『折口信夫全集 第十七巻 藝能史篇 1』 (中公文庫)

「我々の国の文学芸術は、最初神と精霊との対立の間から出発した。」
「圧服をくひ止める手段は唯一つ。神の語に対してとりあはぬことである。ひたすらに緘黙を守ることであつた。しじまを守り遂げることの外には神の語の威力を逸らす方法がなかつた。」
「物言はば奉仕を誓ふことになる。不逞の輩は、かうして、頑に口を緘しとほさうとしたのである。」

(折口信夫 「日本文学における一つの象徴」 より)


『折口信夫全集 第十七巻 
藝能史篇 1』
 
編纂: 折口博士記念古代研究所
中公文庫 Z1-17

中央公論社 昭和51年9月10日初版/昭和60年5月25日再版
531p あとがき2p 目次9p 
文庫判 並装 カバー 定価680円
表紙・扉: 白井晟一
正字・正かな



本書「あとがき」より:

「全集第十七巻は「藝能史篇」第一とし、主として藝能史の總論及び各論、郷土藝能竝びに年中行事その他に關する諸論稿を收録した。」
「この巻に收録した諸論稿の、草稿とした以外は口述の筆記、或は講演乃至講義の筆記であつて、筆写が目を通してゐないものも多い。」



折口信夫全集17-1


目次:

日本藝能史序説
 一 藝能および藝能史
 二 松拍――大道藝能として
 三 猿樂能――舞臺藝能として
 四 踏歌・神樂――庭の藝能として
 五 宴會の藝能――座敷藝能として
古代演劇論
 一 俳優の存在
 二 田儛・田樂
 三 狂言
 四 猿樂の傳統
 五 悲劇の流れ
日本藝能の特殊性
日本藝能の話
 一 藝能といふことばの發生
 二 二つの使ひ方
 三 吾々の目的とするもの
 四 外國のてまに囚はれない態度
 五 日本藝能の本質の究明へ
 六 學的基礎の確立
民俗藝能の春
文藝の力 時代の力
和歌の發生と諸藝術との關係
日本文學における一つの象徴
 一 しゞまの姫
 二 假面の話
 三 岩根・木根・草のかき葉
 四 この口や物言はぬ口
 五 翁・黒尉
 六 沈默と饒舌と
日本美
日本の藝道
傳承文藝論
 傳承文藝の意味
 傳承文藝の主體
  一 古代人の詞
  二 敍事詩
  三 かたるといふ語
  四 日本文學の目醒め
 傳承文藝の保持
 傳承文藝の變遷
  一 諺と歌と
  二 落し噺し
  三 誣語――こじつけ物語
  四 狂歌など
  五 落語の中の下わか
  六 繪解きより講釋へ
  七 江戸時代の傳承文藝

物語りと地の文章の古形
「八島」語りの研究
巫女と遊女と
藝能民習
無賴の徒の藝術
歌舞妓とをどりと
舞ひと踊りと
長唄のために
地唄

神樂(その一)
神樂(その二)
神樂記
神賑ひ一般
鶴が音――鶴龜の藝能――
春日若宮御祭の研究
 おん祭りの今と昔と
 祭りのお練り
 公人の梅の白枝
 若宮の祭神
 大和猿樂・翁
 影向松・鏡板・風流・開口
 細男・高足・呪師
能舞臺の解説
獅子舞と石橋
薪能と咒師走の翁
黒川能・觀點の置き所
村で見た黒川能
三河の山村
山の霜月舞――花祭り解説――
 山の神人團體
  一 問題の土地
  二 庸兵の村――遊行神人の定住
  三 山のことほぎ――山人・山姥
  四 冬祭りの古義――たまふり祭り
  五 山人の杖――むつきの起り
  六 地を打つ行事――卯杖・卯槌
  七 はなうら――削りかけ・削り花
  八 信・遠・三山間の風習――鬼木・にふ
 近世に於ける移動
  一 伊勢神樂の影響
  二 設樂神樂の輸入者
  三 物の中に這入る儀式
  四 うまれきよまりの意味
 花祭り行事の主なる問題
  一 花祭りを行ふ人々――禰宜・山伏・行者
  二 行ふ場所――社と民家と
  三 中心行事――反閇・花の行事・物語り
  四 花の行事――花やすらひと花育てと
  五 鬼――山見鬼・榊鬼・朝鬼
  六 禰宜と翁と――面の神秘
  七 もどき――翁は禰宜のもどき
 延年舞との比較
  一 稚兒・舞臺・山の類似
  二 花祭り舞臺の特徴
  三 延年舞の山
  四 神樂の白山
 結語
信州新野の雪祭り
 前代文明の殘溜地
 伊豆權現と伊東家
 南から來た藝と北から來た藝と
 行事の意味
 行事の主なるもの
「雪祭り」しなりお――岩波映畫「新野雪祭」のために――
根子の番樂・金砂の田樂
 東北の藝能
 能樂・幸若舞との類似點
 鳥海山をめぐつて
 靑年の舞ひ
感謝すべき新東京年中行事――第四囘郷土舞踊と民謠の會・評――
 まづ演出に對して
 悲觀せずに居られない日本の民俗藝術
 異彩を思はせた臼太鼓踊り
 伊勢踊り・たゝら踊りと物忌生活の印象と
 たのむの神事から上覽踊りへの推移の跡
 民俗藝術史の立ち場から
 練道・立合の演劇化せる前と後と
 演藝種目の固定に對する打開
 どつさり節と六齋念佛と
組踊りの話
沖縄舞踊に見る三要素
同胞沖縄の藝能の爲に
沖縄を憶ふ

東北民謠の旅から
人形の起源
鷹狩りと操り芝居と
鳥の聲
草相撲の話

宮廷と民間――正月行事を中心に――
門松のはなし
鬼と山人と
雛祭りのおこり
ひめなすびひなあそびと――崇神紀より――
宵節供の夕に
雛祭りとお彼岸
民族精神の主題
氏神及びやしろ
うきじまり
あめのおしがみ

身毒丸

あとがき (折口博士記念古代研究所)



折口信夫全集17-2



◆本書より◆


「日本藝能史序説」より:

「此等野山の精靈達は、自分達がゐた所へ、あとから人間が割りこんで來て、居住してゐるので、常に人に自分の物を奪はれたやうな氣で居り、惡意を持つてゐるものと、昔の人々は考へてゐた。昔の村々の生活は、さう言ふ惡意を持つた、常に反抗しようとしてゐるでもんすぴりつとに取り圍まれてゐるものと、尠くとも考へてゐた。從つて、機會あるごとに、人は精靈を壓伏し、彼等の持つてゐる咒ひの氣持ちを改めさせ、屈服させ、服從を誓はせ、逆に自分たちを祝福しに來させる樣にした。かうして、(中略)あにみずむの對象であつたものが、神社に祀られて來る。中には、古い歴史の訣つてゐる神もあり、又餘り明らかではないが、官廳から位階を授けられて、高くなつた神もある。」

「日本では、旅人は神の性質を持つてゐた。昔、國と國、村と村との境が嚴重で、自由に通行出來なかつた頃、神だけは咎められずに通る事が出來たので、嚴格に言へば、旅行する者は神であつた。此考へが、後まで續いて殘つてゐたので、或種の神は旅行するものと思はれてゐた。
藝能團體の人々が、遠い諸國に、檀那を持つて、週期的に檀那場廻りをしたのも、かう言ふところに、深い大きな因縁を見なければならぬのであらう。」



「日本文學における一つの象徴」より:

「一 しゞまの姫」より:

「父君早世の後、辛い境涯が續いた。物豐かに備つた御殿も、段々がらんとした古屋敷になつて行く。其だけに、教養を積むこともなく、そんな中で唯大きくなつたと言ふばかりの常陸の姫君、家柄は限りもなく高かつた。だが、世馴れぬむつつりした人のよいばかりの女としか育ちやうがなかつた。」
「其へ、光源氏が通ひ初めて、春立ち夏過ぎて、十八歳の秋、滿月後の廿幾日である。手紙を遣しても、返事はなし、ほとほと根負けするばかりになつて居る。今夜だしぬけに、姫君の居る座近くに辷り込んで行つた。近よつて見れば、なかなか口返事などあるどころの騷ぎではない。とてもひどいと言ふ外はなかつた。そこで、
 幾そ度君がしゞまに負けぬらむ。ものな言ひそと 言はぬ賴みに
  ――お默りと仰らぬだけが目つけもので、其だけをたよりに、私はあんなにしつきりない手紙をさしあげた。其が皆、むだになつて居ます。どれ位、あなたの無言の行に負かされて來たか知れない――
姫君は勿論、無言である。ところが、其乳兄弟に當る侍從と言ふ小氣の利いた女が、姫君のしうちがあんまりなのでぢつとして居られぬやうな氣がして、姫が言ふやうに聞かして、
 鐘つきてとぢめむことは さすがにて、答へま憂きぞ、かつはあやなき
  ――いよいよ無言の行に這入る時には、鐘をつく。其ではないが、本氣に無言ですましてしまふのも、でもどうかと思ふのだけれど、だからと言つて、答へる氣もしない。此が、自分で自分がわからない氣がします。」
しゞまの日本式の意義も、單に無言の行など言ふ事ばかりではなかつた。しゞま遊びなど言つて、無言競べを言ふこともあるらしい。足を踏み出さない事を しゞまふ――蹙――と言ふのと同じく、口をつまへてもの言はぬことをしゞむと謂つたので、其一種の動詞名詞がしゞまなのだとも言ふ。」
「此を前置きにして、私は日本文學發生の姿を説いて見たいと思ふ。
しゞま が守られ居る間は、文學の起りやうはない。之が破れて、はじめて文學の芽生えがあるのである。我々の國の詞章文章を辿つて行くと、果は實に何とも頑(カタクナ)なしゞまに行き當るのである。」


「二 假面の話」より:

「猿樂では、此うそぶきの狂言面であるのに對して、能面として多く用ゐられる癋(ベシ)(多く癋見)がある。」
「癋の字は、瘂と同じであり、瘂は亦唖の一體である。日本語としては、古くは用言として、おふしすと言ふ語すらあつた。物言はぬと言ふ點において、此字を用ゐたのである。(中略)絶對に口を開かず、沈默を守ることを、形に表せば癋見の面になる訣である。しゞま の語原は、實はまだ決定説となるまでに熟して居ないものだが、口蹙むことだとすれば、へしみの名も同じ考へ方の名だといふ事が知れる。
癋見の面を見る毎に思ふ。此は日本文未生以前の姿である。こゝに胚胎したものが、深い陣痛を經て、此世に誕生したのであつた。」
「我々の國の文學藝術は、最初神と精靈との對立の間から出發した。神は、精靈に對して、おつかけ語をかけた。神の威力ある語が、精靈の力を壓服することを信じたからである。だが精靈は、其を知つて居た。壓服をくひ止める手段は唯一つ。神の語に對してとりあはぬことである。ひたすらに緘默を守ることであつた。しゞまを守り遂げることの外には神の語の威力を逸らす方法がなかつた。」
「物言はゞ奉仕を誓ふことになる。不逞の輩は、かうして、頑に口を緘しとほさうとしたのである。」
「言語なき物をして、ことばを出さしめるのは、神の威力であつた。さうして口を開いたが最後、神の咒詞を反覆して、違はざらむことを誓ふものと考へたのである。」
「註、(中略)もだすは今通用の辭書類、多くだまるの義とばかり説いてゐる風だが、本來は何もしないと言うふことである。ぢつとしてゐる・手も出さない・關與しないなど言ふおくくふらしい意義が、その沈默の義の上に重りかゝつて居ることを注意しておきたい。」



「日本の藝道」より:

「何でも人のいふことを素直に受けとるといふのが、人間としては立派といひますが、それは又、個性がないといふことにもなります。けれども、概してよくない歌をいゝと思つてはいけません。何も趣向がない、淡く水の上に浮いて居て、しかもよんでしまふと舌の根に甘味がたまつて來て、いつまでも頭に微かに記憶が殘つて居るといふのが、歌でもほかの藝術でも、いゝのでせう。最名高い西行の、「心なき身にも、あはれは知られけり。鴫立つ澤の 秋の夕ぐれ」などゝいふ歌になると、いゝか惡いかわかりません。何故ならば、惡い歌なのですけれども、昔の人がいゝいゝと言つてきたから、いゝと信じてきたよさといふものが、その歌について居ますから、われわれはさういふことを信じて居つたのです。祖先の頃からの事ですから、さう簡單に昔の人が氣に入つたことを、否定するわけには參りません。工合が惡いですね。我々はこれから先の子孫の祖先になるのですから、いゝ加減なものを信じてはいけませんし、いゝ加減なものを尊敬してもいけません。
何故ならば、次に出て來る我々の子孫はいつまでも、いゝ加減なものを尊敬することになるからです。」



「傳承文藝論」より:

「だから語るといふことは、話をするといふことが元の意味ではなくて、相手の魂をこちらにかぶれさせる・感染させるといふことなのです。」

「先に申しましたやうに、神になつた人が土地の靈・靈などいふお化けのやうなすぴりつとを、押へに來る、その習慣が段々進んで來ると、今度は逆に、或年の變る時分とか、季節の變る時分になると、土地の精靈が列を作つて、其地方の力のある家、威力を持つた人の住んで居る家を祝ひに來る。年の暮れとか、節分の晩、又はお正月の晩などに、何とも彼とも形容出來ないお化けのやうなものが現れて來て、寺なら寺、宮なら宮、貴族の家なら家を祝福して廻る。これは今では大分無くなりましたけれども、古い格式を持ち續けて居る寺や社にはまだあります。譬へば、名高い京都の太秦の廣隆寺の牛祭りといふやうなものは、さうであります。まだら神といふ名前が與へられて居ますが、元は何でもないその土地の神様が、その日になると現れて來て、其寺をば祝福に來たのです。(中略)正月中は、殆毎日そんなものが出歩いて居ります。それが、段々人間がして居るといふことをはつきり意識して來るのですけれども、其中には、人間か化物か訣らない風をして來るのも澤山あります。初めは皆化物みたやうな格好で出て來たのが、段々人間の姿で出て來る樣になつたのです。京都の太秦の牛祭りなどは今でも本道のお化けの形で行つてゐます。これは、つまり土地の精靈が出て來て祝福して廻る形です。是が日本の傳承文學と非常に關係深いことであつて、藝能・演藝といふものは、斯ういふことをする人たちの手で育てられた部分が、非常に多いのであります。
明治以前は藝能を行ふ人々は、大抵卑しめられて居て、特別に幕府から保護を受けて居た能樂だとかいふものは別だが、その他のものは大抵卑しめられて、河原乞食など言はれてゐます。河原乞食といつても、役者ばかりでなく、その外の藝人でも皆さういはれたので、是は河原に住んでゐる乞食といふことではない。(中略)ともかくも、藝能を行ふものは、乞食と見られて居たのですが、その時代の日本人には、本道は吾々の考へるやうな乞食といふ考へはなかつたかも知れません。奈良時代に、僧行基の信者、即、行基門徒が諸國をこつじきして歩いたことがあつて、是は特にお上から許されたのですが、宗教の信仰の爲に苦行して、一番卑しいことに耐へて歩く、自分達は一番遊食の民だから、他人の食ひ餘しを貰つて生きて居るのだ、といふことをば看板にして歩いたので、さういふことを許されて居たのです。吾々の考へて居る乞食といふものは、この行基門徒の生活から出たらしいのです。(中略)つまり昔は、皆、土地を持つて生産の基礎として居るので、土地を離れて生活して居る者は、非常に卑しめられたのですが、其中で、諸國を廻り、長い間一種の宗教信仰を宣傳して歩いた人たちがあつたのです。(中略)日本の國民の中の大部分は、戸籍につかないで、無籍者として諸國を流浪し、自分等が昔から持つて居る神々の信仰を宣傳して歩いた。(中略)さういふ人が澤山あつたので、此ほがひびとが段々變つて來たものが、只今でも行はれて居る萬歳の元の形です。」
「とにかく、日本の戸籍につかないで、日本民族でありながら、無籍者として諸國を流浪して居た民が澤山あつたのですが、それぞれ皆相當の組織をもつて歩いて居たのです。それが皆各その仲間々々に傳つてゐる昔からの歴史といふものを、語り傳へて居た。だから、日本の國家の基礎が固くなる以前に、既に歴史だと信ぜられて居た色々の物語が、日本中に散らばつた訣です。」
「つまり、貴種流離物語と申して、貴くて若い方が、何處ともなく行かれて、その土地に止られたのを、土地の人が非常に大事にしてお育て申すといふと、神の生活の御資格が完全にお出來になつて、天に歸つてしまはれる、といふお話が澤山あるのを、或歴史上の名高い人物の形を取つてあてはめて居るのである。(中略)萬葉集などに出て居ますのに、貴い御方が何を爲さつたのか訣らないが、三河の國に流されて、憐れな生活をして居られた。土地の人が、氣の毒に思つて、あの御方は尊いお人でありながら、海に流されて、海岸の物を取つて食べていらつしやるといふ意味の歌を作つた所が、その御方は、命が大事だから海の物を取つて生きて居るのだ、と仰しやつたといふやうな歌も出て來ます。斯ういふ話を皆、先程申したやうな團體の人が持つて歩いたのです。」



「宵節供の夕に」より:

「先日もある處で、曾ての大貴族だつたお人に逢つた。思ひの外、のどかな氣持ちで暮してゐられるやうなので、こちらの心も安らかになつたが、その時、出たのが雛のはなしであつた。
 「古くから、雛はおまつりになつたでせうな。」
 「我々の家では、最近まで、さう言ふことはなかつたものです。」
 「でも、何(ナニ)か其に似たことがおありになつたでせう。」
私がお尋ねすると、
 「さう。天兒(アマガツ)さんと言ふのが、ありましたつけ。箱の中に入れてあつて、めつたに見ることもさせませんでした。何だか、こはいものゝやうに、思はせられて來ましてね。」
 「どんな形を致して居りました。」
 「長い肱つきが、世間で言ふ縫ひぐるみの犬のやうなもので、四方の端が、足のやうになつて居て、丸い頭が縫ひつけてあつたやうです。」
宮廷にも雛を祭つてゐられたことはあるやうだが、此もはやりすたりで、臣下の屋敷のやうに、いつの時代にも、あつたとは言はれぬかも知れぬ。このおはなしに出た、天兒(アマガツ)や、其から這子(ハフコ)のやうなものが、始中終居間のうちに置いてあつて、身に染みついた穢れや、近寄つて來る物の汚れを吸ひとらせたことは、近世まで變りなく續いてゐたやうである。」











































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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