泉鏡花 『鏡花全集 巻十四』

「眞個(ほんたう)の事を言ひませうか、私は人間ではないの。」
(泉鏡花 「貴婦人」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻十四』

岩波書店 昭和17年3月10日第1刷発行
/昭和49年12月2日第2刷発行
782p 目次2p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,400円
正字・正かな/本文総ルビ

月報14(16p):
全集のすすめ(篠田一士)/鏡花ものという演目(下)(戸板康二)/鏡花全集と私(安田武)/泉名月蔵 新資料(二) 尾崎紅葉の鏡花宛書簡/鏡花小説校異考(十四)(村松定孝)/同時代の批評・紹介/編集室より/図版6点(単行本「南地心中」表紙/尾崎紅葉の鏡花宛書簡7/同8/同9/単行本「南地心中」本扉/大正元年頃)



目次:

祗園物語 (明治44年7月)
杜若 (明治44年8月)
月夜 (明治44年8月)
貴婦人 (明治44年10月)
爪びき (明治44年12月)
夜釣 (明治44年12月)
南地心中 (明治45年1月)
片しぐれ (明治45年1月)
三人の盲の話 (明治45年4月)
絲遊 (明治45年6月)
歌仙彫 (明治45年7月)
紅提灯 (明治45年7月)
淺茅生 (大正元年10月)
印度更紗 (大正元年11月)
霰ふる (大正元年11月)
五大力 (大正2年1月)




◆本書より◆


「祗園物語」より:

「「おゝ、」とお岸(きし)が、崩るゝやうに、爐(ろ)の縁(ふち)取つて、身を寄せて、
 「然(さう)どしたらな、……欲を云ふやうどすけれど、……思ふ人に添はれいで生(いき)とる效(かひ)がないはけに、死なう死なう思ふけれども、骸骨に成ると、目々(めゝ)や口へ蛞蝓(なめくぢ)が集(たか)るやろ思うて、其(それ)が可厭(いや)らして、死ぬ事出來いで泣いて居る女子(をなご)に遇(あ)やはつたら、骨はな、海へ行(い)て龍宮の珠(たま)に成る云うて、安心をさせる人はんにな、屹(きつ)と、育てて遣(や)つておくれやすや。」」

「脇明(わきあけ)は、はらはらと、紅(くれなゐ)を解いて雪を散らす。
 「見屆(みとゞ)けた。骨は玉(たま)だ。」
 と呻(うめ)く時、水煙がぱつと散つた。水晶の簾(すだれ)の中に、一度すつきりと立姿(たちすがた)が浮いて、倒(さかさま)に黑髪を長く沈んだ。
 「八大龍王(はちだいりうわう)、其(そ)の美人、お賴(たの)み申す。」」



「杜若」より:

「「何(ど)うにも恁(か)うにも始末に行(ゆ)かねえ。小錢(せうせん)二錢(にひやく)だがの、最(も)うこれ、遅いから、一錢(ひやく)にまける。……其のかはり口上は抜きだ。が、面白い覗機關(のぞきからくり)だぜ。」
 「機關(からくり)處(どこ)では無いわ、私。」
 「先(ま)づ、可(い)いから見ねえよ。」
 (中略)其(それ)でも、フト虚(うつ)かりしたらしく仰向くと、觀音開(くわんおんびら)きの看板の、直(ぢ)き其(そ)の前髪に近いのが一枚目に着く。
 ト 颯(さつ)と眞紅(まつか)に瞳に映つた! 磔柱(はりつけばしら)に縛(いましめ)の繩(なは)で、火に包まれた娘がある。
 お銀の縺(もつ)れた鬢(びん)の毛が、ふらふらと動いた。
 「お七(しち)……だわねえ、一寸(ちよいと)。」
 其の一枚が火あぶりの。」

「「ねえ、逢(あ)へますか、逢はして頂戴、死んでも生きても顔が見たいわ。」」
「「さて、逢はす……が、姊(あね)さん、お前(めえ)、此處(こゝ)で何(ど)うだ、放火(つけび)が出來るか。」」
「「これ、戀(こひ)しい男に逢ひたくて、何(ど)うしても我慢の出來ねえ時は、の、それ、嚇(くわつ)と放(つ)けるだ。山でも野でも、家でも何でも構はねえ。」」



「爪びき」より:

「新吉(しんきち)は、身體(からだ)の加減が惡かつたために、四年ばかり、逗子(づし)の町へ家を移して居た。其家(そこ)も二階が二室(ふたま)あつて、一室(ひとま)を書齋に、一室を寢たり起きたりに――無理に押詰めて勉強(しごと)は出來ず、不意の來客はなし、同じ海岸を毎日散歩にも飽きるから、大概ころんと寢轉(ねころ)んで本を讀(よ)んだ――習(ならひ)、性(せい)と成る……と仔細らしく云ふものの、惡い癖が一寸(ちよつと)脱(ぬ)けぬ。東京へ歸(かへ)つてからも、同じくで、考へ事をする時には掻巻(かいまき)の中の方が落着きが可(い)い。
 「成長(おほき)なものが日中(ひなか)見つともない! 寢て居るんなら嬰兒(あかんぼ)のやうにしておいでなさい。」
 で、お君(きみ)の才覺(さいかく)で天鵞絨(びろうど)の括(くゝ)り枕に、友染(いうぜん)の肩當(かたあて)と云ふ、至極尋常な處(ところ)を當(あて)がはれて、別に損の行(ゆ)く事では無いから、當人(たうにん)も其の氣で納(をさま)る。」



「三人の盲の話」より:

「「上へ五本めの、一つ消え殘つた瓦斯燈(がすとう)の所に、怪しいものの姿が見える……其(それ)は、凡(すべ)て人間の影を捉(と)る、影を掴む、影法師を啖(くら)ふ魔ものぢや。
 彼(かれ)めに影を吸はるれば、人間は形痩せ、嘗(な)めらるれば氣衰へ、蹂躙(ふみにじ)らるれば身を惱(なや)み、吹消さるゝと命が失せる。」」



「絲遊」より:

「「然(さ)う……川もなくなつたんですか。……川も埋(うま)りませうよ。……私達を逢へないやうにする世間ですもの。」」

「「綠(みどり)色の首で、眞白な羽で……菖蒲(あやめ)の紫がまだ咲(さき)のこつた中に、そりや美しい鳥だつた事よ。今でも居さへすれば、私は丁(ちやん)と覺(おぼ)えて居る。……あの時の池の景色は、時々夢に見ますもの、貴方(あなた)が船を漕いだり、私が其(そ)の鳥の背中に乘つたり、菖蒲が水を歩行(ある)いたり。」」



「歌仙彫」より:

「「唯今も申しましたが、私は何(なん)です、此頃(このごろ)言ふに言はれない屈託があります。爲(た)めに、仰(のツ)つ反(そツ)つで、魂なんざ、頭から足へぐらぐらと轉(ころ)げ廻つて居るやうに思はれまして、時々茫乎(ぼんやり)して、まあ、確乎(しつかり)しないか、と自分で活を入れたり、あゝ、助かつた、よく電車に轢(ひ)かれなかつたと線路で活を入れられたりしますんですから、目さへ、何(ど)う成つてるか、其(それ)さへ分りませんもの……
 店賃(たなちん)のしみつたれた長屋でも、住(すま)つてれば、自分の家(いへ)の、其(そ)の家(うち)でさへ、時々赫(くわつ)と成つて、馬の顔が覗いたり、犬の首が轉(ころ)がつたりする始末なんですから、」」

「「私は、實(じつ)は學校(がくかう)を出ましてから、未(ま)だ何ほどの修業もしませんけれども、これで何です、食つて居る職業に、がらがら人形、木葉彫(こつぱぼり)と云ふのを遣ります。」」
「「長屋住居(ながやすまひ)の(中略)、六疊敷(ろくでふじき)の眞中に、一昨年の暮(くれ)頃から、一ツ轉(ころ)がつて居る、花桐(はなぎり)を切つた木材が一個(ひとつ)あるんです。
 意地にも、義理にも、生命(いのち)にも、何時(いつ)までも然(さ)う遣つて、目鼻のあかない丸火鉢のやうな形にして、打棄(うつちや)つて置くわけには行(ゆ)きません。」」
「「傍(そば)に寢て、夢には時々魘(うな)されます。……最(も)う此(こ)の頃(ごろ)ぢや毎晩です。」」
「「夜(よ)が明ければ茫乎(ぼんやり)して、仕事も何にも手に着きません。……ぢや出來ないから、と云つて、此(これ)が其(そ)のまんま打棄(うつちや)つて置けるのぢやないんですから、片時も氣の休まる間(ま)はありません。
 で、飯を噛めば砂利のやうで、湯水も灰汁(あく)を飲む氣がします。
 ぐたぐたと成つて、のめつたり、拳を握つて突立(つゝた)つたり、何の事はありません、此の頃の心持は、宛然(まるで)大地震(おほぢしん)の中にでも坐(すわ)つて居るやうなんです。」」
「「お話し申しました、私が持餘(もてあま)して惱(なや)んで居る其(そ)の木材には、註文主があるんです。
 他所(よそ)の令夫人(おくがた)なんです。」」
「「いづれ私のやうなものに、そんな事を賴(たの)まうと云ふ人なんですから、幾干(いくら)か變(かは)つてるには違ひない。何時(いつ)と云ふ日も極(き)めず、何を刻め、と云ふ約束もなしに、最(も)う久しい間(あひだ)、月々のものを貢(みつ)いでくれます。」」
「「唯今でも思ひます……何(なん)の彼(か)のと屈託をしようより、其(そ)の夫人の、桔梗紫の羽織(はおり)が掛つた、其(そ)のまんまを、あの木材に刻んだ方が佳(よ)ささうだと……
 まだ、其(それ)よりか、羽織を借りて、正(しやう)のものを、其(そ)れなり包んで掛けて、今秋(こんしう)又上野で開く……例年の展覽會(てんらんくわい)へ出品しようと思ふんです。
 そんなに、私のために心配をしてくれます、其の人は、いざ、出來たものを、自分のものにしようと云ふのぢやありません。其の展覽會へ出品をさせようためです。
 ですから、もし、其の會の審査員が許したら、木材に羽織を被(かぶ)せて、熨斗(のし)だけは附(つ)けないで、ずツと出して見せうと思ふ。」」
「「審査員が許さないでも、其の人が差支へさへないと云へば、構はず、羽織を借りて被せて、床の間の板を引剥(ひつぱ)がした奴を臺(だい)に着けて、展覽會へ背負(しよ)つて出る、が無論許可には成りやしません。
 無法な事を考へますのも、實際(じつさい)、何を刻まうか、と途方に暮れるからなんです。」」
「「此(こ)の菖蒲(あやめ)の咲く頃には、些(ちつ)とはお出來なさいますか。催促はしないけれど、私、身體(からだ)が弱いから……莟の中(うち)に……
 と云つたんですが、お話をします通り、今以つて何の形も着きません。(中略)――愈々(いよいよ)菖蒲の咲いた、此の頃ぢや、面目なくつて、申譯(まをしわけ)がなくつて、手前で小さな蛙(かはづ)に成つて、目黑の其の池の縁の藁屋(わらや)の中へ、潛込(もぐりこ)んで、ちよんと手を支(つ)いて、けろりとして、雲雀(ひばり)と一所に高い處(ところ)に、恩人の其の夫人を視(なが)めて居たいくらゐなもんです。……
 なぞと云つて、冬木(ふゆき)の此(こ)の池のまはりを、きよときよとうろついて居る處は、尻尾の方から半分方(はんぶんがた)、蛙(かはづ)に化けてるかも知れません。」」



「淺茅生」より:

「「そんなに切なくつたつて、一寸(ちよつと)寢返り所ですか、醫師(せんせい)の命令(いひつけ)で、身動きさへ成りません。足は裾へ、素直(まつすぐ)に揃へたつ切(きり)、兩手は腋の下へ着けたつ切、で熟(じつ)として、たゞ見舞(みまひ)が見えます、扉(ひらき)の開(あ)くのを、便りにして、入口の方ばかり見詰めて見ました。
 實家(さと)の、母親、姊(あね)なんぞが、交(かは)るがはる附(つ)いて居てくれます他に、其(そ)の扉(ひらき)ばかり瞻(みつ)めましたのは、人懷(ひとなつ)かしいばかりではないのです……續(つゞ)いて二人、三人まで一時(いちどき)に入つて來れば、屹(きつ)と其(それ)が、私の臨終の知らせなんでせうから、すぐに心掛りのないやうに、遺言の眞似(まね)ごとだけもしませうと、果敢(はかな)いんですわねえ……唯そればかりを的(まと)のやうにして目を睜(みは)つて居たんですよ。
 然(さ)うしますとね、苦しい中にも、氣が澄むつて言ふんでせう……窓も硝子(がらす)も透通(すきとほ)つて、晴切(はれき)つた秋の、高い蒼空を、も一つ漉(こ)した、それは貴方、海の底と云つて可(い)いか何と申して可(い)いんでせう、寒(かん)の月の底へ入つて、白く凍(こほ)つたやうにも思へます。玲瓏(れいろう)つて云ふんですか、自分の手も、腕も、胸なんぞは乳のなり、薄掻巻(うすかいまき)へすつきりと透(す)いて、映つて、眞綿(まわた)は吉野紙のやうに血を壓(おさ)へて、骨を包むやうなんです。 
 淸々(すがすが)しいの、何のつて、室内には塵一ツもない、あつても其(それ)が矢張(やつぱ)り透通つて了(しま)ふんですもの。壁は一面に玉の、大姿見(おほすがたみ)を掛けたやうでした、色は白いんですがね。
 ト最(も)う、幾日だか、晝(ひる)だか夜だか分りません、けれども、ふつと私の寢臺(ねだい)の傍(そば)に坐つて居る……見馴れない人があつたんです。」」
「「私は傍目(わきめ)も觸(ふ)らないで、瞳を凝(じつ)と撓(た)めて視(み)たんですが、つひぞ覺(おぼ)えのない人なんです……」」
「「何か知りませんけれども、幾らも其處等(そこいら)に居るものの、不斷(ふだん)は目に見えない、此(こ)の空氣に紛(まぎ)れて隱れて居るのが、然(さ)うして塵(ちり)も透通るやうな心持に成つたので、自分に見えるのだらうと思ひました。
 現在、居るのに、看護婦さんにも、誰の目にも遮(さへぎ)りません……何(ど)うかすると、看護婦さんの白い姿が、澄まして、其(そ)の女性(をんな)の、衣服(きもの)の中を歴々(ありあり)と抜けて歩行(ある)いたんです。」」



「霰ふる」より:

「若いのと、少し年の上なると……
 此(こ)の二人の婦人(をんな)は、民也(たみや)のためには宿世(すぐせ)からの縁(えん)と見える。ふとした時、思ひも懸(か)けない處(ところ)へ、夢のやうに姿を露(あら)はす――」」

「「寂しいねえ。」」
「「二階が寂しい?」」
「「二階は天井の上だらう、空に近いんだからね、高い所には何が居るか知れません。……」」

「「さあ……此(これ)から海が荒れるぞ、と云ふ前觸(まへぶ)れに、廂(ひさし)よりか背の高い、大(おほき)な海坊主が、海から出て來て、町の中を歩行(ある)いて居てね……人が覘(のぞ)くと、蛇のやうに腰を曲げて、其(そ)の窓から睨返(にらみかへ)して、よくも見たな、よくも見たな、と云ふさうだから。」
 「嘘だ!嘘ばつかり。」
 「眞個(ほんと)だよ、霰(あられ)だつて、半分は、其(そ)の海坊主が蹴上(けあ)げて來る、波の潵(しぶき)が交つてるんだとさ。」」




こちらもご参照下さい:
淡島寒月 『梵雲庵雑話』 (岩波文庫)




















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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