彌永信美 『幻想の東洋 ― オリエンタリズムの系譜』 (新装版)

「世界の果て(中略)にはヘーロドトスが言うとおり、「われわれがこの世で最も貴重とし珍稀としているものが蔵されている」。ただしそこで最も豊かに産するのは、黄金でも香料でも琥珀でもない――地の果てで無尽蔵に掘り出されるのは、人間の果てしない夢想なのである。」
(彌永信美 『幻想の東洋』 より)


彌永信美 
『幻想の東洋
― オリエンタリズムの系譜』 
(新装版)


青土社 
1996年3月25日 第1刷印刷
1996年3月29日 第1刷発行
574p 別丁図版(モノクロ)3葉 
四六判 丸背紙装上製本 カバー
定価3,600円(本体3,495円)
装幀: 高麗隆彦



本書「あとがき」より:

「本書は雑誌『現代思想』一九八五年一月号から八六年五月号まで、「幻想の東洋」という題で書いた連載を一冊にまとめたものです。まとめるに当っては、序章(1・2)とエピローグを新たに書き、他にも数箇所に加筆しましたが、全体としては本文は連載と同じものです。しかし注は、(中略)今回ほぼ全面的に書きおろしました。」


本文中図版(モノクロ)多数。


彌永信美 幻想の東洋 01


帯文:

「ヨーロッパ世界にとって、〈東洋〉は奇態な怪物の跋扈する辺境であり、また、真理の秘蹟の隠される楽園でもあった――二〇〇〇年に渡る神話・伝承・芸術作品を渉猟して描き出すヨーロッパの〈疎外の精神史〉。」


帯背:

「脱ヨーロッパ
の版図」



彌永信美 幻想の東洋 02


目次:

序 旅への誘い
 1 旅の見取図――エクゾティスムの魅惑と呪縛
 2 旅の行方――「東洋」という名の幻想

I 最古の民・最果ての怪異
 ヘーロドトスの「開かれた世界」
 最古の民族=エジプト人
 地の果ての怪物たち

II 遍歴する賢者たち
 「哲学の異国起源」神話
 異境の神人たち
 東方に旅する賢者の群
 「ローマ=世界」と唯一の秘められた真理

III 秘教の解釈学
 謎のことばと隠された真理
 秘教としての神話――寓意による解釈学
 秘教としての世界
 「神のことば」による世界創造――ユダヤ-キリスト教における「唯一の真理」の普遍主義

IV 隠喩としての歴史
 隠喩的思考=「真理の一元論」の方法論
 唯一の神の無数の顕現――異国の神話の「ギリシア式解釈」
 キリスト教的真理と異教神話の合致
 「神と人間のドラマ」としての歴史――歴史の隠喩化

V 世の終りと帝国の興り
 「永遠のローマ」――ローマの神秘的歴史哲学
 初期キリスト教における「終末の都ローマ」
 コンスタンティーヌス帝の改宗と「天の帝国の地上の模像ローマ」
 「世界紀元」の誕生

VI 東の黎明・西の夕映え
 キリスト教的「進歩史観」と世界史の時代区分――訓育としての歴史
 ダニエルの「四つの獣=四つの帝国」の夢
 「東から西へ」――帝国の歩みと真理の歩み
 世界史の完成を目指して――シャルルマーニュからヘーゲルまで

VII 終末のエルサレム
 反キリストとしてのマホメット
 「世界の中心」エルサレムの象徴
 キリスト教の「人間化」と民衆十字軍=「貧しき者」の終末論的熱狂
 フィオーレのヨアキムの革命的歴史神学――「至福の聖霊の時代」へ向けて

VIII 楽園の地理・インドの地理
 インドの聖トマス伝説
 「極東」のキリスト教帝国の伝聞
 絶対的東方「地上の楽園」と「インド」の地理
 中世的知の構造――伝説的知と自己目的的イマジネール

IX 秘境のキリスト教インド帝国
 祭司ヨーハンネスからの手紙――驚異のキリスト教インド帝国
 地の果ての布教と終末の帝国
 「パックス・モンゴリアーナ」のもとで――中央アジアに祭司ヨーハンネスを尋ねて
 旅の幻滅と新たな夢想――祭司ヨーハンネスの「インド=エティオピア帝国」

X ――そして大海へ……
 ルノー・ド=シャティヨンの紅海遠征と「中世のパレスティナ問題」
 大海に祭司ヨーハンネスを尋ねて――「大航海時代」の夜明け
 ヴァスコ・ダ=ガマの「二つの目的」とひとつの夢
 祭司ヨーハンネスの「正体」

XI 新世界の楽園
 中世的イマジネールの終焉――ルネサンスの認識論的革命=「幻想の現実化」へ向けて
 クリストーバル・コロンの「地上の楽園」発見
 コロンの終末論的使命
 終末の王国スペイン

XII 反(アンチ)キリストの星
 一四八四年の星――「黄金時代」の夢と世の終りの恐怖
 サヴォナローラ=反キリストの革命と敗北
 フィチーノと「古代神学」の復活
 「新エルサレム」フィレンツェの秘教的ユートピア
 新たな黙示録の時代へ

XIII 追放の夜・法悦の夜
 スペインのユダヤ人追放と宗教の内面化
 キリスト教カバラの始まり――ヨーロッパのもう一つの「内なる東洋」
 スペイン天啓主義の天上的狂気とロヨラ――「イエスの軍団」の誕生

XIV 東洋の使徒と「理性的日本」の発見
 ザビエルのインド布教――期待と幻滅
 マラッカでの邂逅――ザビエルと日本人ヤジロウ=パウロ
 「理性的異教徒」の発見
 ザビエルの日本人観
 「唯一の理性」による世界統一へ

XV 天使教皇の夢
 ある天啓主義者の生涯――「碩学にして狂気」のギヨーム・ポステル
 ポステルの「記号論的神学」――ことばと歴史の「真義学」
 ポステルの「フランス=世界帝国主義」とそのヨアキム主義的起源
 中世の終末神話からルネサンスの黙示録的現実へ――ミュンツァーのドイツ農民戦争、「新エルサレム」ミュンスターの惨劇
 「天使教皇」=「第二のアダム」ポステルによる楽園復原
 二つの理性――ザビエルの「自然理性」とポステルの「楽園的理性」

XVI アレゴリーとしての「ジアパン島」
 ポステルの「アジア-楽園」観
 ポステルによる「日本事情報告書」の解釈--仏陀=キリスト同一説
 「影」としての西方――「影」としてのジアパン人

エピローグ


引用文献一覧

あとがき
新装版へのあとがき



彌永信美 幻想の東洋 03



◆本書より◆


「あとがき」より:

「これを書く過程で、キリスト教が本当に嫌いになってきたこと――。」
「十六―七世紀の殉教画などは、子どもの頃から見ることがあり、どこか強い違和感を抱きながらも(中略)慣れ親しんできていたように思います。それが今は、はっきりと感じることができる――こういう宗教性と血腥さが入り混ったものは見るに耐えない、と。」



「新装版へのあとがき」より:

「「これが正しい、これは間違っている」ということ自体が、他者を踏みにじっても恥じない「真理の主張」に直結するでしょう。そこのところから、「ぼくはキリスト教が嫌いだ」という旧版のあとがきに書いたことばが出てきます。(中略)このことばを書いたことを、ぼくは悔やんだとは言いませんが、いつも一つの悩みとして心のなかに残っていました。(中略)ぼくはけっしてこのことばで、キリスト者として生きた、あるいは生きている無数の人々の生き方を批判したり否定したりするつもりはない、ただ抽象的なイデオロギーとしてのキリスト教については、あえて「嫌いだ」と言う以外にことばを知らない、というほかないように思います。」


「世の終りと帝国の興り」より:

「キリスト教は、世の終りの期待の中から生まれてきた。それゆえ、キリスト教の歴史を顧みる時、その終末論的側面はつねに最も重要な要素として把握されていなければならない。そしてこの終末への期待の中には、つねにそれを積極的に速めようとする傾向があって、そのためには(中略)悪の栄え、反(アンチ)キリストの到来、「もろもろの国と権威」の混乱と破滅が望まれさえしたことも忘れてはならない。初期キリスト教の反ローマ的傾向の中では、ローマ帝国こそがこの世の悪の象徴、あるいは「この世そのもの」であった。」

「しかし世の終りは、すぐには訪れなかった。キリスト教徒の自殺的な(中略)殉教は、多くのローマ市民の目を驚かし、信者の数は逆に増えていった。そして三一二年一〇月二八日、コンスタンティーヌス大帝のミラノの勅令により、キリスト教徒は思いもかけない最終的な勝利を収めていた。」



「旅への誘い」より:

「人間のすべての知恵、知識、技芸が、唯一の源泉から発し、唯一の真理へと帰着する、という「真理の一元論」は、ヘレニズム時代にはすでに完成していた。それをもし「静態的(スタティック)な普遍主義」と呼ぶとすると、「動的(ダイナミック)な普遍主義」をもたらしたのは、キリスト教神学、特にその歴史神学だといえるだろう。(中略)このキリスト教歴史神学は、すべての人類史を神による人間の救済の計画(エコノミー)であると考える。(中略)ローマ帝国が栄え、あるいは滅びることも、イスラームが勃興し、あるいはモンゴルが来襲することも、すべて「神の摂理」によるものである。(中略)すなわちそれが神の真理の顕われであるからこそ、十字軍という歴史は可能になったのである。」
「歴史は神の摂理によって(中略)定められたものである――であるからこそ、人間は歴史主体としてそれに積極的に(中略)参与しなければならない。これがキリスト教歴史観の逆説であり、また同時に(中略)成功の鍵でもある。歴史は単に過去のものではなく、未来に拡がっており、それは人間が、神の意志に従って創り出していかねばならない。未来の歴史とは、すなわち終末論である。」
「こうしてキリスト教的終末感覚の熱狂は、一方では「キリスト教帝国主義」、もう一方では「革命的千年王国主義」という二つの――しかし表裏一体の――政治神学思想を生み出していく。」
「そしてこの終末論の大きなうねりの中で、「幻想の東洋」は再び重要な役割を担うことになる。」
「ここではキリスト教普遍主義は強烈な攻撃性を帯び、ヨーロッパによる世界制覇の大きな原動力になっていく。」

「しかし旅行家たちが、怪物の故郷の至近距離にまで接近した古代と中世の二つの例外的な時代、世界の果ては一種奇妙な「存在論的霧」の中に包まれていた。」
「真と偽、可能と不可能――現実と夢想とが区別され、それぞれの存在の相のもとに分類される以前の――すなわち博物学的・分類学的思考が作動する以前の「驚異的日常」、「日常的驚異」の世界がここには開かれている。ここでは、怪物たちは知の体系、了解可能性の体系のもとにとり込まれることを拒否する。それゆえそれらは完全に無意味な存在である。にもかかわらず――あるいはそれゆえにこそ、それらは日常的存在であることを止めない。そしてそのことによって、逆に日常性そのものが、一挙にその無限の無意味性の相を露(あらわ)にするのである。
「「語られた――しかし了解可能性を越えた――単なる事実」としての怪物たちは、「語り尽されぬ現実」を指し示す指標である。彼らが世界の果てに風穴を開け、そこから意味の群が限りなく流れ出していく、そのむこう側にかいま見られるのは、底無しの無意味の深淵……? しかしそこから、はじめて真の「他所」、絶対的な「異様性」のすがすがしい風が流れこんでくるのではないか――。
 ガルシア=マルケスをはじめとしたラテン・アメリカの現代作家たちが繰り展げる、いわゆる「魔術的リアリズム」の世界にも比されるべきこの夢想――世界を夢想化し、それによって「世界の彼方」を指し示してみせる、そのような夢想は、いかにして可能だったのか、そしてその可能性がルネサンス以降、どのようにして決定的に失われていったのか――世界のすべてを了解可能性の網の目の中にとり込んでいく真理の幻想が、近代以降ゆらぐことなく確立していった過程を見極めるためには、この怪物たちの奇妙な夢想のあり方を振り返ることも必要になるだろう。」

「こうして浮び上ってくる「幻想の東洋」――エクゾティスムの呼び声を原点としてヨーロッパが営々とつむぎ出してきた「幻想の東洋」の歴史は、それゆえ、真理の幻想の歴史であり、同時にその幻想を粉みじんにしかねない、世界の向う側への道を指し示すもうひとつの夢想の歴史――そしてその夢想の可能性がある時代から完全に圧殺されていった歴史――でもある。」



「最古の民・最果ての怪異」より:

「クテーシアースによれば、インドには鶴とのたえまない闘いに明け暮れる小人族(ピュグマイオイ)や、大きな一本足で恐ろしく速く走り、その足を傘のようにかざして強い日光から体を守るという「影足族(スキアーポデス)」、あるいは犬の頭をして、互いに犬のように吠えて話すという「犬頭族(キュノケパロイ)」、さらに無頭で両肩のあいだに顔のある「無頭族(アケパロイ)」が住んでいる。また、手足に八本の指をもち、生誕から三十歳までは白髪でそれ以後に髪が黒くなる民族が住むのもインドである。彼らは、背中と両腕の肱まで覆う長い耳をもっている。またインドのある地方には巨人族が住み、別の地方には「サテュロスの絵のごとき」長い尾をつけた民族が住む。ライオンの身体、サソリの尾をもつ人頭の恐るべき猛獣マルティコラースが住むのもインドだという。さらに一角獣や黄金を守るグリュープス(中略)も棲息し、その他ニワトリやヤギ、羊も巨大であるという。
 一方、メガステネースのインドも、それに劣らず幻想的である。そこには、翼のある蛇や、同じく有翼で巨大なサソリ、ヘーロドトスも伝える、砂金を掘るという小犬ほどの大きさの巨大で獰猛な蟻が住む。また足が前後逆についた人間や、口がなくて焼肉や果実、草花の芳香を吸って生きる野生の民族もインドに住むという。さらに鼻孔をもたず、上唇が下唇より極端に大きく突き出している民族、あるいは犬の耳をもち、額に一眼だけしかない民族も挙げられている。
 ヘーロドトスの世界の辺縁には、その他にも特記すべき怪異が述べられている。たとえばインドの羊毛の実を結ぶ野生の木、尾があまり長くて地面にひきずるのを避けるため、小さな車を結びつけて歩くアラビアの羊、ヨーロッパの北の果てに住むという怪鳥グリュープスが守る黄金――そしてそれを奪う一つ目のアリマスポイ族、そのさらに北方に住む伝説の「北極人(ヒュペルボレオイ)」、スキュタイ人の東方に住む禿頭族が伝えるという山羊脚の民族と、一年のうち半年を寝て過ごすという民族、アゾフ海北方に住み、年に数日狼に変ずるという魔法使いの民族ネウロイ族、スキュタイ人と愛を交したアマゾネスの女たち、生あるものは一切食わず、また夢を見ることもないというリビュアーの奥地のアトランテス人などなど……。」
「――スキュタイ人の話では、彼らの国より北の地方では大気は羽毛で充満し、大陸の先を見通すことも進むこともできなくなる。あるいは、トラーキア人によれば、イストロス河以遠の地は、蜜蜂が密集していて先に進めないという。
 世界の果てはこうして「羽毛」に、あるいは「蜜蜂」の群にさえぎられてさだかではない。が、そこにはヘーロドトスが言うとおり、「われわれがこの世で最も貴重とし珍稀としているものが蔵されている」。ただしそこで最も豊かに産するのは、黄金でも香料でも琥珀でもない――地の果てで無尽蔵に掘り出されるのは、人間の果てしない夢想なのである。」














































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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