ジャック・カボー 『シモーヌ・ヴェーユ伝』 山崎庸一郎・中條忍 訳 (新装版)

「もちろん、不器用さと生硬さとは欠点です。しかし正直に申しますと、それは、すべての欠点のなかでもっともわたしに嫌な感じを与えない欠点なのです。というのは、わたしにもっとも親しいみごとなもののなかには、不器用さと生硬さが認められるように思われるからです。」(シモーヌ・ヴェーユ)
(ジャック・カボー 『シモーヌ・ヴェーユ伝』 より)


ジャック・カボー 
『シモーヌ・ヴェーユ伝』 
山崎庸一郎・中條忍 訳


みすず書房 
1974年10月4日 初版第1刷発行
1990年3月30日 新装版第1刷発行
viii 546p 人名索引・書誌xxxvii 著者・訳者略歴1p
四六判 丸背紙装上製本 カバー 
定価3,914円(本体3,800円)



本書「訳者あとがき」より:

「本書は、シモーヌ・ヴェーユ研究における画期的業績として高い評価を与えられた、Jacques Cabaud ; "L'expérience vécue de Simone Weil" (Librairie Plon, 1957) の全訳である。」


カボー ヴェーユ伝 01


カバー裏文:

「シモーヌ・ヴェーユの思想はすぐれた素質をもつ意識のドラマともいうべきものであり、その発展は驚くべき一貫性を有している。彼女においては思索と実践が分ちがたく結びついた統一体をなしており、内面の発展を理解するためには、その生涯を知ることが不可欠であろう。
 最良のシモーヌ・ヴェーユ伝という評価を得た本書は、彼女の思想の独自性に対する深い理解と、未発表書簡、論文、詩、ノート、証言等の綿密な資料蒐集とにもとづく叙述によって、読者をヴェーユの生きた真実の姿に対面させようとする。34年の短い生涯において、つねに〈真理への指向〉に裏づけられていた政治的・社会的実践と、魂の遍歴をみごとに浮き彫りにした本書は、彼女の〈生きられた経験〉に共感をもって接近しようとする読者のすべてによって繙かれねばならないだろう。」



目次:

まえがき

序論
第一部 子供時代と大学時代 1909年―1931年
 第一章 子供時代と青年時代 1909年―1925年
 第二章 大学時代 1925年―1931年
第二部 教諭、革命的アナーキストとしてのシモーヌ・ヴェーユ 1931年―1936年
 第一章 ル・ピュイ女子高等中学校時代 1931年―1932年
 第二章 オセール女子高等中学校時代 1932年―1933年
 第三章 ロアンヌとサン=テチエンヌ 1933年―1934年
 第四章 工場での一年間 1934年―1935年
 第五章 ブルジュ女子高等中学校時代とスペインでの夏期休暇 1935年―1936年
第三部 形而上学的宗教的思索の数年間――魂と肉体の苦悶 1936年―1943年
 第一章 政治的苦悩から神の啓示へ 1936年―1938年
 第二章 敗北する平和主義 1939年―1940年
 第三章 充実した思索の時代 1940年―1943年
 第四章 ニューヨーク 1942年6月末―1942年11月10日
 第五章 ロンドン、終焉の地

原注
訳注

訳者あとがき (山崎庸一郎)

書誌
人名索引



カボー ヴェーユ伝 02



◆本書より◆


「子供時代と大学時代」より:

「生涯を通じて、彼女はこのような頑固な子供としてとどまったのである。」
「彼女は計算の才能にきわめてめぐまれてはいたが、図画は下手だった。血液の循環が悪く、手が麻痺していたからである。先生のひとりが彼女に悪い点数をつけた。みんなはシモーヌが不器用なのは彼女の責任ではないことを理解してもらおうとした。老嬢であるその先生は、シモーヌに欠けているのは指の器用さではないと主張し、彼女の頭を指さしてつぎのようにつけ加えた。「ここにはなにかが欠けているのです」と。」

「ゴーチエ氏はつぎのように書いている。「フランス語では学年当初の好成績を維持しなくなった。独創性、奇異を求めすぎている。」」
「彼女は「きわめて個性がつよい」。あまりに個性的で、「もっとも奇抜な人間に属し」、「身だしなみもかなり悪い」。あげくには、第三学期の授業には出なくなっている。」
「挙措にはまだあどけなさがあった。動作は不器用で、大袈裟で、せかせかしていたし、姿勢はまえこごみだった。」
「両脇に大きなポケットのある男物の注文服をきて、そのポケットには、いつでも煙草をいっぱい詰め込んでいた。靴は少女のようなパンプスを履いていた。
 とくに人目を惹いたのは、他の人びととおなじようでありたいという欲求と、そうなることができないでいる姿とだった。」
「シモーヌ・ヴェーユは周囲と抗争状態にあった。それは目に見えぬ、深い性質の抗争であり、彼女の魂の強靭さを示すものだった。彼女は自分で考えているよりも孤独だった。知的な孤立に加えて、さらに彼女は、安易な愛情の領域に入り込むこともできなかった。」



「教諭、革命的アナーキストとしてのシモーヌ・ヴェーユ」より:

「あいかわらず、服装には無頓着だった。セーターを裏返しにきている姿がたびたび見られた。指は煙草でいつも黄色くなっていたし、二キログラムのパンを小脇にかかえ、自転車で帰宅した。
 高等中学校当局と彼女との関係は極端に悪化していた。校長のレーヌ夫人が話しかけると、彼女は背中を向けた。校長が教室に入ると、生徒たちは起立したが、シモーヌ・ヴェーユは顔をそむけて坐ったままだった。(中略)どうしても出席しなければならない職員会議では、彼女はソヴェトの新聞で顔をかくし、たばこをふかし、一言もいわず、自分の職務として定められたことだけに従っていた。」
「シモーヌ・ヴェーユはできるだけ同僚を避けていた。彼女は自分自身の問題に没頭し、周囲の人間たちと距離をおき、仲間に入らぬままで押し通した。職員室で彼女の姿を見かけたことは一度もなかった。授業が終わると、彼女はすぐに姿を消してしまった。彼女と一度も口をきいたことのない人たちも多かった。つまり彼女は、口もききたくなくなるほど社交性に欠けていたのである。」
「ある日、一揃いの食器を手にした貧しいひとりの男が現れたことがあった。問いただされると、その男は答えた。「ヴェーユ先生に言われたんです。ここに食べにくるようにって。(中略)」またあるときは、一団の労働者が高等中学校の校庭にやって来て動かなかった。「いったいなんの用です?」と問いただされると、彼らは答えた。「シモーヌを待っているんです……。」」
「彼女は生徒たちに、概説書や、よく書かれているが内容のない練習論文や、カードや、分類への軽蔑を叩き込んだ。」
「彼女は、だれかが自分に愛着をいだいているのを知ると、奇妙にも恐怖を感じてしまうのだった。」
「第一学期の終わり、シモーヌ・ヴェーユはゴルデーヌ広場にある婦人服仕立屋の家に下宿した。彼女はそこに、簡単な家具だけある一種の屋根裏部屋を借りた。鉄製のベッドと白木のテーブルがあるだけだった。彼女の部屋からはもうひとつ別の部屋が見え、快適でもなければ住み心地がよいわけでもなかった。そのうえ、彼女の部屋は乱雑そのものだった。それでも、ベッドを整えたり、家事にいそしむことのできない自分の無能力さを苦にしてはいたのだ。彼女はお金を家具のうえに置き放しにしておいた。ある日のこと、それがなくなった。彼女はそれをまったく気にしなかった。ある同僚にその出来事を話し、ただつぎのように言っただけである。「そのお金を盗んだひとは、たぶんそれが必要だったんです。盗られて満足ですわ。」」
「校長は、シモーヌ・ヴェーユが教師に課せられた管理面の雑用を無視し、かつまた同僚とほとんど交際しない事実を確認している。以前の無謀な振舞いに類するセンセーショナルな事件こそ起こさなかったが、だからといって、彼女が人目につかず、ブルジョア社会から好意的な眼で見られていたというわけではない。みんなは彼女をコミュニストだと噂していたからである。(中略)街頭では、彼女が労働者の家庭の乳母車を押してやっている姿も見られた。人びとは彼女の親切心を賞讃するかわりに、それに腹を立てていた。
 生徒たちの両親も彼女を評価しなかった。彼女のほうも、彼らの共感を得るような努力はいっさいしなかった。彼女は貧しい家庭出身の娘たちに関心を示した。金持ちの娘たちにはなにもしてやらなかった。」
「彼女は十六歳の生徒たちに、つぎのような質問を投げかけた。「あなたがたは、だれかを殺したいと思ったことがありましたか?」また彼女は、《すべての人間にたいする同一賃金》を要求した。だれでも容易にわかる言葉で、さらに、《世界市民としての人間》について、祖国について語った。」
「彼女は周知の綿密さで、それらの宿題を添削した。返却される際には、それらは汚れ切っていた。たばこの臭いがしたし、たばこの焼け焦げの跡があったりした。」
「彼女は暗誦などはけっしてやらせなかった。期待通りに予習をしてきたかどうかを確かめたことは一度もなかった。金持と貧乏人の区別をのぞいて、彼女はだれも差別しなかった。生徒の名前さえ知らないように振舞った。質問をするときには、指で相手を指して、「あなた……、はい、あなた……」と言った。
 生徒たちのなかで、彼女と長い個人的なつき合いをした者はひとりもいなかったようである。彼女の無頓着な服装も嘲笑を買った。ときどき、ビロード製の大きなベレー帽をかぶって教室に現われることがあった。一年中、ポケットのついたスカートのうえに、赤か緑のセーターのどちらかしか着用しなかった。授賞式がおこなわれたある日のこと、彼女は式場によれよれの古いレインコートを着て現われ、列席者たちを驚かせた。彼女が手袋をはめている姿を見たひとはいなかった。しかし、彼女の知識と才能は賞讃されていた。生徒たちは、彼女がホメーロスの原書を開き、翻訳もなく準備もしていないのに、自信をもってある部分全体をフランス語に訳してきかせはじめたとき、たちまちこの事実に注目したはずである。」
「彼女は、自分の生活態度をすこしも変えようとはしなかった。」
「クロン氏は、きわめて興味深い挿話を伝えている。一年近く工場ですごしたのち、シモーヌ・ヴェーユは農民の生活をも知りたいとのぞんだ。彼女はブルジュの友人たちに、附近の農民で自分の農場で働かせてくれるひとを知らないかとたずねた。そこで友人たちは、(中略)ベルヴィル家に彼女を紹介した。」
「彼女には実用的な才能が欠けていた。また、暗い性格ではなかったが、彼女が語る言葉は、このような実直な人たちには悲観的であると同時に難解なものだった。」
「一ヵ月ほどたって、ベルヴィル夫人はブルジュに出かけて、クロン氏に会った。彼女は事実を伝えるのにとても苦労した。大変な迷惑を受けたばかりか、もうシモーヌ・ヴェーユはご免だったのである。彼女は牛乳を搾るまえに手を洗わなかったし、衣服は絶対に変えなかった。とりわけ彼女は、ユダヤ人の未来における殉教について、悲惨さについて、流浪について、近い将来に起こると思われる怖ろしい戦争について、畠のなかで際限なくしゃべったのである。おやつに上等のクリームチーズを出すと、インドシナの子供たちは飢えていると言ってそれを口にしなかった。ベルヴィル夫人は書いている。「夫とわたしはこう申しておりました。かわいそうに、あんまり勉強したために頭がおかしくなってしまったんだ、と。」」
「彼らは一日中つらい労働に従事する零細な農民たちだったが、それでも自分を幸福だと思っていた。それに彼らは、この世の不幸を阻止できるとは信じていなかった。だからシモーヌ・ヴェーユの話は、彼らを《苛立たせる》ものだった。」



「形而上学的宗教的思索の数年間」より:

「「《社会》は力関係のうえにしか成立せず、魂が外的作用に従属するということが真実だとすれば、人間にとって社会ほど不吉なものはない。」」
「「天才とは、一般に巨獣(引用者注: 社会のこと)の影響力の枠外にあるこれらの思惟を有する人間のことである。
 天才とは、八十歳になっても、二歳のころとおなじ理解力をもちつづけることのできた人間のことである。」」

「ギュスターヴ・ティボンとシモーヌ・ヴェーユとのあいだで交された会話のいくつかは、文体の問題にかんするものである。」
「「……彼女はわたしにつぎのように答えた。「たしかに、あなたの批評は当たっています。もちろん、不器用さと生硬さとは欠点です。しかし正直に申しますと、それは、すべての欠点のなかでもっともわたしに嫌な感じを与えない欠点なのです。というのは、わたしにもっとも親しいみごとなもののなかには、不器用さと生硬さが認められるように思われるからです。ロマネスク様式の彫刻、ジオットーの壁画、五世紀初頭のギリシア彫刻、ホメーロス、グレゴリオ聖歌、それに、古典派の成熟期の直前に位置するすべてのもののなかにはそうしたものが認められます。」」
「この言葉のなかには、シモーヌ・ヴェーユとしばらく交際した人間が彼女を定義しようとするとき、頭に浮かぶ想念をあらためて確認させてくれるものがある。つまり彼女は、今世紀の人間ではなく、現代にまぎれ込んだ中世の女性であるということである。」
「ギュスターヴ・ティボンは、シモーヌ・ヴェーユにも弱さがあったことをも報告している。たとえばたばこへの偏愛である。それは彼女の唯一の罪であるが、ある日彼女が冗談に語ったように、《官能的欲望》という名に価するものだった。シモーヌ・ヴェーユのもうひとつの弱さは、教育がなかったり、知能が遅れたりしている人たちに好んで接しようとする態度だった。」

「フランシス夫人は、休養を取り、ちゃんと食事をするようにすすめた。彼女はそれができなかったし、また、それをのぞみもしなかった。フランス人が飢えのために死んでいるときに、どうして彼女だけがちゃんと食事をすることができよう? しかし、ブラック・コーヒーは飲んでいた。(中略)そしていつでも、彼女はある種の唐突さをもって、どんなかたちであれ、ひとにかまわれることを拒否した。」

「シモーヌ・ヴェーユはつぎのように断言している。すなわち、人間的正義は人間にとっていかなる救いにもなりえない。「なにか息づまるものとしての」道徳もまた同様である、と。
なぜなら、道徳はわれわれに重くのしかかるからだ――道徳は憎むべきものである。道徳はわれわれのいっさいの活動を、善か悪かの色で染めあげ、われわれが幸福に生きることを妨げる。したがってわれわれは、道徳的な二者択一の呪縛から逃れなければならない。」

「彼女は食事を摂ることを拒否した。(中略)とうとう、医者のほうが敗けてしまった。力ずくで食事を摂らせよという命令は撤回される。彼女には、(中略)食べないことが認められた。」
「彼女の衰弱は日ましにひどくなっていった。八月二十四日火曜日、午後十時三十分、彼女は静かに息を引きとった。
 死亡証明書が作製されたが、そこにはつぎのように記載されている。
 「栄養失調と肺結核による心筋層の衰弱から生じた心臓衰弱。患者は精神錯乱をきたして食事を拒否、みずから生命を絶った。」」




こちらもご参照下さい:

ジャック・カボー 『シモーヌ・ヴェーユ最後の日々』 (山崎庸一郎 訳)
























































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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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