悠雅彦 『モダン・ジャズ群像』

「彼は妥協という二字を知らないミュージシャンであり、「食うに困って餓死状態におちいったって妥協なんかしない」といっていたほどである。」
(悠雅彦 「エリック・ドルフィー」 より)


悠雅彦 『モダン・ジャズ群像』

音楽之友社 
昭和50年4月20日第1刷発行/昭和52年3月20日第4刷発行
305p ix 図版(モノクロ)12p
四六判 並装 カバー 定価1,200円



コルトレーンを中心にすえて、広い視野のもとに、フリー&アヴァンギャルドにも共感的なモダンジャズ入門書です。


モダンジャズ群像1



目次:

1 デューク・エリントン
2 チャーリー・パーカー
3 バド・パウエル
4 セロニアス・モンク
5 マックス・ローチ
6 クリフォード・ブラウン
7 マイルス・デイヴィス
8 チャールズ・ミンガス
9 ソニー・ロリンズ
10 ジョン・コルトレーン
11 ウェス・モンゴメリー
12 オーネット・コールマン
13 エリック・ドルフィー
14 マッコイ・タイナー
15 エルヴィン・ジョーンズ
16 チック・コリア
17 キース・ジャレット
18 ウェザー・リポート
19 スタンリー・カウエル
20 アーチー・シェップ
21 アルバート・アイラー
22 ドン・チェリー
23 アート・アンサンブル・オヴ・シカゴ
24 セシル・テイラー

アーティスト別参考レコード表



モダンジャズ群像2



◆本書より◆


「チャーリー・パーカー」より:

「人生に対する追求がたとえ快楽的であろうと、生き方が刹那的であろうと、バードが自己に忠実に、音楽を真剣に、人生をダイナミックに生きたことだけは間違いない。」

「バードは、頼りになるのはお金だけだと言ったことがある一方、一文なしのときでも、この世には数え切れぬくらいお金があるのだから何も心配することはない、と言っていた。もし彼がこれほどまでに創造的なアーティストでなかったら、彼はまちがいなく気違い扱いされたことだろう。(中略)彼が常軌を逸していたこと、つまり彼が社会の良識や規範や秩序を超越し、そこからはみだしていた、というだけでは足りない。彼の独創性がそれらを超えていたのであり、彼は自己の音楽においてそれを豊かに実らせることができたのだ。」

「ライズナーは再び指摘していう。「モンクがバードと共演したとき、自分のコーラスになっても、モンクは自分だけの世界の中にひたりこんでいるようで、彼のピアノからは、なんの音も発せられなかった。やっと、長い沈黙のあと、モンクは、ひとつだけ鍵盤を叩いた。すると、バードは、モンクをのぞきこむようにして、“クレイジー・モンク!”と言った。自分がなにかを学べると感じている人たちに対するバードの反応は、常に熱っぽく、手ばなしであった」」



「バド・パウエル」より:

「有名なエピソードをひとつ引用してみよう。「初めて『ミントンズ』を訪れたとき、パウエルは真新しい白のテーブル掛けに両足を投げ出す恰好で坐っていた。給仕がやってきて彼を外へ追い出そうとしはじめたところへ、モンクが割って入りこういった。“そんなことをしてはいかん。あの子には才能があるんだ”――モンクはのちに言っている。“当時パウエルはそうしょっちゅう演奏していたわけではなかった。まだ新しいコードも知らなかったし、和声にそう通じているわけでもなかった。だが私は彼の演奏が好きでよく聴いたたった一人の人間だった。彼がやろうとしていることを理解するものは誰もいなかったのだ”」(アイラ・ギトラー著、『Jazz Masters of The 40's』)
一方パウエルの方もモンクを慕い、彼の忠告を素直に受けいれた。(中略)モンクから実に多くのものを学びとり、やがて当時誰も注目しなかったモンクのオリジナル曲を人前で演奏したりした。このころ一般的に認められていないモンクの作品をとりあげて演奏するジャズ・ミュージシャンはごく稀れだったのである。その最も良い例が、モンクの傑作「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」の初吹込みである。演奏楽団はクーティー・ウィリアムズ・オーケストラ。一九四四年八月二二日のことだ。当時この楽団のレギュラー・ピアニストだったパウエルにとっても、これは記念すべきレコーディング・デビューでもあった。実をいえば、この作品を録音するように主張してクーティーを説き伏せたのがほかでもない、この若きバド・パウエルだったのである。」

「パウエルの愛顧を受けたアルト奏者のジャッキー・マクリーンは、のちに評論家のアイラ・ギトラーに向かって言った。「彼はモンクのことをしばしば話して聞かせた。彼は本当にモンクが好きなのだ。彼はいつも私に向かってモンクの作品を弾いてくれたものだった」」

「両者の音楽的コンセプションはまったく異なっていたにもかかわらず、互いにその音楽を理解しあっていたということをまず認めておくべきなのである。それというのも、晩年のパウエルはすっかり技巧的に衰えてしまったのだが、テクニックの衰えを屈折した表現法でカヴァーするようになったとたん、彼のピアノ・サウンドにモンク的な色彩が漂いだすからだ。」



「セロニアス・モンク」より:

「だがモンクは超然としていた。あくまで自己のやりかたをまっとうした。(中略)彼が当時の新しがりやから敬遠されたり、ミュージシャンの誤解を受けたというのも頷ける。だから客観的に見た場合、彼はみずからを主流の外においたのであり、孤立した状態にあったということになる。(中略)彼はスタイリストでなかったために、弟子も、ほとんどの追随者さえも、持たなかったけれども、モンクのような孤高の偉大さをもつアーティストにとって、それはむしろ好ましいことではなかったかとぼくには思われる。」

「一九四五年から五五年にかけての一〇年間、モンクは完全な失業状態に陥った。同時代に生きたモンクとバド・パウエルは何から何まで対照的だったが、ちょうど期を同じくして、パウエルは時代の脚光を浴びつつあった。スタイリスティックなパウエルのピアノ奏法は、モンクのそれが無視され忘れられていったのとは逆に、あらゆるピアニストに模倣され踏襲されることになったのである。
モンクの貧困はいよいよひどく、四七年に結婚した妻ネリーの収入で辛うじて生計をたてるほどだった。」

「だれにも、モンクをジャズのスタイルやその時代概念によって規定することはできないのである。モンクはそれらを超越した存在なのだ。(中略)なぜなら、モンクは、現代の既成観念に反抗し、それらを超えた時点で独自の音楽を創造した、真に偉大なアーティストだからである。」



「チャールズ・ミンガス」より:

「だが、ぼくが見たり人にきいたりしたミンガスは、殆んど笑うことはないが、人に怒ったりすることのない心の優しい人だった。(中略)ミンガスの場合、彼が怒りを爆発させるような状況や時代背景がそこにあった、ということの方に目を向けるべきなのだ。本当のところ、彼は白人すべてを毛嫌いしているわけではなく、(中略)いまだに黒人を不当な差別に追い込んでいるワスプの権威、そうした機構のいっさいを掌握している白人に抵抗するのであって、それは必然的に黒人対白人という図式によってしか捉えられぬ長い歴史(中略)の重みを、ミンガスが決定的な意識として発現することから生じてくる問題であると思われる。
ミンガスの肌の色は黒くない。だから彼は小さい頃、よく肌が白いといっていじめられた。“俺は黒人だ”という自意識が彼の内部で決定的なものになっていくことは容易に考えられることである。ハイ・イエローの肌をしたミンガスの怒りは、その意識をさらに決定的なものにしようとする意志の現れであるとも見做すことができる。」

「五〇年代の中期から後期にかけて、彼を初めとする黒人たちの意識の発現が活発になり、ジャズにプロパガンダが持ち込まれたという事実を認めておくことは、必要なことだろう。そういう時代状況がそこに存在していたからだ。(中略)一人ミンガスがラジカルだったのではなく、黒人大衆の一人一人が人間の尊厳に開眼した時代だったのである。
この時代、黒人たちは目覚めはじめたのだ。何でも白人のいうとおりに、その無理を黙って認めてニコニコしていたアンクル・トムの時代は終わったのだ。」



「ジョン・コルトレーン」より:

「キャノンボール・アダレイは回想する。
「マイルスは音をできるだけ少なく使えといった。それがモード手法になったわけだが、トレーンがソロをやりだすとやたらに音を出しながら吹きまくっている。マイルスは“勝手にやらしておこう”といって、ぼくと一緒にステージから降りてしまうのだ。そんなときよく真面目な顔をしたファンがやってきて“あんな吹きかたをしているのに黙っているんですか”といって怪訝な顔をされたものだった」(植草甚一著、『モダン・ジャズの発展』)
だがマイルスは偉かった。トレーンに吹かせるだけ吹かせて何もいわなかったのだ。これこそマイルスの炯眼を示して余りあるものだろう。」

「彼は後に、五七年の夏から秋にかけて、セロニアス・モンクと共演したことを憶いだして、「ぼくの生涯で一番よかったことはモンクと共演したときのすばらしい経験だった」と語った。」

「六五年の『神の園』から死にいたる数年間は、いわば彼のフリー・ジャズ時代であり、第三期に相当する。第二期のトレーンに心酔した人々の多くはこの期の彼にソッポを向くが、トレーンの必然的な発展としてこの第三期は極めて重要だ。」

「彼は決して自己の探究を途中で放り投げたりはしなかった。」

「六〇年半ば以降の彼は、ますますインドの音楽・宗教・哲学に接近し、スピリチュアルな局面を強く反映するようになっていた。トレーンのこうした動向は、ときのニュー・ジャズ・シーンにとって極めて重要な意味をもつことになった。」
「つまり現代のジャズにおけるミスティシズムは、トレーンによって生みだされたといっても過言ではないのである。こうした彼の音楽が理論的な発展の明らかな結果であると同時に、いまなおフリー・ジャズにおける精神的なバックボーンでありつづける理由は、紛れもなくここにあるのだと断じていい。」



「オーネット・コールマン」より:

「実際、彼は生まれ落ちてから三〇余年もの間、黒人として、あるいは即興芸術家として泣かされつづけてきた。どちらにせよ、彼は異端者でしかありえなかったのだ。彼の音楽に暗い翳りがあるのはそのためだと思う。」

「実際、革新者というものは、一度はコールマンのような境涯を通らねばならぬのかもしれない。というものの、彼ほど多くの甚しい誤解と悪意に満ちた非難を受けてきたジャズマンも稀れだろう。」

「コールマンの試みたことがバップ以来の革命であるということは当然として、ジャズ固有の伝統や定形化されたフォームの破壊であったことはとりわけ重要である。それは即興という固有の特質を和声から解放したという意味においてである。それはいうまでもなく、和声を基礎にして発展してきたジャズの方向を一八〇度転換するものだったからだ。」
「いうなればそれは、メロディーとリズムを最大限に活用したメロドリズミックな方法論であり、そこではこの手法にとって最大の障壁である〈和声進行〉と、西欧音楽のリズム概念から生みだされた〈小節〉はすべて取り払われねばならなかったし、〈主題〉にしても、即興芸術がテーマとの関連によって成り立つという、従来の方程式は解体されねばならなかった。」

「はっきりしていることは、彼が〈和声〉〈調性〉〈小節〉という枠を抜けだすことによって、西欧のものでない、ジャズ独自の理念や方向が確立されたということだろう。それがフリー・ジャズなのだ。つまりフリー・ジャズとは単なる新しい音楽ではなく、思想、すなわちジャズ(中略)が発生以来、初めて獲得した唯一の思想なのである。」



「エリック・ドルフィー」より:

「どのイディオムとも等距離に在ることができた彼のこの特質は、もっと厳密にいえば、和声と非和声に対しても等間隔であったということが下地になっている。和声の探究は彼の生涯の命題であったはずだ。彼のプレイは絶えず和声の極限を徘徊した。しかし実際には、和声構造に基づくプレイを追いながらも、彼自身は絶えず和声そのものを越えていたといった方が正しい。ハード・バップをやっても、和声体系を超えたフリーな造形美を発散し、他方フリー・フォームの演奏に参加しても、決して和声感覚を失うことはなかった。(中略)ドルフィーがただならぬ存在であったことは確かだろう。それは彼が独自の語法をもっていたからであり、特異な楽器の響かせかたと誰にも真似のできないヴォイスとによって、この時代のジャズを推進するしたたかな力となっていたにほかならないからである。」

「たしかに、ドルフィーの独特な表現は当時、多くのジャズメンに衝撃を与えた。だが一つ記憶しておかねばならぬことは、それにもかかわらず、たとえばコルトレーンやコールマンの場合のような追従者を生まなかったということだ。このことは彼のシンタックスが余りにもドルフィーそのものであり、しかもその表現方法が単なるアプローチの目新しさに留まるものではなく、表現そのもののもつ深淵な領域にダイレクトに関わるものであることを示していた。その意味で、彼はそそり立つ断崖の絶壁に這いつくばる孤高の表現者であった。」

「彼は決して中庸を好んだわけではない。むしろ前衛と伝統、叫びと沈黙、絶望とユーモア、和声と非和声といった対比にみられるように、両極の間を激しく揺れ動いていた。」

「ドルフィーの実質的な活動期間は五八年から六四年にいたる約六年間である。レコードだけからみても、この僅か六年の間に、他人名義のセッションを含めて、彼はほぼ七〇に達するデイトを記録している。これだけ働いてなお生活が少しも楽にならなかったとは。(中略)少しぐらい名をあげただけでは人並みな生活すらできないのだ。こういうときドルフィーのように真摯で正真なミュージシャンほど辛い目に会わなければならないのだ。彼は妥協という二字を知らないミュージシャンであり、「食うに困って餓死状態におちいったって妥協なんかしない」といっていたほどである。彼はいう。「馬が嘶くような音をたてる。すると、何という音を出すんだといって怒りだす。よくわかるよ。けれどもぼくの求めているものが、こうした音の中にあるんだから仕方がない。感じたことや気持の中にあること以外に何が表現できるだろう」(植草甚一著、『モダン・ジャズの発展』)」







































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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