泉鏡花 『鏡花全集 巻七』

「畜生、外面(げめん)如菩薩内心如夜叉が何(ど)うしたんだ、其(それ)、其(そ)の如菩薩に味方をして、お爲(ため)ごかしの面(つら)を打拂(うちはた)くぞ、樣(ざま)あ見ろ。」
(泉鏡花 「袖屏風」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻七』

岩波書店 昭和17年7月22日第1刷発行
/昭和49年5月2日第2刷発行
689p 目次2p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,200円
正字・正かな/本文総ルビ

月報7(16p):
鏡花の文學史的位相(笠原伸夫)/鏡花と石川近代文學館(新保千代子)/初めて鏡花先生に御目にかゝつた時(小村雪岱、昭和15年『圖書』3月号より転載)/鏡花小説校異考(七)(村松定孝)/同時代の批評・紹介/編集室より/図版3点(明治36年、31歳/「舞の袖」口絵、鏑木清方画/「起誓文」口絵、鏑木清方画)



目次:

袖屏風 (明治34年11月)
女仙前記 (明治35年1月)
きぬぎぬ川 (明治35年5月)
妖僧記 (明治35年1月)
祝杯 (明治35年1月)
波がしら (明治35年2月)
靑切符 (明治35年5月)
やどり木 (明治35年8月)
お留守さま (明治35年9月)
親子そば 三人客 (明治35年10月)
起誓文 (明治35年11月)
舞の袖 (明治36年4月)
二世の契 (明治36年1月)
千歳の鉢 (明治36年1月)
置炬燵 (明治36年3月)
伊勢之巻 (明治36年5月)
藥草取 (明治36年5月)
侠言 (明治36年5月)
鷺の灯 (明治36年9月)
留守見舞 (明治37年3月)




◆本書より◆


「袖屏風」より:

「「貴方、今お話しの其(そ)の觀世物(みせもの)を御覽なすつたといふお社(やしろ)のある處は彼處(あすこ)に當(あた)ります、」と南の方(はう)を、廂(ひさし)の下(した)で屈むやうにして透したが、見る見るすつくりと立つて、柔(しなや)かに垂れて居た拳を握つた。沈んだ力のある聲(こゑ)で、
 「貴方私の恁(か)うやつた後姿は、あの、」といひかけて、湯呑を持つたなり、兩袖を合せて胸を圍(かこ)ふ、肩も背も細(ほつそ)りとなる。
 「もし、何かに似て居やしませんか。」
 「…………」
 「いやなものに似て居やしませんか。」

「「何でも一人手傳(てつだ)つて床(ゆか)の下で人形を動かすものが居るんだつて謂(い)ひますから、」
 これを聞いた要介(えうすけ)は先刻(さつき)人形の後姿を推(すゐ)して、其(そ)の面(おもて)を見て驚いたよりも、寧(むし)ろ案外な思(おもひ)がした。
 「貴女(あなた)、あの觀世物を御存知ですか!」
 「知つて居りますとも、」
 と力を籠めて判然(はつきり)言つた、御新造(ごしんぞ)は瞳をかへしてお園の寢姿を見ながら、
 「先刻(さつき)卜(うらなひ)を遊ばした時、此(こ)のお園さんを御覽なすつて綺麗な女(こ)だとお思ひなすつたでせう、」
 と仔細ありげ、要介何の氣も付かず、
 「美人ですな。」」
「「ぢやあ其(そ)の觀世物の婦人(をんな)の後姿は、貴方が御覽なすつた目に、お園さんにそツくりだつたでせう、確か然(さ)うおつしやいました。」
 「全くなんです。」
 「それからさつき石橋で、あの、はじめてお目に懸りました時、私を御覽なすつて、何とかお思ひなさりはしませんか、」と眞顔で聞く。
 要介は古今(ここん)の辟易。
 「別に怪しいとも何ともおつしやりはしませんが、美(い)い女だとお思ひでせう、」と自若として言ふ。
 要介は唖然として言はんと欲する處を知らず。
 御新造は口輕(くちがる)に、
 「貴方お氣に入りましたか。」
 最早串戲(じようだん)處で無い、天下凡そ男に對(たい)して恁(かゝ)る警句を吐くものありや、餘(あまり)のことに屹(きつ)となつた。要介は心から、玉火屋(たまぼや)の臺洋燈(だいランプ)も薄暗く、四隅から月の影もさし入るばかり、小夜嵐(さよあらし)が颯(さつ)と來たら、戸障子も壁も柱も女の姿も薄(すゝき)の中に骨ばかりのものとなつて、消え、咄嗟に自分の夢が覺(さ)めるのであらうと觀念して、今は恐れず、物凄いまで美しい婦人(をんな)の顔を屹と見て、しや! 妖怪と思ひ切つて言つた。
 「惚れたんです、恐縮。」
 「然(さ)う、」と言つて寂しげに笑つて、端然とすると、仇口(あだぐち)の婀娜(あだ)な嬌態は何處(どこ)へやら、たゞこれ神の如き一個犯すべからざる品位を備へ、
 「不可(いけ)ません、外面(げめん)如菩薩内心如夜叉ですから、私の後姿もいやなものに似て居ませう、」と再び言つた。」
「「それにつきまして、あの觀世物の婦人(をんな)は、殿方が御覽になると、屹度(きつと)其(そ)の思つた人の姿に肖(に)ますのですよ、實(じつ)は私の良人(をつと)は彼(あ)の觀世物に殺されたのでございます、」」
「「いつもいつも氣になりますのは良人(やど)を殺しました其(そ)の通魔(とほりま)で、私ははじめから、皆にまつはる、目に見えぬ、悪魔が彩色した、切つても切れない、あの蜘蛛の巣のやうなものでせうと思つて居ます。」」

「「畜生、外面(げめん)如菩薩内心如夜叉が何(ど)うしたんだ、其(それ)、其(そ)の如菩薩に味方をして、お爲(ため)ごかしの面(つら)を打拂(うちはた)くぞ、樣(ざま)あ見ろ。」」



「きぬぎぬ川」より:

「其(そ)の人は彼(あ)の六百里隔つた都の兵營で、射的の名人だつたさうだけれど、或時上官が部下のものを集めて、汝(きさま)達は戰爭に出て死ぬことが出來るかと、尋ねたことがあつたさうな。唯戰(いくさ)のないのが殘念でございます、口で申すよりは、と皆が答へたのに、其の騎兵は言つたことが惡かつた。」
 少時(しばらく)口を結んで、やがて聲(こゑ)靜(しづか)に、
 「私(わたくし)は唯兇器の動かないことを望みます、其(それ)は私が大切に思ひます或女性(によしやう)が、平和を望んで居りますから。しかし其の戀しい婦人(ふじん)のためにならば楯になつて倒れます。」」
「「然(さ)う言ひも切らない内に、あの其(そ)の騎兵の身體(からだ)は大地に倒れて、三人の三ツの靴で蹈(ふ)まれたさうだよ。さあ、それからは、軍隊への見せしめと言つて、故(わざ)と越度(をちど)を拵(こさ)へるやら、濡衣(ぬれぎぬ)を着せるやら、酷(ひど)いことの烈しい時は、倒(さかさま)にして打(ぶ)つたさうな。牢へ入れたことが、十幾度、」」

「「二人は無事でおいでだから、些(ちつ)とも案じないが可(い)い、是(これ)から里へ歸るのなら、可哀さうに、お前の身體(からだ)に迷惑のかゝらないやうにして上げませう。それとも、最(も)う歸らないで、此處(こゝ)に私たちと居る氣なら、(中略)温泉(ゆ)に入つたり、釣(つり)をしたり、月夜には劍村(つるぎむら)まで岩の上を歩行(ある)いたり、獸を撃つたり、鳥を獲つたり、皆で色々(いろん)なことをして遊びませう。」」



「起誓文」より:

「「そりや一寸の蟲にも五分の魂、酷い目に逢はせれば、小さな蟲だつて腹を立てます。近頃聞きや螢の彼(あ)の美しい光が、つかまへると、最(も)う一倍明(あかる)くなつて見えるのも、腹を絶つんだつて言ふぢやないか。
 先刻(さつき)お前が捕へようといつて大騷ぎをした松蟲も、あんな優しい、可愛い蟲だけれど、籠へ入れられて鬚を動かす時は、怒つてるのかも分らない。人間にはそれこそ向つたつてかなはないが、(中略)一概に蟲けらとばかりいふやうなものぢやないよ。」」



「置炬燵」より:

「「そんな人たちは、何の事はない、其(そ)の美人の爲(ため)に學問をして居たんだ、甚(はなは)だ劣等なやうだけれども、月給を取るためにするよりは增(まし)さ。」」



◆感想文◆

「袖屏風」の〈見世物〉すなわち「目に見えぬ、悪魔が彩色した、切つても切れない、あの蜘蛛の巣のやうなもの」とは何かというと、もちろん、世間(人間社会)と、それが生み出す偏見のことです。そんな世間から「外面如菩薩内心如夜叉」だの「国賊」だのと罵られ、うんざりして山に籠る話が「女仙前記」「きぬぎぬ川」です。
鏡花文学の発展の段階は、
①人間社会にいじめられる 
②人間社会をすてる 
③人間社会とたたかう
④人間社会をほろぼす
の四段階ですが、③④において重要な役割を果たすのが、「お化け」つまり鬼神力であって、そういう意味で「お化け」は鏡花文学になくてはならない存在です。
本来、鏡花文学においては、〈見世物〉の世界は、「照葉狂言」や「陽炎座」の芝居の世界も含めて、鬼神力の、ひいては観音力の働くトポスであって、畏敬すべき世界なのですが、「袖屏風」の見世物の場合は、人間の力で作りものの人形を動かしているので、それは純然たるほんもののフリークスや〈河原者〉とはちがって、人間社会の偏見の一方的な投影であり、人間社会の模像であって、それゆえ悪なのです。
鬼神力といえば、「蛇くひ」や「湖のほとり」では蛇を食べることで鬼神力を身につけますが、本巻所収「妖僧記」の蝦蟆(がま)法師はガマガエルを食べます。「妖僧記」は「黒猫」や「なゝもと櫻」のヴァリエーションで、望まない相手に好かれた女の人が、自分の死んだお母さんの許しを得ることができれば相手の望み通りになってやるという無理難題を与えて難を逃れようとする話です。蝦蟆法師のやっていることは今でいえばストーカーですが、鏡花文学においては「初一念」を貫くことが何よりも尊いこととされているので(※)、おぞましい蝦蟆法師の片恋も、深草少将の百夜通いの趣があります。そして蝦蟆法師を頓智でやりこめようとする「お通」さんに対して、鏡花が余り好意的でないことは、例えば、「あまたの人の嫌惡に堪へざる乞食僧の、黑壁に出沒するは、蝦蟆(がま)とお通のあるためなり」という文章で、ガマガエルとお通さんをことさらに並列表記していることからもうかがえます。


「思ふの、惱むのといつて、これが四年や五年の間に、其(そ)の初一念を飜すやうな男と、縁組をしたつて何になる。」
(「置炬燵」より)
「此(こ)の謠(うたひ)を知つて居るか。下司下郎の老人が、生命(いのち)をかけて、女御(によご)を慕つたと思へ。其(そ)の女御がだな、綾で造つた鼓を渡して、さあ、打て、もしも此(こ)の鼓が鳴つたら思(おもひ)を叶へよう、妄執を晴して遣らうといつた。鳴るものか、鳴るものか、綾藺(あやゐ)にも、太藺(ふとゐ)にも、細藺(ほそゐ)にも、燈心草(とうしんぐさ)の鼓が鳴るか! 鳴らぬ鼓を打つて打つて、老人は遂に池の水に溺れて死んだ。」
「むゝ、思ひ上つたな、怪(け)しからん、失禮(しつれい)だ。」

(「風流線」より)









































































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