シモーヌ・ヴェイユ 『ロンドン論集とさいごの手紙』 田辺保・杉山毅 訳

「この世においては、辱しめの最後の段階におちこんだ人々、乞食の境涯よりもはるか以下におちこみ、社会的に重んじられないばかりか、人間の尊厳をなす第一のものである理性を欠いているとすべての人たちから見られている人々、――こういう人々だけが、まさしく、真実を告げることができるのです。ほかの者はみな、うそをついているのです。」
(シモーヌ・ヴェイユ 「父母への手紙」 より)


シモーヌ・ヴェイユ 
『ロンドン論集とさいごの手紙』 
田辺保・杉山毅 訳


勁草書房 
昭和44年11月15日 発行
6p 354p 口絵2p 
四六判 角背布装上製本 機械函 
定価750円



本書「訳者あとがき」より:

「本書の翻訳は、論文の部分を杉山、手紙を田辺が担当し、全体の統一と訳注は田辺が主としてあたっている。」


ヴェイユ ロンドン論集とさいごの手紙 01


帯文:

「尖鋭な視点と問題把握の徹底性において追求されていたS・ヴェイユの思想は、今日驚ろくべき新鮮さで甦えりつつある。まさに彼女こそ時代の根を生き、その故に歴史の先きを歩んだ真の思想の形成者といえるだろう。本書は彼女の全生涯を支配した“愛の狂気”の戦慄的思想を含む重要論考「われわれは正義のためにたたかっているか」をはじめ死の直前まで書かれた十篇の論文と最後の手紙を収録する。」


帯背:

「現代を生きる
先駆的思想」



帯裏:

「「愛の狂気は、神的な狂気と同種のものである。神的な狂気は、人間の自由な同意を必要とする。」」


目次:

刊行者のノート

人格と聖なるもの
われわれは正義のためにたたかっているか
臨時政府の正当性
人間にたいする義務宣言のための試論
新憲法草案に関する考察
新憲法のためのいくつかの重要観念
この戦争は宗教戦争である
反乱についての省察
政党全廃に関する覚え書
断章と覚え書
モーリス・シューマンへの手紙
兄への手紙
父母への手紙

訳注
訳者あとがき (田辺保)



ヴェイユ ロンドン論集とさいごの手紙 02



◆本書より◆


「人格と聖なるもの」より:

「人間だれにでも、なんらかの聖なるものがある。しかし、それはその人の人格ではない。それはまた、その人の人間的固有性(ペルソンヌ・ユメーヌ)でもない。きわめて単純に、それは、かれ、その人なのである。
 ここに街を歩いているひとりの通行人がいるとする。その人の腕は長く、眼は青く、心にはわたしの関知しない、しかしおそらく平凡な思考が去来している。
 わたしにとって、聖なるものとは、その人の中にある人格でもなければ、人間的固有性でもない。それは、その人である。まったきその人なのである。腕、眼、思考、すべてである。それらを少しでも傷つければ、限りない良心の痛み(スクリュピュール)に見舞われないではいられないであろう。
 もし、その人の人間的固有性が、わたしにとって聖なるものであるならば、わたしはその人の眼をえぐりとっても平然としていることができるのである。」



「人間にたいする義務宣言のための試論」より:

「この世の外側に、つまり空間と時間の外側に、人間の精神的世界の外側に、人間の諸能力が到達しうるあらゆる領域の外側に、ひとつの実在が存在する。
 この実在にたいして、人間の心の中心につねに位置し、この世のいかなるものも決してその対象となることのない絶対的善を希求するあの要求が応えるのである。
 この世の中のことのみ人間が考えるとき、かならずつきあたる不条理、解決不能の矛盾を通して、その実在はこの世でもはっきりとその姿を見せる。
 この世の現実が事実の唯一の基礎であるのと同じように、そのもうひとつの実在は善の唯一の基礎である。」
「善がその実在から舞いおりてくるための唯一の仲介物となるものは、人間の中でその実在にたいする注意力と愛とをもつ人びとである。」
「心の中にある絶対的善を希求する気持と、潜在的にであれ、この世の外側へ注意力と愛を向け、そこから善を受けとめる力とは、もうひとつのあの実在に例外なくあらゆる人間を結びつける絆である。
 そのもうひとつの実在を認める人ならばだれでも、したがってこの絆の存在をも認める。この絆があるからこそ、例外なくすべての人間を聖なるものとみなし、これに尊敬の念を払わなければならないのだと考えられるのである。
 このこと以外に、あらゆる人間にひとしく尊敬の念を払うべき理由はない。」
「この世の現実は、差別からなり立っている。この世では、等しくないさまざまのものが、さまざまに人間の注意力を呼びさます。周囲の状況のちょっとした偶然の結果として、またはなにかその人に魅力があるということで、ある人びとの人格が、周囲の人びとの注目を浴びることがある。状況が異ったり、魅力がないために、ほかの人びとは無名のままであり続ける。かれらは人びとから注意されない。あるいは、たとえ人びとの注意がかれらに向けられても、その注意は、かれらが集団の中のひとりであることを識別するにすぎないのである。
 注意力が完全にこの世のことにのみ向けられている時、それはこのようなさまざまの不平等の結果に完全に従属するものであり、注意力がそのことを識別しなければしないだけ、これら不平等の結果からのがれにくくなるのである。
 事実上のこのような不平等の中にあって、尊敬の念は、すべての人の中にある同一のものに向けられるのでなければ、万人にたいして平等ではありえない。この世に位置するものに人間を結びつけるすべての関係の中では、いかなる例外もなく、人間はそれぞれ異っている。もうひとつ別のあの実在につながる絆という存在以外には、すべての人びとの中で同一のものはない。
 人間とは、中心に善への希求をもち、その周囲に精神的な素材と肉体的な素材とが配置されているものだ、と考えられうるかぎり、あらゆる人間は絶対的に同一である。
 この世の外側に向けられた注意力のみが、実は、人間性の本質的な構造と真につながりをもつのである。その注意力のみが、いかなる人間いおいてであれ、その人の頭上に光を投げかける不変の能力を所有するのである。」



「父母への手紙」より:

「お母さん、わたしが何か人に与えるほどのものを持っていると思っていらっしゃるのですね。そんなふうな言いかたは余り適当ではありません。でも、わたし自身、心の中で何かしらこんな確信がいよいよ増し加わって行くのを感じるのです。自分の中には、人に伝えて行かなければならない純金の預かり物がかくされているのだと。ただ、経験からも、今の時代の人々を見ていても、この預かり物を受けとってくれる人はだれもいないのだという思いがだんだんつよくなって行くばかりです。
 このかたまりは、大きいのです。そこに何かがつけ加えられると、それはまた残りの部分とともにかたまりをつくってしまいます。このかたまりは大きくなればなるほど、いよいよ中味のつまったものになってくるのです。わたしは、それをこまかい小片に分けて他人にくばることはできないのです。
 これを受けとってもらうには、努力が必要でしょう。そして、努力というのは、じつにまあ、しんどいことなのです。」

「この世においては、辱しめの最後の段階におちこんだ人々、乞食の境涯よりもはるか以下におちこみ、社会的に重んじられないばかりか、人間の尊厳をなす第一のものである理性を欠いているとすべての人たちから見られている人々、――こういう人々だけが、まさしく、真実を告げることができるのです。ほかの者はみな、うそをついているのです。」
「悲劇の最たることは、阿呆たちが大学教授の肩書ももたず、司教の僧帽もかぶっていず、また、かれらのしゃべっている言葉の意味にいくらかでも注意を向けねばならないと予め知らされている人はだれもいず、――それどころか、かれらは阿呆であるがゆえに、だれもみな、はじめから以上のようなこととは反対のことだけを確信しているので――かれらが真実を言いあらわしても、聞いてさえもらえないということです。(中略)それは、諷刺としての真実、また、ユーモアとしての真実ではなく、端的に真実そのものなのです。純粋な、まぜもののない、光りにみちた、深い、本質的な真実なのです。
 ベラスケスの阿呆の秘密もまた、そこにあるのではないでしょうか。かれらの目に見られる悲しみは、真実を所有しているゆえの苦悩、なんとも名づけようのない境遇に身をおとすことを代償として、真実を言うことができるようにされたという苦悩、(中略)だれひとりとして耳をかたむけてくれる人がいないという苦悩ではないでしょうか。このような問題をいだいて、もう一度、この阿呆たちを見てみるねうちがあると思います。
 お母さん、この阿呆たちとわたしとのあいだには、つながりが、本質的な似寄りがあるとお感じになりませんか、――高等師範学校を出て、教授資格をもち、自分の「知性」を人からほめてもらってはいるのですが。
 このことはまた、「わたしの与えなければならないもの」についての答えにもなることでしょう。
 学校とかなんとかは、わたしの場合には、皮肉(イロニイ)というより以上のものです。
 すぐれた知性というものは、往々一ぷうかわったところがあり、どうかするととっぴな行動に走りがちだということは、よく知られていることですし……
 わたしの知性をほめ上げたりするのは、「彼女は真実を語っているのか、そうでないのか」という問いをさけて通ろうというねらいがあるのです。わたしの知性が評判になったりするのは、この阿呆たちに「阿呆」というレッテルがはりつけられているのと実際上は同じことです。ああ、このわたしも「阿呆」というレッテルをはりつけてもらう方がどんなにいいでしょうか。」
































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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