埴谷雄高 『死霊 III』

「長い長い生物史のはじめの原始の単細胞が、そのままそこに停ってしまった理由は、やがておこなわざるを得ぬ兄弟殺しをも、その後の全生物殺しをも、すべて、いさぎよしとせぬためで、そのはじめのはじめのはじめに停ったままいまも停っておりまする。」
(埴谷雄高 『死霊』 より)


埴谷雄高 『死霊 III』

講談社 1996年7月30日第1刷発行
264p 「掲載誌・発表年月」1p
A5判 角背布装上製本 貼函
定価2,600円(本体2,524円)
装幀: 辻村益朗



未完の長篇ひきこもり小説「死霊(しれい)」最終巻は七章から九章までの三章を収録。

夢野久作も「胎児の夢」で喝破したごとく、生命の進化の歴史は兄弟殺しの殺戮の歴史でした。宮沢賢治の「ビジテリアン大祭」をさらに徹底させたような本書「最後の審判」において、イエスの「人間」中心主義はイエスに食べられた「ガリラヤ湖の大きな魚」によって断罪され、釈迦の「自己」中心主義は釈迦に食べられた「チーナカ豆」によって断罪されます。最後に残ったものは「生へ向って踏みだしたくないあまり、単細胞のままで停っているもの」と、「何らかの存在になりたくないままその場に停っている無限大者」でした。「大人になりたくない」など甘っちょろいです。「生きものになりたくない」「存在するものになりたくない」――そうこなくてはウソです。


死霊3-1


目次:

七章 《最後の審判》 (「群像」 1984年10月特大号)
八章 《月光のなかで》 (「群像」 1986年9月号)
九章 《虚体》論――大宇宙の夢 (「群像」 1995年11月号)



死霊3-2



◆本書より◆


「七章」より:

「全天は、眩ゆい白熱の円盤が一片の綿雲もない蒼穹を震えのぼっていた午前とはまったく一変して、幾重にも厚く重なって薄暗い魔の棲処となっている暗黒の大きな塊りをここかしこにひきつれながら、その何処にも一筋の裂け目も見えぬ分厚い濃灰色の層を、そのはしからはしまで不機嫌に果てもなく拡げていた。」

「――まあ、まあ、あの気味悪い高志兄さんのお友達とやらいうひとのこの上なく困った病気の名は、いまよく聞きとれませんでしたけれど、いったい何んといわれたのですの?
――默狂、です。
と、そのふっくら膨らんだ円い顔も弾みあがる躯も二倍近く肥った津田夫人と正面に向きあったまま、長身な岸博士は短く答えた。
――え、默狂ですって……? ほーら、そんな変った言葉はいまはじめて聞きますけれど、それはいったいどういうふうに貴方達の前で振舞っている患者さんなんですの?
――患者としては最も穏やかといわねばなりません。つまり、文字通り、終日、まったく一語も発せず黙ったまま坐りつづけているのです。
――まあ、まあ、まあ、なあんですって? 私達の誰でも胸のなかの心の奥になどとてもしまっておけぬいろんなことがつぎつぎときりもなくでてきて、とうてい一日中黙っていつづけることなどできる筈もないのに、そのひとはいったいどうしてひとことも口に出さずに黙っているんでしょう……?
――黙らざるを得ない理由がそこにあるからです。勿論、病理的な障害のため失語状態におちいった患者が一般的ですけれども、しかしまた、これは極めて奇妙な症例ですけれど、自分自身で敢えてそうすることにあらかじめ決めてしまったため一語も発せず終日黙っている「患者」もいるのです。」

「――ふむ、というと、もう一度あらためてお前のすぐ上の兄であるこの俺の真実こめて訊き直すが、決して考えてはならず、また、決していってはならぬことが、薄暗い地下室の黙狂であるお前のほかの誰かにもまた起り得るのかな。
――必ず起ります。
――ほほう、とすると、誰の頭蓋のなかにでも起り得るそれはどういう言葉かな。
――もうそれ以後、なんらつけ加えるものも、また、言い換える言葉もないところの最後の言葉です。
――ほほう、それ以後何らのつけ加えも言い換えもできない最後の言葉だって……?
――そうです。
――ふーむ、いったい、それは何に向っての……?
――すべて、に向っての言葉です。
――ぷふい、すべてに向って、だって……? (中略)
――そう、壮大無比な悲哀と壮大無比な苦悩がともにそこにあります。
――あっは、黙狂がその永劫の沈黙を破ってついに喋りはじめたら、確かにそれは絶妙奇抜で途方もなく壮大無比なお喋りになり果てるより仕方もないだろうな。
――そうです。決していってはならぬことをついにいってしまう事態に立ちいたると、そこにはまた、決していってはならぬことをいわねばならぬ底知れぬ悲哀もいってはならぬことをいいきってしまうこの上ない壮大な苦痛も決していってはならぬことをいってしまったきびしすぎる自己呵責も、それらのすべてがあります。
――そこまで聞けば、もうお前がこれまで不思議なほど八方ふさがりの重く閉ざされた苦悩の底に深く沈みこんだまま長く黙りつづけなければならなかった何かの馬鹿げた理由はどうやら解ってきたような気がするが、だが、それにしても、さて、いいかな、お前が長く長く黙りに黙りつづけなければならなかったその窮極の内容とかいう「決していってはならぬ最後の言葉」とは、いったい、何かな。
――最後の審判、です。
――えっ、なんだって? もう一度はっきりといってみてくれ!
――この宇宙のすべてへ向っての最後の最後の審判です。
と、全暗黒を直視するようなその内部から眩ゆいほどに輝きでてきらきらと光っている彼特有の大きな眼を凝っと見開いたまま、この数年間まったく一語も発せぬ黙狂であった矢場徹吾は、何か貴重な砕け易い小さな小さな事物でもすぐ眼前の宙へそっと置くように低くいった。」

「「そうか。お前達にそれぞれ聞けば、すべては、この全宇宙の生と死の流れのように、はっきりしてきたぞ。罠だ! いいか、まず食ったものがつぎに食われ、そして、そのつぎに食われたものもその前に他を食っている! この『かくて無限に』の果てしもない連鎖こそ、窮極的な弾劾をついになりたたせまいとするこの上なく巧妙狡猾に考えぬかれつくりあげられたところの罠だ。それこそ俺達すべてに等しく絶妙狡猾に投げられた生の罠だ。そして、その生を讃えに讃える何ものかは、自分のこの上ない罪と誤りを認めたくなくて、その罠を《食物連鎖》だと名づけて、この生と存在の必当然的な自然のかたちのように声高く呼びつづけてきているのだ! (中略)まさにそうにほかならぬのだ。食物連鎖とやら、やつらは自分に都合よく、自分の生だけを讃えに讃えるためにその言葉をこの上なく勝手にうまく使いこなしていいつづけているのだ!」」

「「あっは! これでついに決った。食って食って食いつくす全的死のもたらし手の生の上限は――『人間』にほかならなかったのだ……。よーし、その食って食って俺達を食いつくす生の上限の『人間』について、食われたもののすべては、まず、お前達の何をやつらに向ってぶちまけて、とうてい許しがたい尽きせぬ思いの弾劾の上の弾劾の特別に際だったかたちを如何に愚かしいただの憎悪のみにとどまらぬところのこの影の影の影の国の最上の言葉としてやつらに投げつけ得るか、お前達の暗い暗黒のなかの死の底の底の底で考えに考えつくしておいてくれ!」」

「いいかな、ガリラヤ湖の大きな魚よ、小さなチーナカ豆よ、「死のなかの生」の胎児よ、いいかな、この生のなかには二つの型がある。この生と存在の暗い秘密をただただ解くためにのみ生きているものと、死ぬまで生きているから生きているものとの二つの型だ。その第一を、思索の極限をついに超えて或る絶対へまで飛躍してしまおうとする一種狂気のなかのヴィジョン型、その第二を日常に密着したところの着実堅固な生活型、と呼び換えてもいいのだ。そして、勿論、存在の底もない深い罠にかかった生と、果てもない横拡がりの生の罠にかかった心と魂のすべての暗黒の秘密、とうていついに解きあかしおおせることなどできぬであろうほどの暗黒のなかの大暗黒の怖るべき秘密に向ってなお直進しつづけてただひたすらやまないものこそは、この第一の型のいわば狂気のなかの永劫探求者にほかならぬのだ。」

「光あれといいて、光そこにあれば、
すべての悪、その光よりはじまりぬ。」

「おお、間違えてはならない。(中略)探すべき唯一無二の真の加害者たる初源の相手こそは、まさに(中略)「光」そのものにこそほかならぬのだ!」



「八章」より:

「――この小さな活字がみんな「さかさま」に彫られていながらそれぞれ意味をもっているのは、何か違った世界からの伝言でももたらしているようで奇妙な気がしますわ。」
「――そう、「さかさま」ね。(中略)だけど、お嬢さん、それぞれ小さな魂をもっているこの黒い活字の彫られ方も組み方も、すべてが「さかさま」になっているからこそ、逆さまでない生きた魂の意味をお嬢さんにはっきりと伝えるのね。」

「――私は、姉の夢をみたいと、毎晩、思っています。(中略)ところが、姉の夢は、数年に一回くらいで……何時も、安寿子さん、何時も、ですよ、まったく見知らぬひとやものやところが、出てきます。
――あっ……!
と言葉にならぬ低い胸奥からの叫びが、津田安寿子から洩れでた。
――見知らぬひとや、ものや、ところが、私のなかに、限りもなく「なくてある」のです。それは、(中略)私にも、安寿子さんにも……そしてまた、与志さんのなかにも、「隠れて」います。私がみた見知らぬものの「ほか」に、なおまだ、私が一生みないままに「隠れて」いるものは、それこそ、奥の奥の何処かの隅に「出てこぬまま」に、数限りもなくあります。そして……。
――そして! それが、人類滅亡のとき……その私達のなかに「隠れて」いる無数の何かが、「われならざる虚在のわれ」についになるんだわ! 解りました。黒川さんから話されてまるで解らなかった「未出現宇宙を引きだす創造的虚在」とかいう難かしい言葉を、これほどはっきり解り易く教えていただいたのは、貴方からがはじめてです!」



「九章」より:

「――左様で……。ここにひとりの人間が寝ていまして、その重さをはかりつづけている裡に、彼は夢をみますが、さて、夢をみましても、彼の重さにいささかの増加も変動もございません。つまり、夢、には、重さがございません。ところで、無限のなかの嘗ての「異宇宙」も無限を通ずる「未出現」も、そしてまた、無限のなかにやがてくる「異出現」も、まざまざと眺め得てしまうのは、夢、しかございません。これまた、つまり、夢のなかにあります「もの」のみこそ、無限存在的「存在」にほかなりませぬ。
――はーて、またまた異なことをうけたまわるものじゃな。もし、夜、目を閉じたまま、わしの頭の奥でみる、夢のなかでのもの、のみが、存在、なら、昼間、わしがこの確かな自分の眼でみるこの世のもろもろの存在のほうは、どうなるのかな。
――それを、通常、存在、と呼んでおりまするが、それは、谷間に架かった虹、の現象のごとくつかのまに消え失せる、いわば、医学で申しまする一過性の現象的存在にすぎませぬ。」



















































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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