種村季弘 編 『泉鏡花集成 3』 (ちくま文庫)

「姉様が冤(むじつ)の罪を被(き)せられて――昨夕(ゆうべ)話したッけ――冤というのは何にも知らない罪を塗りつけられたの。」
(泉鏡花 「照葉狂言」 より)


種村季弘 編 
『泉鏡花集成 3』
 
湯島詣 照葉狂言 化鳥 ほか
ちくま文庫 い-34-3

筑摩書房 
1996年1月24日 第1刷発行
527p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価980円(本体951円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 間村俊一
カバー装画: 小村雪岱



第3回配本。新字・新かな。語注付き。


泉鏡花集成 03


目次:

誓之巻
照葉狂言
化鳥
清心庵
龍潭譚
勝手口
湯島詣
葛飾砂子
註文帳

解説 女の世界 (種村季弘)




◆本書より◆


「解説 女の世界」(種村季弘)より:

「泉と鏡。だれしもそこから思い浮べるイメージはナルキッソス(ナルシス)のそれだろう。泉の水面を鏡としてわれとわが美貌を愛し、果ては水中の分身を追って溺死する美少年。
 『龍潭譚』の少年主人公は神社の御手洗の水に顔を映す。しかしそれは、斑猫(はんみょう)の毒が回って二目と見られぬ変身を遂げた顔である。通常の、あるいは通俗の意味での美貌ではない。(中略)しかしこの変身がなければ、あやしい女の棲息する異界に水をくぐって渡ってはいけない。一夜にもせよそこで、姉上をはじめ世間一般に拒絶された異貌にもかかわらず、というよりはそれあればこそ、女の手厚い庇護を受ける幸運には恵まれなかっただろう。
 美醜、善悪、虚実、貴賤の価値が向う側では逆転する。世間的な通念があらかじめ、醜い、悪い、賤しい、としているものが、向う側では、美しい、善い、貴(とうと)い、となる。」
「『龍潭譚』の少年の体験は、『高野聖』なら動物に変身させられた旅人たちや足萎えの少年が体験したものに近い。『高野聖』の語り手が接触を避けたために免れた毒、いや、毒という名の快楽を年少者や蒙昧な旅人たちは一気に飲んでしまった。高野聖はしかし毒を飲まずに素通りしたことを悔いて、滝と里との間でためらう。いっそ何にでも変身してあそこに留まるべきではなかったか。
 一方、のっけに斑猫の毒にやられた『龍潭譚』の少年は、もといた世界に帰ってからもかえってそちら側の諸価値を拒絶する。ここは自分のいるべき世界ではない。あっちへ返してくれ。家郷の位相が逆転し、こちら側ではなくあちら側が家郷とばかりに言い募り、周囲に歯をむき、暴れ、脱走をはかる。こちら側はよそよそしく、離人症者を取り巻く空間のようにすべてが空しい。」
「諏訪三郎縁起では、地下の国々を遍歴して故郷に帰った三郎は大蛇に変身していた。離郷して故郷に戻ると動物に変身している旅人の運命は、古来しばしば語られてきた。『薬草取』や『龍潭譚』の神隠れの少年も、規模こそささやかながら、いわば人外の身として帰郷するのである。
 鏡花の人外の身という表象はしかし、語の通念とはちがい、体験内容においてはたとえようもなく甘美である。」



「照葉狂言」より:

「国麿はいま見着けし顔にて、
 「や、すばらしい蒲団だなあ。すばらしいものだな、どうしたんだ。この蒲団はどうしたんだ。」
 「敷いてくれたの。」
 「誰が、と聞くんだ、敷いてくれたのは分ってらい。」
 「お能のね、お能の女。」
 「ふむ、あんな奴(やつ)の敷いたものに乗っかる奴が有るもんか。彼奴(あいつ)等、おい、皆(みんな)乞食だぜ。踊ってな、謡(うた)唄ってな、人に銭よウ貰ってる乞食なんだ。(中略)お能というのは男がするもんだ。男の能はほんとうの能だけれど、女のは乞食だ。そんなものが敷いて寄越(よこ)した蒲団に乗るとな、汚(けが)れるぜ。身(からだ)が汚れらあ。しちりけっぱいだ、退(ど)け!」
 踏みこたえて、
 「何をする。」
 「難でえ、おりゃ士族だぜ。退け!」
 国麿は擬勢を示して、
 「汝(きさま)平民じゃあないか、平民の癖に、何だ。」
 「平民だって可(い)いや。」
 「ふむ、豪勢なことを言わあ。平民も平民、汝(きさま)の内ゃ芸妓(げいしゃ)屋じゃあないか。芸妓も乞食も同一(おんなじ)だい。だから乞食の蒲団になんか坐るんだ。」
 われは恥かしからざりき。娼家の児(こ)よと言わるるごとに、不断は面(おもて)を背けたれど、こういわれしこの時のみ、われは恥しと思わざりき。見よ、見よ、一たび舞台に立たむか。小親が軽(かろ)き身の働(はたらき)、躍れば地(つち)に褄(つま)を着けず、舞の袖の飜るは、宙(そら)に羽衣懸(かか)ると見ゆ。長刀(なぎなた)かつぎてゆらりと出づれば、手に抗(た)つ敵の有りとも見えず。(中略)うつくしきこと神のごとき時あり、見物は恍惚(こうこつ)たりき。かくても見てなお乞食と罵る、さは乞食の蒲団に坐して、何等疚(やま)しきことあらむ。われは傲然(ごうぜん)として答えたり。
 「可いよ乞食、乞食だから乞食の蒲団に坐るんだ。」
 「何でえ。」
 国麿は眼を円(つぶら)にしつ。
 「何でえ、乞食だな、汝(きさま)乞食だな、む、乞食がそんな、そんな縮緬(ちりめん)の蒲団に坐るもんか。」
 「可いよ、可いよ、私(あたい)、私はね、こんなうつくしい蒲団に坐る乞食なの。国ちゃん、お菰(こも)敷いてるんじゃないや。うつくしい蒲団に坐る乞食だからね。」」



「化鳥」より:

「お膝の上に落ちていた、一ツの方の手袋の、恰好(かっこう)が出来たのを、私は手に取って、掌(てのひら)にあててみたり、甲の上へ乗ッけてみたり、
 「母様(おっかさん)、先生はね、それでなくっても僕のことを可愛がっちゃあ下さらないの。」
 と訴えるようにいいました。」
「「なぜだって、何なの、この間ねえ、先生が修身のお談話(はなし)をしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだって、そういったの。母様(おっかさん)、違ってるわねえ。(中略)だから僕、そういったんだ、いいえ、あの、先生、そうではないの。人も、猫も、犬も、それから熊も、皆(みんな)おんなじ動物(けだもの)だって。」
 「何とおっしゃったね。」
 「馬鹿なことをおっしゃいって。」
 「そうでしょう。それから、」
 「それから、(だって、犬や、猫が、口を利きますか、ものをいいますか)ッて、そういうの。いいます。雀だってチッチッチッチッて、(中略)お談話(はなし)をしてるじゃあありませんか。僕眠い時、うっとりしてる時なんぞは、耳ン処(とこ)に来て、チッチッチて、何かいって聞かせますのッてそういうとね、(詰(つま)らない、そりゃ囀(さえず)るんです。ものをいうのじゃあなくッて囀るの、だから何をいうんだか分りますまい)ッて聞いたよ。僕ね、あのウだってもね、先生、人だって、大勢で、皆(みんな)が体操場で、てんでに何かいってるのを遠くン処(とこ)で聞いていると、何をいってるのかちっとも分らないで、ざあざあッて流れてる川の音とおんなしで、僕分りませんもの。(中略)母様が僕、あかさんであった時分からいいました。犬も猫も人間もおんなじだって。ねえ、母様、だねえ母様、いまに皆分るんだね。」
 母様(おっかさん)は莞爾(にっこり)なすって、
 「ああ、それで何かい、先生が腹をお立ちのかい。」
 そればかりではなかった、私の児心(こどもごころ)にも、アレ先生が嫌な顔をしたな、トこう思って取ったのは、まだモ少し種々(いろん)なことをいいあってから、それから後の事で。
 はじめは先生も笑いながら、ま、あなたがそう思っているのなら、しばらくそうしておきましょう。けれども人間には智慧(ちえ)というものがあって、これには他(ほか)の鳥だの、獣(けだもの)だのという動物が企て及ばないということを、(中略)例をあげておさとしであった。
 釣(つり)をする、網を打つ、鳥をさす、皆(みんな)人の智慧で、何も知らない、分らないから、つられて、刺されて、たべられてしまうのだトこういうことだった。そんなことは私聞かないで知っている、朝晩見ているもの。
 橋を挟んで、川を溯(さかのぼ)ったり、流れたりして、流網(ながれあみ)をかけて魚(うお)を取るのが、川ン中に手拱(てあぐら)かいて、ぶるぶるふるえて突立(つッた)ってるうちは、顔のある人間だけれど、そらといって水に潜ると、逆(さかさ)になって、水潜(みずくぐり)をしいしい五分間ばかりも泳いでいる、足ばかりが見える。その足の恰好(かっこう)の悪さといったらない。うつくしい、金魚の泳いでる尾鰭(おひれ)の姿や、ぴらぴらと水銀色を輝かして跳ねてあがる鮎(あゆ)なんぞの立派さにはまるでくらべものになるのじゃあない。そうしてあんな、水浸(みずびたし)になって、大川の中から足を出してる、こんな人間がありますものか。で、人間だと思うとおかしいけれど、川ン中から足が生えたのだと、そう思って見ているとおもしろくッて、ちっとも嫌なことはないので、つまらない観世物(みせもの)を見に行(ゆ)くより、ずっとましなのだって、母様がそうお謂(い)いだから、私はそう思っていますもの。
 それから、釣をしてますのは、ね、先生、とまたその時先生にそういいました。あれは人間じゃあない、蕈(きのこ)なんで、御覧なさい。片手懐(ふところ)って、ぬうと立って、笠を被(かぶ)ってる姿というものは、堤防(どて)の上に一本占治茸(いっぽんしめじ)が生えたのに違いません。(中略)これが智慧があって釣をする人間で、ちっとも動かない。その間に魚(うお)は皆(みんな)で悠々と泳いであるいていますわ。(中略)何もくらべっこして、どっちがえらいとも分りはしないって。
 何でもそんなことをいったんで、ほんとうに私そう思っていましたから。
 でも、それを先生が怒ったんではなかったらしい。」
「だって、私、母様(おっかさん)のおっしゃること、虚言(うそ)だと思いませんもの。私の母様がうそをいって聞かせますものか。
 先生は同一(おなじ)組(クラス)の小児(こども)達を三十人も四十人も一人で可愛がろうとするんだし、母様は私一人可愛いんだから、どうして、先生のいうことは私を欺(だま)すんでも、母様がいってお聞かせのは、決して違ったことではない、トそう思ってるのに、先生のは、まるで母様のと違ったこというんだから心服はされないじゃありませんか。 
 私が頷(うなず)かないので、先生がまた、それでは、皆(みんな)あなたの思ってる通りにしておきましょう。けれども木だの、草だのよりも、人間が立ち優(まさ)った、立派なものであるということは、いかな、あなたにでも分りましょう、まずそれを基礎(どだい)にして、お談話(はなし)をしようからって、聞きました。
 分らない、私そうは思わなかった。
 「あのウ母様(おっかさん)、(だって、先生、先生より花の方がうつくしゅうございます)ッてそう謂(い)ったの。僕、ほんとうにそう思ったの、お庭にね、ちょうど菊の花の咲いてるのが見えたから。」
 先生は束髪に結った、色の黒い、なりの低い巌乗(がんじょう)な、でくでく肥(ふと)った婦人(おんな)の方で、私がそういうと顔を赤うした。それから急にツッケンドンなものいいおしだから、大方それが腹をお立ちの原因であろうと思う。
 「母様、それで怒ったの、そうなの。」
 母様は合点(がってん)々々をなすって、
 「おお、そんなことを坊や、お前いいましたか。そりゃお道理だ。」
 といって笑顔をなすったが、これは私の悪戯(いたずら)をして、母様のおっしゃること肯(き)かない時、ちっとも叱らないで、恐い顔しないで、莞爾(にっこり)笑ってお見せの、それとかわらなかった。
 そうだ。先生の怒ったのはそれに違いない。
 「だって、虚言(うそ)をいっちゃあなりませんって、そういつでも先生はいう癖になあ。ほんとうに僕、花の方がきれいだと思うもの。ね、母様、あのお邸(やしき)の坊ちゃんの、青だの、紫だの交(まじ)った、着物より、花の方がうつくしいって、そういうのね。だもの、先生なんざ。」
 「あれ、だってもね、そんなこと人の前でいうのではありません。お前と、母様のほかには、こんないいこと知ってるものはないのだから。分らない人にそんなこというと、怒られますよ。ただ、ねえ、そう思っていれば可(い)いのだから、いってはなりませんよ。可いかい。(中略)それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたら可いでしょう。ね、そして何かい、学校のお庭に咲いているのかい。」
 「ああ沢山。」
 「じゃあその菊を見ようと思って学校へおいで。」」

「今しがたも母様(おっかさん)がおいいの通り、こんないいことを知ってるのは、母様と私ばかりで、どうして、みいちゃんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教えたって分るものか。
 人に踏まれたり、蹴(け)られたり、後足で砂をかけられたり、苛(いじ)められて責(さいな)まれて、煮湯(にえゆ)を飲ませられて、砂を浴(あび)せられて、鞭(むち)うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉(のど)がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰(なぐさみ)にされて、(中略)口惜(くや)しい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、獣(けだもの)めと始終そう思って、五年も八年も経(た)たなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡(なくな)んなすった、父様(おとっさん)とこの母様とが聞いても身震(みぶるい)がするような、そういう酷(ひど)いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、(中略)それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、獣(けだもの)だの、草だの、木だの、虫だの、蕈だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にこういういいことを教えて下すった母様は、とそう思う時は鬱(ふさ)ぎました。これはちっともおもしろくなくって悲しかった。勿体ない、とそう思った。
 だって母様がおろそかに聞いてはなりません。私がそれほどの思(おもい)をしてようようお前に教えらるるようになったんだから、うかつに聞いていては罰があたります。人間も、鳥獣も草木も、昆虫類も、皆(みんな)形こそ変っていてもおんなじほどのものだということを。」

「石の上へ辷(すべ)って、ずるずると川へ落ちた。わっといった顔へ一波(ひとなみ)かぶって、呼吸(いき)をひいて仰向(あおむ)けに沈んだから、面くらって立とうとすると、また倒れて、眼がくらんで、アッとまたいきをひいて、苦しいので手をもがいて身体(からだ)を動かすとただどぶんどぶんと沈んで行(ゆ)く。情(なさけ)ないと思ったら、内に母様の坐っていらっしゃる姿が見えたので、また勢(いきおい)づいたけれど、やっぱりどぶんどぶんと沈むから、どうするのかなと落着いて考えたように思う。それから何のことだろうと考えたようにも思われる。今に眼が覚めるのであろうと思ったようでもある、何だかぼんやりしたが俄(にわか)に水ん中だと思って叫ぼうとすると水をのんだ。もう駄目だ。
 もういかんとあきらめるトタンに胸が痛かった、それから悠々と水を吸った、するとうっとりして何だか分らなくなったと思うと、(中略)糸のような真赤(まっか)な光線がさして、一幅(ひとはば)あかるくなったなかにこの身体(からだ)が包まれたので、ほっといきをつくと、山の端(は)が遠く見えて、私のからだは地(つち)を放れて、その頂より上の処に冷いものに抱えられていたようで、大きなうつくしい目が、濡髪をかぶって私の頬ん処へくっついたから、ただ縋(すが)り着いてじっとして眼を眠った覚(おぼえ)がある。夢ではない。」
「一体助けてくれたのは誰ですッて、母様に問うた。」
「(廉や、それはね、大きな五色(ごしき)の翼(はね)があって天上に遊んでいるうつくしい姉さんだよ。)」

「いつでもあの翼(はね)の生えたうつくしい人をたずねあぐむ、その昼のうち精神の疲労(つかれ)ないうちは可(い)いんだけれど、度が過ぎて、そんなに晩(おそ)くなると、いつも、こう滅入(めい)ってしまって、何だか、人に離れたような、世間に遠ざかったような気がするので、心細くもあり、うら悲しくもあり、覚束(おぼつか)ないようでもあり、恐しいようでもある。」



「清心庵」より:

「「爺(じい)や、この茸は毒なんか。」
 「え、お前様、そいつあ、うっかりしようもんなら殺(や)られますぜ。紅茸(べにたけ)といってね、見ると綺麗(きれい)でさ。それ、表は紅を流したようで、裏はハア真白(まっしろ)で、茸(きのこ)の中じゃあ一番うつくしいんだけんど、食べられましねえ。」」
「「食べやしないんだよ。爺や、ただ玩弄(おもちゃ)にするんだから。」
 「それならば可(よ)うごすが。」
 爺は手桶(ておけ)を提(ひっさ)げいたり。
 「何でもこうその水ン中へうつして見るとの、はっきりと影の映るやつは食べられますで、茸(きのこ)の影がぼんやりするのは毒がありますじゃ。覚えておかっしゃい。」」

「「何が御不足で、尼になんぞなろうと思し召すのでございますと、お仲さんと二人両方から申しますとね。御新造様が、
 (いいえ、私は尼になんぞなりはしないから。)
 (へえ、それではまたどう遊ばしてこんな処に、)
 (ちっと用があって、)
 とおっしゃるから、どういう御用でッて、まあ聞きました。
 (そんなこといわれるのがうるさいからここに居るんだもの。可(い)いから、お帰り。)
 とこんな御様子なの。」」
「「じゃあまあそれはたってお聞き申しませんまでも、一体此家(ここ)にはお一人でございますかって聞くと、
 (二人。)とこうおっしゃった。
 さあ、黙っちゃあいられやしない。(中略)誰方とお二人でというとね、
 (可愛い児(こ)とさ、)とお笑いなすった。」」
「「お帰り遊ばさないたって、それで済むわけのものじゃあございません。一体どう遊ばす思召(おぼしめし)でございます。
 (あの児(こ)と一所に暮そうと思って、)
 とばかりじゃあ、困ります。どんなになさいました処で、千ちゃんと御一所においで遊ばすわけにはまいりません。
 (だから、此家(ここ)に居るんじゃあないか。)
 その此家(ここ)は山ン中の尼寺じゃアありませんか。こんな処にあの児と二人おいで遊ばしては、世間で何と申しましょう。
 (何といわれたって可(い)いんだから、)
 それでは、あなた、旦那様に済みますまい。第一親御様なり、また、
 (いいえ、それだからもう一生人づきあいをしないつもりで居る。私が分ってるから、可(い)いから、お前たちは帰っておしまい、可いから、分っているのだから、)
 とそんな分らないことがありますか。」」
「「もうどう遊ばしたというのだろう。それじゃあ、旦那様と千ちゃんと、どちらが大事でございますって、この上のいいようがないから聞いたの。そうするとお前様(まえさん)、
 (ええ、旦那様は私が居なくっても可(い)いけれど、千ちゃんは一所に居てあげないと死んでおしまいだから可哀相(かわいそう)だもの。)
 とこれじゃあもう何にもいうことはありませんわ。ここなの、こんなんだがね、千ちゃん、一体こりゃ、ま、お前さんどうしたというのだね。」
 女はいいかけてまた予が顔を瞻(みまも)りぬ。予はほと一呼吸(いき)ついたり。
 「摩耶さんが知っておいでだよ、私は何にも分らないんだ。」
 「え、分らない。お前さん、まあ、だって御自分のことが御自分に。」
 予は何とかいうべき。
 「お前、それが分る位なら、何もこんなにゃなりやしない。」
 「ああれ、またここでもこうだもの。」」

「「だから、もう他(ほか)に何ともいいようは無いのだから、あれがああだから済まないの、義理だの、済まないじゃあないかなんて、もう聞いちゃあいけない。人とさ、ものをいってるのがうるさいから、それだから、こうしてるんだから、どうでも可いから、もう帰っておくれな。摩耶さんが帰るとおいいなら連れてお帰り。大方、お前たちがいうことはお肯(き)きじゃあるまいよ。」」







































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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