岡谷公二 『神の森 森の神』 (東書選書)

「こうして私たちは森を伐り、神秘と別れるのだ。神秘と闇が、便利と明るさに抗することなど、とてもできはしない。それが世の趨勢というものであろう。しかし私たちが、追放した神々から復讐を受けないという保証はどこにもない。」
(岡谷公二 『神の森 森の神』 より)


岡谷公二 
『神の森 森の神』

東書選書 109

東京書籍 
昭和62年10月20日 第1発行
205p 口絵i 
四六判 並装 カバー
定価1,000円
装幀: 勝井三雄



本書「あとがき」より:

「沖縄で御嶽(おたき)を見て以来、私は、社殿も鳥居もない、森だけの聖地に強くひかれてきた。そしてここ数年、同種の聖地を求めて、離島や僻村に旅をした。本書は、そのささやかな記録である。
 私は、森のほかに何もないのが、神社の原初の姿だと信じている。それは私たちがかつて、神を迎える空間に、人工のさかしらを持ちこむのを忌んだ、ということである。」



本文中図版(モノクロ)5点、地図8点。


岡谷公二 神の森 森の神


帯文:

「樹木に包まれた
聖なる空間
社殿を持たず、
照葉樹が生い茂るだけの
なにもない聖域。
御嶽で感じたものを探して、
沖縄から若狭へと
聖なる森を訪ねる紀行。」



カバーそで文:

「私は、御嶽の信仰を支える心性の中には、神社の信仰を支える心性と異なるものがあるのではないか、とさえ考えてみた。それは、具体的に言えば、柳田、折口以来の単純な日琉同祖論に疑問を呈することであった。しかし先人たちの眼からのがれた、隠れひそむそうした心性の露頭を、どこにも見出すことはできなかった。
私はやがて、神社が一律に社殿を持ち、男の神主を祭祀者とする、という考え方こそ再検討を要する、と思うようになった。神社化した御嶽が存在するように、本土の方にも、御嶽に似た、社殿も鳥居もない聖地がどこかに残っているのではなかろうか? 私は、旅に出るたびに、そうした聖地を探し求めた。
(本文より)」



目次:

一 ひとつの経験――御嶽
二 奄美の神山
三 種子島のガロー山
四 薩摩・大隅のモイドン
五 対馬の天道山
六 蓋井島の森山
七 西石見の荒神森
八 若狭のニソの杜

あとがき
参考文献



岡谷公二 神の森 森の神 02



◆本書より◆


「奄美の神山」より:

「大島における神山伐採の歴史は、大島が薩摩の支配下に入った時代に遡る。」
「藩は次第に、ノロやユタに対する弾圧を強める。『大奄美史』によると、安永六年(一七七七)、(中略)勧農使として大島に渡った得能通昭は、村人の恐れて近づかない神山の古木を自ら伐り倒して神罰の当らぬことを実証してみせ、(中略)神山伐採をすすめ、こうしてノロやユタたちが、聖地として一切手を触れさせなかった山々や原野を開墾して、大きな実績をあげたという。
 こうした方針は、強化されこそすれ、緩められることはなかった。」
「「物質文明の中毒」や経済観念の発達は、ノロ信仰を風化させ、神山伐採の動きをいっそう促したであろう。」
「まして開発一辺倒の現在に至っては、もはやなにをか言わんやである。
 こうして大島の、とくに北部の神山はことごとく伐られた。」

「ここも三方を山に囲まれているが、山が深く、その上ごく近くまで迫ってきているので、ひどく狭隘で、孤立した感じがする。実際ごく最近バスが通うようになるまで、険しい山道を越えて瀬戸内側の瀬武へ出るか、舟を使う以外には、部落には外界と接触する手段はなかったのである。この不便さが、カトリックの進出を妨げ、古来の信仰や習俗を守らせる結果になったのであろう。
 ミャーの近くに、二本のデイゴの大木が深々と茂って、枝をさしかわし合っている場所がある。間を小道が通り抜けているが、木かげは草地になっていて、一方の木の根もとに小さな石が祀ってある。ここはあきらかに神の小さな森なのだ。私は木かげに坐って、しばらく、日を透かせた木の葉の柔い明るさや、葉むらの中に巣喰う繊細な影や、潮風に敏感に反応する葉の震えを見上げていた。
 風に揺れている大樹を見ると、私の心もさわいでくる。古代人が森に神を祀ったのは、やはり樹木の動きに対して無感覚ではいられなかったからにちがいない。彼らは多分、木の葉の動きの中に神意の反映を見てとり、枝の鳴る音や葉むらのさやぎの中に神の声をきいていたのである。」

「このままゆけば、数年後にこの村が廃村になるのは目に見えている。事情は、阿多地でも、瀬武でも似たりよったりだ。しかしそうした運命をとどめるどのような手段があるというのだろう。
 私は海岸に出てみた。砂浜のおどろくほどの白さ。幻想と思えるほどの海の色。村の寂寥とはうらはらの、この青のなんという生気と鮮やかさ! 人間の営みが衰えるにつれ、自然は手のつけられないほど勢いづいてくる。私にはこの風景の美しさが、自然のあげる凱歌のように思えて仕方がなかった。」



「薩摩・大隅のモイドン」より:

「森を聖地とする信仰には、ほとんど例外なく、激しい祟りと、それに対する強い恐怖がついてまわっており、しかも信仰の衰微した今日まで、そうした恐怖が生き残っているのは興味深い事実である。」


「対馬の天道山」より:

「天道様の森は、大木のしげり合った薄気味のわるい場所で、子供たちは怖れてめったに近づかなかった。しかし近年、道路を拡張する際、邪魔だというので伐られてしまったという。
 こうして私たちは森を伐り、神秘と別れるのだ。神秘と闇が、便利と明るさに抗することなど、とてもできはしない。それが世の趨勢というものであろう。しかし私たちが、追放した神々から復讐を受けないという保証はどこにもない。」



「蓋井島の森山」より:

「木々のあいだからは、盲いたような光がまだ残っている海が見えた。枝葉が潮風にさわぎ、その音は、私には、さばえなす精霊たちの声のようにきこえた。」
「小高い斜面にある三の山へあがる道は、草に埋もれていた。そして入口には、人一人が身をかがめてくぐるのがやっとの、小さな木の鳥居が、丈高くしげる草のあいだから、浮かび上るようにして立っていた。それは、人を迎えるよりも、背後の神聖な闇へ人が立入るのを拒む姿だった。」



「西石見の荒神森」より:

「別の家でも、人の丈ほどの小さな榊の木に荒神様を祀っていた。
材木屋から荒神森の大木を売れとすすめられた旧家では、しかるべき人間を呼んで祭をし、神様に別の木に移ってもらって、その木を伐らせる、という話が、(中略)沖本常吉氏の一文(「荒神森――石見津和野川地方」)にのっている。さしずめこの榊などは、こうして無理矢理に立ち退かされた神のついの棲み家なのであろう。
 私はこの谷筋を歩いてみて、いかに材木屋が猛威を揮ったかを知った。この谷の荒神森の木は、ことごとく材木屋の手によって伐られた、といっても言い過ぎではない。貧しい村々では、材木屋が大木につける、ちょっとまとまった金額の誘いに抵抗するのはむずかしかったろう。」
「信仰を失ってしまえば、大木などは、家を暗くし、風通しを妨げ、掃除をしても追いつくひまのないほど落葉を降らせる邪魔物にすぎない。この国土の天然記念物以外の大木は、遠からず、あらかた伐りつくされてしまうにちがいない。」
「しかしこの村では、材木屋の誘いを断固としてはねつけ、荒神森の木を伐らせなかった九十歳の老人の話をきいた。老人が守り通したその杉の大木は、いちめんに蔦をまといながら、山の斜面に、青空をさして、鋭い剣のように屹立していた。」

「私は、檜の巨木が枝葉の翼をひろげ、その下で濃密な闇を孵えし続けてきたかつての荒神森の姿を思い描いた。檜が音を立てて伐り倒されたとき、巣喰っていた闇は、それぞれ小さな翼を得て、どこかへ飛去ってしまい、神もまた、あきらかにその日に殺されたのである。」

「私は、この西石見の旅で、森を伐った話をどれほどきかされたことか。まるで鏖殺(おうさつ)された樹木たちの亡霊を弔うような旅だった。」



「若狭のニソの杜」より:

「私は、こうした大木を毎日仰いで暮らす人々の生活を思った。彼らは、この木を依り代とする神のことを、神の住む山や空のことを、宇宙全体を意識して生きるだろう。彼らと同じようにこの椎を仰いで生きた十代、二十代前の先祖たちにたえず思いを馳せるだろう。彼らの感じる空間と時間は、私たちの感じる空間・時間とは、はっきりと異っているはずである。」









































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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