『埴谷雄高作品集 4 文学論文集』

「周知のように、ゼノンは運動の不可能についての三つの論証を行つた。出発不可能。追いつき不可能。前進不可能。」
(埴谷雄高 「存在と非在とのつぺらぼう」 より)


『埴谷雄高作品集 4 文学論文集』

河出書房新社 
1971年12月20日初版発行/1974年3月1日4版発行
351p A5判 角背紙装上製本 貼函 定価2,000円
装画: 駒井哲郎
装本: 杉浦康平

月報 4:
熱を抜いて見る人(本多秋五)/埴谷氏のこと(藤枝静男)/般若の幻(島尾敏雄)/埴谷さんの不思議(加賀乙彦)



どうも。私です。関係ないですが、私は着るものにうるさいので、着心地がよくない服はいくらかっこよいブランド物でも着ません。もっとも、着心地のよくない服も10年くらい毎日着つづければ着心地がよくなります。しかし困るのは10年も着ていると色褪せたり穴があいたりすることで、私のお気に入りのセーターとかくつ下とかはほとんど全部穴あきです。困るといっても、本人は穴があいていてもべつに困らないですが、外へ買物などに行くと、見た人が困るとおもいます。


埴谷雄高作品集4


目次:

序詞――寂寥 (「序曲」 第一輯 昭和23年1月)
存在と非在とのつぺらぼう (「思想」 昭和33年7月号)
夢について (「文学界」 昭和34年8月号)
可能性の作家――続・夢について (「文学界」 昭和35年1月号)
不可能性の作家――夢と想像力 (「文学界」 昭和35年10月号)
夢と想像力と (「春秋」 昭和37年3月号)
存在と想像力 (「朝日新聞」 昭和45年11月5、6日)
思索的想像力について (「文芸」 昭和46年1月号)
夢と人生 (「図書新聞」 昭和39年1月1日)
観念の自己増殖――十九世紀的方法 (「文学界」 昭和27年10月号)
還元的リアリズム (「近代文学」 昭和30年5月号)
迷路のなかの継走者――読者について (「近代文学」 昭和30年6月号)
何故書くか (「群像」 昭和24年3月号)
あまりに近代文学的な (「文学界」 昭和26年7月号)
カントとの出会い (「カント全集」 月報 昭和40年11月)
現実密着と架空凝視の婚姻――純文学の問題 (「群像」 昭和37年2月号)
『散華』と《収容所の哲学》――高橋和巳への手紙 (「東京新聞」 昭和38年8月15、16日)
埴谷雄高氏へ (高橋和巳) (「東京新聞」 昭和38年8月17、18日)
埴谷雄高氏への手紙 (真継伸彦) (「週刊読書人」 昭和42年2月13日)
論理と詩の婚姻について――真継伸彦への返事 (「週刊読書人」 昭和42年2月20日)
「政治と文学」について (「週刊読書人」 昭和39年1月27日)
決定的な転換期 (「群像」 昭和34年6月号)
椎名麟三 (「新潮」 昭和31年11月号)
武田泰淳 (「新潮」 昭和31年10月号)
梅崎春生の挿話 (「文芸」 昭和40年9月号)
踊りの伝説 (「新潮」 昭和31年7月号)
『崩壊感覚』の頃 (「現代文学・野間宏集」 月報 昭和32年3月)
三島由紀夫 (「新潮」 昭和31年12月号)
詩人の或る時期 (栗林種一 詩集『深夜のオルゴール』 跋 昭和30年11月)
酒と戦後 (「洋酒天国」 昭和33年9月号~34年9月号)
 一~六
異常児荒正人 (「新潮」 昭和31年5月号)
本多秋五 (「近代文学」 昭和26年11月号)
原民喜
 『鎮魂歌』のころ (「三田文学」 昭和26年6月号)
 『びいどろ学士』 (「近代文学」 昭和26年8月号)
原民喜の回想 (「近代文学」 昭和39年8月終刊号)
絶望・頽廃・自殺 (筑摩書房 「現代倫理講座」 第5巻 昭和33年8月)
大井広介夫人 (「近代文学」 昭和28年8、9、10月号)
「近代文学」創刊まで (「近代文学」 昭和30年11月号)
「近代文学」同人拡大の頃 (「週刊読書人」 昭和39年4月20日号)
「近代文学」と「中国文学」 (三省堂 「現代日本文学講座」 月報 昭和38年4月)
終章――想像力についての断片 (「人間として」 第3号 昭和45年9月)

見てしまつた男の夢 (井上光晴)
解題 (白川正芳)




◆本書より◆


「寂寥」より:

「太古の闇と宇宙の涯から涯へ吹く風が触れあうところに、そいつはいた。そいつは石のように坐つていた。」
「何時からかそいつは石のように坐つていた。そいつは朽ちた樹の下に坐つていた。そいつの胸のなかを、時折、漆黒の夜の空のような寂寥がかすめた。
そいつは湿った羊歯類がむれた土壌から芽吹く音を聞いた。香わしい夜の大気のなかで静かに開く花の揺れ顫える音をも聞いた。柔らかな木の実からはじき出た綿毛が微風の渦のなかを飛び散つてゆく爽やかな匂いを嗅いだ。そして、太古から時間のはてへまで睡らせつづける甘美な《もの》の歌のなかにそいつは睡つていた。」
「けれども、時折、闇に眼を見開くと、吹き荒れる凄まじい暴風のような凶暴な発作がそいつに起つた。」
「《とにかくその日まで待とう。それまでは妥協しておこう。だが、間違えちやいけないぜ。たとえ俺が乾いた砂のように風化しようと、お前やそこにあるさまざまなもの、それと許しあいをもとめてるんじやない。俺は俺がそこから出てきた過誤をとにかくその日まで許しておこうというのだ。》」



「存在と非在とのつぺらぼう」より:

「いつたい、ゼノンは何をいおうとしたのか。私達をからかおうとしたのか。否。ゼノンは考えられる限りにおいて最も包括的な立場にたつて、真実のもつている不思議な陰翳をひたすら語ろうとしたに過ぎないのである。周知のように、ゼノンは運動の不可能についての三つの論証を行つた。出発不可能。追いつき不可能。前進不可能。」


「夢について」より:

「私達は、夢のなかで考えている。私達は、夢という手段によつて考えている。しかし、こういう言い方は、恐らく、不正確なのであつて、むしろ、こう言い変えた方がいいのだろう。私達は絶えず考えている。私達が白昼、考えていることは、とりとめないお喋りになり、また、目的をもつた行動になり、また、ひとつの思想となる。そして、私達が夜、憩つているつもりの眠りのなかで、考えつづけていることは、きれぎれのとりとめもない夢となり、また、強く脅かす夢魔となり、また原始の観念の裸かなかたちを示した暗喩となるのだ、と。」


「思索的想像力について」より:

「私の場合は、「人間と人間との関係の機微」を描くのでなく、大まかにいつて、「存在と意識の関係の機微」を描くことを主題としているのであるから、もし読者の内面にそうした種類の追求に興味をいだく精神の姿勢がなければ、確かに私の作品の内容は「わからない」のであつて、いわば一般的ではないそうした精神の姿勢は私の最初の著作である『不合理ゆえに吾信ず』から現在にいたるまで一貫しているのである。」


「迷路のなかの継走者」より:

「すべてどうでも好いというのがものごころつくはじめから私の裡に巣くつていて、ついに改め難かつたところの気質である。」
「すべてにどうでも好い私はただひとつ私の上に取り除きがたく課された問題のみを論ずることが好きである。恐らく、夜昼ぶつつづけて何時までも、もし躯が許せば、永劫に論じつづけたところで倦きることはないであろうと思つていたので、年少時から、私はその問題へまわりの友達たちをしやにむにひきずりこもうとした。ところが、そのたびごとに私が知らねばならなかつたのは、私がこれほど興味をもつていることに、他のひとびとはそれほど切実な関心を懐いておらず、それどころか、私の問題は風変りな興味として遇されることが普通と見なされるべきであるという何度繰り返されても変らぬ同一の体験であつた。」
「それがひとびとの切実な関心を牽くものでないと知つたそのとき、それを敢えて扱うためには、さらにまた、敢えて積極的な仮装がそこにほどこされざるを得なくなつたのである。私は、ひたすら、私の論題のかたちが解らぬように工夫をこらさねばならなかつた。訳が解らぬ、それを私の最初から最後までの旗印とせねばならぬ努力が、やがて、私の本来の仕事の構造と展開と、そしてまた、文体を決定した。理解の拒否、それがそのとき以来の私の表向きの決意となり、旗印となつた。けれども、出来るかぎり訳も解らなくする工夫を幾ひねりかして読者の退出を強要するその同じ箇所に、謂わば一本の細い糸となつて延びる毬を置き、私と同じような志向、同じような傾向を持つている人物だけに手渡して迷路を進んでもらう工作をまた同時にほどこしたのであるから、それは必ずしも読者一般の拒否とはならないのである。」
「読書に耽つた時代に繰り返し得られた私の確信によると、ひとつの作品は、仮りに読む側の質が一定のレヴェルに達しているとしても、作者と読者のあいだに結ばれた相互の気質や考え方や環境などの一致した部分しか決して味読されるものではないのである。従つて、非同一な志向を担つた読者には出来るだけ近づいてもらわぬような遠望を設けて置き、近づいてしまつた場合には自然に踏み外してゆくような工夫をこらしておくことは、決してひねくれたやり方ではなく、むしろ欠くべからざる礼節であるといえるかも知れない。まして、迷路に潜み隠れて営む私の仕事はこの世界の相を描いたひとつのタブロオでなく、敢えていえば、この世界があつた方が好いか、ない方が好いかの審判なのであるから、覗いてみて一見すべき何物もなく、ただ或る種の息をつめた裁断の気配があるばかりであつて、そこに、この私流の生産的思考のリレー的触発をひき受けてさらに迷路のなかの次の継走者を待つている類の稀少な同一者のみしか迎えないようにあらかじめ工夫しておくことは、いつてみれば、厳密な義務ですらある筈である。」
「この世にはさまざまな種類の本がある。(中略)そこには同一事を考究しているただひとりの寂寥のなかに坐つた同僚に味読される運命しかもたぬ一冊の特殊な書物もあるのであつて、恐らく、それは永劫のなかで埃をかむつたまま暗い書庫の奥に埋れているのであろう。如何なる時代に於いても、或る事項の普及通俗化がピラミッドの底辺へ向つて拡がるにつれて、それと反対の極点へ向つてもその事項は自らの本性を求めてひたすら進み行くのであつて、万人に読まれる浄福の書とともにそこにはつねにただひとりの追試者にしか味読されない孤独の書があるのである。埃りのなかの一冊の錬金術書。」



「何故書くか」より:

「何故書くかという問に私は容易に答え得ぬ。私にとつてその文学は一般から非常にずれた妄想の延長上にあるのだから。けれども、何故妄想するかとさらに問われるならば、私は比較的気が楽になり直ちに答えを返し得る。内的自由の追求――と。」


「原民喜」より:

「私は、深夜の大通りが好きである。電車も人通りも絶えてしまつた深夜の大通りを歩いていると、世界の果てまで、何処までも歩いてゆけそうな気がする。」

「原さんは「寡黙な作家」ということになつているが、恐らく、いままで類がないほどの無口である。無口というより、もはや失語症と呼ぶ領域にはいつているのかも知れない。」

「死の一年ほど前に、原だんは吉祥寺へ越してきた。その頃から私は躯を悪くしていたので、私が訪ねるより、訪ねられるほうが多かつたが、その訪問は、特徴的であつた。玄関ががらりと開くと、それつきり音がしないのである。不思議に思つてでてみると、そこに(中略)黙つて立つているのである。その無口は徹底していて、決して「今日は」とも「ごめん下さい」とも云わず、こちらが玄関の開いた音に気がつかずにいれば、そのまま、何時までも立つているのである。恐らく、もし迎えにでなければ、永遠に立つているのかも知れない。」



「原民喜の回想」より:

「八畳か十畳の割合広い部屋の中央に机をすえて、そのとき原さんは『ガリヴァー旅行記』を子供向きの読物にする仕事をしていた。机の前に坐つている原さんと話を交わしているときはまつたく気づかなかつたことであるが、帰りがけに、恐らく原さんがはじめて来た私を案内したのだろう、私の前にたつて歩いている原さんの背中をみると、原さんの着物の尻の部分が、ちようど坐つて坐布団にあたつているところだけ円く大きく抜けてしまい、痩せた原さんの肉体のその部分が蒼白く露わに見えていることに気づいた。それはまるで鋏で円く切り抜いたような大きな穴になつていて、机の前で仕事をしている長い勤勉な時間を示していたが、と同時にまた、それは構つてくれる者もない独身の荒涼たる孤独の時間の長い深さをも示していた。(中略)ちようど坐布団や畳など外界と接触する部分だけまるごとすつぽりとあいたこの着物の大きな孤独の穴は、とうてい忘れがたい私の第一の暗い記憶である。
第二の忘れがたい記憶は、それよりややあとの時期であつたと思われる。或る夜、玄関の戸が静かにあいたままその後何の物音もしなかつたので出てみると、そこに原さんが立つていた。玄関をあけたまま何時までも黙つているのは日頃の原さんの癖であるけれども、そのときあとで解つたことは、そとから帰つてきた原さんと外出する私の女房とがちようど駅への途中で会つて、ライスカレーがあるから食べてゆきなさいと口をかけた女房の言葉につられて、原さんはその夜私の家に立ち寄つたのであつた。私は二人が出会つて会話を交わしたことも知らず、また、原さんは何事によらず最後まで黙つたままなので、それからのことが起つたのであつた。
私が原さんに、風呂にはいるかと質ねると黙つてうな諾くので、まず風呂にはいつてもらつた。ここまではよかつたのであるが、すでに夜で原さんが食事をすませているとばかり思いこんでいた私は、原さんが女房の言葉につられてライスカレーを食べるつもりで寄つているなどとまつたく想像もしなかつたのであつた。それで、私は風呂から出た原さんの前に南京豆を出して話をしていたのであるが、あとから考えてみると、やはりそのときの事態は異様なのであつた。原さんは、たとえていうと、真黒なビー玉といつたような丸い瞳をもつているが、その印象的な眼で私を直視したまま、前に置かれた皿のなかの南京豆のからを何時までも指先でまさぐつているのである。(中略)そして、三時間ほどたつたのち、原さんは黙つて充たされざる空腹のまま帰つていつた。
この小さな出来事も、あとになつて、私に口惜しい心のこりのする忘れがたい暗い記憶となつてのこつたが、こちら側に通常の場合に数倍する鋭い洞察力を備えた深い思いやりがなければ、殆ど永劫におし黙つている原さんの音もない気持に適切にあつた応待はできないのである。」



最後に、「可能性の作家」に引用されているハヴロック・エリスの『夢の世界』(藤島昌平訳)の「或る婦人の見た夢」がおもしろいので、孫引きしたく存じます。

「ある知人が少額の金を愛蘭土にいる或る人に送りたいと思つた。そのひとは軽率にも愛蘭土までその金を持つてゆくと申し出た。家へ着いてみると、天候もひどく荒れていて寒かつたので、約束したことを悔い始めた。併し、暖かに身支度をし始め、或る愛蘭土生れの友人のもとへ相談に行つた。するとその友人は、山林檎の籠の中に窮屈に詰めこまれて愛蘭土まで流されて渡るより仕方あるまいと言う。帰宅後のこのとに就いて夫と十分論議し合つた。すると夫は、そんな旅をするのは愚行だという。そこで遂にそれをやめて、心からほつとした。」

「或る婦人が或る款待に出席する夢を見た。この款待は変転して、一婦人が座長の宗教再興の集会となり、喧々諤々たるものになつた。ところが、会場の真下に地獄のあることが急にわかつた。座に列せる一婦人は、その情景に心を傷むることあまりに甚だしく、一つの水溜めの中に身を躍らせて溺死してしまつた。その遺骸は後刻一労働者によつて、熊手で引き揚げられた。夢を見ていた本人は、こうした悲しむべき事件に心も打ちひしがれて、自殺以外に採るべき道はないと感じた。溺死せんものと覚悟して、海中に身を投げようと、小高き丘の上の燈台に足を運んだ。海はこの上もなき緑の色をたたえ、限りなく美しく心をそそつたが、躍りこむ勇気はなかつた。まず豊かな食事をとれば勇気が湧くかも知れぬ、と彼女は考えたのである。そこで会場へ立ち戻つて、会の座長をしていた婦人と一緒になつた。二人が食卓につくと、羊の焼肉を盛つた皿が出てきた。しかし、食べているうちに、急に二人は互いに解つたという顔をして相手を見た。二人は、先に溺死して熊手で水中から引き揚げられた婦人を食べていることに気がついたのである。」
































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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