種村季弘 編 『泉鏡花集成 7』 (ちくま文庫)

「……人は、心のままに活(い)きねばならない。お前たちどもに分るものか。」
(泉鏡花 「夜叉ケ池」 より)


種村季弘 編 
『泉鏡花集成 7』
 
天守物語 夜叉ケ池 小春の狐 ほか
ちくま文庫 い-34-1

筑摩書房 
1995年12月4日 第1刷発行
524p 編集付記1p
文庫判 並装 カバー
定価880円(本体854円)
装幀: 安野光雅
カバーデザイン: 間村俊一
カバー装画: 小村雪岱



第二回配本。新字・新かな。語注付き。


泉鏡花集成 07


目次:

海神別荘 (戯曲)
天守物語 (戯曲)
夜叉ケ池 (戯曲)
山吹 (戯曲)
紅玉 (戯曲)
湯島の境内 (戯曲)
錦染滝白糸 (戯曲)
雪霊記事
雪霊続記
瓜の涙
伯爵の釵
売色鴨南蛮
みさごの鮨
鷭狩
小春の狐
怨霊借用

解説 水源の女神 (種村季弘)




◆本書より◆


「海神別荘」より:

女房 いえ、貴女は、あの御殿の若様の、新夫人(にいおくさま)でいらっしゃいます、もはや人間ではありません。」

公子 (卓子(テエブル)に腰を掛く)たいそう気の利いた書物ですね。
博士 これは、仏国の大帝奈翁(ナポレオン)が、西暦千八百八年、西班牙(スペイン)遠征の途に上りました時、かねて世界有数の読書家。必要によって当時の図書館長バルビールに命じて製(つく)らせました、函入(はこいり)新装の、一千巻、一架(ひとたな)の内容は、宗教四十巻、叙事詩四十巻、戯曲四十巻、その他の詩篇六十巻。歴史六十巻、小説百巻、と申しまするデュオデシモ形(がた)と申す有名な版本の事を……お聞及びなさいまして、御姉君(おあねぎみ)、乙姫様が御工夫を遊ばしました。蓮(はす)の糸、一筋を、およそ枚数千頁に薄く織拡げて、一万枚が一折(ひとおり)、一百二十折を合せて一冊に綴(と)じましたものでありまして、この国の微妙なる光に展(ひら)きますると、森羅万象(しんらばんしょう)、人類をはじめ、動植物、鉱物、一切の元素が、一々(ひとつ)ずつ微細なる活字となって、しかも、各々(おのおの)五色の輝(かがやき)を放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句読(くとう)、いずれも個々別々、七彩に照って、かく開きました真白(まっしろ)な枚(ペエジ)の上へ、自然と、染め出さるるのでありまして。
公子 姉上(あねうえ)が、それを。――さぞ、御秘蔵のものでしょう。
博士 御秘蔵ながら、若様の御書物蔵へも、整然(ちゃん)と姫様がお備えつけでありますので。
公子 では、私の所有ですか。
博士 若様はこの冊子と同じものを、瑪瑙(めのう)に青貝の蒔絵(まきえ)の書棚、五百架(たな)、御所有でいらせられまする次第であります。
公子 姉があって幸福(しあわせ)です。どれ、(取って披(ひら)く)これは……ただ白紙だね。
博士 は、恐れながら、それぞれの予備の知識がありませんでは、自然のその色彩ある活字は、ペエジの上には写り兼ねるのでございます。
公子 恥入るね。」

公子 分りました。それはお七と云う娘でしょう。私は大すきな女なんです。」

美女 だって、貴方、人に知られないで活きているのは、活きているのじゃないんですもの。
公子 (色はじめて鬱(うっ)す)むむ。
美女 (微酔の瞼(まぶた)花やかに)誰も知らない命は、生命(いのち)ではありません。この宝玉も、この指輪も、人が見ないでは、ちっとも価値(ねうち)がないのです。
公子 それは不可(いか)ん。(卓子(テエブル)を軽く打って立つ)貴女は栄耀(えよう)が見せびらかしたいんだな。そりゃ不可ん。人は自己、自分で満足をせねばならん。人に価値(ねうち)をつけさせて、それに従うべきものじゃない。(近寄る)人は自分で活きれば可(い)い、生命(いのち)を保てば可い。しかも愛するものとともに活きれば、少しも不足はなかろうと思う。宝玉とてもその通り、手箱にこれを蔵すれば、宝玉そのものだけの価値を保つ。」

公子 ここに来た、貴女はもう人間ではない。
美女 ええ。(驚く。)
公子 蛇身になった、美しい蛇(へび)になったんだ。(中略)その貴女の身に輝く、宝玉も、指輪も、紅(べに)、紫の鱗(うろこ)の光と、人間の目に輝くのみです。
美女 あれ。(中略)いいえ、いいえ、いいえ。どこにも蛇(じゃ)にはなりません。一(い)、一枚も鱗はない。
公子 一枚も鱗はない、無論どこも蛇(へび)にはならない。貴女は美しい女です。けれども、人間の眼(まなこ)だ。人の見る目だ。故郷に姿を顕(あらわ)す時、貴女の父、貴女の友、貴女の村、浦、貴女の全国の、貴女を見る目は、誰も残らず大蛇と見る。」

公子 人間にそれが分るか。
博士 心ないものには知れますまい。詩人、画家が、しかし認めますでございましょう。」



「天守物語」より:

夫人 今度は、(中略)決して来てはなりません。ここは人間の来る処ではないのだから。」

夫人 鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽かな空があります。決して人間の持ちものではありません。諸侯(だいみょう)なんどというものが、思上った行過ぎな、あの、鷹を、ただ一人じめに自分のものと、つけ上りがしています。貴方はそうは思いませんか。」



「夜叉ケ池」より:

白雪 そんな、理窟を云って……姥、お前は人間の味方かい。」

白雪 人の生命のどうなろうと、それを私が知る事か!……恋には我身の生命も要らぬ。」

白雪 義理や掟(おきて)は、人間の勝手ずく、我と我が身をいましめの縄よ。……鬼、畜生、夜叉、悪鬼、毒蛇と言わるる私が身に、(中略)恋路を塞(ふさ)いで、遮る雲の一重(ひとえ)もない!」

白雪 姥(うば)、嬉しいな。
一同 お姫様。(と諸声(もろごえ)凄(すご)し。)
白雪 人間は?
 皆、魚(うお)に。早や泳いでおります。田螺(たにし)、鰌(どじょう)も見えまする。
一同 (哄(どっ)と笑う)ははははははは。」



「紅玉」より:

「得ての、空の美しい虹の立つ時は、地にも綺麗な花が咲くよ。芍薬(しゃくやく)か、牡丹(ぼたん)か、菊か、猿(えて)が折って蓑(みの)にさす、お花畑のそれでなし不思議な花よ。名も知れぬ花よ。ざっと虹のような花よ。人間の家(や)の中(うち)に、そうした花の咲くのは壁にうどんげの開くとおなじだ。俺たちが見れば、薄暗い人間界に、眩(まぶし)い虹のような、その花のパッと咲いた処は鮮麗(あざやか)だ。な、家を忘れ、身を忘れ、生命(いのち)を忘れて咲く怪しい花ほど、美しい眺望(ながめ)はない。」


「山吹」より:

夫人 世間へ、よろしく。……さようなら、……」


種村季弘「解説 水源の女神」より:

「いずれにせよ、とりわけ鏡花の戯曲では、この上下転倒のモティーフがいわば組織的に実現される。幕が開くと、あらかじめ空間構造はあべこべに設定されている。『海神別荘』では海底に星が望まれ、それを目がけて陸上から降下してゆく人がさながら天上をさして上昇してゆくように思われる。『天守物語』では当り前なら地底にうごめいているはずの妖怪が、城の天辺の「第五重」の天守閣に巣くっている。
 総じて、上のものが下にあり、下のものが上にあるという、カーニヴァル的転倒もしくは錬金術的上下対応の原理がはたらいているのである。応じて、二つの世界の間の倫理的価値の逆転が自明のもののようにおこなわれる。地上の親子愛は海底では父親の手前勝手な欲望の仮面にしか見えず、姫路城中の主従関係は封建の世のかりそめのイリュージョンにほかならなくて、いずれも利害関係を離れた、無垢の、それだけに地上の世俗的観点から見れば残酷な、愛の形の深みに到達することはない。高所にある禁断の聖域に立ち入れば、人間は生きては帰れない。魔界に転生し人間ならざるものに変身して、地上生活を放棄しなければならない。」
「高所の聖域には人間、とりわけ男子は、立ち入り厳禁なのである。
 では、なぜ女性の神格の宰領する高所の聖域は男子立ち入り禁止なのか。そこが水源だからである。(中略)そこに女神が鎮座ましまして水を統御しているのである。女神による水のコントロールが一歩まかり間違えば、(中略)人間界は鉄砲水や土石流のどんらんな餌食となって壊滅する。」
「こうした山上聖域の消息を如実に描いているのが『夜叉ケ池』であろう。夜叉ケ池の主、白雪姫は、湯尾峠の万年姥その他、主として水棲動物の眷属をしたがえながら水源を管理している。一方、下界の渇水のためとはいえ、水源の管理権を近代化する男性原理の側から簒奪せんとする代議士穴隈鉱蔵以下の村長、小学教師の一味は、竜神封じの鐘の破壊をもくろみ、白雪姫の地上の化身たる鐘楼守の娘百合を、かつての白雪姫と同じように「裸体を牛に縛めて、夜叉ケ池に追上」せしめんとした。とたんに結界はとけて、山は裂け、竜神の水は堰を切って雪崩(なだれ)落ちる。世界没落の光景がせり上がってくる。」
「水源の主たる女神のコントロールをはなれた水=自然は、手綱を外された牛のようにあれにあれて、人間界の一切をなぎ倒し、破壊し尽くすのである。」
「民俗学者は、女人禁制の山がかつては男子禁制の山だった消息を伝えている。水源の山はかつて女神や山姥の管理下にあって男子の立ち入りは無用であった。修験や山伏との長い主導権闘争の後に、山姥はかりそめに支配権を男に譲渡してみずからは隠れる。(中略)そこに女人親政が捲土重来すれば、現存の男性中心社会は致命的な打撃を被らざるをえない。女神の統御する『夜叉ケ池』が決壊して下界=里を呑み込むカタストロフは、それを語る寓意劇の一場なのだ。」
「むろん鏡花は、いかにも明治人らしい立身出世の夢想に沿った小説戯曲を書きもしたが、その一方、下降の快楽ともいうべきモティーフもこなしている。異様な戯曲、『山吹』がそれである。カタストロフの惨につながる女人親政の鬼神力は世間的には苦痛と恐怖をもたらすとしても、世間という通念を捨てた、あらためて立身もしようのない下層に棲息する浮浪人には痛くもかゆくもない。かえって母や姉と一体化するたとえようもない快楽の口実となる。」































































































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ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

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