泉鏡花 『鏡花全集 巻廿四』

「どうして、こんな処へ。こゝを何処だとお思ひなさいます。――畜生道(ちくしやうだう)、魔界だことを、ご存じないのでございますか。」
(泉鏡花 「雪柳」 より)


泉鏡花 『鏡花全集 巻廿四』

岩波書店 昭和15年6月30日第1刷発行
/昭和50年10月2日第2刷発行
751p 目次1p 
四六判 丸背紙装上製本 貼函
定価2,400円
正字・正かな/本文総ルビ(「遺稿」はルビなし)

月報24(16p):
「山海評判記」再讀(上)(福永武彦)/鏡花との距離(三田英彬)/鏡花小説校異考(二十四)(村松定孝)/同時代の批評・紹介(佐藤春夫)/編集室より/図版5点(「山海評判記」時事新報挿絵、小村雪岱画/同/同/単行本「斧琴菊」表紙/「薄紅梅」草稿断片)



目次

山海評判記 (昭和4年7月)
斧琴菊 (昭和9年1月)
薄紅梅 (昭和12年1月)
雪柳 (昭和12年12月)
縷紅新草 (昭和14年7月)
遺稿
 



◆本書より◆


「山海評判記」より:

「「知つてるかい。――(長太(ちやうた)居(を)るか。)あゝ、それは凄い。」
   ……「居るは、何ぢや。
         七年前(しちねんさき)の夫の仇(かたき)。」
 ――夜(よ)がたりの一言(ひとこと)で――客は、もの心を覺えてより何十年、殆(ほとん)ど血の中に消えて居た不思議な聲(こゑ)が、忽(たちま)ち、山の火を噴くが如く記憶を爆(やぶ)つた。」
 按摩の言ふには、花咲爺さん、桃太郎を知つたもので、此(これ)を知らないものはない筈(はず)だ、と言ふ。……尤(もつと)も北國(ほくこく)に限るであらう。
 「……凄いにも、そりや、私(わし)らは隣國(となりぐに)の生れで、今で申さば川向うの火事であす。(中略)なれども小忰(こせがれ)の折、別して冬分(ふゆぶん)――雪は、どんどと降るわ、海はぐわうと荒れるわ。燃え上(あが)る圍爐裡(ゐろり)の火も、鯨の血が氷に閉ぢられたやうな處で(長太居るか。居るは何ぢや。七年さきの夫の仇。)――と、ほれ、それ古狸の女房(かゝあ)……と云ふ條(でう)、然(さ)うなると、魔の夫人(おくがた)ぢや。夫の仇を取るために山小屋の外で聲を掛ける。此の應對(おうたい)に、寂しい凄い力味(りきみ)のある、また可哀(あはれ)な、悲しい調子が、おのづと備はるので、かう來ると、ほし栗も榧(かや)の實(み)も、貝殻か、はや砂利、霰でも噛やうに、齒に沁みて、舌が冷たかつたものであす。」」

「「此の樣子であすで、古狸と申した處で、(中略)間違つて、山の神かも分らぬのであす。その證(しるし)には――
       「曉起(あかつきおき)に空見れば、
        頻伽(びんが)のやうな女房(にようばう)が。
        空色の小袖着て、
        檳榔子(びんらうじ)の帶しめて、
         白雪山の薄化粧。」……
 で、――解脱して空を歸る處を、麓のものが見た姿ぢやさうにあすて。……これぢやと、仙人だか、人間だか、とに角(かく)狸より偉く立(たち)まさつて居りますでな。」
 客は靜(しづか)に受けて言つた。
 「それだけに、又話が、高く、遠く思はれるんだよ。……(一向記憶に取留(とりと)めはないんだがね、口傳(くちづた)への其(そ)の唄のあとには――
       「芥子(けし)の眞紅(しんく)の小杯(こさかづき)、
        玉の白露蕊(しべ)にうけ、」
 とか謠(うた)ふぢやないか。」
 「へゝい、初耳。……よう御存じで。――しかし、それだと、霧に乘つて、長太と婚禮(こんれい)でもしたやうに聞えるであすな。」
 「處がね――すぐ後(あと)へ……これも今ふツと思ひ出したんだが、
       「思(おもひ)は色に移れども。
         柳の枝に珠數(じゆず)掛けて。」
 と云つたらしい。これだと兩方發心(ほつしん)して捨身(しやしん)で佛門(ぶつもん)に歸依(きえ)したと思はれない事もない。」」

「「長太居るか。」
 と、思はず聲(こゑ)を出した。――實(じつ)は古狸のもの語(がたり)を聞く時は、其の聲を口へ出すと魔を呼ぶからと、禁制されるのが習慣になつて居る。(中略)……また不思議に、此の話のあとでは、おのづから口へ出して長太居るか、と言ひたくなる。」

「あゝ、わが知る、兵庫岡本には谷崎潤一郎氏。――もとより東京に、水上(みなかみ)、里見(さとみ)、久保田(くぼた)の諸家、もし此處にあらば、其の才能と、機略と、膽勇(たんゆう)を以て、一呼吸(いつこきふ)して、此の危地を脱しよう。其の他、友一人、誰(たれ)とても。(中略)反對に地を轉(てん)ずとせよ。彼奴輩(きやつばら)、馬士(まご)と雖(いへど)も、其の愛人を救ひ得ざらんや。」
「たゞ、われ一人、手段を誤り、前後を忘じ、擧措(きよそ)を失した。
 かくて、群狼の毒牙、馬妖の亂脚(らんきやく)に、お李枝(りえ)の白身(はくしん)の四肢(しし)を擲(なげう)つて、其(そ)の五體(ごたい)の狼藉委泥(らうぜきゐでい)さるるを、面(ま)のあたり見ねばならない。目を潰せ、胸を裂け、」
「いま、われお李枝を救ひ得ずして、文章が何だ。小説が何だ。作者が何だ。
 「この、しみつたれ。」」

「「――此の唄をお聞きなさいな――
  ――長太居るか――
  私は曲馬の娘です。
  白山(はくさん)樣のお使者です。
  姫神樣を知らないか。
  魔ものだ、魔ものだ。
  魔ものだ。」

  「おん白神(しらかみ)の、
  姫神樣の、
  おつげを聞けば――
  お李枝、お李枝、
  お李枝のきみは、
  あなたへやらぬ、
  こなたへ渡せ。
  山からなりと、
  海からなりと。
  白い馬には朱の鞍おいて、
  靑い船には白い帆かけて、」
  「むかひに參りさふらふ。
  むかひに參りさふらふ。
 いかに作家、冷靜に唄の批判を爲(な)し得(う)るか。」



「斧琴菊」より:

「「此の靜寂間(しゞま)へ、二尺ばかり、目の前を少し離れて、幽かに動いたものがあるのです。繪筆(ゑふで)の細い尖(さき)で、銀泥(ぎんでい)か、胡粉(ごふん)の點(てん)を打つたやうに、ぽうと一つ、飛ぶともなしに浮いて居るものがあります、(おほわた。)なんです。」
 「おほわた……はゝあ、蟲(むし)で……」
 「冬日和のほんのりと、しかし寂しい時に、屋敷町の辻だの、宮、堂の表、裏道、小橋(こばし)の袂(たもと)などで、子供たちが唄ひました。
     (おほわた、來い、來い、まゝくはしよ。
     まゝがいやなら、とゝくはしよ。)
 あれなんです、天城山中(あまぎさんちう)にたつた一つ。」」

「「――螢の幽靈を篩(ふるひ)に掛けたやうな、白い魂が、じつとして、まだ目前(めさき)に居ます――
 掬(すく)ふまでもない、手を仰向けに寄せると、掌(てのひら)へ……眞綿の、もの着星ほどに、おほわたが乘つたんです。
 もみぢ。
 と思ふと、おほわたが、ほんのり……
 ――紅い――
 菊。
 と見ると、おほわたが、少し浮いて
 ――黄色です――
 …………
 お雪さん。
 と見ると、おほわたが、ぽうと――
 ――白い――
 お雪さん。
 おほわたが、すつと立つて、ぽうと
 ――白い――
 ふいと飛んで、消えたんですが……」」

「「しかし、お雪さん、霧霞(きりかすみ)にも乘るとして、明琳(めいりん)の瀧まで、どうして通ふんだと聞きますとね、――かうしてゐても、うつとり睡(ねむ)くなると、すぐ參(まゐ)ります。小さな蟲(むし)になつて……」」



「雪柳」より:

「「あれ、親方さん。」
 「えゝ。」
 「どうして、こんな處へ。こゝを何處だとお思ひなさいます。――畜生道(ちくしやうだう)、魔界だことを、ご存じないのでございますか。」
 「やあ。」
 「人間のもとの身では歸(かへ)られませんよ、どんな事がありましても、こゝで何かめしあがつたり、それからお湯へ入つてはいけません。かういふうちにも、早く、早くお遁(に)げなさいまし、お遁げなさいまし。」
 「やあ、お前さんは。」
 「三年あとに、お宅に飼はれました、駒(こま)ですよ、駒……猫ですよ。」」



「遺稿」より:

「四邊は、ものゝ、たゞ霧の朧である。
 糸七は、然うした橋を渡つた處に、うつかり恍惚と彳んだが、裙に近く流の音が沈んで聞こえる、その沈んだのが下から足を浮かすやうで、餘り靜かなのが心細くなつた。」

「寐鳥の羽音一つしない、かゝる眞夜中に若い婦が。」
「夜の霧なかに、ほのかな提灯の灯とゝもに近づくおぼろにうつくしい婦の姿に對した。」




◆感想文◆

「遺稿」は、霧の夜に女の人の幽霊と擦れ違う話です。いろんな意味で感慨深い作品です。鏡花作品では悪役を割り振られることが多かった盲人(按摩)について、「熱海のこの按摩さんは一種の人格しやと言つてもいゝ、學んで然るべしだ。」と、「人格者」扱いしているのも、感慨深いです。
























































































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ひとでなしの猫

Author:ひとでなしの猫
ひ-2-改(ひとでなしの猫 2 改訂版)

◆「樽のなかのディオゲネス」から「ねこぢる」まで◆

難破した人々の為に。

分野: パタフィジック。

趣味: 図書館ごっこ。

好物: 鉱物。スカシカシパン。タコノマクラ。

将来の夢: 石ころ。

尊敬する人物: ジョゼフ・メリック、ジョゼフ・コーネル。

ハンス・アスペルガー・メモリアル・バーベキュー。

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