塚本邦雄 『茂吉秀歌 『つゆじも』~『石泉』百首』

「ともあれ、背後の事情は背後の事情、作品鑑賞に、一々楽屋落ちにつきあつてゐる義理も必要も全くあるまい。」
(塚本邦雄 『茂吉秀歌 『つゆじも』~『石泉』百首』 より)


塚本邦雄 
『茂吉秀歌 
『つゆじも』『遠遊』『遍歴』『ともしび』『たかはら』『連山』『石泉』百首』


文藝春秋 
1981年2月15日 第1刷
388p 
四六判 丸背布装上製本 貼函 
定価3,600円
装幀: 政田岑生



本書「解題」より:

「齋藤茂吉著十七歌集鑑賞の際、その順序、排列、作品選擇は種種意見の岐れるところであらう。」
「私が、この度、第三巻を、制作年代順第三番の『つゆじも』から第九番の『石泉』までの七歌集としたのも、さして深刻な意味はない。制作年代・上梓年代の、微妙に重なり合ふ順序を尊重すると同時に、「秀歌百首」の、妥當な選擇抽出が、これに自然に隨伴することを第一目的とした。」
「作者三十六歳の十二月から十六年にわたるこの七歌集、時には佳作、問題作に乏しいことを喞つ聲も聞えるが、深く分け入れば、讀者を搏ち、昂らす要素隨處にひそむ、好個の書である。何を引き出し、何を體得するかは、各人の努力と才質によるだらう。その意味では試金石的歌集群でもある。」



全五巻のうちの第三巻。正字・正かな。


塚本邦雄 茂吉秀歌 03


帯文:

「既刊二冊、今や茂吉の短歌鑑賞に缺かせぬ秀作との評價を博している戰後歌人の《極北》が放つ第三彈! 第三歌集から第九歌集に至る七歌集への明晰な書下しによる評解は豐潤な實りを示して滯ることがない


帯裏:

「――三箇月がかりで對象七歌集抜粹百首を鑑賞し終つて、一般には、備忘録の寄せ集め風に考へられてゐる滯歐詠や、何となく埃臭い印象の滿關支詠に、意外に興味津津の素材が犇き、劃期的な文體が散見できることに、改めて目を見張つた。外國語頻用も特徴の一つである。必ずしも留學作品に限らず、歸國後の日常詠も、幻惑的な横綴りを鏤める。奇趣を呈しつつ作品はいささかも變質せず、昂然たる趣である。世界のいづれの地に赴いても、過たず對象の本質を直感して、作品化する、あの抜群の言語感覺は羨しい。備忘録同樣と自稱する滯歐作品にすら、現代の外地詠の學ぶべき點は多多ある。
出典の、より深く、より廣くなつてゆくのも注目に價する。「唐津濱」の芭蕉、「山房の夜中」のニーチェ、「撫順」の『詩經』、「上山低徊」には「薤露歌」など、數多の好例のほんの一部だが、作者と讀者の間に快い緊張關係を生む暗示は、この度の百首の中に殊に多い。そして更に、この傾向は『寒雲』の頃に、空前の實りを見せるのであらう。
(著者「跋」より)」



目次:

『つゆじも・遠遊・遍歴・ともしび・たかはら・連山・石泉』解題

『つゆじも・遠遊・遍歴・ともしび・たかはら・連山・石泉』百首
『つゆじも』
 とほく來てひとり寂(さび)しむに長崎の山のたかむらに日はあたり居り
 長崎は石だたみ道ヴェネチアの古(ふ)りし小路(こうぢ)のごととこそ聞け
 ヘンドリク・ドウフの妻は長崎の婦(をみな)にてすなはち道富丈吉(だうふぢやうきち)生(う)みき
 南蠻繪の渡來も花粉(くわふん)の飛びてくる趣(おもむき)なしていつしかにあり
 外(と)のもにて魚(うを)が跳ねたり時のまの魚(うを)跳ねし音寂しかりけれ
 ゆふぐれの泰山木(たいざんぼく)の白花(しろはな)はわれのなげきをおほふがごとし
 湯いづる山の月の光は隈なくて枕べにおきししろがねの時計(とけい)を照らす
 石原に來り默(もだ)せばわが生(いのち)石のうへ過ぎし雲のかげにひとし
 海のべの唐津(からつ)のやどりしばしばも噛みあつる飯(いひ)の砂(すな)のかなしさ
 いつくしく虹(にじ)たちにけりあはれあはれ戲(たはむ)れのごとおもほゆるかも
 風ひきて一日(ひとひ)臥したりわが部屋のなげしわたらふ蛇(くちなは)ひとつ
 胡桃(くるみ)の實(み)まだやはらかき頃(ころ)にしてわれの病(やまひ)は癒(い)えゆくらむか
 秋水(あきみづ)をわきて悲しとおもはねど深き狹間(はざま)に見るべかりけり
 雨はれし港はつひに水銀(みづがね)のしづかなるいろに夕ぐれにけり
 長崎の晝しづかなる唐寺(たうでら)やおもひいづれば白(しろ)きさるすべりのはな
 松かぜのおともこそすれ松かぜは遠くかすかになりにけるかも
 ながらふる月のひかりに照らされしわが足もとの秋ぐさのはな
 あららぎのくれなゐの實(み)を食(は)むときはちちはは戀(こひ)し信濃路(しなのぢ)にして
 くたびれて吾の息(いき)づく釜無(かまなし)の谷のくらがりに啼くほととぎす
 茶館(ちやくわん)には「淸潤甜茶(せいじゆんてんちや)」の匾(へん)がありにほへる處女(をとめ)近づき來(きた)る
 黑々としたるモツカを飲みにけり明日よりは寒き海をわたらむ
『遠遊』
 Prater(プラータ)にひとり來りて奇術師と蚤戰爭と泣く小劇(せうげき)と
 酸模(すかんぽ)の花のほほけし一群(ひとむら)も異國(ことぐに)ゆゑにあはれとおもふ
 佛蘭西の士官等あまた往來(ゆきき)する街上(がいじやう)の夜にわれは孤兒(こじ)のごとしも
 シルレルの死にゆきし部屋もわれは見つ寂(さび)しきものを今につたふる
 この町のマリアテレジア街上(がいじやう)をゆく女等(をんなら)は顔(かほ)赤羅(あから)ひく
 陽(ひ)をうけし雪溪(せつけい)のいろむらさきに西北方(せいほくはう)に極(きは)まらむとす
 芍藥(しやくやく)のむらがり生(お)ふるこの園(その)を歩むはなべて維也納(ウインナ)をとめのみ
 このゆふべ數(かず)の子(こ)食ひぬ愛(かな)しくもウインナの水にほとびし數(かず)の子(こ)
 酒藏(さかぐら)に白葡萄酒(しろぶだうしゆ)を飲むときはさびしく過ぎし一年(ひととせ)おもふ
 雲あかきゆふまぐれどきゴンドラに乘りつつ來(きた)れ旅はさびしも
 ヴェネチアの夜のふけぬればあはれあはれ吾に近づく蚊のこゑぞする
 南方(なんぱう)を戀ひておもへばイタリアの Campagna(カムパニヤ)の野に罌粟(けし)の花ちる
 黑貝(くろがひ)のむきみの上にしたたれる檸檬(れもん)の汁(しる)は古詩(こし)にか似たる
 黑(くろ)き壁(かべ)に童子(どうじ)樂書(らくがき)のこりけり武士(ぶし)鬪(たたか)ひてひとり僵(たふ)るるところ
 レオナルドウの立像があり四隅(よすみ)なる四人(よたり)の門弟(もんてい)はともに美靑年(びせいねん)
『遍歴』
 支那國(しなこく)の人ひとりゐて山がはの流れ見おろすは何か寂しき
 行進の歌ごゑきこゆ Hitler(ヒツトラ)の演説すでに果てたるころか
 一月二十一日 Lenin(レエニン)死して軟腦膜に出血ありしがごとし
 かすかにてあるか無きかにおもほゆる草のうへなる三月(さんぐわつ)の霜(しも)
 基督(きりすと)のよみがへりし日旅(たび)を來てみづうみの中(なか)に衣(ころも)さむけく
 ミユンヘンの假(かり)のやどりに食(は)む飯(いひ)や Maggi(マツジー)にしめす海の海苔(のり)の香(か)
 ネツカーの川上(かはかみ)の方(かた)に山たたまる川下(かはしも)のかたは夢(ゆめ)のごとしも
 現身(うつせみ)のはてなき旅の心にてセエヌに雨の降るを見たりし
 齒いためば Concorde(コンコルド)公園の腰かけにひとり來りてこらへつつ居り
 この都市のみづうみのほとり歩み來て小さき時計ひとつ買ひたり
 現身(うつしみ)のわれとほとほとすれずれに大きするどき雪山(ゆきやま)の膚(はだ)
 この市(いち)に蛤貝(はまぐりかひ)も柹も賣るカキ・ジヤポネエと札(ふだ)を立てたり
 セエヌ川の對岸よりのびあがりてアナトールフランスの葬送(さうそう)見たり
 空(そら)の藍(あゐ)つよさきはまりて描かれし寺院(じゐん)をも見つ動悸しながら
 汗にあえつつわれは思へりいとけなく瞿曇(くどん)も辛(から)き飯(いひ)食ひにけむ
『ともしび』
 かへりこし家にあかつきのちやぶ臺(だい)に火燄(ほのほ)の香(か)する澤庵を食(は)む
 きこゆるはあはれなるこゑと吾(あ)はおもふ行春(ゆくはる)ぞらに雁(かり)なきわたる
 かぎろひの春山(はるやま)ごえの道のべに赤がへるひとつかくろひにけれ
 München(ミユンヘン)にわが居りしとき夜(よる)ふけて陰(ほと)の白毛(しらげ)を切りて棄てにき
 さ夜ふけゆきて朱硯(しゆすずり)に蚊がひとつとまりて居るも心がなしも
 Thanatos(タナトス)といふ文字見つけむと今日(けふ)一日(ひとひ)燒けただれたる書(ふみ)をいぢれり
 山のべにかすかに咲ける木莓(きいちご)の花に現身(うつしみ)の指(ゆび)はさやらふ
 さ夜ふけて慈悲心鳥のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに
 戀にこがれて死なむとすらむをとめごもここの通(とほり)に居(を)るにやあらむ
 山なかのほそき流れに飯(いひ)のつぶながれ行きけりかすかなるもの
 いそぎ行く馬の背(せ)なかの冰(こほり)よりしづくは落ちぬ夏の山路(やまぢ)に
 罪ふかき我にやあらむとおもふなり雪ぐもり空さむくなりつつ
 とりよろふ靑野(あをぬ)を越えてあゆみつつ神(かみ)死(し)したりといひし人はも
 湯のなかに靑く浮かししあやめぐさ身に沁むときに春くれむとす
 目のまへの雜草(あらくさ)なびき空國(むなぐに)にもの充(み)つるなして雨ぞ降りゐる
 秋づきて心しづけし町なかの家に冰を挽(ひ)きをる見れば
 木曾やまに啼きけむ鳥をこのあしたあぶりてぞ食ふ命(いのち)延(の)ぶがに
 うつし身は現身(うつしみ)ゆゑになげきつとおもふゆふべに降る寒(かん)のあめ
 死(しに)のごとしづまりかへる沼(ぬま)ありてゆふぐれ空(ぞら)に啼くほととぎす
『たかはら』
 章魚(たこ)の足を煮てひさぎをる店(みせ)ありて玉(たま)の井(ゐ)町(まち)にこころは和(な)ぎぬ
 よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだに居(ゐ)よ
 この身なまなまとなりて慘死(ざんし)せむおそれは遂に識閾(しきゐき)のうへにのぼらず
 高原(たかはら)に光のごとく鶯(うぐひす)のむらがり鳴くはたのしかりけり
 百貨店の夜(よる)の地下室に鯉飼へり紅(あか)き鯉(こひ)ひとつみづに衰(おとろ)ふ
 雪谿(ゆきだに)にあかき蜻蛉(あきつ)は死にてをりひとつふたつにあらぬ寂(さび)しさ
 ふりさけて峠を見ればうつせみは低(ひく)きに據(よ)りて山を越えにき
『連山』
 水師營(すゐしえい)の會見所(くわいけんじよ)にて書きとどむ「棗(なつめ)の樹(き)より血(ち)しほ出(い)でけむか」
 色(しき)の欲(よく)此處に封じて一冬(ひとふゆ)を越えむとしつつ干す唐(たう)がらし
 わがそばに克琴(くうちん)といふ小婦(せうふ)居り西瓜(すゐくわ)の種子(たね)を舌の上(へ)に載す
幽かなるもののごとくに此處に果てし三瓶與十松君(みかめよそまつくん)を弔ふ
ダライ湖(こ)に群れてわたらふ雁(かりがね)の聲もきこえず冬は深まむ
 雪の降るまへのしづかさの光ありて陶然亭(たうぜんてい)を黑猫あゆむ
 をのこ等に打たれけむかも紅色(こうしよく)の皮弁(ひべん)といへる古樂器(こがくき)ひとつ
『石泉』
 きさらぎのはだれのうへに見つつゆく杉(すぎ)の靑き葉(は)おちてゐたるを
 政宗の追腹(おひはら)きりし侍(さむらひ)に少年(せうねん)らしきものは居らじか
 この谿(たに)に馬醉木(あしび)の古木(ふりぎ)生(お)ふれども花のことごとはやも過ぎたり
 裏戸(うらと)いでてわれ畑中(はたなか)になげくなり人のいのちは薤(かい)のうへのつゆ
 冬がれてすき透(とほ)る山にくれなゐの酸(すゆ)き木(こ)の實(み)は現身(うつせみ)も食ふ
 義經(よしつね)のことを悲しみ妻とふたり日(ひ)に乾(かわ)きたる落葉をありく
 あかつきのいまだ暗きにはかなきや八木(やぎ)ぶしの夢(ゆめ)みて居たりけり
 春さむく痰喘(たんぜん)を病(や)みをりしかど草(くさ)に霜ふり冬ふけむとす
 八層(はつそう)の高きに屋上庭園(をくじやうていゑん)ありて黑豹(くろへう)のあゆむを人らたのしむ
 心中(しんぢゆう)といふ甘(あま)たるき語(ご)を發音するさへいまいましくなりてわれ老(お)いんとす
 合歡(ねむ)の葉に入りがたの日のひかりさしすきとほるこそ常(つね)なかりけれ
 おほつぴらに軍服(ぐんぷく)を著て侵入(しんにふ)し來(きた)るものを何(なに)とおもはねばならぬか
 係戀(けいれん)に似しこころもて樺太の原始林をただ空想せりき
 黑巖(くろいは)に水しみづるを見たりけり人のくるしきこころ絶えつつ
 舟に乘りて阿寒の湖を漕ぎためば思ひも愛(かな)しこの縁(えにし)はや
 山水圖(さんすゐづ)は樂(たの)しくもあるかこの身さへ山のそこひにかくるるごとし

跋――茂吉煥發

収録歌一覽




◆本書より◆


「Prater(プラータ)にひとり來りて奇術師と蚤戰爭と泣く小劇と」より:

「プラーター公園はウィーン市街の東部、ドナウ河とどなう運河に挾まれた一隅にある。後の日、映畫『第三の男』の大觀覽車シーンで名を高めた遊園地で、樣樣な遊戲施設や飲食店がひしめき合つてゐる。「四月三十日、ひとり Prater 公園にあそぶ。」云云の詞書あり、風變りな見世物を物見高く覗いて廻りながら、何か滿たされず憂鬱さうな作者が、目に浮んで來る。「と」で三つ繋いで投げ出した趣が、「あはれ」など連發されるより、よほど胸に響く。茂吉の「ひとり=あそぶ」横顔が、この頃處處に見られ、同情を禁じ得ない。」


「この都市のみづうみのほとり歩み來て小さき時計ひとつ買ひたり」より:

「惜しむらくはこの歌、チューリッヒであることを、冒頭の詞書に賴らねばならず、一首としての獨立性がない。「チューリッヒ」とか「スイス」とか詠みこむのは藝がないが、せめて「この」が、他の具象性のある名詞であつたら、すいす作品群中の珠玉となつてゐたはずだ。勿論、第一級の、作者の個性、文體に横溢などといふ力作ならず、茂吉の名が消されてゐたら、たとへば名も知れぬマイナー・ポエットの、歌集の中でめぐりあふ逸品といふ感じの、愛すべき一首としてだ。『遠遊』『遍歴』を通じて、最も印象に殘るのはかういふ「小品」的な味はひの佳作だ。もつとも、それは必ずしも多くはない。」


罪ふかき我にやあらむとおもふなり雪ぐもり空さむくなりつつ」より:

「ともあれ、背後の事情は背後の事情、作品鑑賞に、一一樂屋落ちにつきあつてゐる義理も必要も全くあるまい。」


「百貨店の夜の地下室に鯉飼へり紅き鯉ひとつみづに衰ふ」より:

「時は夜、所は百貨店、それも地下室、目的物は水中の緋鯉。意外な條件と9題材が次次と提示されて、それがまことにさり氣なく、淡彩を施された素描さながらに浮び上る。そこまでなら、いささか眼のつけどころの特異な都會囑目として、讀み過される場合もあらうが、その緋鯉が「みづに衰ふ」あはれな状態であり、そこが一首の核となつてゐるのに氣づくと、この歌は俄に、新鮮な映像となり、不可解な主題を沈ませた調べとなつて、讀者に向き直る。衰微を表現することによつて生命を得ることの面白さ。
 これが「衰ふ」でなくて躍動してゐたり、鱗をきらめかせてゐたりだつたら、(中略)常凡な作に堕する。」
「「ひとつ」とは、そのまま群を離れたことを示す。件(くだん)の緋鯉の伴侶や眷屬、この時から「紅(あか)き鯉(こひ)」とは交りを絶ち、彼は病める異類として、區別される。だが、外部空間の彼方へ移ることはできない。境界を越えるのは「死」の後のことだ。歌はそこまでは歌つてゐない。「みづに衰ふ」で口を噤む。あらぬ空間に閉ぢこめられ、無抵抗をさだめとした魚類のあはれ。しかも、園場所が、(中略)「百貨店」であることの、不自然な自然さのあはれ。」
「どこかに、今はもう自然には還りきれない作者自身の投影を見る。東京にもなじめず、藏王山麓にも場所を喪つた二重性格・雙面神の、行くべき所は、水の中ならぬ、「孤」と呼ぶ檻、そこに自己幽閉する以外にはなかつた。」



「八層の高きに屋上庭園ありて黑豹のあゆむを人らたのしむ」より:

「人人は獰猛殘忍な兇獸が、囚はれて蟄居を強ひられてゐる有樣を格子越に見る。兇惡犯の美男を、牢獄の格子越しに見るやうに、絶對安全な場所に身をおいて、險惡優美な晒物(さらしもの)を鑑賞する。人ならば屈辱のために眼を伏せ、次に憤怒に驅られて眦を決するだらう。豹は鼻であしらひ、人間の眼など全く意に介せぬかに、逍遥徘徊してやまぬ。人は、自分が今、地上八階の、強震にでも遭へばたちまち崩れ去るかも知れぬ、危い空間に、この惡魔の使者めいた美しく、險しい獸を眼で樂しむ。」


「山水圖は樂しくもあるかこの身さへ山のそこひにかくるるごとし」より:

「顧て『つゆじも』以來の歌を思ふ時、療養詠といひ、外遊詠といひ、滿洲・支那・北海道・樺太の紀行といひ、はたまた、あまたたびの國内旅行詠といひ、すべて、作者の日常と、無可有の、幻の國の間を行き交ふ谺をなす部分こそ、作者の秘めた希求であり、まさに魂の聲ではなかつたか。山水圖を戀ひつつ、作者は常に孤獨であつた。」


塚本邦雄 茂吉秀歌































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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