海老沢有道 校註 『長崎版 どちりな きりしたん』 (岩波文庫)

「弟 ミイサとはなに事ぞ。
師 御あるじJxの御(ご)しきしんと御ち(血)とともにサキリヒシヨとてさゝげものとしてDパアテレにいきたる人、しゝたる人のためにさゝげ奉らるゝなり。これすなはち御あるじJxの御(ご)一しやうがいの御(ご)しよさと御(ご)パシヨンを思ひいださせたまはんためにさだめをき玉ふ者也。それによてキリシタンはミイサをおがみ奉るとき、御あるじの御(ご)パシヨンをくはんねんし、つゝしんでおがみ奉るべし。」

(『長崎版 どちりな きりしたん』 より)


海老沢有道 校註
『長崎版 どちりな きりしたん』

岩波文庫 靑 33-032-1

岩波書店 1950年2月10日第1刷発行/1991年11月20日第7刷発行
118p 口絵1葉 洋語略解6p
文庫判 並装 カバー
定価310円(本体301円)
正字・正かな



「Jx」は「ゼス キリシト」(イエス・キリスト)、「D」は「デウス」(神)のことです。


第7刷付記:

「本書は写真撮影など、ままならない四十数年前に、逆焼きのロートグラフ本によって、鉛筆で原稿を作成したため、少なからぬ誤記・誤読を免れなかった。重版(第七刷)に当り全面的に誤りを訂正した。
一九九一年十一月 
海老沢有道」



どちりなきりしたん1


カバー文:

「安土・桃山期、つぎつぎに外国人宣教師が来日して積極的な布教活動を行った。表題の「どちりな きりしたん」とは“キリスト教の教義”の意で、問答形式による教理書である。万人に教えを説くために平易な俗文体が用いられ、当時の南蛮文化の興隆を伝えるのみならず国語資料としても価値が高い。慶長5年(1600)の印刷。」


どちりなきりしたん3


本書「解題」より:

「本書は一六〇〇年、わが慶長五年六月上旬長崎耶蘇會の後藤登明宗印により刊行せられた、所謂キリシタン版の一つで、(中略)一巻、十一章に分たれ、美濃五十五葉。(中略)各頁十七行組の活字版である。
 「ドチリナ キリシタン」とは、(中略)キリシタンの教義の意で、現在日本カトリック教會では公教要理と稱し、信徒になるためには必讀の書であり、諸キリシタン版中、最も廣く讀まれたものである。通常問答體で平易に教理を説くのを主眼とするのでカテキズム(教理問答)とも呼ばれる。本書も亦問答體に編まれ、平易な俗文體を、殆んど平假名で綴つてゐるのも、この目的に添ふために他ならない。
 類本としては、同名の書が他に三種知られてゐる。即ち一つは東洋文庫所藏、一五九二年天草學院刊のローマ字本 Nippon no Iesvs no Companhia no Superior yori Christan ni soto no cotouari uo tagaino mondo no gotoqu xidai uo vacahi tamo DOCTRINA. Amacusa 1592.」
「第二はローマのバルベリニ文庫所藏の刊行年地未詳國字本「どちりいなきりしたん」で、右のローマ字本と同一のものであるが、若干文章が調整せられてゐる。刊行年及び地は一五九二年、天草と推定される。」
「第三は德川圀順氏所藏、一六〇〇年長崎(?)學院刊ローマ字本 Doctrina Christan」
「本書はこの德川家本の國字本に當る。」



どちりなきりしたん2

口絵: 「羅馬字綴 「ドチリナ キリシタン」 1592年(天正20年) 天草刊 標紙」


内容:

解題
凡例

どちりな きりしたん
 第一 キリシタンといふは何事ぞといふ事
 第二 キリシタンのしるしとなる貴きクルスの事
 第三 パアテル ノステルの事
 第四 アヘ マリヤの事
 ○たつときビルゼン マリヤのロザイロとて百五十反(ぺん)のオラシヨの事
 ○御よろこびのくはんねん五かでうの事
 ○御かなしみのくはんねん五かでうの事
 ○ゴラウリヤのくはんねん五かでうの事
 ○コロハのオラシヨの事
 第五 サルベ レジイナの事
 第六 ケレドならびにヒイデスのアルチイゴの事
 第七 Dの御おきて十のマンダメントスの事
 ○御(ご)おきてのマンダメントス
 第八 たつときヱケレジヤの御(ご)おきての事
 第九 七のモルタル科の事
 第十 サンタ ヱケレジヤの七のサカラメントの事
 第十一 此ほかキリシタンにあたるかんようの條
 ○じひのしよさ
 ○テヨロガレスのビルツウデスといふ三の善あり
 ○カルヂナレスのビルツウデスといふ四の善あり
 ○スピリツサントのダウネスとて御あたへは七あり
 ○ベナベンツランサは八あり
 ○あやまりのオラシヨ

洋語略解



どちりなきりしたん4


「「どちりな きりしたん: 1600(慶長6年) 長崎刊 標紙」



◆本書より◆


「第二 キリシタンのしるしとなる貴きクルスの事。」より:

「弟 キリシタンのしるしとはなに事ぞや。
師 たつときクルスなり。
弟 そのゆへいかん。
師 われらが御あるじJxクルスのうへにて我等を自由になしたまへば也。かるがゆへにいつれのキリシタンもわれらがひかりとなる御あるじJxのたつとき御(み)クルスにたいし奉りて、こゝろのをよぶほどしんじんをもつべき事もつぱらなり。われらをとがよりのがしたまはんために、かのクルスにかゝりたくおぼしめしたまへばなり。
弟 じゆうになし玉ふとはなに事ぞや。
師 てんぐ(天狗、惡魔の意)のとらはれ人となりたる我等が普代の所をのがし玉ふによて也。
弟 とらはれ人となりたるいはれはいかん。
師 てんぐとわれらがとがのやつこ(奴)なり。御あるじの御辭(みことば)に科ををかす者はてんま(天魔)のやつこなりとの玉ふなり。されば人モルタルとがををかせば、てんぐすなはちそのものをしんだい(進退)するがゆへに、やつことなりたる者也。しかればクルスにかゝり玉ふみちをもてさだめ玉ふバウチズモのさづけをうけ、又コンヒサンのサカラメントをうけ奉れば御あるじJxあたへ玉ふガラサをもてその人のもろもろのとがをゆるし玉ふによて、クルスの御くりき(功力)をもて御あるじJxてんまのやつことなりたるところをうけかへし玉ふと申なり。されば人のやつことなりたるものをうけかへしてじゆうになす事は、まことにふかきぢうをん(重恩)也。なを又やつことなしたる人のつらさをふかく思ひしるにをひては、いまうけかへされたるところのをんどく(恩德)をよくわきまふべきもの也。やつこなりしときの主人なさけなくあたりたるほど、うけかへされたるをんもふかき者也。然るにわれらが御あるじJxのガラサをもててんぐのてよりとがにん(科人)をとりかへし玉ひてじゆうになし玉ふ御をんのふかき事はいかばかりの事とおもふや。」



洋語略解より:

「クルス Cruz 十字架。
モルタル Mortal 死すべき。―科、死に當る罪、重罪。
バウチズモ Baptismo 洗禮。
コンヒサン Confiçan, Confissan 告解。懺悔告白。
サカラメント Sacramento 聖典。秘蹟。
ガラサ Graça 聖寵、恩寵。」




こちらも御参照下さい:
彌永信美 『歴史という牢獄 ― ものたちの空間へ』

























































関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

最近の記事
カテゴリー
ブログ内検索
リンク
フリーエリア
netakiri nekotaroの最近読んだ本