泉鏡花 『鏡花全集 巻九』

「貴下(あなた)、私は畜生になります、」
(泉鏡花 「銀短冊」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻九』

岩波書店 昭和17年3月30日第1刷発行
/昭和49年7月2日第2刷発行
674p 目次2p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,200円
正字・正かな/本文総ルビ

月報9(16p):
天才鏡花(吉田精一)/九九九會と藤村家(山本武夫)/鏡花風土記拾遺(神西清、昭和17年7月発行『鏡花全集』第1巻月報より転載)/鏡花小説校異考(九)(村松定孝)/同時代の批評・紹介/編集室より/図版2点(番町の家/番町の家二階書斎における鏡花)



目次:

千鳥川 (明治37年5月)
外國 軍事通信員 (明治37年7月)
柳小島 (明治37年9月)
わか紫 (明治38年1月)
銀短冊 (明治38年4月)
瓔珞品 (明治38年6月)
少年行 (明治38年7月)
胡蝶之曲 (明治38年10月)
女客 (明治38年11月)
惡獸篇 (明治38年12月)
海異記 (明治39年1月)
月夜遊女 (明治39年1月)




◆本書より◆


「千鳥川」より:

「「貴下(あなた)、潮がさしひきをいたしますよ。其(それ)に丁(ちやう)ど心中したのは引潮時でございましたから、ずるずると海へ奪(と)られましてね、死骸は、何でございます、此(こ)の沖で上りました。」」
「「身(からだ)を結(ゆは)へつけた上に、未(ま)だ、黑髪の水にほぐれたのが、恐(おそろし)い、男の肩をぴつたりと巻いて、女(むすめ)の方からしつかり抱ついて死んで居たと云ふんでございますよ。そんなしだらで男をそゝのかして、慾(よく)の深い、貴下(あなた)、何(ど)うぞ死骸は一所に葬つてくださいましと、お役人宛に女(むすめ)の手で遺言がしてあつたんださうでございます。憎いぢやございませんか。
 其(そ)の遺書(かきおき)が、村役場に大事に了(しま)つてあつたのを、男の方の御親類に見せましたものですから、叔父御だといひましたね、書記官とかを遊ばす、御身分のある方が、憎い阿魔(あま)だ、と齒(は)がみを遊ばして、引裂いてお棄てなさいましたさうでございます。可氣味(いゝきみ)ぢやございませんか。
 あとで胸も乳も露出(むきだし)のまゝで、阿魔つ兒(こ)は一人ぼつち、舊(もと)の投埋(なげうめ)、ほんとに唾でも引(ひつ)かけてお遣(や)りなされば可(よ)かつたと、其時もお供をした増屋(ますや)の御主人、番頭さんも然(さ)う申します。」」
「「待て、氣の毒千萬(せんばん)。そんな分らず家(や)が揃つて居るから、若木の枝を撓(た)め枯らすやうなことにもなるのだ。」」
「「可哀相(かはいさう)に、死んだものを、くさしかける奴があるか。
 善にせよ、惡にせよ、まあ、聞け。死ぬといふはよくせきだぜ。たとひ、ふしだらにもせよ、又身性(みじやう)の惡いものにもせよ、懺悔に消えるとさへいふものを、活(い)きて居られないと覺悟(かくご)をすりや、罪も報(むくい)も其迄(それまで)だ。
 譬(たと)ひどんなことがあつたにしろ、身を棄てたら許すべきぢやないか。」」
「「一體(いつたい)貴樣たちのいひやうが宜(よろし)くない。女(むすめ)は不身持(ふみもち)だの、(中略)容色(きりやう)がよくないのと散々に話すから、聞く奴等も鼻のさきで扱ふんだ。
 嘘でもいゝ、追善菩提(つゐぜんぼだい)のため、飽(あく)まで譽(ほ)めろ、思ふさま庇つて話せ。
 場處(ばしよ)も如何(いか)にも、鱗岩(うろこいは)で、然(しか)も月夜だつたといへ。一度お顔を見上げたものは、私(わたくし)どもはじめ、思出しては泣きますと何故いつてやらない。」」
「「何(ど)うせ、くさしついでだと思つて、第一女振(をんなぶり)が好(よ)くないなぞといふことがあるものか。先(ま)づ其(そ)の容色(きりやう)から譽(ほ)め立てろ、つひぞ見た事のないやうな美しいお姫樣でございましたと、」」



「瓔珞品」より:

「「お住居(すまひ)の此(こ)の山は、淸淨(しやうじやう)な處(ところ)ですが、下には惡いものばかり、月の下へ黑雲のかゝりますと同じ事。(中略)此處(こゝ)は天上、町は魔界。」」


「月夜遊女」より:

「「恁(か)う、はあ、皎々(かうかう)と澄み切つた月夜となると、蟲の這ふまでが見えさうで、それで居て、何よなあ、何だか水の底でも渡るやうで、また、然(さ)うかと思ふと、夢に宙(ちう)でも歩行(ある)くやうで、變(へん)に娑婆ばなれがして、物凄く、心持が茫(ぼつ)とすらあよ、えゝ、音(おと)。」」

「尋常に其(そ)の膨(ふく)らかな腹をのけざまに、なよなよと尾を垂れて、屠る手を待つ状(さま)なるが、俎(まないた)を餘(あま)つた頭(かしら)は、白ずんだ咽喉を突張つて、覺悟して首垂(うなだ)れた風情はなく、もの言ひたげに顎を張つて、裂けるが如く目を睜(みは)つた、大いなる魚の目の艷(つや)は、實際(じつさい)猫のそれよりも輝くのである。其の大きな目がまた意地惡く目について、見まいとしても月の隈に、動かぬ光が据つたやうに瞳を射る。」
「一番取ツ組む氣で、片手で仰向いた鮟鱇(あんかう)の、腹の下あたりを壓(おさ)へつゝ……」
「ぬめりと滑(なめら)かな、而(そ)して蒼白い、水紅(とき)色の環を環取(わど)つて柔かな顎の透(すき)へ、矢庭に差入れむとした手首が震へた。
 上ずつて腕が硬(こは)く成つたのである。
 恐(おそろ)しい淵へ飛込むと思つたが、目を眠つたのである。
 「痛いよ。」
 トタンに耳の底へ、遠い、遙(はるか)な處で言つたやうに聞えたので、ハツと思ふと目が開いた。音(おと)の右手は、手首を籠めて魚(さかな)の顎へ入つて居た。
 しやにむに其の手に搦(から)まつた、腸(はらわた)を曳出さうと殆ど夢中に引掴(ひツつか)む。
 「徐(そつ)と、」
 と再び、今度は何處でか谺(こだま)がすると思つたほど、判然(はつきり)と聞えたのである。
 飛上るほどに、慌てて引くと手が動かぬ。
 「曳(えい)、」と曳くのと、腕がしびれたのと、掌(たなそこ)に餘(あま)つたのを放したのと、無性に手を振つたのと、地蹈韛(ぢだんだ)を踏んだのと恰(あたか)も同時で。
 地(つち)へたゝきつけたものから、むらむらといきれが立つた、生暖(なまあつた)かい、咽せるやうな、湯氣の如き白氣(はくき)一團(いちだん)。」
「「わい、」と反つて、矢鱈(やたら)に掴んで兩手で目のあたりを掻きのめしつゝ、くるくると廻つた。が、苦しく一呼吸(ひといき)ついた時、(中略)朦々(もうもう)として眞白(まつしろ)な濃い雲の、八九間(けん)、障子の如く連つて、立迷つて居るのを發見(みだ)したのである。
 唯狹霧(さぎり)の中に巻かれた如く、蜘蛛の圍(い)に包まれた如く、(中略)身動きもならず視(なが)めて居ると、(中略)少しづゝ薄らいで、(中略)次第に端(はし)ぼかしに眞中が濃くなつて、やがて此(こ)のあたりには見も馴れぬ、一本(ひともと)の柳をふツくりと包んだらしい、ものの姿が、すらりと傍(かたはら)に纏(まと)まつた。」
「扨(さ)て其の彳(たゝず)んだ姿のまゝに、霞を分けた柳の葉、影艷やかにはらはらと黑髪を丈(たけ)に亂(みだ)して、枝ぶり映る月の隈(くま)を、衣(き)もののひだになよやかな、薄色衣(うすいろぎぬ)の腰細う、頸(うなじ)、耳許(みゝもと)、頬のあたり眞白(ましろ)に俤(おもかげ)に立つたる美女(たをやめ)。撫肩のありや、なしや。袖を兩脇に掻垂(かいた)れたが、爾(その)時、ほろほろと衣紋(えもん)が解(と)けて、(中略)胸のあたりで美しい、つゝましげな兩の手首を開くと、鳩尾(みづおち)かけて姿を斜めに、裳(もすそ)を寛(ゆる)くはらりと捌(さば)いた、褄(つま)をこぼれて、袂(たもと)にからんで、月にも燃ゆる緋縮緬(ひぢりめん)。
 頸(うなじ)を傾け、月に向(むか)へる、玉の顔(かんばせ)、眉を開いて、恍惚(うつとり)と目を眠つたまゝ、今ほころびた花かとばかり、得ならぬ薰(かをり)はツと散つて、ホと小さく、さも寛いだらしく伸(のび)をした。
 其(そ)の目をぱツと鈴のやう、淸しき瞳を見向けたが、丹花(たんくわ)の朱唇(くちびる)愛々(あいあい)しく、二十(はたち)を越した年ごろながら、處女(むすめ)のやうにふツくりと、下(しも)ぶくれなのが笑(ゑみ)を含んで、熟(じつ)と天窓(あたま)から視(なが)めたので。
 大入道なら破れかぶれ、噛(かじ)りつきもしたであらう、音吉(おときち)は唯へとへとと腰が崩れて、べツたり尻餅。」

「「其(そ)のな、變(かは)つたことと云ふのは、處々(ところどころ)で、ふらふらとおらが目に入(い)つた、大勢、其の別嬪のお供をするのが、月影に露(あら)はれただよ。」
 「お供がな。」
 「むゝ、はじめ氣がついた時は、おら、一里塚の石佛さ、あのなりで、五體(たい)、ぞろぞろとついてござつたかと思つたい。二度目に氣がついた時は、最(も)ツと人數(にんず)が多かつた、ものの十四五人も居つらうか。
 而(そ)してな、皆(みんな)……婦人(をんな)の姿だつたぜ。」
 「奇代(きたい)だな、すると魔物の頭(かしら)かな。」
 「何だか知んねえ、皆な、恁(か)うやつて、」
 と音吉は手を籠めて、ぐツと肩を狹(せば)うして、袖口を引合はせ、
 「月が寒いから袖の下さ手を入れて、背中から前途(むかう)の方へ、さツさツと、裾がからんで吹く風よ。前へうつむくやうにして歩行(ある)いてござる。背後(うしろ)へづらりと一人づゝ、殘らず同じ寸法の婦(をんな)の姿よ。袖を抱いた、袂の長い、矢張(やつぱり)裳(すそ)が靡いてな、些(ちく)とも違はねえやうに、揃つて、前へ俯向(うつむ)いたが、唯變(かは)つてるのは、おらが連れのは髪を下げたに。
 あとへ續いたのは島田髷よ、それも草束ねといふ奴だ。(中略)それが、露(あら)はれる時は、さらさらと音がして、裾や、袂のゆれるのが、紙子(かみこ)で拵(こしら)へたかと思ふ氣勢(けはひ)よ。
 其(その)十四五人が、づらりと並んだ時もありや、五人ぐれえづゝ、ふはふはと二側(ふたかは)になつた時もあつたし、三側(みかは)に揃つて、列さ短くした時もありな。ひよツとかすると、前の別嬪に知れねえやうに、二人づゝ、密(そつ)と顔らしい上の方のぼやツと白いものを差寄(さしよ)せて、何か囁いたらしい折もあつた。」」

「「別に恁(か)うて事はねえだけんど、可恐(おそろし)く海が好きでの。間(ま)さへありや、窓をあけたり、柱に凭(よ)つたり、いつも沖の方さ見てござるだ。
 での、風か、雨か、海の色のかはらうといふ時は、はあ、缺(か)かしごとねえ、何時(いつ)でも立つて視(なが)めるだが、其時は、いつまでも見入つて恍惚(うつとり)としてござる。沖の方さ、故郷でもあるだかと、蔭で風説(うはさ)して、又海の色がかはらう、と云ふくれえよ。」
 海の浪は、常に此(こ)の美女(たをやめ)の姿を前に、色をかへて立騷ぐのであつた。」

「「其の魔物さ、おらが不了簡(ふれうけん)から、此(こ)の世の中へ引き出して、途中で主公(との)さまに押(おツ)つけたわけだからな。」」
「「其の中(うち)、主公(との)樣が御寵愛と、薄々濱(はま)へ聞えるでな、御恩になる主公(との)樣を、おらが口から魔道に落(おと)いて、妖物(ばけもの)の婿にしては濟(す)むめえ。夢だ夢だと思ふうち、何だか、うぬが方が夢になつて、先方(さき)さまは正眞(しやうじん)贋(まが)ひなしのやうな氣になつただがね、」」




◆感想文◆

「月夜遊女」は、鮟鱇のおなかの中から美女が出て来たので、並んで月夜の道を歩く話ですが、同じ美女が何人も現われてぞろぞろとお供をするというのはポール・デルヴォーの絵のようで興味深いです。










































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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