窪田般彌 『カザノヴァの生涯と回想』

「文学はすべて、生存の空しさから生まれるといったら言いすぎだろうか。」
(窪田般彌 『孤独な色事師 ジャコモ・カザノヴァ』 より)


窪田般彌 
『カザノヴァの生涯と回想』


薔薇十字社 
1972年9月30日 初版発行
273p 
菊判 角背紙装上製本 機械函
定価1,600円



本書の「あとがきに代えて」には、「私がカザノヴァに関心を持ったのは、学生時代にアンリ・ド・レニエの小説『生きている過去』を読んでからである」とあります。
わたしはじつをいうとカザノヴァには関心がありません。しかし窪田般彌には関心があるので、ヤフオクで840円(送料込)で出ていた本書を買ってみました。
本書はもともと『孤独な色事師 ジャコモ・カザノヴァ』という表題で、黄色い貼函入で刊行されたものですが、私が買ったのはたぶん返本を函だけ替えて(そのさい函に記載するタイトルを学術書ふうの『カザノヴァの生涯と回想』に変更して)売ったもののようです。私などには測り知れないおとなの事情が背後に潜んでいるようです。書誌学的にはどちらの表題を採るべきか迷うところで、むろん本体(奥付)にある『孤独な色事師』を採るべきですが、紛らわしいです。
内容的には『カザノヴァ回想録』の解説(評論集『幻想の海辺』に収録されています)を元に、やや詳しく論述しています。


窪田般彌 カザノヴァの生涯と回想 01

函。


窪田般彌 カザノヴァの生涯と回想 02

本体表紙。


挟み込み「新刊案内」より:

「十八世紀ヨーロッパ――享楽と頽廃、知性と神秘主義、啓蒙と革命、幻想と科学が同時に花咲いた《最も美しい時代》の象徴であり鏡である未だ復権されざる孤独なる自由人ジャコモ・カザノヴァ。そのホモ・エロティクスとよばれる自由への志向、冒険と愛の生涯を、最適任者窪田般彌が書きおろしたわが国初の本格的カザノヴァ評伝。生涯、時代、冒険家、女たち、凋落のカザノヴァ、『回想録』以後と、適切な視点で描き出されるカザノヴァの全体像は、その時代の背景とともに、はじめて正当なる位置への復権の必要性を理解させる。」


目次:

第一章 生涯
第二章 時代
第三章 冒険家
第四章 女たち
第五章 凋落のカザノヴァ
第六章 『回想録』以後
第七章 あとがきに代えて

参考文献



窪田般彌 カザノヴァの生涯と回想 03



◆本書より◆


「早くから両親と別れ祖母のマルツィアに育てられたカザノヴァの幼年時代は、孤児のように惨めで暗かった。彼は母になじまなかったし、兄弟達にも親しまなかった。カザノヴァには三人の弟と二人の妹があったが、彼が愛情を寄せ、いろいろ面倒をみてやったのはフランチェスコだけである。(中略)しかし、他の兄弟は全くの他人に等しかったから、例えば数十年ぶりに神父となっている末弟とジェノヴァで会ったときにも、カザノヴァは彼を興味のない人物と思い、少しも感動しなかった。」

「カザノヴァが記憶に残している最も幼い頃の思い出は鼻血である。一七三三年八月初旬のことで、八歳と四ヵ月になっていた。或る日、カザノヴァは部屋の隅で、壁に向かってかがみこみ、頭をかかえながら、鼻からどくどくと流れ出る血が床の上を流れるのをじっと見つめていた。彼を非常に愛していた祖母のマルツィアがそばにかけ寄り、きれいな水で顔を洗ってくれ、ヴェネチアから半里ほどのムラーノ島に連れていった。そこは魔法使いの老婆が住んでいる荒屋で、二人の老婆はカザノヴァを箱のなかに入れ、こわがることはないと言いながら蓋をしめた。箱のなかで、彼は笑い声、泣き声、叫び声、それに上から蓋をたたく音を聞いた。外に引き出されると、鼻血もとまっていた。すると老婆は何度も彼を撫でさすり、服をぬがせてベッドに寝かせ、何か薬品をもやして、その煙を一枚の布切れのなかにかき集めた。そしてその布切れで彼をくるみ、呪文をとなえた。それが終わると、彼女はボンボンを五、六個くれ、服をきせてくれた。それから、どんな治療法をしてもらったかを黙っていれば鼻血もとまるが、秘密を口外すれば命をなくすだろうとおどかし、さらに、夜に一人のきれいな婦人が訪ねていくが、そのことを誰にも話さなければ彼女から幸せを与えられるだろうと言った。
 夜になると、まばゆいばかりの女が煙突から入ってきた。彼女は大きく裾のひろがったパニエをつけ、素晴しい布地の服をまとい、頭には宝石をちりばめた冠をのせていた。そしてベッドに腰をおろすと、ポケットから小さな箱を取り出し、何かつぶやきながら箱のなかのものをカザノヴァの頭にふりかけた。それから、また何かわけのわからないことを長々とのべたてて、カザノヴァに接吻して帰っていった。
 この話は取るに足らないものであるかもしれない。しかし、この一件は少年カザノヴァに深い印象を与え、生涯にわたって神秘学への偏愛を植えつけることになった。勿論、カザノヴァは魔法使いの存在などは信じていないけれども、そうしたものの不可思議な効力をみだりに疑ったりはしない。」

「少年カザノヴァは病身で極めて弱かった。病気は彼を陰鬱にし、面白味も可愛げもない子供にしてしまったので、誰もが彼を憐れみ相手にしなかった。両親も全くといっていいほど言葉をかけてくれなかった。食欲もなく、いかなることにも熱中できず、まるで白痴みたいだったと自ら語るその姿は、とても後年の多血質で快活な活動家カザノヴァの姿を想像できるものではない。」

「『回想録』は一代の自由人が晩年に到達しなければならなかった寂寥の所産だった。もし彼にこの絶対孤独の寂寥がなければ、恐らく『回想録』などは書かれなかったろう。
 カザノヴァはもう一度思い出のなかに人生を楽しむために、そしてそうすることが、気が狂いそうになったり、悲しみに死にそうになる毎日から身を守る「唯一の治療法」であったために、かつての恋人たちの色あせた手紙やその他の記録文書を繙きながら、自分の『生涯の歴史』を書いた。一日の大部分の時間はこのために当てられた。」

「類稀な才能の持主だったカザノヴァは、心掛けひとつでいずれかの部門の知識をより完全に身につけ、その道で大成することもできたかもしれなかった。しかし、彼には最初からそんな気は全くない。何者にでもなれる天才とは、何者にもなれない天才である。ツヴァイクも徹底性に欠けたカザノヴァは完璧なディレッタントだと言っている。カザノヴァはこの言葉を甘受するだろう。その代わりに彼は自由を得た。家族も家庭もなく、祖国すらも失った束縛のない放浪は、何らかの職業に甘んじている生活よりは、はるかに大きな幸福である。彼は自分自身が自分の主人であり、自分の生活信条は不幸を恐れぬことだと言い、「どこかに定住するという考えはつねに嫌悪の情を抱かせ、道理にかなった生活は全く性に合わない」と語る。これは真の自由人のモラル以外の何ものでもない。」

「一般に十八世紀は啓蒙の世紀といわれ、理性と合理主義が主導権を握る。賢者の石や呪いや万能薬を嘲笑したモンテスキューは、不条理な偶像をつくる想像力を欺瞞的な代物として非難し、無知の母胎となる軽信を攻撃するヴォルテールは、迷信を人間精神を堕落させる最も恐ろしい毒素と見なしていた。合理主義と科学を主体とする進歩思想にささえられていたこれらの哲学者たちの啓蒙は、たしかに無知蒙昧という「闇」に理性の光を与え、ことの正邪に合理的な判断を加えるものであった。
 しかし、理性の光などには限りがある。マルセル・シュネデールが言うように、われわれがつねに「混乱と無知と恐怖のなかに生きている」ものであるかぎり、「闇」はいつまでもわれわれにつきまとう。現代のように応用科学や技術が高度に発達した時代においても、「闇」は一向に薄れるものではない。実利主義的な金銭取引きや商売がのさばり、官僚政治と組織とが束縛を強くする時代には、自由と冒険心を奪われた人間の心に、「闇」は一そうその深さをこくするだろう。現代の幻想文学復活の背景には、こうした事情が大きく影響しているように思われる。すなわち、そうした「闇」の不安からは、「夜の、神秘の、そして聖なるものの色彩をおびた」一切の幻想的なものが生まれてくる。
 フランスを中心とした十八世紀のヨーロッパにおいても、神秘学は理性への返逆として、かえって隆盛をきわめた。すでに十七世紀末からヨーロッパに最も普及した書物のなかに、薔薇十字団の思想を紹介するフランスの神秘家モンフォコン・ド・ヴィラールの奇書『ガバリス伯爵』や、オランダの牧師バルタザール・ベッカーの『魔法にかけられた世界』があったことは、理性時代における理性の限界を示す何よりの証拠であろう。
 フランス幻想文学の先駆者ジャック・カゾットは、『ガバリス伯爵』に魅せられて『恋する悪魔』を書いている。また、スウェーデンの哲学者エマヌエル・スウェデンボルイは科学への不信を表明して心霊研究に没頭したが、彼の思想は当時流行したフリーメーソンの原動力となり、マルチネス・ド・パスカリやクロード・ド・サン=マルタンのような幻視者の誕生をみた。そして、懐疑と迷信とが共存していた大革命前ののどかな時代風潮のなかから、山師と呼ばれ冒険家といわれた行動的な自由人が何人も輩出した。」
「時代がこのような風潮に包まれていたればこそ、カザノヴァのように才智にたけた男には、古代の異教の司祭のように、無知な軽信家たちを騙し、やすやすと尊敬の念を抱かせることができたのだ。」

「冒険家に迷信家的な要素があることは容易に推測できることだが、華やかな青春時代にカザノヴァが行動の指針としたのは、「神ニ従エ」というストア派の金言だった。彼はこの金言を信じ、自分のよき守護神に守られつづけてきた。そして彼の人生は順風満帆、少しの狂いもなかった。しかし、一七六一年にミュンヘンに来たころから、運命は次第に下り坂となった。(中略)カザノヴァは精神的にも肉体的にも弱りきり、無卦にまわった人生にひとつの危機を感じていた。彼の宿命的な守護神は、「次々と愚かな行為を激しくしていった。」」

「『回想録』を読みつづけていくと、巻を追うごとに次第に人生の悲哀がにじみ出てくる。(中略)『回想録』のひとつの面白さは、次第にその濃さを増してくる後半の影の部分である。少くとも私には、前半の絢爛とした冒険譚以上に興味深い。広い意味での文学が語られているからである。」

「詩人の倦怠や寂寥に不必要な同情を寄せてはいけない。アナトール・フランスの言い草ではないが、歌う者は絶望をも美しくする術を心得る。世間的な意味での文学者になりそこねた文人カザノヴァも例外ではなかった。彼は痛風のためにきかなくなった指を酷使しながら、日に十三時間も書きつづけた。文学はすべて、生存の空しさから生まれるといったら言いすぎだろうか。十二巻の『回想録』は、何よりもこのことを証明しているではないか。」


































































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本