『增補 石川淳全集 第十二巻』

「かういふ馬の骨と仲よく附合つて、母屋も軒下もなく、ともに画中にあそび、ともに神仙に化けてしまふやうなやつは、でくのぼうの大雅にきまつてゐる。おもへば、かの大雅といふでくのぼう、どこの天からすべり落ちた神仙であつたか。」
(石川淳 「南畫大體」 より)


『增補 石川淳全集 第十二巻』

筑摩書房 昭和50年1月20日第1刷発行
623p 口絵(モノクロ)i 21×16cm 
丸背布装上製本 貼函 定価3,800円



その昔、「世界の缶詰」というのを考えた人がいました。それはどういうのかというと、缶の外側にではなく内側に「世界」と書かれたラベルが貼ってあるわけです。
Anywhere out of the world.
ところで、うちには「凶器収納箱」はありませんが、「狂気収納箱」ならあります。『ドグラマグラ』や『虚無への供物』やアンリ・ミショー全集やヘンリー・ダーガー画集やアウトサイダーアートの本なんかが入れてあって、箱の内側に「狂気収納箱」と書いてあります。残念なことに、私は箱のなかには入れません。しかしネコははいれます。
そういうわけで、どうも、私です。今回は前に戻って旧版石川淳全集の紹介を続けたく存じます。本巻には「夷齋饒舌」「夷齋遊戲」の二冊の文集が収録されています。


石川淳全集12-1


第十二巻目録:

夷齋饒舌
 戰中遺文 
  善隣の文化に就いて (「新潮」 昭和17年11月号)
  歴史小説について (「新潮」 昭和19年8月号)
 太宰治昇天 (「新潮」 昭和23年7月号)
 雜談 (「近代文學」 昭和24年11月号)
 ニセモノ記 (「作品」 昭和25年第5号)
 石濤 (「草月」 昭和27年第3号)
 首尾 (「群像」 昭和27年3月号)
 歌仙 (「群像」 昭和27年6、7月号)
 だから、いはないことぢやない――社會時評とは何か―― (文藝春秋」 昭和29年2月号)
  キキヂョコ
  ウナギ
  おほやけはら
  問題はどこにおこるか
  理想のなげき
 坂口安吾との往復書簡 (「新潮」 昭和29年10月号)
 安吾のゐる風景 (「文學界」 昭和31年6月号)
 ホテル氣質 (「文藝春秋」 昭和30年6月号)
 安部公房著「壁」序 (昭和26年5月)
 安部公房君鐫印 (安部公房作「どれい狩り」俳優座公演プログラム 昭和30年6月)
 すだれ越し (「新潮」 昭和30年8月号)
 一虚一盈 (「東京新聞」 昭和30年9月12、19、26日、10月3、10、17日)
  ウソツキ
  外國文學觀光
  祿といふ字は……
  山東京傳の畫幅
  イメーヂと圖式
  自然のふたごころ
 人生ノート (「サンデー毎日」 昭和31年4月22、29日、5月6、13日)
  人心さだめなし
   ピンタを今に……
   一本の棒の觀念
   閉鎖されたあたま
  中國の服装について
   靑い綿衣
   直はどこにあるか
  キチガヒ小型版
   ひとは何に醉ふか
   今日の野蠻とは……
   複雜につけるくすり
  すこしは氣がちがつても……
   バケモノ女房
   男のばたばた
   女の幻術
 墓とホテルと…… (「新潮」 昭和31年7月号)
 京傳頓死 (「新潮」 昭和32年6月号)
 古畫評判 烏鷺覺贋奧儀(うろおぼえにせのおくのて) (「藝術新潮」 昭和32年11月号)
 日本語と漢語 (「東京新聞」 昭和33年4月10、11、12日)
 家寶拝見 文化燒底割釜(ぶんかやきそこはわれがま) (「藝術新潮」 昭和33年11月号)
 蜀山斷片 (岩波書店版「日本古典文學大系」第57巻附録 昭和33年12月)
 六世歌右衞門 (講談社版『六世中村歌右衞門』収録 昭和33年12月執筆)
 敗荷落日 (「新潮」 昭和34年7月号)
 獨立の精神について (「東京新聞」 昭和34年7月23、24、25日)
  がんばれ、ポーランド
  くたばれ、ミュージカルス
  底抜けニッポン
 秋成私論 (「文學」 昭和34年8月号)
 樊噲下の部分について (筑摩書房版「古典日本文學全集」第28巻 昭和35年6月)
 初芝居三ツ物 (三島由紀夫作「熱帶樹」文學座公演プログラム 昭和35年1月)
 自由について (「東京新聞」 昭和35年2月10、11、12日)
  めしを食ふなら自腹を切れ
  地圖ほどおもしろい本はない
  敵はどこにゐる
 五十音圖について (筑摩書房版「古典日本文學全集」第34巻附録 昭和35年2月)
 蕪村風雅 (「俳句」 昭和35年3月号)
 遠くから見たアルベール・カミュ (「中央公論」 昭和35年4月号)

夷齋遊戲
 南畫大體 (昭和34年2月新潮社刊「日本文化研究」第二巻ノ内一冊)
 雜
  政治についての架空演舌 (「新潮」 昭和35年9月号)
  ことばに手を出すな (「新潮」 昭和36年7月号)
  寄酒祝 (吉川幸次郎著「知非集」附録)
  自轉車とカボチヤと (中野重治全集第十巻月報)
  横綱の辯 (「酒」 昭和36年1月号)
  京都ぶらぶら (「きようと」 昭和36年秋号)
  一冊の本 (朝日新聞昭和36年6月18日号)
  わが小説 (朝日新聞昭和36年11月4日号)
 夷齋遊戲 (「文學界」 昭和36年10月号~37年9月号)
  芝居 
  宇野浩二
  十日の旅 
  畫譚鷄肋について 
  細香女史 
  ドガと鳥鍋と
  即興 
  讀まれそこなひの本
  武林無想庵 
  スカパン
  小といふ字のつくもの
  文學賞
 レス・ノン・ヴェルバ (「世界」 昭和37年5~10月号)
  車
  禪
  道具
  居所
  型
  アメリカ村



石川淳全集12-2


口絵: 「昭和四十三年十二月 大德寺眞珠菴にて (金井塚一男撮影)」



◆本書より◆

「雜談」より:

「軍記物では何十萬なんて大軍がたちまち現はれる。「太平記」なんかには八十萬といふ大軍が出て來る。實際にはそんなにゐるはずがない。あの時代にそんな大軍を動かすことは糧食だけからいつても出來やしない。大體十分の一以下だらうね。しかし、その數字の滅茶なところが面白い。あれがなかつたら軍記物はつまらんね。勝ち敗けがはつきりする。あれは軍記物作者の發明だね。
それと、軍記物で面白いのは、作者が誰かにヒイキしてゐることだね。「平家物語」でもさうだし……「太平記」をよむとなんとなく正成ビイキをしてゐる。それで面白味が出て來る。公平無私はつまらんね。」



「坂口安吾との往復書簡」より:

「ところで、書くことはいろいろあるはずなのに、これもまたあいにくなことに、ぼくは今輕い病氣にかかつてゐる。失語症といふやつだよ。ぼくはときどきこいつに見舞はれる。(中略)書くこと一般がどうもめんだうだね。」


「安吾のゐる風景」より:

「「人間の過去はいつでも晴天らしいや。」
安吾はさういつてゐた。いくさのあひだ雜草まで食はされたやうな日のことでも、あとでおもひだすと、その日は奇妙にうららかであつた。人間はくらがりの中に痩せおとろへてゐたくせに、後日につよくのこるものは太陽の光にほかならない。だまされるとは知りながら、おもひでの暦を繰つてみると、そこにはいつも風雨は消されてしまつてゐる。そして、そのウソのやうな太陽の光は、安吾といふ人間に於て、みぢんも感傷といふウソの影をのこさなかつた。」

「わたしはどうも人間の死體といふものを見ることを好まない。(中略)したがつて、わたしは今までに人間の死顔はデスマスクのほかには見たことがない。さういつても、なにかの縁のあるひとが死んだときけば、通夜の席につらなることはある。すると、たれかが棺をあけて死顔を見せようとしてくれる。そのとき、好まないといふ挨拶もいたしかねるので、儀禮上、わたしは見たふりをする。見て見ないふりとは反對の、見ないで見たふりである。儀禮だから、それでもよろしからう。わたしは安吾の通夜におもむいたときも、例のごとくにした。
すなはち、わたしは安吾の死顔を見てゐない。もし死體を見とどけることが死亡を確認したといふことならば、わたしは安吾の死んだことを自分の目では確認してゐない。それゆゑに、わたしは安吾がまだ生きてゐて、どこか遠くのはうに勝手にすたこら驅けつづけてゐるものと考へる權利がある。わたしはわたしの欲するとき、はなはだ印度的であつた友だちの顔を遠くに見たり近くに見たりするたのしみのために、任意にこの權利を行使したり、しなかつたりするだらう。」



「底抜けニッポン」より:

「たとへば、日本とアメリカと、たがひにむつまじく附合ふといふことには、原則的にはまあ反對意見は無いだらう。對等に附合ふといふ。對等。よろしいとおもふだらう。またいつしよになにか事をくはだてるときには、事前協議するといふ。これも妥當とおもふだらう。そして、そのことを條約に……
しかし、そのいつしよにくはだてる事といふのが、核兵器のもちこみとか海外派兵のやうな犯罪事業であつたときには、對等もしくは事前協議といふことばの意味はどうなるか。アメリカは日本の内部に何百といふ基地をもつてゐる國である。力の關係からいつて、アメリカを十とすれば、日本はひいき目に買ひかぶつても一以上ではありえない。この十對一の關係をもつて、犯罪につき對等といふのは、責任は仲よく半分づつといふことになるだらう。アメリカが首を斬られるときは、日本も平常のよしみに首を斬られなくてはならない。また事前協議といつても、十對一で強引に、あるひはすらすらと押し切られるだけのことだらう。かりに拒否權がみとめられたとしても、いかなる正當な權利をも踏みつぶしてしまふのが力といふものではないか。このとき、對等とか事前協議とかいつただけ深く、日本がすすんで犯罪に入りこんだ結果になる。」



「南畫大體」より:

「わたしが大雅の畫からはじめてつよい感動を受けたのは、たしか昭和十年ごろか、上野表慶館の屏風展觀に於て、山水樓閣圖六曲一双を見たときであつた。」
「さしあたり、美學なんぞに用は無い。ただ見る、金地六曲一双の空間に、線のはしるところ、色のにほふところ、山あり、木はかがやき、水あり、波は鳴る。山には樓閣うごかず、水には唐船、さざなみをうつてゆらぎ出る。その船にも、また陸にも、人間がひよこひよこ顔を出して、この顔がただものでない。(中略)詩酒管絃すべて出そろつて、遨遊は四季のわかちなく、夜をもつて日に繼ぎ、その夜もあけて、今ここに照つてゐる光は朝か晝かと見まがふときは、すなはちわれわれもまたいつのまにかこの場に招待されてゐることに氣がついたときである。」
「實在の世界に對して、畫中の天地は貧棒ゆるぎもしない。これ達觀のしわざか、畫法の神妙か。その畫中より抜け出して、ふたたび外からこれを見れば、そこにはただ線あり色あるのみ。このとき、わたしは一瞬にして大雅といふものが完全に判つたやうな錯覺をもつた。じつをいへば、今日でもなほ、この錯覺よりほかに、わたしは大雅を語り南畫を論ずる據りどころをもたない。」
「ただ屏風六曲一双に現前してゐるのは大雅みづからの胸中山水にほかならない。自然はまさにかくあるべし。ゑがかれた自然は逆に現實の自然の見方を規定してゐるやうである。畫中の山水はいふまでもなく線と色とに依つて表現をあたへられてゐるのだから、ひとは畫のまへに立つて、それがいかなる線であり色であるかを見とどければよい。さういつても、この山水の間にあそぶために、大雅の畫はさらに線と色とを越えて、もつと内部のはうに、おのづからひとをいざなつて行くやうな氣合をひそめてゐる。高山流水、またこれ人間の往來するところ。げんに、この樓閣山水には、そこにぶらぶらする人間のすがたがゑがかれてゐて、ひとは招待されてそのむれに入る。效果を論ずれば、けだし幸福への招待である。生活はまさにかくあるべし。ひとは大雅の胸中山水に適應するやうな生活樣式に目をひらかなくてはならない。そして、大雅の世界觀から幸福感といふみやげをもらふことになる。ところで、このあたたかいみやげの折詰はただではもらへない。」
「南畫には南畫の約束がある。線と色だけに附合ふつもりでかかつても、もしそれが畫としてすぐれたものならば、ついそこに餘計なものの道具だてが陰に陽にならんでゐて、さういふ道具だてをちらほらさせるやうな世界觀にぶつかつてしまふ羽目になるのは、鑑賞上必然のいきほひのやうである。(中略)およそ畫中の山水には、生活上の可能が賭けてある。この賭はまた精神上の強制でもある。鑑賞はそこから目をそらすことができない。生活はかくあるべしと見るのは、けだし達觀か。この達觀の中にはいかなる思想があるのだらう。わたしの鼻では、どうも老荘のにほひがする。(中略)さて、可能とか達觀とか幸福感とか、ずらりと無用のことばをならべ立てて、そこからなにが出るか。じつに、虚妄といふほかに、なにも無い。繪空事とは、このことである。ただこの虚妄は實在の世界につよく對決をせまる力をそなへてゐる。その力の在りどころはどこか。これを畫についていへば、依然として線と色といふ實物である。これを生活についていへば、畫人みづから選擇した實踐課目である。口をすつぱくしてくりかへすが、萬巻の書を讀み千里の道を行く。この文句には、曖昧なところはみじんも無い。(中略)歴史と地理とを踏みわたつて行くさきに、畫といふ世界があつた。達觀はどうしても線と色とに於て顯前せざることをえない。(中略)畫と達觀と、二者もろとも、目は一撃をもつてこれを突き抜かなくてはならない。げんに、すぐれた畫人の筆はいちはやくこの電光の操作をしとげてゐる。このとき、南畫は南畫特殊に徹することに於て、ひろびろと畫一般に通ずるものとなる。」

















































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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