泉鏡花 『鏡花全集 巻十』

「不埒は承知よ。不埒を承知でした事を、不埒と言つたつて怯然(びく)ともしねえ。」
(泉鏡花 「婦系圖」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻十』

岩波書店 昭和15年5月15日第1刷発行
/昭和49年8月6日第2刷発行
749p 目次1p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,200円
正字・正かな/本文総ルビ

月報10(16p):
「春晝」・「春晝後刻」について(島田謹二)/恩人田岡嶺雲(西田勝)/鏡花小説校異考(十)(村松定孝)/同時代の批評・紹介/編集室より/図版2点(「婦系圖」表紙と口絵、鏑木清方・鰭崎英朋画/「無憂樹」表紙と口絵、鏑木清方画)



目次:

無憂樹 (明治39年6月)
お辨當三人前 (明治39年7月)
春晝 (明治39年11月)
春晝後刻 (明治39年12月)
婦系圖 前篇 (明治40年1月)
婦系圖 後篇 (明治40年3月)




◆本書より◆


「春晝」より:

「「大分(だいぶ)町の方が賑(にぎは)ひますな。」
 「祭禮(さいれい)でもありますか。」」
「「あの音もさ、面白可笑(をかし)く、此方(こつち)も見物に參る氣でもござると、ぢつと落着いては居られない程、浮いたものでありますが、さて恁(か)う、かけかまひなしに、遠ざかつて居りますと、世を一つ隔てたやうに、寂しい、陰氣な、妙な心地がいたすではありませんか。」
 「眞箇(まつたく)ですね。」
 「昔、井戸を掘ると、地(ぢ)の下に犬(いぬ)鷄(にはとり)の鳴く音(ね)、人聲(ひとごゑ)、牛車(ぎうしや)の軋る音などが聞えたといふ話があります。それに似て居りますな。
 峠から見る、霧の下だの、暗(やみ)の波打際、ぼうと灯(あかり)が映る處だの、恁(か)やうに山の腹を向うへ越した地の裏などで、聞きますのは、をかしく人間業でないやうだ。」」



「春晝後刻」より:

「「夢と言へば、これ、自分も何(な)んだか夢を見て居るやうだ。やがて目が覺(さ)めて、あゝ、轉寐(うたゝね)だつたと思へば夢だが、此(この)まゝ、覺めなければ夢ではなからう。何時か聞いた事がある、狂人(きちがひ)と眞人間(まにんげん)は、唯時間の長短だけのもので、風が立つと時々波が荒れるやうに、誰でも一寸々々(ちよいちよい)は狂氣(きちがひ)だけれど、直(す)ぐ、凪ぎになつて、のたりのたりかなで濟(す)む。もしそれが靜まらないと、浮世の波に乘つかつてる我々、ふらふらと腦が搖れる、木靜まらんと欲すれども風やまずと來た日にや、船に醉(ゑ)ふ、其(そ)の浮世の波に浮んだ船に醉ふのが、立處(たちどころ)に狂人(きちがひ)なんだと。」」
「「ト來た日にや夢も又同一(おんなじ)だらう。目が覺めるから、夢だけれど、いつまでも覺めなけりや、夢ぢやあるまい。
 夢になら戀人(こひびと)に逢(あ)へると極(きま)れば、こりや一層(いつそ)夢にして了(しま)つて、世間で、誰某(たれそれ)は?と尋ねた時、はい、とか何(な)んとか言つて、蝶々二つで、ひらひらなんぞは悟つたものだ。
 庵室(あんじつ)の客人なんざ、今聞いたやうだと、夢てふものを賴(たの)み切りにしたのかな。」」

「「此(こ)の春の日の日中(ひなか)の心持を申しますのは、夢をお話しするやうで、何(な)んとも口へ出しては言へませんのね。何(ど)うでせう、此のしんとして寂しいことは。矢張(やつぱり)、夢に賑(にぎや)かな處を見るやうではござんすまいか。二歳(ふたつ)か三歳(みツつ)ぐらゐの時に、乳母の背中から見ました、祭禮(おまつり)の町のやうにも思はれます。
 何爲(なぜ)か、秋の暮(くれ)より今、此の方が心細いんですもの。それで居て汗が出ます、汗ぢやなくつて恁(か)う、あの、暖(あたゝ)かさで、心を絞り出されるやうですわ。苦しくもなく、切なくもなく、血を絞られるやうですわ。柔(やはら)かな木の葉の尖(さき)で、骨を抜かれますやうではございませんか。こんな時には、肌が蕩(とろ)けるのだつて言ひますが、私は何(な)んだか、水になつて、其(そ)の溶けるのが消えて行(ゆ)きさうで涙が出ます、涙だつて、悲しいんぢやありません、然(さ)うかと言つて嬉しいんでもありません。」」
「「あゝ遣(や)つて、田圃(たんぼ)にちらほら見えます人も、秋のだと、しつかりして、てんでんが景色の寂しさに負けないやうに、張合(はりあひ)を持つて居るんでせう。見た處でも、しよんぼりした脚にも氣が入つて居るやうですけれど、今しがたは、すつかり魂を抜き取られて、ふはふは浮き上(あが)つて、あのまゝ、鳥か、蝶々にでもなりさうですね。心細いやうですね。
 暖い、優しい、柔かな、すなほな風にさそはれて、鼓草(たんぽぽ)の花が、ふつと、綿になつて消えるやうに魂がなりさうなんですもの。極樂と云ふものが、アノ確(たしか)に目に見えて、而(そ)して死んで行(ゆ)くと同一(おなじ)心持なんでせう。
 私はずたずたに切られるやうで、胸を掻きむしられるやうで、そしてそれが痛くも痒くもなく、日當(ひあた)りへ桃の花が、はらはらとこぼれるやうで、長閑(のどか)で、麗(うらゝか)で、美しくつて、其(そ)れで居て寂しくつて、雲のない空が賴りのないやうで、綠(みどり)の野が砂原のやうで、前生(ぜんせ)の事のやうで、目の前の事のやうで、心の内が言ひたくツて、言はれなくツて、焦(じれ)ツたくツて、口惜(くやし)くツて、いらいらして、じりじりして、其(その)くせぼツとして、うつとり地(ぢ)の底へ引込まれると申しますより、空へ抱き上げられる鹽梅(あんばい)の、何(な)んとも言へない心持がして、それで寢ましたんですが、貴下(あなた)、」」

「徒(いたづ)らに砂を握れば、くぼみもせず、高くもならず、他愛なくほろほろと崩れると、又傍(かたはら)からもり添へる。水を掴むやうなもので、搜(さぐ)ればはらはらとたゞ貝が出る。
 渚には敷滿(しきみ)ちたが、何(な)んにも見えない處でも、纔(わづか)に砂を分ければ貝がある。未(ま)だ此(こ)の他に、何が住んで居ようも知れぬ。手の屆く近い處が然(さ)うである。
 水の底を搜したら、渠(かれ)がためにこがれ死(じに)をしたと言ふ、久能谷(くのや)の庵室の客も、其處(そこ)に健在であらうも知れぬ。」



「婦系圖」より:

「「惚れてよ、可愛い、可憐(いとし)いものなら、(中略)結婚をしたあとで、不具(かたは)にならうが、肺病にならうが、また其(そ)の肺病がうつゝて、其(それ)がために共々倒れようが、そんな事を構ふもんか。」」

「「あの、庭の白百合は最(も)う咲いたの、」
 「…………」
 「此(こ)の間行つた時、未(ま)だ莟(つぼみ)が堅かつたから、早く咲くやうに、おまじなひに、私、フツフツとふくらまして來たけれど、」」

「「騙(かたり)ぢやなう、」
 「騙ですとも。」
 「強請(ゆすり)ぢやが。汝(きさま)、」
 「強請ですとも。」
 「其(それ)で汝(きさま)人間か。」
 「畜生でせうか。」
 「其でも獨逸(ドイツ)語の教師か。」
 「否(いゝえ)、」
 「學者と言はれようか。」
 「何(ど)ういたしまして、」」
「「強請(ゆすり)です。畜生です。而(そ)して河野家の仇(あだ)なんです。」
 「默れ!」
 と一喝、虎の如き唸(うなり)をなして、杖(ステツキ)を犇(ひし)と握つて、 
 「無禮(ぶれい)だ。默れ、小僧。」
 「何だ、小父(をぢ)さん。」
 と云つた。(中略)主税(ちから)は正面へ顔を出して、呵々(からから)と笑つて、
 「おい、己(おれ)を、まあ、何だと思ふ。淺草田畝(たんぼ)に巣を持つて、觀音樣へ羽(は)を伸(の)すから、隼(はやぶさ)の力(りき)と綽名(あだな)アされた、掏摸(すり)だよ、巾着切(きんちやくきり)だよ。はゝはゝ、是(これ)から其(そ)の氣で附合(つきあ)ひねえ、恁(か)う、賴(たの)むぜ、小父さん。」」

「「不埒(ふらち)な奴だ?」」
「「不埒は承知よ。不埒を承知でした事を、不埒と言つたつて怯然(びく)ともしねえ。豪(えら)い、と讚(ほ)めりや吃驚(びつくり)するがね。」」

「「迷惑や氣の毒を斟酌(しんしやく)して巾着切(きんちやくきり)が出來るものか。眞人間(まにんげん)でない者に、お前、道理を説いたつて、義理を言つて聞かしたつて、巡査(おまはり)ほどにも恐くは無(ね)えから、言句(もんく)なしに往生するさ。」」
「「お前さん、嘸(さぞ)口惜(くやし)からう。打(ぶ)ちたくば打て、殺したくば殺しねえ、義理を知つて死ぬやうな道理を知つた己(おれ)ぢやねえが、孃(ぢやう)さんに上げた生命(いのち)だから、其(その)生命を棄てるので、(中略)死んでも寂(さびし)い事はねえ、女房が先へ行つて待つて居(ゐ)ら。
 お蔦(つた)と二人が、毒蛇に成つて、可愛いお妙(たへ)さんを守護する覺悟(かくご)よ。見ろ、あの龍宮に在る珠(たま)は、惡龍が絡(まと)ひ繞(めぐ)つて、其(その)器(うつは)に非ずして濫りに近づく者があると、呪殺(のろひころ)すと云ふぢやないか。
 呪詛(のろ)はれたんだ、呪詛はれたんだ。お妙さんに指を差して、お前たちは呪詛はれたんだ。」
 と膝に手を置き、片面(はんおもて)を、怪しきものの走るが如く颯(さ)と暗くなつた海に向けて、蝕ある凄き日の光に、水底(みなそこ)の其の惡龍の影に憧(あこが)るゝ面色(おもゝち)した時、隼の力(りき)の容貌は、却(かへつ)て哲學者の如きものであつた。」




◆感想文◆

本巻は昭和40年代以降に再評価されるようになった「春昼」前後篇と、それ以前に鏡花の代表作とみなされていた「婦系図」前後篇が中心になっています。「春昼」を浮世離れ系とすれば、「婦系図」は反体制系、前者をプログレとすれば後者はパンクです。
「婦系図」はどういう話かというと、孤児のスリ少年がドイツ文学者の家に引き取られて弟子になって、今はドイツ語の先生かなんかしているのですが、真人間になってしまったわけではなくて、師匠の娘が家柄のよいお金持(河野家)の子息と結婚しそうになるのを邪魔する話です。なぜ邪魔するのかというと、家柄のよいお金持などろくなものではないからです。

































































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◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

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分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

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将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

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