淡島寒月 『梵雲庵雑話』 (岩波文庫)

「我れと生き我れと死するも我がことよ
      その我がまゝの六十八年
針の山の景しきも見たし極楽の
      蓮のうへにも乗りたくもあり」

(淡島寒月 「辞世」)


淡島寒月 
『梵雲庵雑話』
 
岩波文庫 緑 159-1

岩波書店 
1999年8月18日 第1刷発行
468p 編集付記1p 
文庫判 並装 カバー
定価800円+税



種村季弘の本をよんでいて、本書を買い忘れていたことに気づいたので、アマゾンマケプレで「非常に良い」が300円弱(送料込)で売られていたので購入してみました。天地小口が研磨されていました。ちくま文庫とか講談社文芸文庫ならしょうがないですが、岩波文庫の小口研磨は邪道です。
しかしそれはそれでよいです。

本文中図版多数(「おもちゃと遊ぶ寒月翁」、会津八一による題簽、山内神斧「淡島寒月翁之印象」、印譜、玩具、等)。


梵雲庵雑話 01


カバー文:

「名利を求めず趣味に生き、西鶴再評価のきっかけを作ったことで知られる明治の文人淡島寒月(1859-1926、号=梵雲庵)の文集。幕末維新期の世相・風物についての懐古談、江戸の通人だった父椿岳や写真家の元祖下岡蓮杖の思い出、その収集家として有名だった玩具のことなど興味ぶかい話題にあふれている。増補版。」


目次:

序 (幸田露伴)
はしがき (斎藤昌三)

回想
 江戸か東京か
 明治十年前後
 銀座は昔からハイカラな所
  伊太利風景の見世物
  西洋蝋燭
  舶来屋
  オムニバス
  采女ヶ原で風船
 向島の沿革
 風流昔の花見
 亡び行く江戸趣味
 何と鳴る、除夜の鐘
 行楽の江戸
 西鶴雑話
 玉菊燈籠
 幕末時代の錦絵
 淡島屋のかるやき袋
 古版画趣味の昔話
趣味
 趣味雑話
 梵雲庵漫録
 寺内の奇人団
 耽奇談
 下岡蓮杖の杖
 蓮杖翁の千社札
 明治初年の洋画
 江戸の玩具
 凧の話
 諸国の玩具――浅草奥山の草分
 土俗玩具の話
 牛のおもちゃいろいろ
 小舟
 活動写真
 びゃぼん
 いたずら物語――附・おもちゃ小話
 おもちや魂
 更紗漫語
 人さまざまの観月観
文苑
 百美人
 けふあす
 馬加物語
雑抄
 そゞろあるき
 紀泉紀行の一節
  湯崎温泉
 夢路を辿る遭難流転記
 『寿々』の序
 『梵雲文画一筆』序
 我が宗教観
 寒月年表
  病中吟・辞世
淡島寒月翁之印象(木版手摺) (山内神斧)
淡島寒月翁 (山内神斧)
淡島寒月翁のこと (内田魯庵)
編纂を終えて (斎藤昌三)

補遺
 百美人(承前)
 好色本目録
 雑――西鶴の『五人女』を評す
 西鶴の俳句
 故人の思出
 明治初年の東京――墨堤と両国
 淡
 国の手形
 東海仙郷 奥箱根山 初紅葉遊覧記
 『おもちや百種』序文・はしがき
 明治文化史の側面観
 大津絵の紋と鳥居の名
 私の幼かりし頃
 絵馬堂と文展
 日本版画について
 雛と雛祭の話
  雛のおこり
  いわゆる三月の雛
  雛の日の供物のいろいろ
  寒月雛
 涼
 富士
 明治初年の夏景色
 『十二支 画帖 犬の巻』はしがき
 燈籠の話
 雛祭りの起原
 地方色に富む日本の玩具

解説 (延広真治)



梵雲庵雜話 02


本書より:

「おもちゃと遊ぶ寒月翁
 日常を子供と遊び、おもちゃと戯れ暮した翁は、一生を童心のままで過した。」
「ある日、長男の登校姿を見て、「智蔵さん、今日は洋服が異ってるね」と笑った。
 翁は子供にもさん付けで呼んでいた。この智蔵さんは、その時は中学を卒(お)えて、高等学校の正服(せいふく)で、既に三ヶ月も経っていたというのに、翁はそんなことは全く知らずにいたのだった。」




◆本書より◆


「江戸か東京か」より:

「また戊辰(ぼしん)戦争の後には、世の中が惨忍な事を好んだから、仕掛物(しかけもの)と称した怪談見世物が大流行で、小屋の内へ入ると薄暗くしてあって、人が俯向(うつむ)いてる。見物が前を通ると仕掛けで首を上げる、怨(うら)めしそうな顔をして、片手には短刀を以(も)って咽喉(のど)を突いている、血がポタポタ滴(た)れそうな仕掛になっている。この種のものは色々の際物(きわもの)――当時の出来事などが仕組まれてありました。が、私の記憶しているのでは、何でも心中ものが多かった。こんなのを薄暗い処を通って段々見て行くと、最後に人形が引抜(ひきぬ)きになって、人間が人形の胴の内に入って目出たく踊って終(はね)になるというのが多かったようです。この怪談仕掛物の劇(はげ)しいのになると真の闇(やみ)の内からヌーと手が出て、見物の袖を掴(つか)んだり、蛇が下りて来て首筋へ触ったりします。こんなのを通り抜けて出ることが出来れば、反物(たんもの)を景物(けいぶつ)に出すなどが大いに流行ったもので、怪談師の眼吉などいうのが最も名高かった。戦争の後ですから惨忍な殺伐なものが流行り、人に喜ばれたので、芳年(よしとし)の絵に漆(うるし)や膠(にかわ)で血の色を出して、見るからネバネバしているような血だらけのがある。この芳年の絵などが、当時の社会状態の表徴でした。」


「風流昔の花見」より:

「江戸の花見というのは京阪地方のそれよりも、ずっと新しいことです。何しろ、江戸桜が隅田川に始めて植えられたのは正保(しょうほう)の頃ですからね。それからずっと降(くだ)って御維新の始め頃から、隅田の川に、「杯ながし」というのがはやったものです。これは美人を擁(よう)して屋根船(やねぶね)に乗ったお客が、金蒔絵(きんまきえ)の杯を流すというのです。しかしこれは「お上(かみ)」の御法度(ごはっと)で禁止されてしまいました。おごりを戒めるというのです。江戸の花見の場所では上野、芝、向島(むこうじま)などですが、上野は「お上」のものであり、芝はお寺の境内だというので、大びらには騒げなかったのです。大びらに騒げたのは、何といっても向島です。そりゃあ、ずいぶん乱痴気騒(らんちきさわ)ぎを演じたものです。もっとも上野などでも幕を張って、幕の中で騒ぐということは大目に見られていたわけで、それで幕代りに小袖(こそで)などを張りまわして、大騒ぎをやり、幕の中から美人がちょいちょい袖(そで)を引いたりしたものです。ところが時世が変った今日では、世間に余裕がなくなったせいか、昔のような花見気分というものがなくなってしまいました。」


「亡び行く江戸趣味」より:

「人はよく私を江戸趣味の人間であるようにいっているが、決して単なる江戸趣味の小天地に跼蹐(きょくせき)しているものではない。私は日常応接する森羅万象(しんらばんしょう)に親しみを感じ、これを愛玩(あいがん)しては、ただこの中にプレイしているのだと思っている。洋の東西、古今を問わず、卑しくも私の趣味性を唆(そそ)るものあらば座右に備えて悠々自適(ゆうゆうじてき)し、興来って新古の壱巻をも繙(ひもと)けば、河鹿笛(かじかぶえ)もならし、朝鮮太鼓も打つ、時にはウクレルを奏しては土人の尻振りダンスを想って原始なヂャバ土人の生活に楽しみ、時にはオクライナを吹いてはスペインの南国情緒に陶酔(とうすい)もする、またクララ・キンベル・ヤングやロンチャニーも好愛し、五月信子や筑波雪子の写真も座臥(ざが)に用意して喜べる。こういう風に私は事々物々総(すべ)てに親愛を見出すのである。
     ◇
  オモチヤの十徳(じゅっとく)
一、トーイランドは自由平等の楽地也(なり)。
一、各自互に平和なり。
一、縮小して世界を観ることを得。
一、各地の風俗を知るの便あり。
一、皆其(そ)の知恵者より成れり。
一、沈黙にして雄弁なり。
一、朋友と面座上に接す。
一、其(そ)の物より求めらるゝの煩なし。
一、依之(これによりて)我を教育す。
一、年を忘れしむ。」
「これが、私が応接する総てを愛玩出来る心で、また私の哲学である。(中略)虚心坦懐(きょしんたんかい)、去るものを追わず、来るものは拒まずという、未練も執着もない無碍(むがい)な境地が私の心である。それ故私の趣味は常に変遷転々(へんせんてんてん)として極まるを知らず、ただ世界に遊ぶという気持で、江戸のみに限られていない。私の若い時代は江戸趣味どころか、かえって福澤諭吉先生の開明的な思想に鞭撻(べんたつ)されて欧化に憧れ、非常な勢いで西洋を模倣し、家の柱などはドリックに削(けず)り、ベッドに寝る、バタを食べ、頭髪までも赤く縮(ちぢ)らしたいと願ったほどの心酔ぶりだった。」



「梵雲庵漫録」より:

「幼い頃の朧(おぼ)ろげな記憶の糸を辿(たど)って行くと、江戸の末期から明治の初年へかけて、物売や見世物の中には随分面白い異(かわ)ったものがあった。」
「まず第一に挙げたいのは、花見時の上野に好(よ)く見掛けたホニホロである。これは唐人(とうじん)の姿をした男が、腰に張子(はりこ)で作った馬の首だけを括(くく)り付け、それに跨(またが)ったような格好で鞭(むち)で尻を叩く真似をしながら、彼方此方(あっちこっち)と駆け廻る。それを少し離れた処で柄の付いた八角形の眼鏡(めがね)の、凸レンズが七個に区画されたので覗(のぞ)くと、七人のそうした姿の男が縦横に馳(は)せ廻るように見えて、子供心にもちょっと恐ろしいような感じがしたのを覚えている。」



「耽奇談」より:

「私は両極端をもっている人間であると思います。すきということが即ち嫌いという事で、また嫌いという事が即ち好きであるのかも知れません。沢山に寄せた本も、みんな散(さん)じてしまいました。物に執着して固守している事は嫌いです。西鶴の句に「大晦日(おおみそか)定めなき世のさだめ哉」という句がありますな、私はあの句が大好きです。」


「下岡蓮杖翁の杖」より:

「我が国写真術の祖として、長崎で上野彦馬(うえのひこま)、江戸にて玉川三二(ぎょくせんさんじ)と共に並び立てられて、横浜で旗幟(はた)を挙げた下岡蓮杖(しもおかれんじょう)翁(中略)の遺愛品(いあいひん)の一つとして、(中略)蓮根(はすね)の形に彫刻された一本の杖(つえ)がある。径凡(およそ)二寸、長さ五尺八寸もある巨杖で、この杖のために蓮杖という号も他から附せられたのだ、元来は董円(とうえん)という号であった。」
「その頃神田新し橋外籾倉(もみぐら)に住む木彫家で、立川琢文斎(たくぶんさい)というものがあった。元は具足師(ぐそくし)の頬当(ほおあて)を鍛(きた)える職人であったが、その師と頼む人の鍛えが鈍いようなので、僭越(せんえつ)にもこの事をその師匠へ打(うち)つけにいうと、生意気な事と直ぐに師弟のを並べて試験して見ると、果して弟子の方の鍛えが宜(よ)かったが、師なる人が狭量(きょうりょう)な者と見えて直ぐ彼を破門した。破門されても木彫師とその業を替える事にしたが、未熟でも今まで師と仰いだ人の、それに受けた右の腕を使うのは嫌だといって、終生左手で仕事を励んだ。もっとも今度は師匠をとらぬ。唯(ただ)朝夕座右より放さなかったのが、五月幟(さつきのぼり)に飾る木彫の青龍刀(せいりゅうとう)の一刀であった。」
「彼は日夜刻苦勉励(こっくべんれい)した結果は終(つい)に非凡の腕を有する事となったが、元来才子肌(さいしはだ)の人物でないから、自己を広告するという事もしない、またそれが嫌なのであった。あらぬ人に名人呼ばわりをされて大奥の煤掃(すすはき)を見るように、わいわい連中に胴上げをさせられる事を好まなかったため、遂に隠れたる人となって立川琢文斎の名は消えてしまった。」
「蓮杖の董円は杖に彫らすべき蓮根の下図(したえ)を懐中に、暇があれば町々を散歩して、その名匠たるべき人を探していた。一日籾倉を通ると、ささやかな家の主人が荐(しき)りに木彫細工をやっていた。姑(しばら)くその仕事を見ていた董円は、何を思ったかその家の縁に腰を下して、「これを一つ作って貰(もら)いたいがどうだろうか」と懐中から例の下図を出して見せた。琢文斎はこの下図を見ていたが、「フウこりゃ杖かな、莫迦(ばか)に大きなものだ。蓮根とは面白い、やりましょう、やりましょうだが、恁那(こんな)大きな杖は珍しい、一つ彫始(ほりはじ)めの彫了(ほりじま)いに一肌(ひとはだ)脱(ぬ)いで刀を執って見ましょう、それには何時何日(いついつか)と日を定められちゃあ困る。また代金は幾千と言われると此奴(こっち)も困るから、一つ運び金にして下さい」と早速承引(ひきうけ)てくれたので、董円は喜び、先ず最初に若干の金を置いて立帰った。
 その後ちょいちょい尋ねたが催促せぬ約束だから、唯その都度(つど)若干(いくばく)かの金を置いて帰る。こうする事丁度一年あまり、或日の事また訪れた。琢文斎はこの日外出していたのでその妻に、この頃主人は何か仕事に掛っているかと訊(たず)ねてみると、「何だか知りませんが、この頃は八百屋がくると蓮根はないかと訊(き)いて、あるというと何本も何本も買っちゃア、こうやって姑く見ていては台所へ投出(なげだ)してしまいます。それが貴君(あなた)毎日毎日ですから、(中略)何んだか訳が分りません。よしんば訊(き)いたってその訳を言うような人じゃアありませんから、唯(ただ)言いなり次第にしていますが、本当に変っておりますよ」という詞(ことば)をきいて、董円は悦んだ。それから一年も経った雨のショボショボ降る日、琢文斎の門口(かどぐち)まで来ると向うから、二寸角もある桑の材を肩へ担(かつ)いで、琢文斎が帰って来たが、董円の姿を見ると「やっと木がめっかりました。ドウです、これなら枯れ切っているから狂いは愚か割れ一つ出ない事は請合(うけあい)です。さあいよいよ仕事にかかります」と欣々(きんきん)として語った。」



梵雲庵雑話 03


「雑――西鶴の『五人女』を評す」より:

「思うに西鶴は金に不自由なく暮し放蕩(ほうとう)もしつくし、揚句(あげく)はこんな浮世の悟りも出たかと大変面白く思って読みました。」
「他流からオランダ西鶴と価打ちそしられましたが、このオランダの四字が私は西鶴を価打ちしていると思います。」
「「あらわに書きしるすまでもなし。知る人ぞ知る」といってますが諸事この流です。「江戸の様子皆迄おしやるな山は雪」、皆までおしゃるなとここらが、西鶴の禅味とでもいいますか、今さらほめるも野暮ですが、何とまあえらいわけ知(しり)ではありませんか。(中略)何しろ西鶴の面白味は口にいわれぬ水の味です。」



内田魯庵「淡島寒月翁のこと」より:

「震災直後、麹町(こうじまち)に避難しているのを訪ねると、サイダーの箱に、家財のごたごたしたのを入れたのを見せて、これだけ焼け残ったといっていたが、その箱の中から、玩具を七、八点出して、これは二、三日前に麹町の夜店で買ったものだといって喜んでいた。震災直後何をなくしても、玩具を先(ま)ず買って歩いたのは面白い。」



























































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本