種村季弘 編 『泉鏡花集成 6』 (ちくま文庫)

「(可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の玩弄物(おもちゃ)にされるな。)」
(泉鏡花 「歌行燈」 より)


種村季弘 編
『泉鏡花集成 6』
 
陽炎座 歌行燈 南地心中 ほか
ちくま文庫 い-34-6

筑摩書房 
1996年3月21日 第1刷発行
533p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価980円(本体951円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 間村俊一
カバー装画: 小村雪岱



第五回配本。新字・新かな。語注付き。


泉鏡花集成 06


目次:

眉かくしの霊
陽炎座
革鞄の怪
唄立山心中一曲
菎蒻本
第二菎蒻本
白金之絵図
茸の舞姫
歌行燈
南地心中

解説 顔のない美女 (種村季弘)




◆本書より◆


「眉かくしの霊」より:

「勿論、村でも不義ものの面(つら)へ、唾(つば)と石とを、人間の道のためとか申して騒ぐ方が多い真中(まんなか)でございますから。」


「陽炎座」より:

「「まだ後が聞きとうござりますか。お稲は狂死(くるいじに)に死ぬるのじゃ。や、じゃが、家眷親属(うからやから)の余所(よそ)で見る眼(まなこ)には、(中略)さまで痩(や)せもせず、苦患(くげん)も無しに、家眷息絶ゆるとは見たれども、の、心の裡(うち)の苦痛(くるしみ)はよな、人の知らぬ苦痛はよな。その段を芝居で見せるのじゃ。」
 「そして、後は、」
 と美しい女(ひと)は、白い両手で、確(しか)と紫の襟を圧(おさ)えた。
 「死骸になっての、空蝉(うつせみ)の藻脱けた膚(はだ)は、人間の手を離れて牛頭馬頭(ごずめず)の腕に上下から掴(つか)まれる。や、そこを見せたい。(中略)鼓草(たんぽぽ)の花の散るように、娘の身体(からだ)は幻に消えても、その黒髪は、金輪(こんりん)、奈落、長く深く残って朽ちぬ。百年(ももとせ)、千歳(ちとせ)、失(う)せず、枯れず、次第に伸びて艶(つや)を増す。その髪千筋一筋ずつ、獣(けもの)が食えば野の草から、鳥が啄(は)めば峰の花から、同じお稲の、同じ姿容(すがたかたち)となって、一人ずつ世に生れて、また同一(おなじ)年、同一(おなじ)月日に、親兄弟、家眷親属、己(おの)が身勝手な利慾(りよく)のために、恋をせかれ、情(なさけ)を破られ、縁を断(き)られて、同一(おなじ)思いで、狂死(くるいじに)するわいの。(中略)死ねば思いが黒髪に残ってその一筋がまた同じ女と生れる、生きかわるわいの。死にかわるわいの。
 その誰もが皆揃うて、親兄弟を恨む、家眷親属を恨む、人を恨む、世を怨(うら)む、人間五常の道乱れて、黒白(あやめ)も分かず、日を蔽(おお)い、月を塗る……魔道の呪詛(のろい)じゃ、何と! 魔の呪詛を見せますのじゃ、そこをよう見さっしゃるが可(い)い。
 お稲の髪の、乱れて靡(なび)く処をのう。」」



「茸の舞姫」より:

「「杢(もく)さん、これ、何(なあに)?……」
 と小児(こども)が訊(き)くと、真赤(まっか)な鼻の頭(さき)を撫(な)でて、
 「綺麗な衣服(べべ)だよう。」
 これはまた余りに情(なさけ)ない。町内の杢若(もくわか)どのは、古筵(ふるむしろ)の両端へ、笹(ささ)の葉ぐるみ青竹を立てて、縄を渡したのに、幾つも蜘蛛(くも)の巣を引搦(ひっから)ませて、商売(あきない)をはじめた。(中略)で、お宗旨違(ちがい)の神社の境内、額の古びた木の鳥居の傍(かたわら)に、(中略)秋の祭礼(まつり)に、日南(ひなた)に店を出している。
 売るのであろう、商人(あきんど)と一所に、のほんと構えて、晴れた空の、薄い雲を見ているのだから。」
「幾歳(いくつ)になる……杢の年紀(とし)が分らない。小児(こども)の時から大人のようで、大人になっても小児に斉(ひと)しい。」

「八九年前(ぜん)晩春の頃、同じこの境内で、小児(こども)が集(あつま)って凧(たこ)を揚げて遊んでいた――杢若は顱(はち)の大きい坊主頭で、誰よりも群を抜いて、のほんと脊が高いのに、その揚げる凧は糸を惜(おし)んで、一番低く、山の上、松の空、桐の梢(こずえ)とある中に、わずかに百日紅(さるすべり)の枝とすれすれな所を舞った。」
「烏が騒ぐ逢魔(おうま)が時、颯(さっ)と下した風も無いのに、杢若のその低い凧が、懐の糸巻をくるりと空に巻くと、キリキリと糸を張って、一ツ星に颯と外(そ)れた。
 「魔が来たよう。」
 「天狗(てんぐ)が取ったあ。」
 ワッと怯(おび)えて、小児(こども)たちの逃散る中を、団栗(どんぐり)の転がるように杢若は黒くなって、凧の影をどこまでも追掛(おっか)けた、その時から、行方知れず。
 五日目のおなじ晩方に、骨ばかりの凧を提げて、やっぱり鳥居際にぼんやりと立っていた。天狗に攫(さら)われたという事である。
 それから時々、三日、五日、多い時は半月ぐらい、月に一度、あるいは三月に二度ほどずつ、人間界に居なくなるのが例年で、」
「「どこへ行ってござったの。」
 町の老人が問うのに答えて、
 「実家(さと)へだよう。」
 と、それ言うのである。この町からは、間に大川を一つ隔てた、山から山へ、峰続きを分入るに相違ない、魔の棲(す)むのはそこだと言うから。
 「お実家(さと)はどこじゃ。どういう人が居さっしゃる。」
 「実家の事かねえ、ははん。」
 スポンと栓を抜く、件(くだん)の咳(せきばらい)を一つすると、(中略)滔々(とうとう)として弁舌鋭く、不思議に魔界の消息を洩(もら)す――」

「まだ杢若に不思議なのは、日南(ひなた)では、影形が薄ぼやけて、陰では、汚れたどろどろの衣(きもの)の縞目(しまめ)も判明(はっきり)する。……委(くわ)しく言えば、昼は影法師に肖(に)ていて、夜は明(あきら)かなのであった。」

「「いつでも俺は、気の向いた時、勝手にふらりと実家(さと)へ行(ゆ)くだが、今度は山から迎いが来たよ。祭礼(まつり)に就いてだ。この間、宵に大雨のどッと降った夜さり、あの用心池の水溜(みずたまり)の所を通ると、掃溜(はきだめ)の前に、円い笠を着た黒いものが蹲踞(しゃが)んでいたがね、俺を見ると、ぬうと立って、すぽんすぽんと歩行(ある)き出して、雲の底に月のある、どしゃ降(ぶり)の中でな、時々、のほん、と立停(たちどま)っては俺が方をふり向いて見い見いするだ。頭からずぼりと黒い奴で、顔は分んねえだが、こっちを呼びそうにするから、その後へついて行(ゆ)くと、石の鳥居から曲って入って、こっちへ来ると見えなくなった――
 俺(おら)あ家へ入ろうと思うと、向うの百日紅(さるすべり)の樹の下に立っている……」」
「「そのまんま消えたがのう。お社(やしろ)の柵の横手を、坂の方へ行ったらしいで、後へ、すたすた。坂の下口(おりくち)で気が附くと、驚(おど)かしやがらい、畜生めが。俺の袖の中から、皺(しわ)びた、いぼいぼのある蒼(あお)い顔を出して笑った。――山は御祭礼(おまつり)で、お迎いだ――とよう。……此奴(こやつ)はよ、大(でか)い蕈(きのこ)で、釣鐘蕈(つりがねだけ)と言うて、叩くとガーンと音のする、劫羅(こうら)経た親仁(おやじ)よ。……巫山戯(ふざけ)た爺(じじい)が、驚かしやがって、頭をコンとお見舞申そうと思ったりゃ、もう、すっこ抜けて、坂の中途の樫(かし)の木の下に雨宿りと澄ましてけつかる。」」



「歌行燈」より:

「「そう讃(ほ)められちゃお座が醒(さ)める、酔も醒めそうで遣瀬(やるせ)がない。たかが大道芸人さ。」
 と兄哥(あにい)は照れた風で腕組みした。
 「私がお世辞を言うものですかな、真実(まったく)ですえ。あの、その、なあ、悚然(ぞっ)とするような、恍惚(うっとり)するような、緊(し)めたような、投げたような、緩めたような、まあ、何(な)んと言うて可(よ)かろうやら。海の中に柳があったら、お月様の影の中へ、身を投げて死にたいような、……何んとも言いようのない心持になったのですえ。」

「ある晩も、やっぱり蒼(あお)い灯の船に買われて、その船頭衆の言う事を肯(き)かなかったので、こっちの船へ突返されると、艫(とも)の処に行火(あんか)を跨(また)いで、どぶろくを飲んでいた、私を送りの若い衆(しゅ)がな、玉代(ぎょくだい)だけ損をしやはれ、此方衆(こなたしゅう)の見る前で、この女を、海士(あま)にして慰もうと、月の良い晩でした。
 胴の間で着物を脱がして、膚(はだ)の紐へなわを付けて、倒(さかさま)に海の深みへ沈めます。ずんずんずんと沈んでな、もう奈落かと思う時、釣瓶(つるべ)のようにきりきりと、身体(からだ)を車に引上げて、髪の雫(しずく)も切らせずに、また海へ突込(つッこ)みました。」



「南地心中」より:

「「口惜いは私こそ、……多一さん。女は世間に何にも出来ん。恋し、愛(いと)しい事だけには、立派に我ままして見しょう。」」


種村季弘「解説 顔のない美女」より:

「鏡花といえば美男美女のイメージがついて回る。(中略)ところが鏡花その人は、かならずしもいわゆる美貌の描写に念を入れてはいないのである。(中略)むしろ(中略)あからさまな焦点の像が結ばれるにいたるまでの、暗示的な「それ以前」のイメージがしきりに枚挙される。(中略)ほとんどがアトモスフェアの描写といっていい。逆にいえば迷路を手探りで歩くような、もやもやしたアトモスフェア描写を重ねているうちに、ふいに中心的なイメージがあざやかに出現してくるのだ。
 これはどこか修験者や祈祷師が霊魂を降ろすプロセスを思わせないでもない。成仏し切れない霊魂がそこらをさまよっている。それを捕らえようとする側もとりとめないものを追跡しているのだから、もやもやとはっきりしない譫妄(せんぼう)状態が長引いて、やがて突然、がらりと打って変わって特定の故人の声色(こわいろ)に確定した(と思われる)ことばになる。」
「美男美女といういわば白痴美には、そもそもが物質に近い無意味の気配があり、正体はのっぺらぼうではないかと思わせる不気味さがある。(中略)ちやほやされるのも一時(いっとき)だろう。そのうちに飽きられる。飽きられれば裏町のごみ箱に捨てられる。ふつうならこれで一巻の終わりである。
 ところが鏡花の美男美女はここからが出番になる。裏町のごみ箱に捨てられたところから立ち上がってくる美男美女の妖しい輝き。それが冒頭に引いた『陽炎座』の、謎めいたやりとりの意味につながってくる。
 「差支えなかったら聞かして下さい。一体ここはどこなんです。」
 「六道の辻の小屋がけ芝居じゃ。」
 きれいごとの美男美女ではなく、六道の辻で埃まみれ、汚物まみれになった美男美女の出番というのはその意味である。こうなればいっそ憑坐(よりまし)になる媒体も、なまじ人間の俳優であるよりは、純粋に物質的な木偶(でく)の坊のほうがいい。(中略)そう、ほとんど宗教的恍惚を凌駕する物質的恍惚。」




























































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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