『ヘルダーリン全集 3 ヒュペーリオン・エムペドクレス』 (責任編集: 手塚富雄)

「こうして自分自身の世界をもっているならば、損失などということがあるだろうか。われわれの内部にいっさいがあるのだ。」
(ヘルダーリン 「ヒュペーリオン」 より)


『ヘルダーリン全集 3 
ヒュペーリオン・エムペドクレス』 
責任編集: 手塚富雄


河出書房新社 昭和41年10月25日初版発行/平成6年4月25日18版発行
444p 口絵3p 目次1p 
四六判 角背布装上製本 貼函 定価7,800円(本体7,573円)
装幀: 山崎晨

月報(8p):
エムペドクレスについて (村治能就)/《ヘルダーリン会》のこと① (浅井真男)



書簡体小説「ヒュペーリオン」と未完成の詩劇「エムペドクレス」およびその草稿・断片を収録。
「ヒュペーリオン」は二段組です。


ヘルダーリン3-1


帯文:

「現代ギリシァの一青年を主人公にして、友情、恋愛、政治的被密結社を描くヘルダーリン唯一の散文小説『ヒュペーリオン』と、ギリシァの自然哲学者が自らをエトナの噴火口に投じて自然との合一を身をもって実現する戯曲『エムペドクレス』の各編を断面をもあわせて収録」


目次:

口絵
 古典時代のギリシア世界 (地図)
 妹の結婚に、ヘルダーリンが贈りものにした等身大の肖像画。1792年、22歳のころ。パステル画、フランツ・カール・ヒーメル筆。
 エムペドクレス悲劇の舞台となったエトナ山 

ヒュペーリオン (手塚富雄 訳)
 ヒュペーリオン
 タリーア断片
 ヒュペーリオン草稿断片
  韻文稿
  ヒュペーリオンの青年時代

エムペドクレス (浅井真男 訳)
 エムペドクレスの死・第一稿
 エムペドクレスの死・第二稿
 エムペドクレスの死・第三稿
 エムペドクレスの死・構想と草稿

解説
 『ヒュペーリオン』 (手塚富雄)
 『エムペドクレス』 (浅井真男)



ヘルダーリン3-2



◆本書より◆


「ヒュペーリオン」より:

「折にふれてこのような言葉がわたしの口から洩れ、さらには怒りの思いのうちにひと粒の涙がわたしの眼に浮かんだとき、きみたちドイツ人のあいだによく見うけられる賢明な人たちは、わたしの悩める心を好餌として、かれらの箴言(しんげん)の数々をわたしに吹きこみ、わたしに次のように教えることによって自分たちの喜びとしたのだ。「嘆いてはいけない。行為せよ」と。
 ああ、わたしは行為しなければよかったのだ。それならわたしは現在、どれほどもっと幸福だったろう。どれほど今より希望に富んでいたことだろう。
 そうだ、人間どうしのことは忘れてしまうのがいいのだ。さまざまの苦しみと憤懣(ふんまん)をかさねて飢え求めている心よ、そして帰って行くがいいのだ、おまえの出(い)で立ったところへ、自然の胸のなかへ、うつろわぬ静かな美しいこの母のふところのなかへ。」

「わたしは、これがわたしのものだと言いうるものを、何ひとつもっていない。
 わたしの愛する人たちは、遠くに離れ、またこの世にいない。その人たちのことを伝えてくれる声は、どこからも聞こえてこない。
 この世のわたしの事業は終わった。わたしは意欲に充ちて仕事におもむいた、その仕事のために血を流した。そして世界を一文(いちもん)も富ませはしなかった。
 名もなく友もなくわたしは帰って来て、墓地のように声もないわたしの祖国をさまよう。」
「けれど、天上の日よ、おんみはまだかがやいている。聖なる大地よ、おんみはまだ緑している。いまも河流はゆたかに海にそそぎ入り、陰(かげ)をつくる樹々は真昼の日のしたにそよいでいる。春の歓喜の歌は、わたしの地上の思いを寝入らせてくれる。生気に充ちた世界の充実は、窮乏になやむわたしを陶酔で養い、満ち足らわしてくれる。」
「わたしは、あるいは空のエーテルを仰ぎ、あるいは聖なる海に目をそそぐ。するとさながら、わたしには、わたしに近しい霊が双の腕を開いてわたしを迎えてくれるように、孤独の悲しみが神性に充ちた生の中へ融け入ってしまうように、思われるのだ。
 万有とひとつになること、それが神性に充ちた生である。それが人間の至境である。
 生きとし生けるすべてのものと一つになること、おのれを忘れて至福のうちに自然のいっさいの中へ帰ってゆくこと、それは人の思いと喜びとの頂点である。聖なる山頂、永遠のやすらぎの場所である。そこでは真昼も暑さを失い、雷(いかずち)も声をおさめ、湧き立つ海も麦畑の穂波にひとしくなるのである。
 生きとし生けるすべてのものと一つになる! この言葉と共に、道徳はその峻厳な装いを、人間の知性はその王笏(おうしゃく)を、捨てる。そして、ありとあらゆる思いは、永遠に一なる世界のすがたを前にして消えてゆく。」
「そういう高みにわたしはしばしば立つのだ、(中略)しかし、一瞬意識がもどると、わたしは下界へ投げ落とされる。分別の世界に帰ると、わたしは元のままのわたしで、孤独であり、現世のあらゆる苦しみを担っている。そしてわたしの心の避難所である永遠にして一なる世界は去ってしまう。」
「ああ、わたしはきみたちの学校で学ばなければよかったのだ。」
「わたしはきみたちのところで学んで、理性的になった。わたしとわたしを取り巻くものとを区別することを、徹底的に学んだ。その結果は、わたしはいまこの美しい世界のなかで孤立している。わたしがすこやかに育った自然の園から、このようにそとへ投げ出され、真昼の太陽のもとでしぼんでいる。
 ああ、人間は、夢見るとき、神のひとりであり、考えるとき、乞食(こじき)である。」

「こうして自分自身の世界をもっているならば、損失などということがあるだろうか。われわれの内部にいっさいがあるのだ。」

「どこへわたしは自分というものから逃げて行くことができよう、もしわたしがわたしの幼いころの楽しい日々をもっていなかったら。」

「彼は、運命と人々の愚昧(ぐまい)とのために、家を追われ、他郷を流浪し、少年のときから、世にたいして憤り、礼になずまなかったが、しかし心のうちは愛に充ち、自分の内部の殻を破って、なつかしい天地へ躍り出たいという願いに充ちていた。わたしは、早くからすべてのものと内心において別れをつげ、人々の中にいても心の底からの異郷の者、孤独者であり、世間の笑止な鈴の音にかこまれながら、自分の胸中の好ましい調べをまもっていた。」

「ときとしていまも或る精神力がわたしの中にいきいきと動いた。しかし、むろんただ破壊的に動いただけだ。
 「人間とは何だろう」そんなことを考えた。
 「それは混沌界のように湧き立つ。そうかと思うと朽ち木のように腐る、そしてけっして成熟することはない。こういうものが世界に存在しているのは、いったいどうしてなのだろう。どうして自然は甘いぶどうの房にまじってこんな酸っぱいぶどうがあることをがまんしているのだろう。」

「われわれが子供のようになりうるということ、いまもなお無垢淳朴(むくじゅんぼく)の黄金時代、平和と自由の時代が帰ってくるということ、現代にも、ひとつの喜び、地上における憩いの場があるということは、なんとすばらしいことだろう。」
「もとよりこの生は貧しく、孤独である。われわれは、峡谷にひそむダイヤモンドのように、この下界に住んでいる。ふたたび天上への道を見いだそうとして、どのようにしてここへ下ってきたのかを尋ねても、答えはあたえられない。
 われわれは、枯れた枝や燧石(ひうちいし)のなかに眠っている火のようなものだ。この窮屈な縛(いま)しめの終わる日を今か今かと待ちこがれ、もがいているのだ。しかし、解放の瞬間はやってくる。そのとき牢獄は神的なものによって破られる。焔は薪を離れて、勝利のかちどきをあげる。そうだ、そのとき、くびきを解かれた精神は、苦悩と奴隷の姿とを忘れ去って、栄光のうちに太陽の殿堂へ帰る思いをするだろう。」

「こうしてわたしはドイツ人たちの住む国へ来た。」
「昔からの野蛮人だ、彼らは。勤勉と学問によって、そして宗教によってさえも、いっそう野蛮になったのだ。」
「ドイツ人ほど支離滅裂な国民は考えられない。職人はいる。だが人間がいない。思想家はいる、だが人間がいない。牧師はいる、だが人間がいない。主人と使用人、青年と大人はいる、だが人間がいない。これはまるで、手や腕や五体のあらゆる部分がばらばらになって散らばり、おびただしく流された血が砂を染めている悲惨な戦場と同じではないか。
 各人が自分の職分を果たしているのだと、きみは言うだろう。わたしもそう思う。ただ、その各人は全身全霊をもってそれをしているのでなければならない。自分のうちにあるどんな力も、それが自分の称号に関係しないからといって、窒息させてはならない。そんな小心翼々とした心づかいから世間体だけをよそおっているのではいけない。真摯さと愛をもって、本来の自分であるのでなければならない。」
「かれらがせめて謙虚であるならいいに。そしてかれらのあいだにいるすぐれた人々を自分たちの小さな規則で縛らないなら。かれらがせめて自分たちと違った者をののしらず、たとえ人をののしっても、神的なものを嘲笑しないでいるなら!」
「胸をかきむしられるのは、きみたちの国の詩人や芸術家たちを見るときだ。いまなお精霊を敬い、美しいものを愛し育てているすべての人を見るときだ。これらのよい人が世に生きている姿は、自分自身の家に他郷の客のように住んでいる人に似ている。かれらは忍従の人ユリシーズのようだ。彼が乞食の姿で、自分の家の戸口に坐ったとき、中の広間では恥しらずの求婚者たちが騒ぎ立てていて、だれがあの浮浪者を連れてきたのだとどなっていた。」
「わたしは昔からのあの運命についての名言を、これほど深く実感したことはない。それはこう言っている。心がじっと忍んで傷心の夜を耐え抜いたとき、ひとつの新しい浄福がひらけてくる。闇夜に聞こえる小夜啼鳥の歌のように、深い苦しみのうちにはじめて、世界の生命の歌が神々しくひびいてくるのだと。つまりわたしは今、精霊といっしょにいるように、花咲く樹々といっしょに生きるのだ。」
「こうしてわたしはいよいよ深く自然に身をゆだね、ほとんど際限を知らなかった。自然にもっと近づくために、わたしは、できれば子供になりたかった。また、自然にもっともっと近づくために、わたしは、できるならいっさいの意識を離れ、けがれのない日の光のようになりたいと思った。おお、一瞬でも自然の平和に、自然の美に融け込んだと感じることができるなら、それは、さまざまの思いにみちた幾年よりも、あらゆることを試みずにはいられない人間のあらゆる試みよりも、どれほど貴重なことだろう。わたしが学んだこと、これまでに行なったことは、氷のように融けてしまった。」
「「おお、自然よ」わたしは思った。「そして自然の神々よ。わたしは人間界の夢は見つくしてしまった。そしていま、自然よ、おんみだけは生きていると言おう。」
「「人間たちは腐った果実のように、おんみから落ちる。おお、かれらが落ちて朽ちてゆくのにまかせるがいい。そうすればかれらはおんみの根にもどってゆくだろう。そしてわたしは、おお、生命の樹よ、わたしはふたたびおんみと共に萌え出て、おんみの芽吹く梢のまわりに息づくことだろう。なごやかに、そして親密に。なぜなら、わたしたちは共にみな黄金の種子から生い育ったものだから。」
「「わたしたちは自由だ。外見だけの平等を求めてあくせくするのではない。どうして生命の調べは千変万化していけないことがあろう。わたしたちはみな大空の霊気を愛しているではないか、そしてもっとも深いところで平等なものとして親しみあっているではないか。」
「「血管は心臓で別れてまた心臓へ帰る。そしていっさいは、一なる、永遠の、灼熱している生命なのだ」
 そうわたしは考えた。」



「エムペドクレスの死 第一稿」より:

「おお、天上の光よ!――わたしに教えをたれてくれたのは
人間たちではなかった――ずっとむかし、
わたしのあこがれる心が生(いのち)に満ちたものを
見いだすことができなかったころ、わたしはあなたに顔を向け、
草木のようにあなたに身をゆだねながら、
敬虔な喜びに酔って、長いあいだひたすらあなたに帰依していたのだ。」

「聞くがいい、ここの民衆のあいだでは
あの敬虔な生(いのち)は安らいを見いだすこともなく、
あんなに美しいままいつまでも孤独でいて、
喜びもなく死んでしまうのだ。」

「毎日毎日、
おまえたちが駈けまわり、悪あがきをやり、おちつきなく、
うろうろびくびく、まるで埋葬されない亡者のように
ひしめきあっている忌まわしい舞踏を眺めて
暮らさなくてはならぬとは」
「ほかに道がないとしたら、わたしにはむしろ、
山の獣(けもの)といっしょに言葉もなく、人知れず、
雨にさらされ、陽の灼熱に焼かれて生き、食物を
野獣とわかつほうが、もう一度おまえたちの
盲目のみじめさのなかへ帰って行くよりはましなのだ。」

「わたしたちはちがった道を歩むのだ。」
「                       わたしには
別の運命が与えられている。わたしが生れた
その時に、別の行路が、いあわせた神々によって、
わたしに預言されていたのだ――」

「わたしは死すべき身の者たちに強いられているのではないのだよ。
自分の力で、怖れもなく、みずから選んだ道を
降りて行くのだ。これがわたしの幸福なのだし、
わたしの特権でもあるのだ。」



「エムペドクレスの死――構想と草稿」より:

「第一幕
エムペドクレスはその心情と哲学によって、すでに早くから文化を憎悪するようになり、きまりきった仕事とさまざまな対象に向けられた関心とのすべてを軽蔑するようになっていたのだが、すべての一面的な生活の敵であって、真実に美しい人間関係のなかでも不満を感じ、動揺し、苦悩を覚えた。その理由はただ、そういう関係が特殊な関係であって、彼はいっさいの生きたものとの大きな調和のなかでしか満足しえないのを感じていたからにすぎず、また彼がそういう関係のなかでは、神のようにあまねく現前する心をこめて、神のように自由に広々と生き、愛することができないからにすぎず、自分の心と思想が当面のものをいだけば、継起の法則に束縛されてしまうからにすぎない――」

「第四幕
彼を嫉妬する人々は、(中略)民衆を彼に反抗するように煽動し、民衆は(中略)彼を市から追放する。こうしてすでに早くから彼の胸にきざしていた決心、すなわち、みずから進んで死におもむくことによって無限の自然と一体になろうとする決心が熟する。」

「第五幕
エムペドクレスは死の準備をする。自分の決心を固めるにいたった偶然的な動機はいまは彼にとってことごとく消え去り、彼はあの決心を、自分の最も内奥の本質から帰結する必然とみなす。彼がなおエトナ山の地方の住民とともにする二、三の場面において、彼はいたるところで、自分の考え方、決心が正しいという確証を見いだす。(中略)エムペドクレスは燃え立つエトナの火口に身を投ずる。」
































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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