
 I~XII




◆本書より◆


「象徴」より:

「それならば、英國人そのものはどうかと言ふと、これもインドを經略したり、アラビアの大沙漠を横斷したり、世界の海運を獨占したりするといふやうなことから想像する種類の人間とは凡そ違つてゐる。
彼等自身が認めてゐる通り、はにかみ屋で引つ込み思案で、動物を可愛がり、人間に對しても意地惡をする氣になかなかなれず、はつきりものが言へなくて、それでよく一人前に暮して行けるものだといふ感じがする。」

「ここで大事なのは、その優しさが英國人といふものの性格に見られる一切の原動力になつてゐるといふことで、英國人の忍耐力も、勇氣も、冷酷も、詩情もそこから出てゐる。」



「ロンドン」より:

「仕來りといふものももしそれが守るに價する程のものならばそれが互に居心地をよくする爲のものである筈だといふことである。」


『埋れ木』より:

「新聞に原稿を書いて原稿料を取つてそれで新聞社の社員でもなければ有名な文士でもなくて暮して行くといふ手もある。」
「要するに唐松は大して苦勞もしないで樂に暮して行けた。」
「さういふことをして暮しを立ててゐるのは殆ど何もすることがないのに近い。そして金に不自由はしないのである。」

「ない金があるやうになれば金の苦勞もその爲に精神に掛る負擔もおしまひになつた。」
「そのやうな苦勞をしたことがもともと無駄なことだつたのかも知れなかつた。併し人間が無駄なことを一切しないで生きて行く譯にも行かない。まだしも無駄なことを無駄と認める方が金の苦勞が人間を磨くといふやうなだらけたことを考へるのよりも増しだつた。」

「それで唐松は今ここにゐて何もすることがないのに近かつた。」

「或る年までにしたいことを皆してしまつて後はただゆつくり時をたたせて行くといふのはいい考へで唐松も特別にしたいことは何もないままにさうした充足した境地に達することを思つたことがあつた。併しその頃と變らず唐松にこれだけはといふ氣になることもなくて今の年になつてここまで來るとそのことにも不滿はなかつた。どうしてもと思ふのはそれをしてしまふまでのことであつて後までそのことが殘るのは仕方にまだ不充分な所があるからである。そのしたことに價値があるとかないとかいふことも問題にならなくて自分がしたことは自分から離れて行き、それが技師が橋を一つ掛けることならば自分が掛けた橋を技師はいつまでも自分が掛けたと思つてはゐられない。」
「何もしないで今まで生きて來たといふのは實は誰にも言へることではない。その五十年、六十年の歳月が流れる間に人を傷けもすれば人を助ける機會もあつて人間が息をして生きてゐるものであることだけでもただ時間がたつて行くといふことはない。併し自分でゐられるか途中で自分がどこかへ消えるかといふことはあると唐松は思つた。」

「併しそれはそれとして引つ越すといふのはどういふことなのか。それが何もかも置いて自分だけどこかへ行くことでないのは解つてゐても自分の凡てがどういふ形ででも自分が現にゐる場所と結び付いてゐる時にその場所を離れた自分といふものが想像し難いのよりもその觀念が掴めなかつた。又それは死ぬこととも違つてゐて自分が死ぬといふのは悲しいことではない。唐松は菅公と梅の傳説が傳説ではない氣がして來た。それが死ぬことと違つてゐたのはどこにゐるのだらうと死ぬのは自分が見馴れた人間の世界に取り巻かれてそれに別れを告げることであるのに對して自分の家と庭を離れて日本の別な場所に移つて行くといふやうなことをするのは如何にも中途半端なことだつたからでこれは道眞にとつて悲しいことでなければならなかつた。」

「我々は階段を降りて行くやうに年を取ると言つたのが誰だつたのか唐松は思ひ出せなかつた。」



「階段を降りて行くやうに」云々は、別の文章(エッセイ)では福原麟太郎の言葉として言及されています。それを言ったのが誰だったか思い出せないというのは、的確に表現された言葉は個人を離れて存在するものだから、誰がそれを言ったのかは重要ではないということで、それを「唐松」がその通りだと感じたのであればそれは「唐松」の言葉であってよいわけです。
森鴎外は「妄想」で、「死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下つて行く。」と書いています。同じことを言っているようでも、下り坂と階段の違いは大きいです。


「覺書」より:

「懶けものであるのは昔からいけないことになつてゐる。併しその種類の形式的な道德は形式に止るものであつて人間は何かしてゐなければならないのかどうかといふその一つのことに注意を向ける時にそのやうなことがないのは自明である。」

「これは何かしなければならないのでなくて何か或ることがしたくてそれをしなければならず、さうでなければ無駄なのだといふことである。又從つてこれは何もしなくても少しも構はないのだといふことでもあつて人間は所謂、何かするといふことをしてゐなくても呼吸し、眼を働かせて精神を働かせてゐる。そして(中略)自分と自分がしてゐるその或ることだけになる時に我々は何かする。」

「併しここに最後に一つの問題が殘つて人間は人間の歴史に比べれば全く短時間に死ぬものであり、そのうちに我々も死ぬ。或はそのことが我々自身を他人から區別する根據と考へられてゐるのかも知れない。つまり他人は他人であつて死ぬ時には自分一人が死ぬのだといふことであるが、それでここまで來て死ぬことがこの頃は孤獨と同樣にいやがられてゐることを思ひ出した。(中略)レオ・フェレロは死といふこの他人にしか起らないことと書いてから間もなく自動車事故で死んだ。これを死といふこの自分に起つた場合以外には悲しいことと言ひ直しても同じことで死は一箇の意識の消滅であり、それ故にこれはその意識がある限り他人にしか起らないことであるとともにそれが他人に起るのは一人の人間と別れることであるから悲しい。併し自分の意識が恆久的に續くことを望むのはその意識の充實を知らないものがすることである。我々は眠れない夜にも惱まされる。」






































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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