川崎寿彦 『庭のイングランド ― 風景の記号学と英国近代史』 (新装版)

「人間世界はもはや、距てられたり囲われたりすることで守られるという特権を、すっかり失ってしまった。」
(川崎寿彦 『庭のイングランド』 より)


川崎寿彦 
『庭のイングランド
― 風景の記号学と英国近代史』 
(新装版)


名古屋大学出版会 
1983年5月25日 初版第1刷発行
1997年9月30日 新装版第1刷発行
vi 363p 口絵(カラー)4p 文献6p 索引7p
20.3×15.6cm 丸背紙装上製本 カバー
定価4,500円+税
装幀: 夫馬孝
カバー図: ハンプトン・コート



本書「あとがき」より:

「普通の型式の英文学史を教室で教えると、どうも無味乾燥になりがちで、だから私は(中略)過去何年か「イメジャリによる文学史」というようなかたちでそれを実行してきた。バラとか、鏡とか、島、犬、旅、森、家など、鍵になるようなイメジの機能の変遷をたどることによって、通時相と共時相を切り結ばせ、文学の歴史の側面を浮き出させようという魂胆である。
 ところで〈庭〉ももちろん鍵イメジの一つ、しかもきわめて特権的な鍵イメジである。なぜなら庭とはそれ自体が一つの art (芸術、人工、不自然)の形態であり、詩のなかの庭の暗喩は、一つの芸術様式のなかに封じ込められたもう一つの芸術様式、すなわちメタ・ポエティカルな引喩の入れ子式構造をなしているのだから。」



本文中図版(モノクロ)多数。


川崎寿彦 庭のイングランド 01


帯文:

「庭とは
政治的な
ものである

〈庭〉がささやくメッセージを
イギリス文学の中に読み解き、
近代英国の歴史と感性の軌跡を
鮮やかに浮かび上がらせた
名著の新装版。」



目次:

エピグラフ

第一章 中世からルネサンスへ
 中世の愛の庭
 ジャニュアリー老人の庭
 庭と鍵とルネサンス文学
 エリザベス朝期の庭園
 ハンプトン・コート庭園
 寵臣は競って庭をつくる
 シドニー卿の庭
 魔女アクレイジアの悪の庭
 アドーニスの善き官能の庭
 性愛と聖愛の弁証法

第二章 一七世紀の宮廷の庭
 新王朝と宮廷
 ベイコンの随筆の庭
 ベイコンと造園の実践
 イーヴリンの庭
 ルーシーとダン
 政治的暗喩としての庭
 ベン・ジョンソンの仮面劇
 他の王党派詩人の仮面劇

第三章 一七世紀の田舎屋敷とその庭
 〈宮廷〉対〈地方〉
 ジョンソンとペンズハースト
 ペンズハーストの敷地の自然
 屋敷の大広間の役割
 荘園的自己充足性
 静止と定着のエートス
 ロバート・ヘリック
 トマス・ケアリ

第四章 マーヴェルのアプルトン屋敷
 地形誌の政治学
 アプルトン隠棲のいきさつ
 〈田舎屋敷の詩〉としての「アプルトン屋敷」
 アプルトンの地形誌
 アプルトンの花の庭

第五章 庭と牧場の力学
 花園から牧場へ
 草刈人登場
 水平派の暗喩
 〈中間的景観〉としての牧場と庭
 古代牧歌詩における牧場の位置
 スペンサーの牧歌詩と牧場の位置
 二つの牧場、二つの庭
 清教徒も庭を作った
 庭を責める草刈人

第六章 庭と森
 「庭」はどのように善き牧歌を歌うか?
 アプルトンの森
 動かない森と、動く森
 ハウエルとデナムにおける森と海
 イーヴリンの庭と森と海
 ポープの動く森

第七章 海のなかの庭
 島の両義性
 バーミューダ島発見
 島と大陸
 ウォラーのバーミューダ島
 ウォラーのイングランド
 マーヴェルのバーミューダ島

第八章 ミルトンのエデン
 〈山の楽園〉か、〈島の楽園〉か
 ミルトンの理想の庭園
 エデンと英国庭園史
 それでも庭は捨てられねばならぬ
 マーヴェルとミルトン

第九章 新古典主義と庭園
 不規則性への開眼
 アディソンの庭園論
 ポープの庭園論
 ポープの造園の実践
 バーリントン伯への書簡
 庭の自然と詩の自然

第一〇章 庭園と洞穴(グロットー)
 ロマン主義への一過程
 ポープの洞穴
 隠遁の政治性
 洞穴の中の科学と自然
 幻想性と想像力

第一一章 その後の英国庭園とロマン主義
 二つの一八世紀庭園
 ヴォルテールとルソー
 自然のような庭から庭のような自然へ

エピローグ
あとがき

主要文献
主要事項索引



川崎寿彦 庭のイングランド 02



◆本書より◆


「中世からルネサンスへ」より:

「スペンサーはシドニーの親しい友人ではあったが、名門貴族であったシドニーとは事情が違って、彼自身が庭園らしい庭園を所有していたかどうか、さだかでない。」
「しかし作品のなかでは、彼は幾つかの重要な庭園を造型した。とりわけ見逃せないのが『妖精の女王』に歌われる二つの庭である。その一は第二巻の「至福の園」(the Bowre of Blisse)であり、もう一つは第三巻の「アドーニスの庭」であった。
 この二つの庭は作品の内部で、くっきりした対照を描いている。それぞれが悪しき庭と善き庭を表わすからだ。しかし根本的な共通性も持っている。すなわち、どちらも一人の女が支配しているということである。」
「女が庭の地霊であるのは、庭が豊饒と生殖の空間であるからにほかならない。」
「「至福の園」(中略)は妖艶なる魔女アクレイジアが支配する空間の総称なのであるが、〈人工〉の原理の優位がその第一の特徴としてあげられていることに注目したい。」
「思えばクレイジアの園の官能と性愛は、徹頭徹尾不毛であった。アドーニスの庭は、その点で違う。それはじつに旺んなる生殖の場、生命発生の根源の空間であった。」



「ミルトンのエデン」より:

「天国は狭く地獄は広いという考え方は、福音書や多くの神学者の文章に見るとおり、キリスト教神学の基本的常識であった。しかしわれわれはこれが、人類に祖型的な空間意識であることに気づかねばならぬ。好ましい空間は、小さく、守られている――ふたたび場所愛(トポフィル)である。そしてエデンの楽園は、天国の地上への投影として、下なる広い地獄からたえずおびやかされる、中間的小空間であらねばならなかった。」
「人間世界はもはや、距てられたり囲われたりすることで守られるという特権を、すっかり失ってしまった。」

「程度の差はあっても、人類にとって〈庭〉とは永遠に両義的(アンビヴァレント)なものなのだろう。理想の庭はすなわち楽園であり、人はそこに棲み、とどまりたいとねがう。しかし、ある人びとにとって、その後めたさはどうだ。何かが駆り立てて彼等を庭から外に押し出そうとする。清教徒はとくに、この外への方向性の強い人種だったように見受けられる。
 ミルトンもそうだった。」



































































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ひとでなしの猫

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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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