泉鏡花 『鏡花全集 巻十六』

「堪忍して下さいまし、私は人間ではないのですよ。」
(泉鏡花 「櫻心中」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻十六』

岩波書店 昭和17年4月20日第1刷発行
/昭和50年2月3日第2刷発行
687p 目次2p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,200円
正字・正かな/本文総ルビ

月報16(16p):
鏡花と龍之介(三好行雄)/鏡花世界小見(久保田淳)/シアトルの鏡花会(投稿)(逸見久美)/泉名月蔵 新資料(4) 尾崎紅葉の鏡花宛書簡/鏡花小説校異考(十六)(村松定孝)/同時代の批評・紹介(生田長江)/編集室より/図版2点(「星の歌舞伎」表紙/尾崎紅葉の鏡花宛書簡)



目次:

紅葛 (大正3年12月)
櫻心中 (大正4年1月)
櫻貝 (大正4年1月)
新通夜物語 (大正4年4月)
星の歌舞伎 (大正4年5月)
夕顔 (大正4年6月)
蒔繪もの (大正4年7月)
懸香 (大正4年9月)
白金之繪圖 (大正5年1月)
浮舟 (大正5年4月)
袙奇譚 (大正5年5月)
人魚の祠 (大正5年7月)




◆本書より◆


「紅葛」より:

「「それはね、紅夢園(こうむゑん)がまだ現在(いま)の女主人(をんなあるじ)の手に入らなかつた以前、ある人の別莊だつた頃、月のいゝ晩、秋草(あきくさ)の中を二人で忍込んで、然(しか)も、あの亭(ちん)の疊(たゝみ)を裏返して、其處(そこ)で情死(しんぢう)をしたのがあります。爾時(そのとき)――お座敷を拜借する。相濟(あひす)まない次第ながら、お庇(かげ)で、いゝ心持に死ねます。舞臺(ぶたい)の氣がする、蟲(むし)の聲(こゑ)は清元(きよもと)の出語(でがた)りだ――つて意味の遺書(かきおき)を殘しましてね。情死(しんぢう)は眞個(ほんたう)にし了(ちま)つたんです。
 其(そ)の遺書(かきおき)が傳(つた)はつて居ますのを、今の女主人(をんなしゆじん)が、……悟つてるから、額(がく)にして、あの亭(ちん)に掛けて置きます。しかし、女どもは薄氣味を惡がります。
 其處の縁(えん)に、貴方が月あかりで薄(うつす)りと描(か)いた繪(ゑ)のやうに……(中略)蒼白く、さうして、寂しく、胸を暗く、腰を掛けておいでだつたさうで、的切(てつきり)、幽靈。」」



「櫻心中」より:

「「あゝ、嬉しい。此(これ)で思ひが屆(とゞ)きました。堪忍して下さいまし、私は人間ではないのですよ。」」
「「私は江月寺(かうげつじ)の櫻(さくら)です。」」



「櫻貝」より:

「「そりや私にも分らないの、でも何(ど)うしても死ぬつもりなんですよ。……何(ど)うしてツて、それはね、つい半月ばかり前だつた。
 不斷あまり出掛けないのが、其(そ)の朝に限つて、ふとね、海岸を歩行(ある)いて見たく成つて、まだ朝御飯前でしたわ。一人で浪打際の靜(しづか)な處(ところ)を、ぶらついて居ますとね、向うの岬の洲の上に、黑く一團(ひとかたまり)、人集(ひとだか)りがして居たの。……傍(そば)へ行つて見ると巡査が交(まじ)つて居て、」」
「「最(も)う筵(むしろ)を掛けてありました。……身體(からだ)は何(ど)う成つて居るんでせう。紅(あか)い切(きれ)が、血の染(にじ)んだやうに幽(かすか)に絡(まつは)つて、可哀想に、水々(みづみづ)とした白い足が、揃つて長く筵の下から出て居たの。房々とした髪がね、まるで櫛の齒を入れたやうに、すんなりと浪の目の立つた砂に着いて。
 はツと思つた。けれど、あの、見ないうちなら知らぬ事、一度目に掛けて、急に、顔を背けたり、遠くへ退(の)いては、然(さ)も然も汚(けが)らはしがるか、蔑むか、忌はしがりでもするやうで、……あはれな人に惡いでせう。」」
「「酷(ひど)いわね、然(さ)も然も汚らしく唾を吐散らしながら見物して居る、少(わか)づくりのお婆さんが一人居る。
 大年增(おほどしま)の學者でね、土地で評判なものです。」」
「「其(そ)の言(いひ)ぐさが口惜(くやし)かつたの。
 ――無教育だの、堕落だの、工女か何か、――(あゝ、貧民ですね、うむ、うむ、然(さ)うでせう、(中略)服裝(みなり)で知れます、はあ、うむ。)――てツちや額(ひたひ)で睨んで、鼻の上にめがねを躍らして――お聞きなさい。
 ――(癡情(ちじやう)の果(はて)、然(さ)うでせうツて、旅役者に、迷つて棄てられた、――自業自得、だが、歎ずべきですね、憐むべきですね、寧ろ呪ふべきですかね、其(そ)の愚や及ぶべからずです……うむ、ばら錢(せん)ばかり、何にも持たない、然(さ)うでせう、此(これ)でも小遣(こづかひ)がありや死なないかも知れません、色の戀(こひ)のと云つても要するに生活問題ですよ。うむ、然(さ)うですとも。――面(めん)は?……打棄(うつちや)られたくらゐぢや……しかし惡くないんですつて? 貴方は、それだから。)――と其處(そこ)に立會(たちあ)ひのお爺さんの醫者(いしや)の背(せなか)を打(ぶ)つのよ。
 ――(何(な)にしろ、教育は大切です。少くともだわ、私たちが經營する一列の、なにがしと言ふ學校の、それこそ門を潛(くゞ)つたら、小使(こづかひ)だつて、こんな眞似(まね)はしやしない。詰りです、低能なんですよ。馬鹿ですとも、其(それ)が證據(しようこ)には、遺書(かきおき)を御覽なさい――(中略)字を御覽なさいよ。塵がみに消炭(けしずみ)がこぼれてる形ぢやありませんか。)――又唾を吐いて、――(兎(と)に角(かく)可(よ)い材料を得ました。(中略)鑑(かんが)むべきですね、女子教育は大事です。(中略))
 ――死んだ娘さんの心持はどんなでせう。――」」
「「もう氣障(きざ)つたらない。私には、日本中の憎らしさを一人で背負(しよ)つてる、其(そ)の學問年增(としま)が、唾を吐き吐き然(さ)う云ふのを聞いて、我慢が出來ない。口惜しくつて、癪(しやく)に障(さは)つて。
 ですからね、陰ながら其の娘さんの死骸を何(ど)う庇(かば)ふよりか私が死骸に成るんです。――そして、(中略)貧民でない、工女でない、私の死んだ姿を見せて遣るの。嘸(さぞ)、無教育だと云ふだらうから、それで、私、手習(てならひ)を、……手がよくないんですからね、女中に内證(ないしよう)で、お消しをしいしい、手本に縋(すが)つて寢ないで一生懸命なんです。でも些(ちつ)とは出來て來ました。自分だけにも、これで可(い)いと思つたら、綺麗に、すらすらと書いて、」」
「「しつかり其(それ)を膚身(はだみ)につけて、岬の巖(いは)に腰を押(か)けて、すつと波へ沈むんです。」」

「「あゝ、私たちのすることを、海は何と思ふだらう。」」



「星の歌舞伎」より:

「「口が臭いよ、お婆さん。身體(からだ)も臭(にほ)ふの。御教訓だか御説教だか知らないけれど、惡臭(わるくさ)くつて堪らないわ。鬱陶しいぢやありませんか。」」

「「けれども、其(そ)の空を浸した流(ながれ)の樣子が、何(ど)うも洪水を描(か)いたものらしい。それだと同じ災害で家が滅びたと云ふ人に取つては繪解(ゑとき)も苦痛だつたでせう。が、それを濁流だとも泥水だとも思ひません。なんとなく、繪本を穿ち、紙を透(すか)して、淸い流が溢れるやうで、今でも其の繪を思出しますと、渇かない咽喉にも、其の谿河(たにがは)へ倒(さかさ)に口をつけたいほど飲みたく成ります。否(いえ)、それには限りません。私は臆病で、臆病よりは卑怯で、生水は飲(のみ)得ません、くだらない癖がありますが、川に限らず、淸水に限らず、甚(はなはだ)しいのは、沼、湖、あの海でさへ、繪に描(か)いた水でさへあれば、見さへすれば、堪難(たへがた)いまで飲みたいのです。續(つゞ)いて、月に、雪に、一本(ひともと)の草の花に、それが實物(じつぶつ)であるよりは、繪であるものに、却つて、あこがれもし、見惚(みと)れもするのです。」」



「夕顔」より:

「「否(いゝえ)、それは、事も大層な蛞蝓(なめくぢ)でございましてね。夜分寢て居りますと夜具の上を這ひまして、此(こ)の間なんぞは、上(かみ)さんの小掻巻く(こがいまき)の天鵞絨(びろうど)の襟を臺(だい)なしにして、私の頬邊(ほつぺた)を傳(つたは)るだらうではございませんか。」」
「「流許(ながしもと)から、三和土(たゝき)から、出ますが出ますが。鹽(しほ)と云へば俵ごと石灰(いしばひ)ぐらゐに振撒(ふりま)かないでは追付(おツつ)きません。塵取(ちりとり)に取ります處(ところ)が、山裝(やまもり)一杯。
 棄場がございますまい、旦那。お隣の羽目(はめ)へ障(さは)りませんやうに、溝板のわきを掘つて埋めようといたしますと、其(そ)の穴が又蛞蝓(なめくぢ)で一杯なんぢやございませんか、悚然(ぞつと)いたしましてございますよ、へい。
 あれもね、甲羅經ると化けるものと見えまして、赤いのが居りましてね、大(おほき)さと云つたら、佃(つくだ)から賣(う)りに來ます粒選(つぶえり)の海鼠ぐらゐ、角(つの)が生えて居りますよ、へい。大將でございますかね。それが幾つでも出ますから、兵隊さんは數(かず)も限りも分りません。ぬるぬる湧いちや推寄(おしよ)せて參りますやうでございましてね、夜半(よなか)に熟(じつ)として考へて居りますと、ざあざあ跫音(あしおと)がしさうで氣味(きみ)が惡いやうでございますがね。」」



「人魚の祠」より:

「「一體(いつたい)、水と云ふものは、一雫(ひとしづく)の中にも河童が一個(ひとつ)居て住むと云ふ國が有りますくらゐ、氣心(きごころ)の知れないものです。分けて底澄(そこず)んで少し白味を帶びて、とろとろと然(しか)も岸とすれずれに滿々(まんまん)と湛へた古沼(ふるぬま)ですもの。丁(ちやう)ど、其の日の空模樣、雲と同一(おなじ)に淀(どんよ)りとして、雲の動く方へ、一所に動いて、時々、てらてらと天(てん)に薄日(うすび)が映(さ)すと、其の光を受けて、晃々(きらきら)と光るのが、沼の面(おもて)に眼(まなこ)があつて、薄目に白く人を窺(うかゞ)ふやうでした。」」

「「見ると驚いた。ものは棕櫚(しゆろ)の毛を引束(ひツつか)ねたに相違はありません。が、人が寄る途端(とたん)に、ぱちぱち豆を燒く音がして、ばらばらと飛着(とびつ)いた、棕櫚の赤いのは、幾千萬とも數(かず)の知れない蚤(のみ)の集團(かたまり)であつたのです。」」



「懸香」より:

「陰鬱な夜であつた。
胡瓜(きうり)の蔓(つる)が立枯れた、茄子(なすび)の核(たね)が燒ける、田畑(たはた)も干破(ひわ)れる旱(ひでり)が續(つゞ)いて、それが油旱(あぶらひでり)と云ふのに變(かは)ると、眞赤(まつか)な空に汗の滲む粘々とした雲が湧いて、南を蔽ひ北を塞ぐ。東にも西にも、ソヨとの風もない。時々人じらしな湯氣の小雨が煙のやうにむらむらと掛るかと思ふと、赫(くわつ)と破(わ)れるばかり照りつけて、砂を煎り、石を煮る。
 湧立つばかり、ぐらぐらと海の波が悶えて動いて、喘ぎ喘ぎ、白泡(しろあわ)の
潵(とばしり)を吐く、こんな時を土用波と云ふのである。
 五日も六日も續いた。
 其の日は午後から暮方に、雨の量が心持多かつただけに、濕氣(しつき)は猶(なほ)さら、蒸暑さと云つたらない。
 瓜に毒あり、草いきれ、月見草の花の大(おほき)な露も、熱い雫(しづく)して悄(しを)れて居よう。
 「遣切れねえや。」
 「殺さば殺せ。」」
「風の死すると云ふ夕凪の潮(しほ)は、夜(よ)に入(い)つて一層重苦しく、恰(あたか)も銅(あかゞね)を溶かして一面の渚に塗附(ぬりつ)けたとよりは思はれぬ。
 打つて擴(ひろ)がるのは海の裂けるのである、寄せては返すのは、浪の沸(わき)立つのである。鳴るとも響くともなく、どうどうと黑く畝(うね)つて、畝つて時々大畝(おほうね)りを投げる、とともに、紫に藍の迸(ほとばし)る稻妻(いなづま)を倒したやうな、靑い光が渚をまいて、油に注ぐかと(中略)燃える。……海は宛然(さながら)、踠轉(のたれ)悶(もだ)ゆる火山である。」
「海水浴更衣場と札打つた、濱口の葭簀圍(よしずがこひ)も、恁(かゝ)る折から祭りの夜更けた寂しい見世もの、八幡の藪で、五燭(しよく)ばかりの電燈が蜘蛛の巣を捌(さば)くが如く、もじやもじやと白砂(しらすな)を這ひつゝ照らす、こゝに人間の力で得た光明(くわうみやう)は、單(たん)に此(これ)ばかりであるのに、其(それ)さへ暗闇の威勢に押伏せられて、却つて我人(われひと)を裏切つて、明(あかり)の中に彳(たゝず)むものを、外へ突(つき)出す、底意地の惡い影らしい。
 が、あかり先だけは、渚の浪が尋常に碎(くだ)けて白い。無論、一掬(いつきく)の涼味もある事か。旱雲(ひでりぐも)が崩れて疊(たゝ)まつて、明日まで蟠(わだかま)つてまた照(てり)つけようとするやうに、むらむらと群り累(かさな)る、其の中に黑い斑(ぶち)のぶよぶよと動くのは、時を得(え)顔に海月(くらげ)が躍るのであらう。
 「何(ど)うだ、人間、状(ざま)を見たか。」
 で、やつちや、こらさ、と萬燈(まんど)で燥(はしや)ぐ。
 冥々(めいめい)として黑い海は、中空(なかぞら)に築(つき)上げた大(おほい)なる山に似て、脚を立て煽(あふり)を揚げ、遮るものは岩も草も砂も、微塵に粉にしようとして、紫の牙を噛む、……浪は毒龍の畝(うね)りである。渚の飛沫(しぶき)は幾億の魚(うを)の、嘗(かつ)て人類に虐げられた浮びも遣(や)らぬ怨靈(をんりやう)の炎である。」

「浪は此處(こゝ)を切れ、彼處(かしこ)を打てとこそ騷げ。射掛ける矢にも、弩(いしゆみ)にも似て、眞中(まんなか)で白く消え、前後(あとさき)に黑く折れ、颯(さつ)と折れては、直(たゞ)ちに射(い)、どろどろと消えては忽(たちま)ち撃つ。
 が、渚に碎(くだ)ければこそよ。音もなく伸(のば)したらば、我(わ)が大陸は一舐(ひとな)めに舌の尖(さき)で舐(なめ)られよう。岩に角(かど)のあるも、峰に襞襀(ひだ)のあるも、砂(いさご)に數(かず)あるも、骨身(ほねみ)を碎(くだ)いて潮(うしほ)を防ぐ努力かとも疑はるゝ。
 可恐(おそろしき)は暗夜の蒼海(あをうみ)である。計り難きは其(そ)の海の心である。」

「變(かは)つた事は何にも無いのに、今年……然(しか)も此(こ)の夏に成つてである。……其(その)海からか、沼からか、山か、峰か、谷か、それとも穴から出るのか。村、里、田の畦(あぜ)、小橋(こばし)の上、崖下、岨路(そばみち)、蘆の中、地藏の前、社(やしろ)の縁(えん)、ともすると鬼火の如く、(黑い提灯)が點(とも)れて通る。……朦朧(もうろう)として往來する。」

「一つ盛上つて目の前に横(よこた)はる其の踏切の、恰(あたか)も難波船の底に浮いたやう、夜陰(やいん)に忌はしく見えるのも、何(ど)うやら人界と、他境(たきやう)の區域(くゐき)であるらしい。」



「袙奇譚」より:

「「貴方がお驚き遊ばした、あの、爺さんと、婆さんは、あれは二人とも、世間にも不思議なほどな、病人なのでございます。……」」
「「一朝(あるあさ)、婆さんが、朝御飯を食べよう、とお箸を、あの、持ちますと、生姜の紅漬も、膳には附いては居なかつたさうですのに、恁(か)う、あの、目に映つて、小さな紅(あか)いものが、ちらちらと見えたんでございますつて。」」
「「朝が過ぎて午(ひる)に成つて、段々、きつぱり見えるやうに成りますと、點々(ぱつちり)した、一粒、赤い色だと思つたのが、それが裳(すそ)を、すらすらと曳いた緋の袴……」」
「「そして、お髪(ぐし)に、びらびらの簪(かんざし)をさした、十二一重(じふにひとへ)を召した、それはそれはお美しい、氣高いお姫樣の御姿が、それが、三寸、一寸ともありません、五分ばかりの眞珠(しんじゆ)で皆(みな)刻んだやうに、顔などは透通つて、綾も晃々(きらきら)、輝いてお見え遊ばす。鮮麗(あざやか)に見えます事は、其の唇に紅を含んで在(い)らつしやるのも分るんです。
 婆さんの目に映る……其のお姫樣が、長い袖に、檜扇(ひあふぎ)を一折(ひとをり)持つておいでなすつて、絶えず、恁(か)う、其(それ)がひらひらと、小さな花瓣(はなびら)のやうに動くんですつて。
 一日半日、些(ちつ)との間も留(や)まないで、然(さ)うやつて檜扇の動きますのが、婆さんの心では、何か泡のやうな影を、右と左へ、お拂(はら)ひなさいますやうだつたさうですが。
 次第に、泡の影が濃く成ると、其の形に、目鼻が着いて、一ツ一ツ。」」
「「それが、皆(みんな)、人間の首なんです。」」
「「生首でございますが、幾つとも分りませんのださうで、五ツや十(とを)は數(かぞ)へましても、四十だか、六十だか、八十だか、一百(いつそく)ですか、盡(つく)されませんツて。
 うようよぞろぞろ、と渦に成つて、環(わ)になつて、むらむらお姫樣の扇の周圍(まはり)を、浮いて、沈んで、舞廻(まひまは)つて居ますうちに、幾時(いくとき)たつたか、一つ、ふいと離れて出て、婆さんの耳へ留(とま)つたんです。」」
「「それが眉毛の無い、出額(おでこ)で、口の大(おほき)い男の生首だつたと申します。……しばらくすると、又一つ來て眉に留(と)まりました。」」
「「さあ、貴方、それが始まりで、目の釣つたんだの、口のゆがんだんだの、鼻のないのだの、齒噛(はぎしり)をしたのだの、幾つとも知れない異類異形の生首が。」」
「「其(そ)の中(うち)に、十二一重のお姫樣の姿が、緋の袴と、檜扇と一所に、ふツと婆さんの目から消えますと、今度は爺さんの目に宿つたんです。
 生首は一度散つて、それからは交(かは)るがはる、米を出さうとすると米櫃(こめびつ)の中に、ぴくぴく、鼠の子のやうに動いて居たり、蓋を取る椀の中の、燒麩(やきふ)に目鼻がついて、ふはりと出たり、行燈(あんどう)に影が映つたり、思ひも掛けない處(ところ)から、湧いて出ては、手とも言はず、足とも言はず、腹へも胸へも額(ひたひ)へも、取着(とツつ)き、引着(ひツつ)き、飛着きます。」」
「「始(はじめ)は、お姫樣の姿ばかりが見えて、むらむら泡が湧いて、それから生首が出て、皆(みな)目から消えて、待伏せをしたり、狙つて居たり、諸所方々(しよしよはうばう)、ありとあらゆる處から、生首が出て附着(くツつき)ます、其の順は、矢張(やは)り爺さんも同じだつたんださうですよ。
 日が經(た)ち、月がかはりますと、次第に、數(かず)が殖(ふ)えて、激しく成つて、寢ると、夜具の襟へ珠數形(じゆずなり)に集(たか)つて、かたまつて胸を壓(お)して、裾から、むくむく傳(つたは)つて入ります。」」
「「水を汲めば、蜂の子のやうに落ちて居るんださうですし、道を行(ゆ)けば、蝗(いなご)と同じに飛ぶ、蛙(かはづ)のやうに、ぴちぴち刎(は)ねます。
 湯に入ります時などは、がばがば一面に浮いて居ますのを、一度手拭(てぬぐひ)で掬(しやく)ひますさうですよ。」」



















































































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プロフィール

ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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