種村季弘 編 『泉鏡花集成 1』 (ちくま文庫)

「その時の二人が状(さま)、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。」
(泉鏡花 「外科室」 より)


種村季弘 編 
『泉鏡花集成 1』
 
活人形 義血侠血 外科室 ほか
ちくま文庫 い-34-1

筑摩書房 
1996年8月22日 第1刷発行
515p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価1,050円(本体1,019円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 間村俊一
カバー装画: 小村雪岱



第十回配本。新字・新かな。語注付き。


泉鏡花集成 01


目次:

活人形
金時計
予備兵
義血侠血
夜行巡査
鐘声夜半録
X蟷螂鰒鉄道
黒猫
外科室
冠弥左衛門

解説 絵のように美しい物語 (種村季弘)




◆本書より◆


「黒猫」より:

「実に六畳の一室は散(ちら)かりたるなり。狭きこの一室(ひとま)には、火鉢と、土瓶と、俎と、醤油樽(しょうゆだる)と、瓶と、徳利と、洋燈(ランプ)と、机と、本箱と、堆(うずたか)き書籍と、乱れたる紙片(かみきれ)と、すべての文房具と、勝手道具と、衣類とを容(い)れて、ほとんど余地無きに、主人公は疾病(やまい)ありて、夜具にくるまり座中に寝たれば、蓋(けだ)し足を容るべき寸地とてもなかりしならむ。
 枕に就ける主人公は、年紀(とし)二十三四の壮佼(わかもの)なり。(中略)これぞ二上秋山なる。沐浴(ゆあみ)せざるに垢染(あかじみ)こそしたれ、窶(やつ)れて髭(ひげ)こそ茫々(ぼうぼう)たれ、犯すべからざる品位ありて、しかも猛(たけ)からぬ人物なるが、「跨(また)いで入れ跨いで入れ、構うこたあない。」と寝返りもせで、いと無愛想にもの言えり。
 「あい、そんなら御免遊ばせよ。」と髪結は小腰を屈(かが)め、手もてそこらを片附けながら、火鉢の前に座を占めつ。畳は破れ壁落ちたり。座に着きて髪結は帯の間(あい)より繻珍(しゅちん)に塩瀬の裏着けたる、女持の煙草入(たばこいれ)を取出(とりいだ)して、「さてとまず、一服頂きたいものだがね、煙管(きせる)は相変らず詰っていようね。」」

「しかく隔て無き二人が交情(なか)は、いかなる関係を有するものぞ。秋山は年紀下(としした)なり、されどもお島の弟にあらず、お島は年紀上(としうえ)なり、されども秋山の姉にあらず。姉弟(きょうだい)にあらずしてはた何等血統(ちすじ)の親(したしみ)あるにあらずしてあかの他人の男(だん)と女(じょ)が、その睦まじき間柄は、一双の痴蝶ならでそも何ぞ。いやいや、決して渠等(かれら)二人はさる肉体の関係を有する者にはあらざるなり。現社会の男女間、あに単(ただ)に野合と、夫婦と、密通と、この三者のみに止(とど)まらんや。二人は一種親密なる信友にありしなり。」

「天爵の尊き者はこの賤(いや)しむべき社会に処して、多くは生活の下級に在り。秋山は東京なる美術学校の卒業生にして、絵画の何たるかを知り得て余ある者なれども、いまだ自ら足れりとせず、静かに閑地に閑居して、想を養う人物なるが、収入とてはあるにあらず、学資を給する者も無ければ、目録、行燈画(あんどうえ)に腕を屈して、辛くもその日を支うるのみ。渠が実家は商賈(あきゅうど)にて、資産を有するものなれども、親も兄も秋山が、筆と脳髄(あたま)との職を欲せず、算盤(そろばん)と前垂(まえだれ)を業とせんことを強うれども、渠が頑として肯かざるより、怒りて資金を投ぜざるなり。
 されば秋山はもとより衣食住の満足を欲するにはあらざれども、大(おおい)なる欠乏よりパンと水にすら窮することあり、その弱点をお島が認めて、交(まじわ)るに難き秋山と、自由に相会することを得るに到りて、お島その目的の一段落に達したるは、五六ケ月前(ぜん)のことなりき。」



「外科室」より:

「「そんなに強いるなら仕方がない。私はね、心に一つ秘密がある。麻酔剤(ねむりぐすり)は譫言(うわごと)を謂うと申すから、それが恐(こわ)くってなりません、どうぞもう、眠らずにお療治が出来ないようなら、もうもう快(なお)らんでも可い、よして下さい。」
 聞くがごとくんば、伯爵夫人は、意中の秘密を夢現の間に呟(つぶや)かむことを恐れて、死をもてこれを守ろうとするなり。」

「その時の二人が状(さま)、あたかも二人の身辺には、天なく、地なく、社会なく、全く人なきがごとくなりし。」



種村季弘「解説 絵のように美しい物語」より:

「ただ意味もなく美しいだけの表紙絵、母の声が「絵解き」をする草双紙には、ことばのお節介がないから道徳的禁忌がない。だから善悪の別がない。ここはひたすら美しいだけの「善悪の彼岸」の世界である。悪玉が美しければ悪党贔屓になってしまったりもする。しかし学校教育は美しさ、おもしろさ本位ではないから、四角四面の教科書はいずれ意味を、とりわけ道徳的意味を押しつけてくる。そんな表側の世界の気配を察して、いち早く裏の美しい絵とやさしい声だけに取り巻かれた隠れ横丁に逃げ込む――というのが、たとえば『絵本の春』の鏡花少年の心の屈折なのだろう。
 大人になればその隠れ横丁も、徐々に外堀、内堀と埋められてくる。応じて、馬琴、京伝の上に辞書やナショナル読本を重ねて目を盗む。読書ばかりではない。表現もそうだ。一応、通俗道徳の要請を受け入れるふりをする。しかしその裏から通俗道徳のコードをどう裏切り、逆転するか。いやそんな反道徳主義という道徳主義につきまとわれるまでもなく、意味を消し、音を消して、すべてを一挙に「美しい絵」に還元してしまうこと。(中略)意味と無意味を奇術師がトランプをシャッフルするように、上下表裏まんまとすり替えてしまうこと。初期の鏡花が貸本屋的教養形成の延長上でわりあいに目にあざとくやってのけたことは、そんな戦略的曲芸だったといえそうだ。
 小難しい活字本を一枚の美しい絵に差し戻してしまうこと。」

「鏡花の小説では、医者、検事、巡査、兵士のような、現実に動いている国家機構のなかの人間がしばしば唐突に死んでしまう。善悪はともかく、絵のように鮮明な輪郭を人物が獲得するためには、動いてやまない時間につれて展開する物語が、死という究極的な無時間によって中断、もしくは宙吊りにされなければならないからだ。」

「鏡花の人物のなかでも例外的に、職人(芸術家)、僧侶、芸人のような、腕一本に頼って生きている人間だけは、自力で失われた時を回復するチャンスがあるのでむやみに死に急ぐことはなくて、多少の猶予期間は与えられている。芸によって無時間性を回復または架構することができないでもなさそうだからだ。」











































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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